Sudan

国連 1981 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.28
スーダン
SUDAN

大航海物語
  地図編

SUDAN
スーダンの地図

1956/1/1独立記念デー
スーダン 1956/9/15 発行
JERSEY
スーダンの場所地図

ユニセフ子供基金
1946 UNICEF 50年記念 1996

ジャージィー 1996/2/19 発行





スーダン
エチオピア
ソマリア



ナイル河流域と
リビアエジプトスーダンの地図

リビア危機のUAR決議書調印記念
スーダン 1971/1/2 発行
LAR
ナイル河流域の地図

リビア・エジプト・スーダンの地図
エジプト 1971 発行

ラクダ兵

サルカ(SULKA)農園
スーダン 1951/9/1 発行

青ナイル河のハルツーム鉄橋

ゴードン将軍記念大学
スーダン 1950/7/1 発行

ナイルの出会い

スーダン陸軍改革1年記念
スーダン 1959/11/17 発行

Bophuthatswana
古地図でのナイル河の場所地図

ボフタツワナ 1992 発行

スーダン共和国
 Republic of the Sudan

面積:188万ku(日本の約5倍)。人口:3,796万人(2013)。首都:ハルツーム(Khartoum)。人種&民族:主としてアラブ人、ヌビア人、ヌバ人、フール人、ベジャ人等(200以上の部族が混在)。言語:アラビア語(公用語)、英語(公用語)、その他部族語多数。宗教:イスラム教、キリスト教、伝統宗教。1番切手:1897/3/1エジプト切手に加刷で発行後、1898/3/1 ”SUDAN POSTAGE” で発行。

・スーダン略史:〜
スーダンは古くからエジプトの南下の影響で幾つかの王国が勃興衰退を繰り返しましたが、中にはエジプトへ攻め上ってエジプトを支配した王国もありました。
2600 BC頃、ケルマ王国(Karima, Sudan、クシュの国最初の王国)が興る
   全ヌビア地域とエジプトの一部を支配
1070 BC頃、ヌビア人(黒人)のクシュ王国(Kingdom of Kush、BC1070頃-AD350頃)が建国される
900 BC頃、ナイル河上流ナパタ(Napata)に興ったクシュ王国がエジプト第22王朝(BC945-BC715)
   エジプト第23王朝(BC818-BC715)を滅ぼし、エジプト第25王朝(BC747頃-BC656頃)建国
656 BC頃、イラク北部アッシリア(Assyria)の侵攻でエジプト第25王朝が滅亡、
   ヌビア人集団がナパタへ撤退
591 BC頃、クシュ王国が王都をさらに南のメロエへと遷都
   以後はメロエ王国(Kingdom of Meroe, BC591頃-350頃)と呼ばれ、
   牧畜とモロコシ(別名:コーリャン、ソルガム)の農耕を主産業とし、
   さらに鉄の産地としてアフリカ黒人の歴史上、最初の鉄器製造の中心地となる
350 頃、メロエ王国はエチオピア高原のアクスム王国(Kingdom of Aksum, 100頃-940頃)の侵攻で滅亡
4世紀 頃、メロエの故地(世界遺産:メロエ島の考古遺跡群)は北から
ノバティア王国(Kingdom of Nobatia, 350頃-650頃)
マクリア王国(Kingdom of Makuria, 340頃-1276、1286-1312)
アルワ王国(Kingdom of Alodia, 7C頃-1504)の三王国に分かれ、三国ともに5世紀頃にキリスト教化され、以後1000年近くキリスト教を信仰するも、その後はイスラム教化される
1504 フンジ・スルターン国(Funj Sultanate of Sennar, 1504-1821)が建国(現センナ−ル州中心)される
1596 フール・スルタン国(Sultanate of Darfur, 1603-1874& 1898-1916)建国(現ダルフール地方)される
この地方は完全にイスラム化されて、キリスト教勢力は消滅
1798 ナポレオン率いるフランス軍がエジプト遠征を開始
1811 オスマン・トルコ帝国支配下のエジプトのムハンマド・アリー総督(Muhammad Ali of Egypt, 1769-1849, 王朝:1805-1953)がエジプトのマムルーク朝一族を滅ぼす
1819 ムハンマド・アリー王朝軍のスーダン侵略が始まる
1820 ムハンマド・アリー王朝軍侵攻で北部スーダン(現スーダン)がエジプトの支配下に組み込まれる
1875 イギリススエズ運河を確保
1881 /6月、マフディーの反乱(Mahdist War, 1881-1899)勃発、マハディ(救世主)と称するスーダン人指導者ムハンマド・アフマド(Muhammad Ahmad, 1844-1885)が白ナイルのアバー島で武装蜂起、
マフディ国家(1885-1899)の建設を開始
1882 イギリスがエジプトを事実上の保護国と化す
1883 /11/5、エル・オベイドの戦い(Battle of El Obeid, 11/3-5)、マフディー軍がエジプトのヒックス大佐(Hicks Pasha, 1830-1883)遠征軍9,000人を全滅させる
1885 マフディー国家(マフディスト・スーダン(Mahdist Sudan, 1885-1899)が建設される
1885 /1/26、マフディ反乱軍が包囲攻撃していたハルツームが陥落、セーシェルバレ・ドゥ・メ渓谷を訪れた(1881)エジプト派遣英軍のチャールズ・ゴードン将軍が戦死
1898 /9/2、オムダーマンの戦い(Battle of Omdurman)
ゴードン将軍救出隊に情報士官として参加(1884)していたイギリスの伯爵キッチナー将軍(Field Marshal Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener RN KG, 1850-1916)率いる英埃軍25,000人(英軍8000人+ス軍17000人、後の英首相ウィンストン・チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, KG, 1874-1965)特派員が従軍)がマフディー軍5万人を撃破して英が完全勝利
1898 ファショダ事件(Fashoda Incident)
ナイル河畔スーダンのファショダ村で英仏軍が遭遇
ナイルの出会い

スーダン 1959 発行
7/10 仏のマルシャン大尉(Jean-Baptiste Marchand, 1863-1934)の武装探検隊(200人)がコンゴのブラザビルから蒸気船でウバンギ川を遡上してジャングルと砂漠地帯を横断ナイル河畔のファショダに到着
9/18 キッチナー将軍のイギリス軍船隊がナイル川を南下してファショダ到着
両軍司令官(キッチナーとマルシャン)の会見で、事態処理を本国にゆだねる
結果は英の南下政策と仏の東進政策が背景なるも、本国政府同士が話し合い、
スーダンとモロッコの利権を交換することで解決
1899 英国がマフディ反乱を完全に鎮圧
●近代スーダン国の推移:〜
1899 〜1956、英エジプト(英埃)領スーダン(Anglo-Egyptian Sudan、8,079,800人:1951)
    第一次内戦(反イスラム蜂起、1955-1972)
1956 〜1969、スーダン共和国(Republic of Sudan、10,262,536人:1956)
1969 〜1985、スーダン民主共和国(Democratic Republic of the Sudan、14,113,590人、1973)
    第二次内戦(ディンカ人(SPLA)がゲリラ闘争を拡大、1983-2005)
1985 〜2011、スーダン共和国(Republic of Sudan、21,931,000人:1985)
2011 /7/9〜、南スーダン共和国(Republic of South Sudan、10,310,000人:2011)が分離独立
▼1899〜1956、英埃領スーダン
1899 再び英国とエジプトの共同統治開始
1922 南部スーダン封鎖
北部との往来には旅券が必要となる(南北対立の遠因)
1924 北部を中心に独立運動が続けられた為、南北を分断して統治する手法(Britain's Southern Policy)を採用し、マラリアなどの予防の名目で8度以北の者が南、10度以南の者が北に行くことはどちらも違法とされたことも分裂の元となる
1945 ウンマ党がアル・アズハリー(Ismail al-Azhari 1900-1969)らを中心に結成されて独立運動を主導
1954 スーダン自治政府が発足
1955 /7月、第一次内戦が勃発(反イスラム蜂起、1972年終結)、南部スーダンの自治・独立を求めて英国指揮下のエクアトリア部隊所属の軍将校と警察の一部が武装蜂起、南北内戦が勃発して北部の「アラブ系」イスラム教徒と南部の主に「黒人」が戦う
▼1956〜1969、スーダン共和国
1956 /01/01、スーダン共和国独立(第一次ウンマ党政権)
1958 /11/18、軍事クーデタでアッブードゥ(Ibrahim Abboud 1900-1983)軍事政権成立(-1964/11/16)
1964 /10/30、10月革命終結
1964 /11/16、アッブードゥ軍事政権が崩壊
1965 /4月、総選挙でウンマ党と国民統一党の連立内閣が成立(第二次ウンマ党政権)
▼1969〜1985、スーダン民主共和国
1969 /5/25、陸軍のクーデターでジャーファル・ヌメイリを議長とする革命評議会が全権を掌握、ヌメイリ軍事政権が成立、国名をスーダン民主共和国に改める
1971 /7月、ヌメイリが大統領に就任
1972 /2/27、政府側と南部スーダン側の間でアディス・アベバ合意を締結して、17年間で50万人の犠牲者を出した第一次スーダン内戦(1955開始)が終結
1975 米のシェブロン社がアビエイで油田を発見
ヌメイリ政権はグリグ油田地帯を北部に組入れる地域区分の組替えを始める
1978 黒人の非アラブ系「アニャニャII」(Anyanya II)が結成される
1983 /1月、第二次内戦勃発(2005終結)ソ連とエチオピアの支援を受けたジョン・ギャラン国軍大佐率いるスーダン人民解放軍(SPLA)が南部スーダンの自治獲得(非アラブ系黒人のディンカ人主体)を目指してスーダン国軍を攻撃
1983 /9月、ヌメイリ政権がイスラム法を導入、それに反発する南部スーダンの黒人有力民族ディンカ人を主体とするスーダン人民解放軍(SPLA)がゲリラ闘争を拡大、第二次スーダン内戦が勃発
1984 旱魃(かんばつ)とエチオピアからの難民流入で経済困難に陥る
▼1985〜2011、スーダン共和国
1985 /4月、軍事クーデターで、ヌメイリ大統領は失脚してエジプトへ亡命
   元帥スワール・ダッハーブ(Swar al-Dahab、在任1985/4/6-1986/5/6)国防相が政権を掌握
1985 /12月、国名を「スーダン共和国」に戻す
1986 /05/6、民政移管でサーディク・マハディ(Sadiq al-Mahdi、在任1986/5/6-1989/6/30)政権発足
1989 /6/30、軍事クーデターで准将オマル・バシール(在任1960-2013)軍事政権成立
   バシール准将がイスラム主義組織民族イスラム戦線 (NIF) と連携して無血クーデター
   革命委員会を設置して非常事態を宣言、自ら元首、首相、革命委員会議長、国防相に就任
   NIFの主張に沿ったイスラム化を推進
   (南部の村を空爆し女性や子供を奴隷化するなどして、北部対南部の内戦を拡大させる)
1991 隣国エチオピアに「アフリカ最大の人権抑圧者」と呼ばれるメレス・ゼナウィ新大統領が就任
スーダン人民解放軍(SPLA)は後ろ盾を失い政権側の工作、3分裂
・ジョン・ガランの主流派(トリット派)
・ケルビノ・クアニン・ボルのバハル・エル=ガザル派
・ヌエル人のリエック・マチャルのナシル派(後の統一派、南スーダン独立運動軍)
1993 /10月、最高機関の革命委員会が民政移管に向け解散し、同委員会の権限は内閣に委譲されるも、
   バシール中将が首相を兼任したまま大統領に就任
1994 コルドファン州が、北コルドファン州、南コルドファン州、西コルドファン州の3州に分割される
バシール首相がスーダン人民解放軍(SPLA)の新たな後ろ盾となっていたウガンダを非難
4/7、ルワンダ虐殺(-7/15)で大量の難民がコンゴに流入し、後の第一次コンゴ戦争の原因となる
2/6、ウガンダのムセベニ大統領(在任1986-)が反政府武装勢力「神の抵抗軍」へ最後通牒
  2週間後に神の抵抗軍(Lord's Resistance Army 1994-2002)は南スーダンへの越境を開始
1996 /3月、総選挙実施、バシール大統領再任
   欧米諸国との関係改善を図るバシール大統領派が圧勝、バシール政権は存続
8月、ムバラク・エジプト大統領暗殺未遂事件で国連が各種制裁(安保理決議1070)を発動
1997 ザイールのモブツ大統領がモロッコへ亡命して第一次コンゴ戦争(1996/11-1997/5)が終結すると
バシール大統領がウガンダへの姿勢を軟化させる
11月、当時のムバラク・エジプト大統領暗殺未遂事件で米国が経済制裁(大統領令13067)を発動
1998 /05月、政党結成の自由などを含む新憲法の可否を問う国民投票実施、96.7%が賛成で成立
1999 /01月、政党活動(1989年禁止)が解禁で政党登録が開始される
12月、バシール大統領は大統領の権限縮小を狙う国民議会のハサン・トラービー議長との確執で
   非常事態を宣言して国民議会を解散、内閣も総辞職
2000 /01月、親トラービー派を排除した新内閣が発足、トラービーはバシール政権の与党「国民会議」(NC、NIFを母胎とするイスラム主義政党)の書記長を解任され、「人民国民会議(PNC)」を結成
12月、議会選、大統領選で野党はボイコット、バシール大統領が再選され、バシール派政党が勝利
2001 /02月、PNCと南部のスーダン人民解放運動(SPLA)がスイスのジュネーヴで第二次内戦終結や民主化
   に向け協力するとの覚書に調印したため、政府はトラービーらを逮捕して対抗
2002 /07月、マチャコス議定書の締結(本格的な南北スーダン和平プロセス開始)
08/19、バシール大統領は小規模な内閣改造を実施
   イスラム主義中道派のウンマ党(UP)の分派メンバーを閣僚に登用
11/30、中道リベラル政党「民主統一党」(DUP)の分派メンバーも入閣させるなど、
   野党勢力の取り込みを図り、SPLAとの和平交渉と併せて柔軟姿勢を示す、
   バシール政権(第4次ウンマ党連立政権)
2003 /2/26、ダルフール紛争(-2013/2/10)が勃発、反乱軍(ダルフール解放運動)がゴロの警察署を攻撃、スーダン政府軍と政府支援のアラブ系のジャンジャウィード(Janjaweed, Janjawid, Jingaweit)と呼ばれる民兵の反撃が地域の非アラブ系住民の大規模な虐殺や村落の破壊に発展、民族浄化がおこなわれ200万人の死者、400万人の家を追われた者、60万人の難民が発生、多くの難民がチャドに流れ込み、ザガワ人のデビ大統領が実権を握るチャドとの関係も極度に悪化
2004 /7月、アフリカ連合(AU)が停戦監視等のための部隊(AMIS)派遣決定
2005 /1/9、バシールとSPLM間で南北包括和平合意(CPA)署名、半年後の暫定政府発足について合意、
   バシール大統領が南北統一政府大統領に就任
4月、国連安保理が国連スーダン・ミッション(UNMIS)を設立する決議1590号を採択
7/9、バシールを大統領、SPLAのジョン・ガラン最高司令官を第一副大統領兼南部スーダン大統領に就任とする暫定政府が発足(バシール・SPLA連立政権)暫定政府が6年間の統治を行なった上で南部で住民投票を実施し、北部のイスラム教徒系政権と南部政府の連邦を形成か、南部が独立するかを決めることとなる
7月、南北両勢力による国民統一政府成立、ギャラン第一副大統領兼南部スーダン大統領就任
2006 /5月、ダルフール和平合意(DPA)署名
10月、東部スーダン和平合意(ESPA)署名
11月、ダルフールにおける人権侵害をうけ、米国がスーダン政府関係者の渡航禁止・資産凍結を実行する追加経済制裁(大統領令13412)発動
2007 年末、南北和平協定における協定事項の1つであるアビエイの境界を巡り、北部側が提案を拒絶し
ディンカ系住民を攻撃して戦闘が激化
2008 正規軍同士が衝突する
アビエイ問題:調停で帰属未決定のアビエイ地域を除くアビエイ地区はスーダン側の支配下となるも、アビエイ地域以外のアビエイ地区に含まれていたヘグリグ油田は南スーダンに帰属すると主張
1月、UNAMIDがAMISより指揮権を引継ぎ、展開開始
2009 /3月、国際刑事裁判所(ICC)がバシール大統領に対する逮捕状を発行
2010 /2月、スーダン政府がドーハで一部ダルフール反政府勢力と即時停戦等に署名
4月、総選挙実施,バシール大統領再選,キール南部政府大統領当選
2011 /1/9、南部スーダンの自治政府による住民投票実施で、南部スーダンの独立決定
   国連住民投票監視団に元米大統領ジミー・カーター(Jimmy Carter)がスーダン入り
5月、スーダン国軍がアビエ地域占拠
7月、国連安保理でアビエ暫定治安部隊(UNISFA)を設立する決議1990号,及び国連南スーダン
   ミッション(UNMISS)を設立する決議1996号採択
7/9、スーダンの南部(10州)が南スーダン共和国として分離独立
7月、ダルフール和平に関するドーハ合意文書(DDPD)署名
11/10、スーダン軍が南スーダン北部ユニティ州イダや上ナイル州の難民キャンプを爆撃、南コルドファン州と青ナイル州でスーダン人民解放運動・北部(SPLM・N)民兵の掃討作戦を進める
2012 国境の油田を巡って武力衝突が発生(南北スーダン国境紛争)
3月、南スーダン軍がヘグリグ油田に侵攻、南スーダン国境紛争が発生
9月、南北両国政府が、二国間の未解決課題に関する包括的な9つの合意文書に署名
2013 /3月、南北両国政府が、2012年9月の協力合意の履行マトリクスに署名。

▼スーダンの地方行政区画:(15の州とその下に47の地区が有)
(2011年7月に南スーダン(南部10州)が独立するまでは、25の州が設置して有)
(州名、人口(2008)、面積(ku)、州都(Capital)
・青ナイル
 ・青ナイル地方
  @ジャジーラ州(Al Jazirah)、3,575,280人、23,373ku、ワドメダニ(Wad Madani)
  A白ナイル州(White Nile)、1,730,588人、30,411ku、ラバク(Rabak)
 ・セントラル地方
  B青ナイル州(Blue Nile)、832,112人、45,844ku、ダマジン(Ad-Damazin)
  Cセンナール州(Sennar)、1,285,058人、37,844ku、センナール(Sennar)
・カッサラ地方
  Dカッサラ州(Kassala)、1,789,806人、36,710ku、カッサラ(Kassala)
  Eガダーレフ州(Al Qadarif)、1,348,378人、75,263ku、ガダーレフ(Al Qadarif)
  F紅海州(Red Sea)、1,396,110人、218,887ku、ポートスーダン(Port Sudan)
・コルドファン地方
  G北コルドファン州(North Kurdufan)、2,920,992人、185,302ku、オベイド(El Obeid)
   (西コルドファン州(West Kurdufan, 2005年に南北に(分割)廃止)
  H南コルドファン州(South Kurdufan)、1,406,404人、158,355ku、カードゥクリー(Kaduqli)
・ダルフール地方
  I北ダルフール州(North Darfur)、2,113,626人、296,420、エル=ファーシル(Al-Fashir)
  J南ダルフール州(South Darfur)、4,093,594人、127,300ku、ニャラ(Nyala)
  K西ダルフール州(West Darfur)、1,308,225人、79,460ku、ジュナイナ(Al-Junaynah)
・ハルツーム地方
  Lハルツーム州(Khartoum)、5,274,321、22,142ku、ハルツーム(Khartoum)
・北部地方
  M北部州(Northern)、699,065人、348,765ku、ドンゴラ(Dongola)
  Nナイル川州(River Nile)、1,120,441人、122,123ku、ダーマル(Ad-Damir)

▼参考:〜
・現:南スーダンとなった州
2011/7/9にスーダン共和国の南部エクアトリア地方(赤道州)10州が、
アフリカ大陸54番目の国家「南スーダン共和国」として分離独立。
 10州からなり、それらは歴史的に3つの地方に大別され、
 10の州は86の地区に細分化(括弧内は州都)
・バハル・アル・ガザール地方(Bahr el Ghazal)
 @北バハル・アル・ガザール州(North Bahr al Ghazal)、(アウェル:Aweil)
 A西バハル・アル・ガザール州(West Bahr al Ghazal)、(ワーウ:Wau)
 Bレイク州(Lakes)、(ルンベク:Rumbek)
 Cワラブ州(Warab)、(クアジョク:Kuajok)
・エクアトリア地方(赤道州)
 D西エクアトリア州(West Equatoria)、(ヤンビオ:Yambio)
 E中央エクアトリア州(Central Equatoria)、(ジュバ:Juba)
 F東エクアトリア州(East Equatoria)、(トリット:Torit)
・上ナイル地方
 Gジョングレイ州(Jonglei)、(ボル:Bor)
 Hユニティ州(Unity)、(ベンティーウ:Bentiu)
 I上ナイル州(Upper Nile)、(マラカル:Malakal)

・南スーダンへの日本国自衛隊派遣(PKO)
2011/11月、司令部要員を派遣
      2015(平成27)/1月現在、計4人がジュバの司令部で勤務中
2012/01月、南スーダンの自立的発展に寄与するため、 自衛隊の施設部隊等を順次派遣
      2015(平成27)/3月現在、約350人を派遣中。

<スーダンの世界遺産>
・ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群 (2003年、文化遺産)
 (Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region)
  スーダン北部にある高さ98mの小山、ハルツームの約400km北で、ナイル川の屈曲部沿いに有)

・メロエ島の考古遺跡群 (2011年、文化遺産)
 (Archaeological Sites of the Island of Meroe)
  紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川中流域で、
  現在のスーダン首都ハルツーム北東に繁栄した黒人による文明、またはその中心となった都市

・サンガネーブ海洋国立公園とドンゴナーブ湾=ムカッワー島海洋国立公園 (2016年、自然遺産)
 (Sanganeb Marine National Park and Dungonab Bay-Mukkawar Island Marine National Park)
  スーダンの紅海沿岸及び海域に設定された2つの海洋保護区を対象とする世界遺産で、
  紅海唯一の環礁や紅海最大級の湾を擁する自然美、生態系などが評価された自然遺産。

参考HP〜
スーダン共和国の地図
スーダン共和国の地図(州別)
スーダン共和国の場所地図
南スーダン共和国の地図(日本語:州別)
南スーダン共和国の場所地図
・旧スーダンの地図(日本語)
・旧スーダンの場所地図

参考:〜
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ:〜国別内訳(西回り)
(01)モロッコ
(02)モーリタニア
(03)セネガル
(04)ガンビア
(05)ギニアビサウ
(06)ギニア ・鉄道(17)
(07)シェラレオネ
(08)リベリア
(09)コートジボアール
(10)ガーナ
(11)トーゴ
(12)ベナン
(13)ナイジェリア
(14)カメルーン
(15)赤道ギニア
(16)ガボン ・鉄道(3)
(17)コンゴ ・鉄道(2)
(18)ザイール ・鉄道(11)
(19)アンゴラ ・鉄道(8)
(20)ナムビア ・鉄道(7)
(21)南アフリカ
(22)モザンビーグ ・鉄道(12)
(23)タンザニア ・鉄道(10)
(24)ケニア ・鉄道(13)
(25)ソマリア ・鉄道(16、運行ナシ)
(26)ジブチ ・鉄道(4)
(27)エリトリア ・鉄道(14)
(28)スーダン
(29)エジプト
(30)リビア
(31)チュニジア
(32)アルジェリア
国 名 アフリカの地図 国 名
モロッコ
モーリタニア(青)→
セネガル(黄)→
ガンビア
ギニアビサウ
ギニア(赤)→
シェラレオーネ
リベリア
コートジボアール
ガーナ
トーゴ
ベナン
ナイジェリア
カメルーン
赤道ギニア
ガボン
コンゴ共和国
コンゴ
アンゴラ
ナミビア


ギニア 1970/2/3 発行
エジプト

スーダン

エリトリア

ジプチ

ソマリア

ケニア

タンザニア

モザンビーク

南アフリカ共和国

喜望峰



マダガスカル

・番外篇(港の無い内陸国)
(33)マリ
(34)ブルキナファソ
(35)ニジェール
(36)チャド ・鉄道(ナシ)
(37)中央アフリカ ・鉄道(ナシ)
(38)ルワンダ ・鉄道(ナシ)
(39)マラウィ ・鉄道(15)
(40)ザンビア鉄道(9)
(41)ボツワナ ・鉄道(1)
(42)レソト ・鉄道(18)
(43)エスワティニ(スワジランド王国) ・鉄道(6)
(44)エチオピア ・鉄道(5)

・島国など篇
(101)カーボヴェルデ
(102)サントメプリンシペ
(103)マダガスカル
(104)カナリア諸島

・絶海の孤島編はこちら

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   15/4/15、19/5/6、2019/9/9
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