Central Africa

国連 1984 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.37
中央アフリカ共和国
Central African Republic

大航海物語
  地図編

REPUBLIQUE CENTRAFRICAINE
中央アフリカ共和国の場所地図
ボカサでの綿の植付け



中央アフリカ共和国
Bokassa planting Cotton
中央アフリカ 1972/6/5 発行

オアシスの城塞都市カスバ
日干しレンガで建造

La Casbah d'Amerhidil
中央アフリカ ? 発行
コーヒーの枝と害虫
 毛虫 と 蛾

Caterpillars & Moth

中央アフリカ 1965/8/25 発行

RIPUBLIQUE CENTRAFRICAINE
白瀬中尉の南極探検

中央アフリカ 1994/10/25 発行

中央アフリカ共和国
 Republique centrafricaine

  英:Central African Republic
 面積:623,000ku(日本の約1.7倍)、人口:約459万人(2016)
 首都:バンギ(Bangui)、GDP:30.09億ドル(2015)
 民族:バンダ族、バヤ族、サラ族、ヤコマ族、サンゴ族、バカ族、ピグミー族など
 言語:サンゴ語(公用語、国語)、フランス語(公用語)、部族語
 宗教:カトリック、プロテスタント、伝統的宗教、イスラム教など
 1番切手:1959/12/1(REPUBLIQUE CENTRAFRICAINE)発行。

・中央アフリカ共和国の略史:〜
7世紀頃からチャド湖周辺地域にはカネム帝国(700-1380)やワダイ王国(1501-1912)やバギルミ王国(Bagirmi Sultanate 1480/1522-1897)が割拠していました。アラブ人の奴隷貿易におけるサブサハラ地域の主要な奴隷供給地でしたウバンギ川流域を巡って、多くのスルタン国が領有を主張しました。16世紀頃からボルヌ帝国(1380-1893)がサハラ中央部の覇者となり、フラニ戦争(Fulani War(Fulani Jihad), 1804-1808)の影響などから19世紀には人口流入がおこり、アザンデ族(Azande)、バンダ族(Banda)、ガバヤ族(Gbaya-Mandjia)が移住して来ました。フランスの植民地化が始まるまでは、各部族が首長を中心に居住していました。

1885、ベルリン会議でベルギー王の私領地がコンゴ自由国となる
1887、仏はウバンギ川右岸にベルギーとの協定で現在のコンゴ共和国ガボン中央アフリカ
    領域にコンゴ植民地(1882-1910)を建設
1889、フランスが前哨基地として、現バンギを建設
1894、仏領ウバンギ・シャリ植民地(Oubangui-Chari (1903-1958)、1894-1910)建設
1910、フランス領赤道アフリカ(1910-1958)の一部となる
    (仏領赤道アフリカ連合、4地域:ミドルコンゴ 、 ガボン、中央アフリカ、軍政下のチャド)
1916、仏領赤道アフリカからチャドを分離し、チャドは1920年正式に仏領赤道アフリカへ編入される
1958、フランス第五共和国憲法国民投票に賛成し、フランス共同体内の自治共和国となり、
    国名を中央アフリカ共和国と改称
1960、8月にフランスより独立 、ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任
1965、12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による
    軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆
1966、1月に参謀総長ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる
1970、10月にジャン=ベデル・ボカサ大学開校
1972、ボカサ大統領が終身大統領を宣言
1976、12月にボカサ大統領が中央アフリカ共和国の帝制宣言、皇帝に即位(中央アフリカ帝国)
1977/12/4、ボカサ大統領は約65億円(2000万ドル)という国家予算の1/4に相当する国費で、
    贅を尽くした仏風の戴冠式を行う、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ一世(黒いナポレオン)
1979、9月にボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆
    仏介入で共和制復活、新憲法制定、複数政党制導入な、ダッコ元大統領が再就任
1981/9/1、国軍参謀総長コリンバがクーデターで国家再建軍事委員会議長に就任、コリンバ政権
    ダッコ大統領はカメルーンへ亡命
1986、11月に国民投票で新憲法採択、コリンバ大統領選出
1987、7月に国民議会選挙実施
1991、7月に憲法改正で複数政党制が成文化、政党法成立
1992、10月に大統領と国民議会選挙が実施されるも、無効宣言
1993、8月に大統領と国民議会選挙(再選挙)実施
    10月に選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任(パタセ政権)するも
    国内の混乱は収まらず騒乱状態となる
1996、4〜11月の間に給与遅配で、武器返還等に反対する一部国軍兵士による騒擾事件が頻発
1997、6月にアフリカ仲介軍と旧反乱兵士の間に戦闘が勃発
1998、4月に国連の中央アフリカ共和国ミッション(MINURCAT)による多国籍軍が派遣されて駐留
    11〜12月に国民議会選挙が実施される
1999、9月に大統領選挙が実施され、パタセ大統領が再選される
2000、2月に MINURCAが撤退、国連中央アフリカ平和構築事務所(BONUCA)が設立される
2001、5月に一部国軍兵士によるクーデター未遂事件が発生するも鎮圧される
2001、11月にボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突
2002、10月にボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突が再発
2003、パタセ大統領が国外にいる間にチャドのデビ大統領やMINURCATの支援で元参謀長の
    フランソワ・ボジゼがクーデターで大統領に就任、憲法停止、国家暫定評議会を設立権力の
    掌握に成功して大統領に就任(ボジゼ政権)するも、内戦(2004-2007)が勃発
2004、12月に新憲法を国民投票で採択
2005、3〜5月に大統領選挙と国民議会選挙を実施
    6月にボジゼ大統領が就任
2007、9月に国連が中央アフリカ・チャド・ミッション(MINURCAT)を派遣
2010、12月に MINURCAT が撤退
2011、1月に大統領選挙を実施、ボジゼ大統領が再選
2012、12月に反政府武装勢力の連合体のセレカが、北部および東部の広域を諸都市を占拠掌握
2013、1月に政府ボジゼ政権とセレカ間で停戦合意及び政治合意、(和平合意)
    3月に和平合意を履行しなかったとしてセレカがボジゼ政権への攻撃を再開
    3/24にセレカが首都バンギを制圧、ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へ脱出
    旧宗主国フランスはバンギ空港を確保、セレカ主導者ミシェル・ジョトディアが暫定大統領に
    就任(軍事独裁政権)、チャンガイ(Nicolas Tiangaye、在任2013/1/17-2014/1/10)が首相
    アフリカ連合はセレカの首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求める
    4月にジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置
    他に候補者が暫定評議会か無く大統領に選出される
    8月に宣誓式が行われ、正式にジョトディアが大統領に就任
    ジョットディア暫定大統領は、中央アフリカ史上初めてのイスラム教徒大統領(セレカ政権)
    <無政府期>
    9月に大統領がセレカを解散させるも、単に非合法化されただけで武装組織そのものは温存
    一般市民への弾圧や新たに登場したキリスト教系武装組織のアンチ・バラカなどとの抗争は
    続き、次第に国内は無政府状態に近い状況に陥る
    首都でも、イスラム教とキリスト教の対立が激化、数百人規模の死者が出る状態となり、
    同年の後半には、フランスやアフリカ連合が治安維持目的の派遣軍で軍事介入
2014/1/10、混乱を収拾するためにジョットディア大統領とチャンガイ首相が辞任
    サンバ・パンザ「大統領」選任
    2月に評議会内の選挙でカトリーヌ・サンバ=パンザが大統領に選出される
    新大統領はキリスト教徒の立場で国内融和に乗り出す
    同月に国際刑事裁判所(ICC)検察官が政治的混乱中での人道に対する罪の予備調査開始
    4月に国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション(MINUSCA)設立
    4/10に国連安保理は中央アフリカに国外からの派遣軍を倍増させる11,800人規模の平和維
    持活動部隊(PKO)を発足させる決議案を全会一致で採択、フランス軍に指揮権を与える
    7月にセレカとキリスト教系敵対勢力(アンチ・バラカ)が停戦合意
2015、5月に国民和解フォーラムを開催
    12月〜2016/3月に大統領選挙と国民議会選挙を実施
2016、3/30にトゥアデラ(Faustin-Archange Touadera, 1957-)大統領が就任。

・中央アフリカ共和国は14の行政州と2つの経済州、
 そして州に属さない首都のバンギが有、州はさらに71の地区(支庁)に分けられる。
No. (Prefecture) 州都 (Captal)
1 バミンギ・バンゴラン Bamingui-Bangoran ンデレ N'Dele
2 バス・コト Basse-Kotto モバイェ Mobaye
3 オート・コト Haute-Kotto ブリア Bria
4 オー・ムボム Haut-Mbomou オボ Obo
5 ケモ Kemo シブツ Sibut
6 ロバイエ Lobaye ムバイキ Mbaiki
7 マンベレ・カデイ Mambere-Kadei ベルベラティ Berberati
8 ムボム Mbomou バンガスー Bangassou
9 ナナ・メンベレ Nana-Mambere ブアル Bouar
10 オンベラ・ムポコ Ombella-M'Poko ビンボ Bimbo
11 ワカ Ouaka バンバリ Bambari
12 ウハム Ouham ボサンゴア Bossangoa
13 ウハム・ペンデ Ouham-Pende ボゾム Bozoum
14 バカガ Vakaga ビラオ Birao
ナナ・グリビジ Nana-Grebizi カガ=バンドロ Kaga-Bandoro
サンガ・ムバエレ Sangha-Mbaere ノラ Nola
- 首都バンギ Bangui --- ---
※経済州。

<中央アフリカ共和国の世界遺産>自然遺産が2件有
・マノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園
  (Manovo-Gounda St. Floris National Park、1988)
   参考HP:〜場所の地図
・サンガ川流域の3か国保護地域 (Sangha River Tri-national Protected area)
  (Sangha Trinational、2012)
  3ヵ国保護地域はコンゴ盆地の国際的な自然保護区で、
  ・カメルーンのロベケ国立公園
    (Parc national de Lobeke)
  ・コンゴ共和国のヌアバレ=ンドキ国立公園
    (Nouabale-Ndoki National Park)
  ・中央アフリカ共和国の南西部のザンガ=ンドキ国立公園
    (Dzanga-Ndoki National Park)
   参考HP:〜@場所の地図、A場所の地図

参考HP:〜
中央アフリカ共和国の地図
中央アフリカ共和国の州区分地図
アラブ人の奴隷貿易の地図(中世アフリカの主要奴隷貿易路)

こちらで
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2019/2/20
スタンプ・メイツ
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