Cape Verde 国連 1982 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.101 カーボヴェルデ共和国 Republic of Cape Verde |
大航海物語 地図編★ |
サント・アンタン島 サン・ヴィセンテ島 サンタ・ルシア島 サン・ニコラウ島 |
サル島 ボア・ヴィスタ島 |
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ブ ラ ヴ ァ 島 |
フ ォ ゴ 島 |
サ ン テ ィ ア ゴ 島 |
マ イ オ 島 |
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バルラヴェント諸島 | . | . | . | . | . | . | . | . | ソタヴェント諸島 | . | . | . | . | . | . | . | . | バルラヴェント諸島 | |||||
Barlavento Islands Santo Antao Sao Vicente Santa Luzia Sao Nicolau |
Sotavento Islands Maio Santiago Fogo Brava |
Barlavento Islands Sal Boa Vista |
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1471年の海図 $05 |
1502年の海図 20$00 |
「ポルトラノ」古海図 UMA CARTA NAUTICA PORTUGUESA ANONIMADE ”CIRSA" 1471 ヴェルデ諸島の古地図 カーボ・ヴェルデ 1952/2/24 発行 |
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カーボ・ヴェルデ(ポルトガル領ベルデ岬諸島)より 1952/2/24 エンリケ航海王子とその船乗りの冒険航海者達の切手8種と地図切手2種が発行されました。地図切手は「ヴェルデ岬諸島」の位置を示す「ポルトラノ古海図」切手です。
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GAMBIA アフリカ西岸の地図 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 ポルト・サント島 カナリア諸島 . 西サハラ〜ボジャドール岬→ オーロ川 西サハラ〜ブランコ岬→ モーリタニア〜アルギン セネガル〜セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 | |
ガンビア 1992 発行 | |||
黒い突起は上から | ・ボジャドール岬 ・ブランコ岬 ・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有) |
カーボヴェルデ共和国 Republic of Cape Verde カーボ・ヴェルデ諸島 (ヴェルデ岬諸島) Cabo Verde Islands (Cape Verde Islands) 旧称:ポルトガル領カーボ・ヴェルデ (Portuguese Cape Verde, 1462-1975) ポルトガル海外州カーボ・ヴェルデ (Overseas Province of Cape Verde (Provincia Ultramarina de Cabo Verde), 1963-1975) 面積:4,033万ku(日本の滋賀県程度)、人口:518,300人(2006)、531,239人(2016) 首都:サンチャゴ島のプライア(Praia) 民族:ポルトガル人とアフリカ人の混血が約70%、GDP:17億ドル(2008) 言語:ポルトガル語(公用語)、クレオール語 宗教:キリスト教(カトリック)、他 1番切手:ポルトガル領1877年発行、独立して1975/12/19発行。 カーボベルデ共和国は大西洋でアフリカの西沖合いにある ・バルラヴェント諸島〜北部の8島、と ・ソタヴェント諸島 〜南部の5島、からなる共和制国家。 マカロネシアの島国で、元ポルトガル領でしたが、1963年ポルトガルの海外州となり、1975年7月にポルトガルから独立して、カーボベルデ共和国となりました。 カーボベルデ諸島はカーボ・ベルデ(ヴェルデ岬:ポルトガル語で「緑の岬」の意)、大西洋北方のアフリカ・セネガルのダカール近郷にあるベルデ岬西沖合いにある島々です。記録が残っている「発見」 では、分かっているカーボベルデ史の日付には、15世紀に到達した最初のポルトガル冒険者は、1445年にディニス・ディアスがヴェルデ岬に到達と有。その数十年後に、エンリケ航海王子の船乗りだった、カダモストとアントニオ・ダ・ノリが1460年にヴェルデ岬の西の島々を発見し、アントニオ・ダ・ノリは1462〜1496年の間カーポベルデ諸島のサンティアゴ島に居住しました。 1462年にポルトガル居住者が初めてサンティアゴ島に到達し、熱帯最初のヨーロッパ人の居住地となるリベイラ・グランデ(今のシダーデヴェリャ)を創設しました。16世紀には奴隷貿易で繁栄していたので、海賊がしばしばポルトガル居住地を攻撃し、1585年にイギリスの海賊サー・フランシス・ドレークがリベイラ・グランデを略奪しました。リベイラ・グランデの町は1712年のフランスの攻撃の後、1770年に首都となるサンチャゴ島プライアに比べてその重要性を失いました。史跡として、かつてポルトガルの重要な植民地で、フランシス・ドレイクによって破壊された町シダーデヴェリャが残っています。 なお、ポルトガルの冒険家が1456年と1460年に、最初にこの諸島に着いた時は無人だったが、卓越風、海流などで、ギニア海岸地方からセレール族、ウォロフ族、レブ族、ムーア人の漁師などが訪れていたと思われています。アラブ人、フェニキア人が昔から訪れていたという民話伝承があり、ポルトガル冒険者ジャイメ・コルテサン(Jaime Zuzarte Cortesao, 1884-1960)はアラブ人は塩田に塩を取りに来ていた事を記録していて、これは Sal Island (Salt Island, サル島、塩の島)を指しているといわれています。また、現代の作家で元英国海軍少佐ギャヴィン・メンジーズ(Gavin P Menzies, 1937-)は「1421 中国が新大陸を発見した年」(2002)の中で15世紀の中国、明時代の冒険家「鄭和」が1420年にこの島に到達していると論じています(この本で著者は、クリストファー・コロンブスの前に鄭和一行がアメリカ大陸を発見していたとする議論を展開)。そして、1912年のカトリック百科事典によると、カーボベルデ諸島はポルトガル人によって1460年に発見され、ギニアは1445年に発見され、これらの領土はクレメンス7世により、1553年の1月31日に司教管区に選ばれたとなっています。なお、1443年にヌーノ・トリスタンが、1462年にはディオゴ・ゴメスがディオゴ・アフォンゾと共に来島しました。 カーボベルデ諸島は、18世紀終盤以降に経験・頻発する旱魃・飢餓と、奴隷貿易の衰退で、その繁栄は緩やかに失われました。しかし、中央大西洋航路における位置は、カーボベルデを理想的な補給港たらしめていました。19世紀に、サン・ヴィセンテ島にあるミンデロはその素晴らしい港により、重要な商業港となっていきました。 ・カーボベルデの略史:〜 1420、中国の鄭和がこの島に到達 1445、ディニス・ディアスがヴェルデ岬に到達 1443、ヌーノ・トリスタンが来島 1457、アントニオ・ダ・ノーラ船長がヴェルデ岬からさらに西へと航海して、 カーボヴェルデ諸島の5島を発見 1460、アントニオ・ダ・ノリがヴェルデ岬の西の島々を発見、サンチャゴ島のシダーデ・ヴェーリャ (Cidade Velha)に駐屯地を築いてリベイラ・グランデ(Ribeira Grande)と名付ける 1462、ディオゴ・ゴメスがディオゴ・アフォンゾと共に来島 1497、ヴァスコ・ダ・ガマがインドへの航海の途上にシダーデ・ヴェーリャに寄港 1498、クリストファー・コロンブスが三度目の航海の途上にシダーデ・ヴェーリャに寄港 1500、カブラルの第2次インド遠征艦隊がインド遠征の途上に寄港、補給 ポルトガルの第2次インド遠征艦隊ペドロ・デ・アタイデ船長が寄港、補給 第2次インド遠征艦隊バーソロミュー・ディアス船長が寄港、補給 1503、アルブケルケ将軍の第1艦隊4隻が第5次インド遠征の途上に寄港、補給 1504、アルベリガリア船長の第6次インド遠征艦隊がインド遠征の途上に寄港、補給 1505、アルメイダ提督の第7次インド遠征艦隊がインド遠征の途上に寄港、補給 1562、コンスタンチノ・デ゙・ブラガンザ総督がサント・アンタン島のリベイラ・グランデに赴任 1585、イギリスの海賊サー・フランシス・ドレークがリベイラ・グランデを略奪 1615、サンティアゴ島南東部の小さな高原(現:プラテアウ(Plateau)区域)に、 ポルトガル人入植者がプライア・デ・サンタマリアの町を建設(現:プライア) 1721、海賊ブラック・バート船長が水漏れのロイヤル・フォーチュン号を放棄 1770、諸島の中心都市リベイラ・グランデが英のドレーク船長をはじめ多くの海賊などの脅威に さらされて次第に荒廃し、其処の人々は次々と近郊(15km)のプライアへと移住し、 サンチャゴ島のプライアがポルトガル領カーボベルデの新たな中心地となる 1781、フランスのサフレン提督が「ポート・プラヤの海戦」をイギリスと戦う 1787、アメリカのイングラハム船長が寄航 1790、アメリカのイングラハム船長が再度、寄航 1833、イギリスのフィッツロイ艦長がビーグル号で世界一周航海の途上、ダーウィンと来航 1833、イギリスのダーウィンがビーグル号でサンチャゴ島に来航、滞在、層序学を調査研究 1858、プライアが町(Town)から市(City)へ昇格 1956、カーボベルデのアミルカル・カブラルがポルトガル領ギニア(ギニアビサウ)で ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)を結成して独立・民族解放運動を開始 1963、ポルトガルの海外州となる 1974/4/25、ポルトガルでカーネーション無血革命が起きる 1975/07月、ポルトガルから独立、プライアが首都となる 1975/12/19、独立の1番切手発行 1985/12月、総選挙(ペレイラ大統領3選) 1990/09月、憲法改正(複数政党制への移行)
2016、大統領選挙でもフォンセカ大統領が再選。 <カーボ・ヴェルデの世界遺産>1件 ・リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ -、文化遺産 (2009) (Cidade Velha, Historic Centre of Ribeira Grande) シダーデ・ヴェーリャは1585年にサー・フランシス・ドレークが破壊した町。 参考HP:〜 ・カーボベルデ共和国の地図 ・シダーデヴェリャ遺跡の写真 ・主な10島:〜 北部地域:〜バルラヴェント諸島 ・サントアンタン(Santo Antao)、1462年ディオゴ・アフォンゾ(Diogo Afons)が発見、 面積779 ku(40X20km)、人口47,124人。 ・サンビセンテ(Sao Vicente)、1462年に発見された日が6/22(Saint Vincentの日)だった、 面積227 ku(24X16km)、人口70,000人、 ・サンタルシア(Santa Luzia)、面積35 ku の無人島で、固有種のトカゲがおり、気象測候所あり。 ・サンニコラス(Sao Nicolau)、Ribeira Bravaの町(5,324人05年) 面積388ku(45X20km)、人口12,864人、Preguica空港あり 16世紀のドレーク船長の襲撃後に建設 ・サル(Sal)、1460/12/3に発見され "Llana" と名付けられ塩を産出、面積人口14,792 (2000) ・ボアビスタ(Boa Vista)、面積620 ku(31X21km)、人口3,353人。 参考HP:〜 ・サントアンタン ・サンビセンテ ・サンタルシア ・サンニコラス ・サル ・ボアビスタ の島々の場所地図(赤)。 南部地域:〜ソタヴェント諸島 ・マイオ(Maio)、1460/5/1に望見されて名付けられました。 面積269 ku(31X25km)、人口5,435人。 ・サンチャゴ(Santiago)、1460年にアントニオ・ダ・ノリが同島を発見、 史跡:ドレーク船長によって破壊された町シダーデヴェリャ(Cidade Velha)有、 面積991 ku(75X35km)、人口約240,000人。 ・フォゴ(Fogo)、1460年にアントニオ・ダ・ノリが島を発見し”Sao Filipe”と呼び、 1500年から奴隷貿易の拠点が建設されました、 面積2476 ku、人口37,409人。 ・ブラバ(Brava)、1462年に発見され、1573年に奴隷貿易のため入植地が建設されました。 面積67 ku(24X16km)、人口4,296 (2000)人。 参考HP:〜 ・マイオ ・サンチャゴ ・フォゴ ・ブラバ の場所地図(赤)。 参考:〜島々の諸島(都市)区分
・サンチャゴ島の地図 ・サンチャゴ島の場所地図 ・フォゴ島の地図 ・フォゴ島の人口衛星写真 ・シダーデヴェリャの遺跡写真 こちらで ・「ポルトラノ」古海図切手 ・スパイス (香辛料) ・コーヒー (嗜好品) ・ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島)世界遺産 ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 02/9/2、08/7/7、10/11/11、13/1/23、17/2/25、2019/1/23 |