Egypt

国連 1981 発行

スエズ運河
1869/11、開通
Suez Canal
大航海物語
 ★地図編
   U.A.R.
スエズ運河の国有化 スエズ運河の地図
エジプト 1956/9/26 発行
スエズ運河の地図

エジプト 1974/7/23 発行
U.A.R.
地中海
イスマイリア→


←ポートサイド




←スエズ



←紅海
スエズ運河遠泳大会記念
エジプト 1963/10/15 発行

Republica de Guinea Ecuatol
スエズ運河付近の地図

赤道ギニア 1994 発行

FRANCE
:スエズ運河の開通150周年
スエズ運河の建設

スエズ地峡地帯


1869 スエズ運河開通150年記念 2019
フランス 2019 発行

スエズ運河は、フランスのフェルディナン・ド・レセップスが、1854年に招かれてエジプトに渡り、太守サイド・パシャの特別の取り計らいを得て、1854年にスエズ運河会社を設立。1855年に掘削を開始して、1869年11月に運河の開通に成功しました。
スエズ運河
  Suez Canal

スエズ運河は、エジプトのスエズ地峡にあって、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ、海面と水平な人工運河で、1869/11/17に開通して、アフリカ大陸を回りこまずにヨーロッパとアジアを海運で連結することができるようになりました。運河は北端のポートサイド(Port Said, Egypt)と南端のスエズ市タウフィーク港(Port Tewfik), 現在のスエズ港(Suez Port)を結び、中間点より北に3kmの運河西岸にはイスマイリア(Ismailia, Egypt)があります。

建設当初のスエズ運河は、
全長164km(102マイル)、深さ8m(26フィート)でしたが、その後何度かの拡張工事を受け、2010年段階では全長193.30km(120.11マイル)、深さ24m(79フィート)、幅205m(673フィート)になりました。

スエズ運河は、
南北どちらかの一方通行で運営され、船のすれ違いはバッラ・バイパス (Ballah By-Pass) やグレートビター湖(Great Bitter Lake)など4ヵ所で可能です。運河には閘門が無いため海水は自由に流れ、主に夏にはグレートビター湖から北へ、冬は南へ水流が生じます。潮目の変化は湖の南で起こります。

運河の通行は、
喫水20メートル(66フィート)以下または載貨重量数240,000トン以下かつ水面からの高さが68メートル(223フィート)以下、最大幅77.5メートル(254フィート)以下の船が航行できます。これを上限とする基準をスエズマックス(Suez Max)といいます。この基準では、超大型のタンカーは航行できません。載貨重量数が超過するような場合は、荷物の一部を運河が所有する船に一時的に分載して、通過後に再度載せ直すことも行われます。

また運河は、
エジプト政府が直轄するスエズ運河庁 (SCA)が所有運営していますが、国際協定における規定も存在し、1888年のコンスタンチノープル協定では紛争時を除き航行の自由が保障されるも、「有事の際も平時同様、軍事目的の船舶であっても、所属国の如何を問わず」航行が認められるという解釈もなされています。

・古代に、
ナイル河から紅海まで達する運河があったという説があり、これが東西貿易に役立っていたといわれています。これは、センウスレト2世(Senusret II, 在位:BC1897-BC1878)もしくはラムセス2世(Ramesses II、在位:BC1279-BC1213)の拠出で細い運河が開削されたというものか、もしくはこの運河を組み込みながら、ネコ2世(ネカウ2世:在位:BC610-BC595)の時代に取り組みが始まり、ダレイオス1世(Darius I, BC558頃-BC486)の頃に完工した運河を指すものです。また、紀元前2世紀には、エジプト第12王朝(BC1991頃-BC1782頃)ファラオのセンウスレト2世(Senusret II, 在位:BC1897-BC1878)やセンウスレト3世(Senusret III, 在位:BC1878-BC1841)など伝説的セソストリス(Sesostris I, BC1971-BC1928, センウスレト1世:Senusret I)らは、紀元前1897年から紀元前1839年にかけてナイル川と紅海を繋ぐ運河の建設に乗り出したと言われています。これは、当時の紅海は現代よりも北まで海進しており、現在のグレートビター湖やティムサ湖(Timsah Lak)も海域にありました。

※(注)紅海は地中海東岸よりも約1.2メートル(3.9フィート)高く、グレートビター湖において海水は冬に北へ、夏に南へ流れます。

・アリストテレス(Aristoteles、BC384-BC322)は「気象学」で次のように記述:〜
運河はナイル川のブバスティス(Bubastis, Egypt)に繋がっていた。ピション(Pishon)にある記念柱の碑文によると、紀元前270年もしくはその翌年にプトレマイオス2世は、紅海のヘリオポリス湾(Heroopolite Gulf、現:スエズ湾)にあるアルシノエ閘門(Arsinoe, Gulf of Suez)つき水門を設置し、海水が運河に流れ込まず淡水が維持されるように工夫して運河を再開させた、と有。なお別の説では、
王のひとりは、王国の海運に計り知れない優位さをもたらす運河建設に乗り出した。セソストリスはこれに取り掛かった古代最初の人物と言われる。しかし、彼は海面が地面よりも高いという事実に行き当たった。そのため、彼、そして後のダレイオスも、海水が川に混じり、利水性を損ねることを恐れて運河建設を諦めた、と有。

スエズ運河で座礁、2021/3/23〜3/29離礁
砂嵐で座礁して動けなくなっていた大型コンテナ船エバーギブン号が、
現地時間の29日午後3時すぎ(日本時間の29日夜10時すぎ)離礁に成功、
座礁から6日ぶりに運河の通航が再開されました。
400隻以上が足止めされ、一日15億円以上の損害が発生したらしい!
※エバーギブン号
 (Huge container cargo ship Ever Given)全長約400m、幅59m、約22万トンのコンテナ船
台湾の長栄海運
 (エバーグリーン・マリン:Taiwanese transport company Evergreen Marine)が運航、
日本の愛媛県今治市の正栄汽船が所有。

参考HP:〜
スエズ運河の地図

こちらで
レセップス
パナマ運河
・日本の東海道五十三次
を、お楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。11/9/10追記、18/11/18、令和 R.2/2/22 (2020)、3/31

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