Benin

国連 1984 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.12
ベナン人民共和国
People's Republic of Benin

大航海物語
  地図編

UNITED NATIONS
ベナンの地図 ベナンの国旗
国連 1984 発行 (初日カバー)

AFRIQUE OCCIDENTALE FRANCAISE
DAHOMEY

仏領西アフリカ・ダホメー 1940 発行
REPUBLIQUE DU DAHOMEY
騎兵

ダホメー 1970/8/24 発行
ライオン

ダホメー 1969/2/10 発行
仮面ダンス(Nago Dance)

ダホメー 1964 発行
カバ
ワニ
水牛
イボイノシシ
ヒョウ
マントヒヒ
エティオピクス(Aethiopicus) ダホメー 1968/5/18 発行

ベナン共和国
 Republic of Benin

 面積:112,622ku(日本の約3分の1)
 人口:1,087万人(2016)、GDP:69億米ドル(2008)
 首都 ポルトノボ(Porto-Novo)
 民族:フォン族(25%)、ヨルバ族(南部)、アジャ族(モノ、クフォ川流域)、バリタ族、
     プール族(北部)、ソンバ族(アタコラ山地とトーゴ間)など46部族
 言語:フランス語(公用語)
 宗教:伝統的宗教(65%)、キリスト教(20%)、イスラム教(15%)
 1番切手:1892年フランス植民地切手に”BENIN”と手押し発行
  ダホメー共和国(Republique du Dahomey):1960/5/1発行(ガンビエの水上都市図案)
  ベナン人民共和国(Republique Populaire du Benin):1976/4/30発行(国章と国旗を持つ人民図案
  ベナン共和国(Republique du Benin):1994年発行( DU BENIN”加刷図案)。

ベナン共和国は、西アフリカにある南北に長い共和制国家で、南は大西洋のギニア湾に面し、憲法上の首都はポルトノボ(Porto-Novo)、事実上の首都はコトヌー(Cotonou)。1960年のフランスからの独立当初はダオメー共和国。ダオメーは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグー県地方を示すのには不十分だったので、ダホメーが面していたベニン湾から国名を採用して、1975年にベナン人民共和国が成立。その後、1990年に社会主義政策の放棄と共に現在の国名となりました。なお、ベナンの公用語のフランス語では”h”は発音されないため、ダホメー(Dahomey)はダオメー。

・国名の推移:〜
  ・フランス領ダホメー(英:French Dahomey、仏:Colonie du Dahomey, 1904-1958)
   ・フランス領西アフリカ(英:French West Africa、仏:Afrique occidentale francaise, 1904-1958)
  ・ダホメー自治共和国(French Community of Dahomey, 1958-1960)
  ・ダホメー共和国(Republic of Dahomey, 1960-1975)
  ・ベナン人民共和国(People's Republic of Benin, 1975-1990)
  ・ベナン共和国(Republic of Dahomey, 1990-)

・ベナンの略史:〜
1485、ポルトガルの探検家が下ギニアの現ナイジェリアのベニンに到達し、西欧との交易が始まる
1600、フォン人の居住地区だった現ベナンの地域にダホメ王国(1600-1904)が成立
    ダホメ王国はヨーロッパ商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入して繁栄
1730、現ナイジェリアのオヨ王国がダホメ王国を服属させるも、ダホメ王国は18世紀を通して周辺の
    国を軍事的攻撃で繁栄。ダホメ出身フォン人奴隷ルーヴェルチュールが1801年にカリブ海の
    フランス領サン・ドマング(現ハイチ)で黒人奴隷を解放してハイチ革命に貢献
1884、仏軍の介入が始まる
    19世紀に入ってヨーロッパ諸国によるアフリカの本格的な植民地化が進むと奴隷貿易が
    徐々に廃止され始めたため、ダホメ王国の財政基盤に影響が及び、アフリカ分割の中で
    フランスがダホメー王国に目をつけ、第1次、第2次フランス・ダホメー戦争が勃発
1890/2/21、第1次フランス・ダホメー戦争(First Franco-Dahomean War, 1890/2/21-10/4)
1892/7/04、第2次フランス・ダホメー戦争(Second Franco-Dahomean War, 1892/7/4-1894/1/15)
1894/1/15、第2次フランス・ダホメー戦争がフランス勝利で終結、フランスの植民地の
       フランス領西アフリカの一部であるフランス領ダホメー(1904-1958)となる
1946/10/27、フランス連合の海外領土に加盟
1958/12/11、フランスの海外領土のダホメー自治共和国となる
       フランス連合の改変でフランス共同体の一国家として加盟
1960/08/05、独立宣言、ダホメー共和国(1958-1975)としてフランスから完全独立するも、
      北部のバリバ人を基盤とするユベール・マガ、南部のヨルバ人を基盤とするスル・
      ミガン・アピティ、同じく南部のフォン人を基盤とするジャスティン・アホマデグベの
      三者による激しい政争が続いて政情は混乱
1963、クリストファ・ソグロがクーデターを起こして政権を奪取
    この時はソグロはすぐに民政移管を行ったものの、
    以後も三者の政争はやまず、その混乱をついたクーデターも頻発
1963〜1972、5度の軍事クーデターが発生
1972、10月に5度目のクーデターを指揮したマチューウ・ケレク司令官が大統領に就任、安定
1975、11月に国名変更(ベナン人民共和国)、内政的にはベナン人民革命党(PRPB)の一党制の
    社会主義路線を標榜、外交的には中国に近づく
1979、11月に国民革命議会人民委員選挙(民政移管)するも、ケレク政権は経済運営に失敗
1989、12月にマルクス・レーニン主義放棄、社会主義陣営の崩壊
1990、3月に1977年の共和国基本法を停止
    国民革命議会解散、国名を「ベナン共和国」に変更
1990、ベナン共和国に改称
    複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定される
1991、3月に前首相のニセフォール・ソグロが大統領に選出、議会もソグロ派が多数を占める
1993、6月に最高裁判所設立
1996、3月にケレク大統領が復帰、ウンベジ首相新内閣発足
1998、5月にウンベジ首相辞任、ケレク大統領新内閣発表
1999、3月に国民議会選挙
2001、3月に大統領選挙,ケレク大統領再選
2003、3月に国民議会選挙
2006、3月に大統領選挙、ボニ・ヤイ大統領選出(4月就任)
2006、3月に選挙でヤイ・ボニが当選し大統領となる
2006、4月に新内閣発足
2007、5月に国民議会選挙
2008、10月に内閣改造
2009、6月に内閣改造
2011、3月にボニ・ヤイ大統領再選(4月就任)
2011、4月に国民議会選挙
2011、5月に新内閣発足
2013、8月に内閣改造
2014、4月に国民議会選挙
2014、8月に内閣改造
2015、6月に内閣改造
2016、3月に大統領選挙でパトリス・タロンが大統領に選出される(4月就任)。

・ベナンは12の県に分けられている。
1.アリボリ県:カンディ
2.アタコラ県:ナティティングー
3.アトランティック県:ウィダー
4.ボルグー県:パラクー
5.コリネス県:サバルー
6.ドンガ県:ジューグー
7.クッフォ県:アプラウエ
8.リトラル県:コトヌー
9.モノ県:ロコッサ
10.ウェメ県:ポルトノボ
11.プラトー県:サケテ
12.ズー県:アボメー。

<ベナンの世界遺産>
・アボメイの王宮群
 (Royal Palaces of Abomey)、文化遺産、1985年
・W=ペンジャリ=アルリ自然公園群
 (W-Arly-Pendjari Complex)、自然遺産、1996年、2017年拡大
  (ニジェール・ベナン・ブルキナファソ)。

参考HP:〜
ベナンの県の区分地図
ベナンの地図
ベナンの区分地図
イベナンの場所地図(日本語:国名入りアフリカの地図)

こちらで
ナイジェリア
チュニジア
コーヒー
ヴェーゲナー博士
世界遺産の
ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島)
ヌビア遺跡 (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2019/6/19令和 R.2/12/4(2020)
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Kosyo
無断転載禁止