South Africa

国連 2018 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.21
南アフリカ共和国
Republic of South Africa

大航海物語
  地図編

RSA
ダムと人造湖 カホラ・バッサ水力発電開発プロジェクトの送電地図

モザンビーク・テテ州にあるアフリカ第4の人造湖
カホラ・バッサ・ダム(Cahora Bassa Dam)

南アフリカ 1990/2/15 発行
モザンビーク共和国


←南アフリカ共和国


SUID AFRIKA SOUTH AFRICA
南アの地図と南極航路と南極風景

南アフリカのケープタウンから南極探検に出発
イギリス領南アフリカ 1959/11/16 発行
1960年の国旗

南アフリカの国歌の音符
イギリス領南アフリカ 1960 発行
切手で綴る南極探検を「こちらでお楽しみ下さい

ライオン
アフリカ象
白サイ
イギリス領南アフリカ 1954/10/14 発行


RSA Venda
ケープ州議会の建物
アンフィシアター国立公園
現地人の住居だった建物
ザタ遺跡
白人の州議会 南アフリカの風景 レプリカの住居 遺跡の石垣
南アフリカ 1985/5/15 発行 南アフリカ 1978/11/13 発行 ヴェンダ 1985/9/13 発行

南アフリカ共和国
 Republic of South Africa
面積 122万ku(日本の約3.2倍)、人口:4,790万人(2007)、55,653,654(2016)、人口増加率:1.0%、人種:黒人(79%)、白人(9.6%)、カラード(混血 8.9%)、アジア系(2.5%)、首都:プレトリア、民族:黒人、白人、カラード、アジア系、言語:英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、ソト語ほか)の合計11が公用語、宗教:キリスト教(人口の約80%)、ヒンズー教、イスラム教、GDP:約6,626億ドル(2013)、1番切手:1910年発行。

・南アフリカ略史:〜
1488、ポルトガルバーソミュー・ディアズ喜望峰を発見
1497、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがインド探検航海の途上、モッセルベイに投錨
1497、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがインド探検航海の途上、ナタールに上陸、命名
1652、オランダヤン・ファン・リーベックがケープ植民地に入植
1696、オランダのフラミング船長グがオーストラリア探検航海の途上、ケープタウンに寄港
1744、イギリスジョージ・アンソン提督が世界一周航海の途上、ケープタウンに寄港
1768、フランスブーゲンビル船長が世界一周航海の途上、ケープタウンに寄港
1787、イギリスのフィリップ総督がオーストラリア囚人護送船団でケープタウンに寄港
1795、イギリスがオランダの入植地ケープタウンを占領
1806、ロシアクルーゼンシュテルン提督が世界一周航海の途上、ケープタウンに寄港
1836、イギリスのダーウィンがビーグル号で、ケープタウンに寄港
1852、ボーア人が トランスヴァール共和国を建国 (1852-1902)
1854、ボーア人がオレンジ自由国を建国 (1854-1902)
1870、乾燥した大地が広がるノーザンケープ州で、キンバリー近辺に住んでいた農夫
   のウィックがオレンジ川近郷の彼の農場で自分の子どもがダイヤモンド(ユー
   レカ)を手に遊んでいるのを発見。以後、この地にダイヤモンドラッシュが起こり
   爆発的に人口が増え、世界中から採掘者が集まり、農場は光り輝く宝石を
   求めて集まった人々にふみにじられた。1年後にコールスバーグ・コッピー
   (Colesberg Koppie)近郊に別のダイヤモンド鉱山を発見、ニュー・ラッシュ
   と呼ばれる最大規模のダイヤモンドラッシュが起る
1871、キンバリー岩のパイプ(直径450m)が発見され、露天掘りの採掘がはじまる
1880/12/16、第一次ボーア戦争が勃発(-1881/3/23)
ダイヤモンド

南ア 1980 発行
1881/2/27、マジュバ・ヒルの戦いで英国軍はボーア人に惨敗
1881/3/23、プレトリア協定でイギリスはトランスヴァール共和国の独立を再度承認
1886、豊富な金の鉱脈がヨハネスブルグの近郊で発見される
1899/10/11、第二次ボーア戦争が勃発(-1902/5/31)
1902、第二次ボーア戦争にトランスヴァール共和国が敗戦、イギリスの直轄植民地となり、
      オレンジ自由国がイギリスの植民地となる
1910、白瀬中尉が南極探検の途上、ケープタウンで越冬
1910/5/31、南アフリカ連邦が独立。4州からなる南アフリカ連邦として統合され、
      大英帝国内のドミニオン(自治領)としてアフリカーナーの自治を確立
1911、鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で一般化することを
     目的とする白人労働者保護のための最初の人種差別法である「鉱山・労働法」が制定、
     その後も人種差別法はいくつも制定される
1931、ウェストミンスター憲章が採択され、外交権をはじめイギリスと同格の主権を獲得
1934、イギリス国会で南アフリカ連邦地位法が可決され、正式に主権国家として規定される
1948、政権を握った国民党(アフリカーナーの農民や都市の貧しい白人を基盤とする政党)は、
     アパルトヘイト政策(人種隔離政策)を本格的に進めていくようになる。国連の抗議や
     アフリカ人民評議会などの団体の抵抗などがあってもアパルトヘイト政策をやめる
     ことはなく、むしろ反発
1959、バントゥー自治法を制定
1961、イギリスの人種差別に対する非難を受け英連邦から脱退して、国名を「南アフリカ共和国」
     に変えて共和国になる。一方で、日本は白人ではないにも関わらず白人として扱うという
     名誉白人とされ、南アフリカ政府や南アフリカ企業と深いつながりを持つことになる
1991、アパルトヘイト関連法の廃止
1993、南アフリカ政府がホームランドの廃止と南ア国籍の回復、全人種参加の総選挙実施を表明
1994/4/27、南アフリカの新国旗レインボーフラッグ(Rainbow-Flag)が制定される
1994/04月、初の全人種参加型の総選挙を実施
1994/05月、マンデラ政権成立
1995/11月、全人種参加の地方選挙を実施、第1回
1997/02月、新憲法発効
1994/05月、マンデラ政権成立
1999/06月、第2回総選挙実施、ムベキ大統領就任
新国旗

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2004/04月、第3回総選挙実施、ムベキ大統領再任
2008/09月、ムベキ大統領辞任、モトランテ大統領就任
2009/04月、第4回総選挙実施
2009/05月、ズマ大統領就任
2014/05月、第五回総選挙実施、ズマ大統領再任
2018/02月、ズマ大統領辞任、ラマポーザ大統領就任。

南アフリカ共和国の9州:〜
No.  州 (Province) 人(2007)  州都 (Captal)  メモ
1 西ケープ Western Cape 4,839,800 ケープタウン Cape Town モッセルベイ有
2 北ケープ Northern Cape 1,102,200 ソル・プラーチェ Sol Plaatje
3 東ケープ Eastern Cape 6,906,200 バッファローシティー Buffalo City ポート・エリザベス有
4 クワズールナタール KwaZulu-Natal 10,014,500 ムスンドゥジ Msunduzi ダーバン、ナタール有
5 フリーステイト Free State 2,965,600 マンガウング Mangaung 旧オレンジ自由州
6 北西州 North West 3,394,200 マフィケング Mafikeng
7 ハウテン Gauteng 9,688,100 ヨハネスブルグ Johannesburg 首都:プレトリア有
8 ムプマランガ Mpumalanga 3,536,300 ムボンベラ Mbombela
9 リンポポ Limpopo 5,402,900 ポロクワネ Polokwane

主要産業は、農業では畜業、とうもろこし、柑橘類、その他の果物、小麦、砂糖、羊毛、皮革類。鉱業では金、ダイヤモンド、プラチナ、ウラン、鉄鉱石、石炭、銅、クロム、マンガン、石綿。石油の産出は無く、工業では食品、製鉄、化学、繊維、自動車など。豊富な鉱物資源を誇り、特に金は世界の産出量の半分を占める。この豊富な産金力を背景にクルーガーランド金貨を発行していたが、現在は限定品としてのみ僅かに販売されている。

バントゥースタン
  (Bantustans)

バントゥースタンは、かつて存在した南アフリカ共和国の自治区。南アフリカ政府によってホームランド(英語:Home land)と呼ばれた。南アフリカ共和国首相フルウールトは、同法に対する国際社会の非難をかわすために1959年にバントゥー自治法を制定し、南アフリカを白人地域(87%)と黒人地域(13%)に二分し、黒人地域に関しては10の主要集団ごとにバントゥースタンを創設。1994年暫定憲法の発効によって「独立」していたバントゥースタンは南アフリカに再統合された。白人地域から強制移住させられた人々の数は350万人。
・独立国
 ・トランスカイ(Transkei, 1963-1994)
 ・ボプタツワナ(Bophuthatswana, 1972-1994)
 ・ヴェンダ(Venda, 1979-1994)
 ・シスカイ(Ciskei, 1981-1994)、現在の東ケープ州東部
・自治領
 ・クワズールー(KwaZulu, 1981-1994)
 ・レボワ(Lebowa, 1972-1994)
 ・ガザンクル(Gazankulu, 1971-1994)
 ・クワクワ(QwaQwa 1974-1994)
 ・カングワネ(KaNgwane, 1981-1994)
 ・クワンデベレ(KwaNdebele, 1981-1994)

ナミビア(Namibia)国内:〜
  ナミビアは実質的な南アフリカ共和国領であったため、同様の政策が行われた。
  1989年に全てのバントゥースタンが消滅。
・自治国
 ・ヘレロ自治国(Hereroland, 1970)
 ・カバンゴ自治国(Kavangoland, 1973)
 ・オバンボ自治国(Ovamboland, 1973)
 ・東カプリビ自治国(East Caprivi, 1972)
  1976年、同年にロジ自治国に改称、1984年に南アの直接統治に。
  2002/10/7にナミビアからの独立と、イテンゲ自由国の建国を宣言。
・自治領
 ・バスターランド(レホーボス Rehoboth, 1979)
 ・ナマランド(Namaland, 1980)
 ・ダマラランド(Damaraland, 1980)
 ・ツワナランド(Tswanaland, 1980)など。

ダイアモンドの生産量:〜国別の生産量(単位カラット、USGS Minerals Yearbook 2004):〜
No. 国名 万Crts 累計 累計% 2016 %
ロシア 3,560 22.8 3,560 22.8 4,000 32.9
ボツワナ 3,110 19.9 6,670 42.8 2,090 17.2
コンゴ民主共和国 2,800 17.9 9,470 60.7 1,230 10.1
 4 オーストラリア 2,062 13.2 11,532 73.9 1,390 11.4
 5 南アフリカ共和国 1,445 9.3 12,977 83.2 840 3.9
カナダ 1,262 8.1 14,239 91.3 1,110 9.1
 7 アンゴラ 600 3.8 14,839 95.1 900 7.4
 8 ナミビア 200 1.3 15,039 96.4 150 1.2
 9 中華人民共和国 121 7.8 15,160 97.2 ? ---
10 ガーナ 100 0.6 15,260 97.8 ? ---
- ジンバブエ --- --- --- --- 210 1.7
- シェラレオネ --- --- --- --- 50 0.4
- 他(?ヵ国) 340 2.2 15,600 100.0 200 1.6
2004年総産出量 15,600 100.0 ---- ---- 12,170 100.0
カリナンI世(530ct)

南アフリカ 1980 発行
上位6ヵ国で世界シェアの90%以上 ※1Crt=0.2g。

・世界一のダイヤ:〜
ダイアモンドで世界一大きいのはイギリスの王さんエドワード7世に献上された、1905年に南アフリカ・トランスバール(プレトリア郊外のプレミア鉱山)発見の「カリナン」(The Cullinan Diamond、カット前の原石は3106カラット(carats(1ct=0.2g)、ソフトボール大)を105個に分割)を磨いて「ザ・グレート・スター・オブ・アフリカ(The Great Star of Africa、偉大なアフリカの星)」、略して「アフリカの星」(The Star of Africa)で530.20カラット有って、ロンドン塔内博物館に展示されているので誰でも見れるそうです。ところが現在は、原石が1985年にデビアス社南アフリカ・プレミア鉱山産出で、1997年に国王ラーマ9世の治世50周年を記念でタイ王室に献上された「ザ・ゴールデン・ジュビリー」(The Golden Jubilee Diamond)545.67カラットが世界一の座を取って代わったそうです。タイ国ではそれがファンシーイエローブラウンの美しいダイヤモンドだったので「大きな金色のトパーズ」とされているそうです。

・名前の付いているダイヤ:〜
(1)カリナン〜1907/11/9にイギリス国王エドワード7世へ66才の誕生日に献上され、オランダ・アムステルダムのアッシャー社がカットし、9つの大きな石と96個の小さな石となった。
大粒のダイヤ(カリナンI世〜IX世):〜
・カリナンI世(530.20カラット、106.04g)〜
  「偉大なアフリカの星(The Great Star of Africa)」と呼ばれ世界最大のカット
  ダイヤモンドとして有名で、王笏(Royal Scepter)に飾られている(現在は世界
  第2位)。現在もイギリス王室が所有しており、ロンドン塔で永久展示。
・カリナンII世(317.40カラット、63.48g)〜
  大英帝国王冠(Imperial State Crown of Great Britain)に飾られている
・カリナンIII世(94.40カラット、18.88g)と
・カリナンIV世(63.60カラット、12.72g)〜
  メアリー王女の王冠(Queen Mary's Crown)に飾られており、2つを合わせて
  ペンダントとしても使える。
・カリナンV世(18.80カラット、3.76g)〜
  メアリーのブローチに飾られているが、新たな王冠を作るためにメアリーの
  王冠からコ・イ・ヌールが外されたため、その代わりにはめられる。
カリナンVI世(11.50カラット、2.30g)〜
  エドワード7世が妻アレクサンドラに贈り、現在ではエリザベス2世所有の
  ネックレスの一部となっている。
・カリナンVII世(8.80カラット、1.76g)と
・カリナンVIII世(6.80カラット、1.36g)〜合わせてひとつのブローチ。
・カリナンIX世(4.39カラット、0.88g)〜メアリーの指輪に作られた。
カリナンII世(317ct)

南ア 1980 発行

(2)コ・イ・ヌール(Koh-i-noor, Kohinoor, Koh-i-Nur、105カラット、21.6g)
インドで発見されたダイヤモンドで、コヒヌールと表記されることもある。もとはペルシア語で「光の山」を意味する「クーへ・ヌール」に由来。かつては世界最大のダイヤモンドと呼ばれ、その歴史において周辺国の幾人もの王侯がその所有を争った。最終的にインド皇帝となったイギリス帝国のヴィクトリア女王のものとなり、現在はロンドン塔で展示されている。1849/3/2にパンジャブがインド帝国の支配下に入り、その女帝であるヴィクトリア女王に献上された。

(3)テーラー・バートン(Taylor Burton、69.42カラット、13.9g)
リチャード・バートンがエリザベス・テイラーの40回目の誕生日を記念して贈った世界的に有名な研磨済みダイヤモンド。両者の名前を取ってこの名称で呼ばれる。研磨した当時の品質は最高のDグレード(透明)。テーラー・バートン・ダイヤモンドとも呼ばれる。原石は数々の有名なダイヤモンドを産出している南アフリカのプレミア鉱山で1966年に発見された。原石の大きさは240.75カラット(48.15g)。1969年にオークションにかけられ、最終的にカルティエが100万ドルで落札したのをバートンが購入し、エリザベス・テイラーが離婚後の1978年にオークションで300万ドルで売却するも、テーラーが使用中に品質を落としDグレードでは無く成っているとか。

(4)ホープダイヤモンド(Hope Diamond、45.50カラット(9.1g)のブルー・ダイヤモンド)
所有者が次々に不慮の事故で死亡し「呪いの宝石」として有名。1958/11/7にウィンストン氏がスミソニアン協会に寄贈。現在はスミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館に所蔵されている。

<南アフリカのユネスコ世界遺産>:〜9件
・文化遺産
 ・南アフリカの人類化石遺跡群、(1999、2005拡大)
   (Fossil Hominid Sites of South Africa)
 ・マプングブエの文化的景観、(2003)
   (Mapungubwe Caltural Landscape)、北ケープ州
 ・リフタスフェルトの文化的・植物的景観、(2007)
   (Richtersveld Cultural and Botanical Landscape)
 ・コマニの文化的景観、(2017)
   (Khomani Cultural Landscape)、北ケープ州
 ・ロベン島、(1999)
   (Robben Island)、西ケープ州
   ケープタウンから約12km沖合のテーブル湾にある島で、ロベンはアザラシを意味するオランダ語。「監獄島」とも呼ばれハンセン病患者の隔離や政治犯の強制収容所が設置された。現在はロベン島教会の他、政府が所管、島全体を博物館として整備、刑務所の元囚人がガイドとして案内。

・自然遺産
 ・イシマンガリソ湿地公園、(1999)、旧称「グレーター・セント・ルシア湿地公園」
   (iSimangaliso Wetland Park)、クワズール・ナタール州東海岸の自然保護区、2008年に改称
 ・ケープ植物区系地方の保護地区群、(2004、2015拡大)
   (Cape Floral Region Protected Areas)、フィンボス (Fynbos)、西ケープ州
 ・フレデフォート・ドーム、(2005)
   (Vredefort Dome)、フリーステイト州
   約20億2300万年前(古原生代)の現存する世界最大にして世界最古の隕石衝突跡(クレーター)

・複合遺産
 ・マロティ=ドラケンスバーグ公園、(2000、2013拡大)
   (Maloti-Drakensberg Park)、(世界遺産ドラケンスバーグの岩絵
   南アフリカ国内ではウクハランバ・ドラケンスバーグ公園が登録対象。

参考:〜
・ザタ遺跡
 Dzata Ruins

ザタ遺跡は1700年頃に建設されたベンダ王国の首都だった場所で、ザタの歴史はわずか60年で終わりました。ザタを最後に統治した、ソホヤンドウ王(Thohoyandou)はベンダ王国を建設した王で、ベンダ族はそれまでソウトパンスバーグに居住する一部族でした。現在はリンポポ州の一部。
ザタ遺跡

参考HP:〜
南アフリカ共和国の地図
ヴェンダの地図
バントゥースタンの地図
オレンジ自由国の場所地図
トランスヴァール共和国の場所地図
ロベン島の場所地図(世界遺産)
フレデフォート・ドームの場所地図 (世界遺産)
マプングブエとその周辺遺跡の場所地図 (世界遺産)
南アフリカの人類化石遺跡群の場所地図 (世界遺産)
ケープ植物区系地方の保護地区群の場所地図 (世界遺産)
リフタスフェルトの文化的・植物的景観の場所地図 (世界遺産)
イシマンガリソ湿地公園の場所地図、グレーター・セント・ルシア湿地公園 (世界遺産)

こちらで
タンザニア鉄道
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡エジプト)世界遺産
パルテノン神殿ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        09/7/23、2019/2/16
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