Sierra Leone

国連 1982 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.7
シェラレオネ共和国
Republic of Sierra Leone

大航海物語
  地図編

SIERRA LEONE
かつては奴隷海岸と呼ばれた
シェラレオネの場所地図
シェラレオネ

国連アフリカ経済委員会25周年記念
1958 UN Economic Commission for Africa 1983
シエラレオンネ 1983 発行

奴隷解放記念
シェラレオネの地図
フリータウン→
奴隷の競売の広場

フリータウンのシンボル ”コットンツリー”
1833 奴隷解放100年記念 1933
イギリス領シエラレオネ 昭和8年 1933/10/2 発行
奴隷の解放

奴隷の手枷(手錠)が切れる

ジョージ5世
ライス生産プランテーション


イギリス領シエラレオネ 19332/5/1 発行
ジョージ6世と
ライス(米)の収穫


イギリス領シエラレオネ 1938-44 発行

エリザベス2世女王と
シェラレオネの地図


イギリス領シエラレオネ 1956/1/2 発行
鉄とダイアモンドの土地シェラレオネの地図
LAND OF IRON & DIAMONDS

日本万国博覧会記念
桜のハナビラを背景に

神社の鳥居

ェラレオネの地図
日本列島の地図
シエラレオンネ 1970/6/22 発行
Honours
JOHN F. KENNEDY
American Patriot
World Humantarian
1917 - 1963
FRIEND OF THE AFRICAN PEOPLE

米国の故ケネディ大統領を賛美する上記の文言が
非常に小さい文字で印刷してあります。
ケネディ大統領の追悼記念で発行

シエラレオンネ 1964/5/11 発行

シエラレオネ
 Republic of Sierra Leone

  旧称:英領シエラレオネ (スレーブ・コースト:奴隷海岸
 面積:71,740ku(日本の約1/5)、人口:約580万人(2007)、約740万人(2016)
 首都:フリータウン(FREETOWN)、GDP:117億ドル(2013)
 民族:メンデ族、テムネ族、リンパ族、クレオール(黒人と白人との混血)など
 言語:英語(公用語)、メンデ語、テムネ語など
 宗教:イスラム教60%、キリスト教10%、アニミズム信仰30%など
 1番切手:1859年発行、1961/4/27独立1番切手発行
 世界一寿命の短い(34才)国だった
 (2006年WHOでは39才になり、ジンバブエの36才が世界一短い)。

奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立。約10年近く続いた内戦により、世界で最も平均寿命が短い国のひとつとなっていた。

・シエラレオネの略史:〜
1446、ポルトガルアルヴァロ・フェルナンディスが上陸
1462、ポルトガルのペドロ・ダ・シントラ (Pedro da Cintra) が
    シエラレオネの半島(フリータウン半島)に到達、
    そこを、ライオン山(ス:Sierra Leon)と命名して、シエラレオネと呼ばれるようになる
1562、イギリスの奴隷商人ジョン・ホーキンスが寄港、奴隷を獲得
1579、イギリスの奴隷商人フランシス・ドレイクが寄港
1605、ポルトガルのイエズス会士バルタサール・バレイラ(Baltasar Barreira, 1531-1612)が定住
1610、バレイラがシエラレオネを去り、イエズス会士やカプチン会士による布教が続く
1664、シエラレオネのタッソ島にあるイギリス城砦をデ・ロイテルのオランダ艦隊が攻撃
1672、イギリスがシエラレオネにあるヨーク島に王立アフリカ会社を創立
1704、フランスの軍艦がヨーク島にある王立アフリカ会社を破壊
1719、王立アフリカ会社がベンス島(現ボンチ島)に拠点を移転
    海賊が1720年までベンス島を占領し略奪
1726、王立アフリカ会社がウィリアム・スミスをベンス島へ派遣
1727、フーダ・ジャロンがジハードを開始
1728、ポルトガルのロペスがベンス島の城砦を破壊、
    王立アフリカ会社がシエラレオネから撤退
1750、王立アフリカ会社のベンス島城砦をグランド・サージェント・オズワルド会社が取得
1772、フランスの商人がシエラレオネのブンス川河口にあるガンビア島に拠点を置く
    奴隷身分のジェームス・サマーセットがイギリスで裁判を起こし、自由を勝ち取る
    裁判官のマンスフィールド卿が奴隷制は非合法であると宣言
1779、フランスがブンス島のイギリスの城砦を攻撃
1785、ロバナのテムネ人首長がフランスに商館として使用する土地をガンビア島で提供
    フランスの部隊が一時駐屯後、撤退
1787、奴隷貿易廃止運動で活躍したシャープを中心に「自由の国」(Province of Freedom)
    建設をスローガンとしたシエラレオネへの入植計画が始まる
1787/4/8、290人の黒人男性、41人の黒人女性、11人の黒人児童、70人の白人男性、
    6人の白人女性、38人の乗組員らを乗せた船がロンドンを出帆、プリマスへ向い、
    その後、プリマスからさらに411人の移住者を乗せ、シエラレオネに向けて出港
1787/5月、リチャード・ウィーバーが初代イギリス総監に就任
1787/5/10、イギリスからの入植者がシエラレオネに到着
    翌日、T・ボールドン・トンプソン船長が現地部族のトム王から入植者のための
    土地を譲り受け、翌日イギリスからの入植者が下船し、シエラレオネに上陸
    後に、グランビル・シャープの名からグランビルタウンを建設
1787/9月、ジェームズ・レイドが総監に就任
1788/8/22、現地部族のナインバナ王が沿岸部を提供
1790、自由の土地の首都グランビルタウンが現地部族のジミー王によって破壊される
    奴隷制廃止主義者らがセント・ジョージス・ベイ会社を創立
1791、セント・ジョージス・ベイ会社が特許状を得て、シエラレオネ会社となる。ヘンリー・
    ソートンが同社代表になる。アレキサンダー・ファルコンブリッジが派遣され、入植者を
    保護。元のグランビルタウンがあった場所とは違う場所にグランビルタウンを再建
    イギリス海軍のジョン・クラークソンがシエラレオネ会社から、イギリス領カナダ
    ノヴァスコシア州とニューブランズウィック州に派遣され、入植者を募集
1792、ノバスコシアから1,190人の解放奴隷(主にイギリス忠誠派としてアメリカ独立時に
    逃亡し自由になった奴隷)を乗せた船団がシエラレオネに到着、フリータウンを建設
1794、ザッチャリ・マコーレーが総監に就任
    フランスの艦隊がフリータウンを攻撃及び略奪、破壊
1795、トーマス・クーパーが現地部族のスス族やフラニ族と通商するため
    リオ・ポンガに商館「フリーポート」を開く
1796、イギリス政府がシエラレオネ会社に補助金を出し始め、
    マコーレーが総監就任、ジミー王が亡くなる
1800、ジャマイカからカナダのノバスコシアに移されていた元逃亡奴隷の
    マルーン550人がシエラレオネに向けて出帆
1807、イギリスが奴隷貿易を非合法化し、奴隷貿易の取締まりを強化
1808、T・P・トンプソンが直轄植民地の初代総監に就任し、シエラレオネにあるレスターなど
    奪還奴隷のための集落地の建設に取り組む。フリータウンの人口が2,000人になる
    シエラレオネはシエラレオネ会社の植民地からイギリス直轄植民地となる
1811、奴隷船から解放されてフリータウンに上陸した奪還奴隷数が1,991人になり、
    フリータウンの人口は急増
1813、イギリス海軍がセントポールズ川にある奴隷貿易商館を破壊し、
    200人以上の奴隷を解放、リオ・ポンガスにある商館も破壊
    後にポート・ロコは奪還され、テムネ族の町となる
1827、フリータウンでフォーラー・ベイ・カレッジ(FBC、現:国立シエラレオネ大学)が開設
1896、内陸地域がイギリス保護領となり、植民地と分けられる
1898、内陸部の保護領の現地部族が反乱を起こす
1920、イギリス領西アフリカ国民会議(NCBWA)がゴールドコーストガーナ)で創設され、
    シエラレオネからは実業家のF・W・ダウと1910年にイギリスからシエラレオネに
    帰国ていたフリータウン出身のクレオール人医師バンコール・ブライトが出席
1924、ブライトの出席のもと西アフリカ学生同盟が創立される
1931、ダイヤモンド鉱が発見される。スス族のイスラム教指導者ハイダラ・コントーフィリ
    (Haidara Kontorfilli) がイスラム教の改宗を人々に訴え、イスラム教に改宗しなければ
    殺害すると脅したため、政府軍は彼を殺害
1934、シエラレオネのクレオール出身のウォレス・ジョンソンがゴールドコーストで
    西アフリカ青年連盟 (West African Youth League) を創設
1937、イギリス領ナイジェリアの原住民統治制度がシエラレオネの内陸部の
    保護領で導入される。ジョンソンがシエラレオネに帰国
1946、SLPPは保護領でシエラレオネ組織協会を設立
1950、メンデ族出身のミルトン・マルガイが党首で、シエラレオネ人民党(SLPP)を結成
1950/8月、ブライトがフリータウンでクレオールのシエラレオネ植民地国民議会(NCCSL)を創立
1951、植民地フリータウンで、エスルドレッド・ジョーンズ師(別名ラミナ・サンコー)が
    フリータウン人民党に統合。選挙でSLPPはブライトとジョンソンらのNCCSLを破る
1954、保護領の南部や東部でのダイヤモンド・ラッシュの動きが本格化。ダイヤモンドの
    採掘人は推定30,000人になる。クリオの弁護士シリル・B・ロジャースライトが
    統一シエラレオネ進歩党(UPP)を創設、植民地と保護領の融和を説く
1955、フリータウンで暴動が発生。増税に反対してポート・ロコで暴動が起きる
1957、SLPPは選挙で大勝、マルガイはシエラレオネ初代首相となる
1958、ミルトン・マルガイの異母兄弟のアルバート・マルガイが人民国民党(PNP)を創設
    ブライトが亡くなる
1959、フォーラー・ベイ・カレッジ(FBC)がシエラレオネ大学(USL)となる
1960、ロンドン代表団を派遣しシエラレオネの完全独立を認めるよう要求
1961/4/27、イギリス連邦の一員として独立
1971/4月、共和国となる
1978/5月、新憲法制定、単一政党制導入
1986/1月、モモ大統領就任
1987/3月、クーデター未遂
1990、ジョセフ・サイドゥ・モモ少将は民主化運動を受け、複数政党制を導入
1991、隣国リベリアのチャールズ・テーラー率いるリベリア国民愛国戦線(NPFL)支援の
    アハメド・F・サンコー率いる統一革命戦線(RUF)が武装蜂起、内戦が勃発(-2002)
1992/4月、軍事クーデター
1992/5月、ストラッサー大尉を議長(元首)とする暫定政府発足
1996/1月、ビオ准将による無血クーデター
1996/2月、大統領・議会選挙
1996/3月、カバ大統領就任
1997/5月、軍事クーデター
1997/6月、軍事革命評議会議長であるコロマ少佐が国家元首に就任
1998/3月、軍事革命評議会が駆逐され、カバ大統領がフリータウンに帰還
1999/7月、ロメ和平合意が成立
1999/10月、国連安保理は、ロメ和平合意を実施するための
       「国連シエラレオネ・ミッション」(UNAMSIL)の派遣を決定
2000/05月、RUF(革命統一戦線)による国連PKO要員500人の拘束事件が発生
2000/11月、シエラレオネ政府、RUF間で停戦合意成立
2001/05月、武装解除の実施方法について政府、RUF間で合意成立
2002/01月、カバ大統領が武装解除完了宣言
2002/03月、カバ大統領が国家非常事態の終了宣言
2002/05月、大統領・議会選挙実施。現職のカバ候補が圧倒的多数の得票率で再選
2004/02月、カバ大統領がDDR委員会の解散を宣言
2005/12月、UNAMSIL完全撤退
2006/01月、「国連シエラレオネ統合事務所」(UNIOSIL)活動開始
2007/08月、大統領・議会選挙実施
2007/09月、大統領選挙決選投票実施。コロマ大統領就任
2008/12月、「国連シエラレオネ総合平和構築事務所」(UNIPSIL)活動開始

シエラレオネはダイヤモンドの輸出国であるが、その大部分が密輸出。南西部が最もダイヤモンドの埋蔵量が多い地域であり、これを巡って内戦が発生。その他ボーキサイトや金紅石の産出国でもある。農業では米、アブラヤシラッカセイ、コーヒー、ココアなど。

シエラレオネの海岸線は、首都フリータウンがあるフリータウン半島部は別としてマングローブ林に覆われている。シエラレオネの残りはたいてい木々に囲まれた高原地帯(海抜300メートル級)で、国の東部は山間地である。(最高峰はロマ・マンサ (Loma Mansa) の1,948 m)フリータウン半島近くにあるバナナ島、バンス島、ヨーク島やタートル諸島(シェルブロ島)などの島々もある。気候は熱帯性で5月から12月までは雨期。主要都市 フリータウン、コインドゥ (Koindu) 、ボー、ケネマ (Kenema) 、マケニ (Makeni) 。乾燥やサハラ砂漠から吹く「ハルマッタン」という砂塵が11月から翌年5月まで吹く、砂嵐、ちり嵐などの自然災害がある。

シエラレオネは、西部地区(かつての植民地)と東部州、北部州、南部州(かつての保護領)、の4つに分けられる。旧保護領の3州は148の首長領をもつ12の地区に細分されている。西部地域は地方自治体によって治められている。3州にはそれぞれ知事がおり、州内の行政単位は小さいものから順に、村、広域村、郡区、首長領、地区議会がある。

シエラレオネは、4州(かつての保護領)と地区(かつての植民地)に分けられている。
 (旧保護領の4州(Province)は186の首長領をもつ14の地区( District)が有)
・東部州 (Eastern Province) 州都 ケネマ
  (1)カイラフン地区 (Kailahun)中心地 カイラフン
  (2)ケネマ地区 (Kenema)中心地 ケネマ
  (3)コノ地区 (Kono)中心地 コイドゥ (Koidu)
・北部州 (Northern Province) 州都 マケニ
  (4)ボンバリ地区(Bombali)中心地 マケニ(Makeni)
  (5)カンビア地区(Kambia)中心地 カンビア
  (6)コインドゥグ地区(Koinadugu)中心地 カバラ(Kabala)
  (7)ポートロコ地区(Port Loko)中心地 ポートロコ
  (8)トンコリリ地区(Tonkolilit)中心地 マグブラカ(Magburaka)
・南部州 (Southern Province) 州都ボー
  (9)ボー地区(Bo)中心地 ボー
  (10)ボンチ地区(Bonthe)中心地 マトラ・ジョン (Mattru Jong)
  (11)モヤンバ地区(Moyamba)中心地 モヤンバ
  (12)プシェフン地区(Pujehun) 中心地 プシェフン
・北西部州(North Western Province)州都 ポート・ロコ
  (13)カンビア地区(Kambia)中心地 カンビア
  (14)ポート・ロコ地区(Port Loko)中心地 ポート・ロコ
  (15)カレネ地区(Karene)中心地 カレネ〜 2017年新設
・西部地域 (Western Area) 州都 フリータウン(首都)
  (16)都市地区(Western Area Rural)、フリータウン (Freetown)
  (17)地方地区(Western Area Urban)。

旧区分:〜4州と14地区
・西部地域(Western Area)〜首都フリータウンのあるフリータウン半島が有
  (1)都市地区(Western Area Rural District)
  (2)地方地区(Western Area Urban District)
・東部州(Eastern Province)
  (3)カイラフン地区(Kailahun District)〜中心地カイラフン(Kailahun)
  (4)ケネマ地区(Kenema District)〜中心地ケネマ (Kenema)
  (5)コノ地区(Kono District)〜中心地コイドゥ(Koidu)
・北部州(Northern Province)
  (6)ボンバリ地区(Bombali District)〜中心地マケニ(Makeni)
  (7)カンビア地区(Kambia District)〜中心地カンビア(Kambia)
  (8)コインドゥグ地区(Koinadugu District)〜中心地カバラ(Kabala)
  (9)ポートロコ地区(Port Loko District)〜中心地ポートロコ(Port Loko)
  (10)トンコリリ地区(Tonkolili District)〜中心地マグブラカ(Magburaka)
・南部州(Southern Province)
  (11)ボー地区(Bo District)
  (12)ボンチ地区(Bonthe District)
  (13)モヤンバ地区(Moyamba District)
  (14)プシェフン地区(Pujehun District)。

<シエラレオネの世界遺産>:〜無
シエラレオネの世界遺産条約批准は2005年で、暫定リストには
・ウェスタン・エリア・ペニンシュラ国立公園
  (Western Area Peninsula National Park)
・ティワイ島野生生物保護区
  (Tiwai Island Wildlife Sanctuary)
・旧フォーラー・ベイ・カレッジの建造物
  (Old Fourah Bay College Building)
・バンス島(Bunce Island) 旧王族の庭への入り口
  (The Gateway to the Old King’s Yards)
・ゴラ雨林国立公園
  (Gola Rainforest National Park)
の6件が有(2012年)。

参考HP:〜
 シエラレオネの地図
 シエラレオネの地図(拡大付詳細地図)
 シエラレオネの地域区分地図、14地域(District)

こちらで
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       09/8/18、2019/1/4

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