Tunisia 国連 1988 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.31
チュニジア Republic of Tunisia |
大航海物語 地図編★ |
チュニジアの地図 | ||
チュニジア共和国 Republic of Tunisia (al-Jumhuriya al-Tunisiya) 面積:16万3,610ku(日本の約5分の2)、人口:1,099万人(2014) 民族:アラブ人(98%)、その他(2%)、首都:チュニス 言語:アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている) 宗教:イスラム教スンニ派、イスラム教シーア派、ごく少数がユダヤ教、キリスト教) 1番切手:フランス領チュニジアとして、1888/1/1発行。 <チュニジアの略史> ・古代 (Antiquity)、カプサ文化(旧石器時代後期〜中石器時代) 北アフリカのチュニジア・アルジェリアに分布するカプサ文化が有 ・中世 (Middle Ages、7世紀後半〜16世紀) ・オスマン・チュニジア (Ottoman Tunisia、1574〜1881) ・フランス保護領チュニジア (French Tunisia、1881〜1956) ・独立後の現代チュニジア (Post-independence、1956〜2011) ・チュニジア革命後 (Post-revolution、2011以降) 長年の大統領ベン・アリの国外退去(1989/4〜2011/1/14)。 BC9世紀より都市国家カルタゴとして栄え、ベルベルとフェニキアの文化が融合 BC146年、ローマ帝国がカルタゴを征服 439年、ゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領、ヴァンダル帝国を建設 533年、東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花 07世紀、アラブ侵入,イスラム化の始まり 1574年、オスマン帝国の属州となる 1881年、フランスの保護領となる 1956年03月、フランスより独立、翌年7月に共和制へ移行し、ブルギバ大統領就任 1959年06月、共和国憲法発布 1987年11月、ベン・アリ大統領就任 1989年04月、ベン・アリ大統領当選(その後、五選(1994.3、1999.10、2004.10、2009.10月) 2011年01月、ベン・アリ大統領が国外退去、ムバッザア暫定大統領就任 2011年03月、1959年憲法の停止 2011年10月、制憲国民議会選挙の実施 2011年11月、制憲国民議会の開会 2011年12月、マルズーキ大統領就任、ジェバリ首相内閣の発足 2013年03月、ラアレイエド内閣の発足 2014年01月、新憲法公布(同年2月施行) 2014年01月、ジョマア内閣の発足 2014年10月、国民代表議会選挙 2014年11〜12月、大統領選挙 2014年12月、エセブシ大統領就任 2015年02月、エシード内閣の発足 2016年01月、エシード内閣改造 2016年08月、シェーヘド内閣発足。 チュニジアには24のウィラーヤ(Wilaya:県)に分かれ、 各県の知事は大統領による任命制。
※切手の説明:〜 上図、北アフリカの国のチュニジア地図切手は、1958年に発行された独立3周年を記念する切手で、図案にはチュニジア国の地図と、その中央に国旗中央部と同じデザインの三日月と星が描かれています。独立3周年で、図案の地図下部には1955−1958、6月1日の年月日が記載されています。ところが世界各国を紹介するガイド本・事典などでは、チュニジアの独立年は1956年となっています。「このちがいは?」というと、実はこの切手は再発行切手で、この切手の発行2ヵ月少し前の同年3月20日に、同図案の色ちがいで独立2周年の記念切手が発行されています。当初発行の2周年記念切手に示されている 1956年3月20日 は完全独立を表しており、各文献にも通常はこの年が独立年として記載されています。一方、1955年6月1日はフランスからの独立運動で、内政上の自治が認められた日なので、こちらを基準に考えると3周年ということになります。 <チュニジアの世界遺産> ・チュニス旧市街 (1979年、文化遺産) (Medina of Tunis) ・参考HP〜場所地図 チュニスはチュニジア共和国の首都で、チュニス県の県都(近くにカルタゴ有) ・カルタゴ遺跡 (1979年、文化遺産) (Site of Carthage) ・参考HP〜場所地図 国の首都チュニス近郷のチュニス湖東岸にあった古代都市国家跡 現在はチュニス県カルタゴ市として首都圏の一部をなしています ・エル・ジェムの円形闘技場 (1979年、文化遺産) (Amphitheatre of El Jem) ローマのコロセウム(約45,000人)とカプアの荒廃した闘技場の次に大きい闘技場で 間違ってコロセウムと呼ばれることのある観客席35,000人の円形闘技場です ・ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡 (1985年、文化遺産) (Punic Town of Kerkuane and its Necropolis) チュニジア北東のボン岬半島の先端に有 ・スース旧市街 (1988年、文化遺産) (Medina of Sousse) チュニジア中東部のハマメット湾に面する所に有 ・ケルアン (1988年、文化遺産) (Kairouan) ケルアン県の県都ケルアンに有 ・ドゥッガ/トゥッガ (1997年、文化遺産) (Dougga/Thugga) チュニジア北部にあるローマ時代の遺跡で、65ヘクタールの広さ有 ・イシュケル国立公園 (1980年、自然遺産) (Ichkeul National Park) チュニジア北部の地中海の海岸近くのイシュケル湖に有って、 イシュケル国立公園の湖と湿地は毎年何十万もの渡り鳥が訪れる重要な中継地です。 参考HP〜 ・チュニジアの地図 ・チュニジアの区分地図(日本語) ・チュニジアの場所地図 こちらで ・ポリネシア(ラピタ)人の移住航海地図 世界遺産の ・サン(ツォディロ)の岩絵 (ボツワナ、砂漠のルーヴル) ・ラスコー洞窟の岩絵 (フランス) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・ペトラ遺跡 (ヨルダン) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2019/3/19 |