Congo 国連 1986 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.17
コンゴ共和国 Republique du Congo |
大航海物語 地図編★ |
REPUBLIQUE DU CONGO | ||
CUBA チェ・ゲヴァラとコンゴの地図 コンゴ革命闘争参加35年記念 キューバ 2000/4/24 発行 |
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革命勲章とコンゴ地図 コンゴ 1967/3/5 発行 |
REPUBLIQUE POPULAIRE DU CONGO | REPUBLIQUE DU CONGO | |
コンゴの地図 コンゴ 1971 発行 |
ブラザビル → |
コンゴの国旗と地図 コンゴ 1961/3/11 発行 |
CONGO ライオン コンゴ 1971 発行 |
REPUBLIQUE POPULAIRE DU CONGO ホタルイカ Fire Squid コンゴ 1964/10/20 発行 |
AF EQUATOR FRANCAISE 自由フランス軍チャドからライン河へ 仏領赤道アフリカ 1946 発行 |
REPUBLIQUE DU CONGO コンゴ・オセアン鉄道 (ブラザビルの駅舎) コンゴ 2019 発行 |
コンゴ共和国 (Republic of the Congo) 面積:34.2万ku(日本の約0.9倍) 人口:約513万人(2016)、GDP:107億ドル(2008) 首都:ブラザビル(Brazzaville) 民族:コンゴ族、サンガ族、テケ族、ンボチ族など 言語:フランス語(公用語)、リンガラ語、キトゥバ語 宗教:キリスト教、イスラム教など 1番切手:1959年発行。 ・国名の推移:〜 ・13-15世紀〜コンゴ王国 (Kingdom of Kongo) ・1390-1914〜コンゴ王国 (Kingdom of Kongo, 北部の一部:1550-1914) ・1550-1883〜ロアンゴ王国 (Kingdom of Loango、コンゴ王国の北部) ・1876-1885フランス植民地化時代 (French Colonization Age) ・1882-1960〜フランス植民地時代 (French Colonial Congo Age) ・1882-1910〜フランス領コンゴ (French Congo) ・1910-1958〜フランス領赤道アフリカ (French Equatorial Africa) ・1958-1960〜フランス共同体 (Communaute francaise 1958-1995)内の コンゴ自治共和国 (Republique autonome Congo) ・1960-1970〜コンゴ共和国 (Republic of the Congo) ・1970-1991〜コンゴ人民共和国 (People's Republic of the Congo) ・1991-現在〜コンゴ共和国 (Republic of the Congo)。 ・コンゴ略史:〜 13世紀〜15世紀、コンゴ王国の最盛期 1390、コンゴ王国(Kingdom of Kongo、1390-1914) 1482、ポルトガル人のディオゴ・カンがコンゴ河々口に到来し、 コンゴ王国にもポルトガル人が来航 1485、コンゴ王国とポルトガル王国の国交が結ばれ、 両国の対等な関係とキリスト教の布教が承認される 1491、ローマ・カトリック宣教師がンバンザ・コンゴ(Mbanza Kongo, Zaire Province, Angola)に到達 コンゴ王ンジンガ・ンクウ(Nzinga a Nkuwu、?-1509)が5/23にカトリックに改宗して ジョアンの洗礼名を受け、ジョアン1世(Joao I, 在位:1470-1506)となる カトリックの洗礼名アフォンソを受けた王子ンジンガ・ムベンバをポルトガルへ留学させる 1506、アフォンソ1世(Alfons I, 在位:1506-1543(Nzinga Mvemba、1460-1543)が即位 同時代中から根拠地サントメ島のポルトガル商人による奴隷貿易が始まり、王国を蝕み、 アフォンソ1世は奴隷貿易の進行がコンゴを荒廃させていたことに鑑み、ポルトガル王ジョ アン3世に奴隷貿易の停止を求める書簡を送るも、ジョアン3世はポルトガルの国益のた めに、この書簡を無視し、その後コンゴ王国はアフリカにおける奴隷貿易の中心地となる 1545、アフォンソ1世が没すると、コンゴでは反乱が相次ぎ、奴隷貿易とキリスト教の布教、 そしてポルトガルの侵攻でコンゴ王国は徐々に力を失っていく 1550、コンゴ王国の北部がロアンゴ王国(Kingdom of Loango、1550-1882)として独立 1568、ジャガ(Jaga, Kongo)と呼ばれる現地人武装部族集団がコンゴ王国に侵入し、 コンゴ王(Manikongo)アルヴァロ1世(Alvaro I of Kongo, 在位:1568-1587)が事態の収拾 のためにポルトガル軍の派遣を要請してポルトガル軍の実力で独立を回復したコンゴ王 はポルトガルへの帰順を誓わされ、以後コンゴ王国はポルトガルの属国となる 1641、即位したガルシア2世(Garcia II of Kongo, 在位:1641-1661)はオランダとポルトガルの対 立を利用して独立の維持を図り、この政策は功を奏してコンゴ王国は中興を遂げる 1661、ガルシア2世が没し、その後、王位継承で混乱状態になる 1665〜1709、コンゴ民族内戦:キンラザ家とキンパズル家、キンラザ家ペドロ4世勝利で再統一 1665、王位継承後の混乱に乗じてアンゴラからポルトガル軍が侵攻し、アンブイラの戦い (Battle of Ambuila、1665/6/30)でコンゴ王国軍はポルトガル軍に敗れ、 国王アントニオ1世(Antonio I of Kongo, 在位:1661-1665/6/29)は廷臣に殺害される これがきっかけでキンラザ家(House of Kinlaza, 1636-1885)とキンパズル家(House of Kimpanzu, 1636-1718)とのコンゴ民族内戦 (Kongo Peaple's War、1665-1709)が始まる コンゴ王国はその後も名目のみ存続するも、19世紀末にベルギーとポルトガルの植民地 として分割統治をすることと決められた(ベルリン会議、1885)で王国は消滅 1880、フランス人探検家ピエール・ブラザ(Pierre de Brazza, 1852-1905)がンタモ(Ntamo)と 呼ばれていた町を発見して自分の名を取ってブラザヴィル(Brazzaville)と命名 1882、フランス領コンゴ(1882-1903)〜フランス植民地時代 奴隷貿易の進行 (Atlantic slave trade French Congo, 1882-1910) 1903、中央コンゴ(1903-1910)と呼ばれるようになる 1910、フランス領赤道アフリカが成立、 ブラザヴィルにはその植民地政府が置かれ、 フランス領コンゴはフランス領赤道アフリカ(1910-1959年)の一部となる 1946、フランス議会に議席を獲得 1944、ブラザヴィルは自由フランス軍の拠点となる 1944/6月、アフリカのフランス植民地と自由フランスとの間でブラザヴィル会議が開催されると、 ブラザヴィル宣言でアフリカのフランス植民地は戦争協力と引き換えに 戦後の自治権拡大を約束される 1958、フランス共同体内の自治共和国になる 1959、1番切手発行 1960代、までは、ブラザヴィルの街は欧州人居住区(中心部)と アフリカ人居住区(ポトポト (Poto-Poto)、バコンゴ (Bacongo)、 マケレケレ (Makelekele)に分けられる 1960/08月、正式独立(コンゴ共和国) 1963/8/13、首都ブラザヴィルで人民が蜂起 「8月革命」が起こり、わずか3日間で大統領フルベール・ユールー政権を打倒、 これは「栄光の3日間」としてコンゴの歴史に刻まれる 1963/8/16、マサンバ・デバ政権(1963-1968)が誕生、 外国系企業の国有化、フランス軍基地の撤去、 「経済開発計画」(1964-1969)に基く工業化、 古い国家機構の改革など、 民族民主革命を実行する政策を追求する社会主義路線を歩む 1968、憲法を改正 1969/12月、 国名を「コンゴ人民共和国」と改め、マルクス=レーニン主義に基づく国造りを進める
独立時の「コンゴ共和国」に戻し、国旗も変更される 1992/08月、パスカル・リスバ大統領就任、パスカル・リスバ政権(1992-1997)が誕生 1993〜1995、コンゴ共和国内戦(1993〜1995/12) 1997/05月、内戦勃発、コンゴ共和国内戦(1997/6/5〜1999/12/29) ドニ・サスヌゲソ前大統領派とパスカル・リスバ大統領派の間で ブラザヴィル市街戦が勃発、サスヌゲソ派が勝利 1997/10月、サス・ンゲソ大統領就任、第二次サス・ヌゲソ政権(1997〜現職) 1999/12/29、内戦が終結 2002/01月、新憲法交布 2002/03月、サス・ンゲソ大統領再選 2009/07月、サス・ンゲソ大統領再選 2012/3/4、ブラザヴィルで軍の武器庫が大爆発を起こし146人以上が死亡する事故が発生 2015/11月、新憲法公布 2016/03月、サス・ンゲソ大統領再選。 コンゴ共和国は首都のブラザヴィル と10の地方に分かれている。
※2004年改変:〜12
・コンゴ・オセアン鉄道 (Congo-Ocean Railway) ブラザヴィル 〜 ポワントノワール、512km、建設 1921〜1934 フランス植民地政府が、多大な人的犠牲を伴いながら建設。1959年に独立に先立ちコンゴ及び中央アフリカ、チャド、ガボンの各自治政府の共同出資の鉄道となるも、1981年に国有化。 ※コンゴ河対岸のキンシャサ(コンゴ民主国首都)は、隣接するも接続ナシ。
1967/10/8にボリビアのバジェグランデ近郊のイゲラ村の近くで捕えられ、ボリビア大統領の命令で、1967/10/9に処刑(銃殺刑)されました。 参考HP:〜 ・コンゴ共和国の場所地図 ・コンゴ共和国の地図 ・コンゴ共和国の10地方の区分地図 (2002迄) ・コンゴ共和国の13地方の区分地図 (2004から) ・コンゴの鉄道地図(赤線) ・コンゴの鉄道地図(UN Map) こちらで ・赤道ギニア ・チュニジア ・コーヒー ・ヴェーゲナー博士 世界遺産の ・ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・ペトラ遺跡 (ヨルダン) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2019/4/19、2019/4/5、令和 R.2/12/22(2020) |