Li beria 国連 1985 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.8
リベリア共和国 Republic of Liberia |
大航海物語 地図編★ |
LIBERIA POSTAGE | LIBERIA リベリア国土地図 リベリア独立100年記念 リベリア 1947 発行 |
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リベリア → | ||
リベリア 昭和3年 1928 発行 |
パルマス岬← |
首都モンロビアの地図
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上陸地点(3ヵ所)の海岸線地図
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リベリア共和国 Republic of Liberia 旧呼名:ペッパー・コースト(胡椒海岸、Pepper Coast)、穀物海岸(Grain Coast) 面積:111,370ku(日本の約3分1)、人口:約340万人(2004)、約420万人(2012) 首都:モンロビア(Monrovia)、GDP:36億ドル(2013) 民族:ゴラ族、クペレ族、クル族、バサ族など16部族 言語:英語(公用語)、その他各部族語など 宗教:国民の90%が原始宗教、その他がキリスト教とイスラム教など 1番切手:1860年発行。 12世紀以前、アフリカの先住民族が居住 1375、西スーダン・マリ帝国(Western Sudanic Mali Empire)の一部 14世紀以前、ソンガイ帝国(Songhai Empire, 1491-1591)、コヤ王国(Kingdom of Koya, 1450〜1898) などの王国が混在し、これらの新しい住民が綿紡績、布織り、製錬、米とモロコシの栽培や、 マリとソンガイ帝国の社会的・政治的制度などの技術をもたらす 15世紀、ポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が来航 奴隷海岸、黄金海岸、象牙海岸(仏語でコートジボワール)などと共に、 胡椒海岸(リベリアのメスラド岬(Cape Mesurado)とパルマス岬(Cape Palmas)の間)と呼ばれる 1898、頃から内陸部が砂漠化したため、住民はより湿った海岸地帯方面へ移動。 15世紀(1461)から17世紀後半にかけてヨーロッパの航海者で、ポルトガル、オランダ、イギリスの貿易業者が香辛料を求めて、この地域に上陸しました。ポルトガル人はこの地域で、コショウによく似たギニアショウガ(メレゲッタ・コショウ: melegueta pepper)を発見して、ここをコスタダピメンタ(ペッパーコースト:胡椒海岸)と名付け、地元の人々と商品や商品を交換しました。なお、穀物海岸(Grain Coast)というのは誤訳だとの説有。 1822、アメリカ植民地協会が移住者をペッパーコーストに入植させて植民地設立を開始 (The Society for the Colonization of Free People of Color of America、1816-1964) 1843、23年間にリベリアへ到着した移民4,571人の内、多くが熱帯病で亡くなり生存者1,819人となる 1867年までに、米国とカリブ海からの移民が13,000人を超え、入植地は内陸の首長国から襲撃される 1847/7/26、開拓者は独立を宣言、憲法を公布、リベリア共和国、イギリスが独立が最初に承認 1862、米国が承認。 リベリアは米国解放奴隷の建国の地です。 19世紀初頭にアメリカから解放された奴隷の移住地として発展、1847/7/26にアフリカ最初の共和国として独立するも、各部族の対立などで、内戦がありました。 ・第一次内戦 (First Liberian Civil War, 1989-1996) クラン族主体のリベリア軍と反乱軍(ギオ族とマノ族と手を組んだチャールズ・テーラー) とが衝突、反乱軍の勝利で、テーラーが大統領になるも、 死者15万人以上、難民は30万人以上発生といわれる ・第二次内戦 (Second Liberian Civil War, 1999-2003) テーラー大統領軍(民兵や少年兵を含む)と反乱軍が衝突、2003/6/17に停戦、 西アフリカ諸国経済共同体の平和維持軍(ECOMOG)と米陸軍(約800人)が到着後に テーラー大統領がナイジェリアへ逃亡・亡命、国連の肝いりで暫定政府が設置される。 ・リベリアの15郡 (County)とモンロビア連邦区:〜
<リベリアの世界遺産>:〜無 リベリアの世界遺産条約批准は2002年のことで、暫定リストには ・ニンバ山厳正自然保護区(拡大) (Mount Nimba Strict Reserve (extension), 2017) (この世界遺産は2018年時点ではギニアとコートジボワールの世界遺産) ・プロヴィデンス島 (Providence Island, 2017)、モンロビア付近に有 の2件が記載されている。 ・パルマス岬 (Cape Palmas, Maryland, Liberia) パルマス岬は、西アフリカのリベリア海岸(メリーランド郡)の南東端にあたる岬で、アフリカ大陸の北半分の南西端と表現されることも有。岬自体は、岩がむき出しになった小さな半島が、砂州で大陸に結びつけられたもの。半島部のすぐ西にはホフマン川(Hoffman River)の三角江が有。20kmほど東には、コートジボワールとの国境をなすカヴァレイ川(Cavalla River, 515km、ハーパーの東21km)の河口が有。国際水路機関 (IHO) は、パルマス岬をギニア湾の西端と定めています。 1458年、ポルトガルのエンリケ航海王子が探検・交易・奴隷獲得を目的として派遣したディオゴ・ゴメス船長の一行は、西アフリカ沿岸を南下して、この岬と三角江の入江に到達。ここは、西アフリカの海岸線がこれ以上南へ伸びず、明らかに海岸線の方向が東向きに変わりギニア湾がはじまる地点でした。ゴメス船長はこの地を”Cabo das Palmas” (ヤシの岬)と命名、後に英語化されて「Cape Palmas」となりました。川の方は”Rio das Palmas” (ヤシの川)と命名、後にホフマン川(the Hoffman River)と呼ばれるようになりました。パルマス岬の名は、現在のリベリアが胡椒海岸としてヨーロッパに知られていた頃から、まずラテン語の様々な地図に記載されるようになり、後に様々なヨーロッパ諸語の地図にも記載され、パルマス岬の名を記載した最古の地図は、1502年に完成したカンティノ図でした。 ・ジェフディ・アシュマン (Jehudi Ashuman, 1794-1828) リベリア植民地の建設者 ・ウィリアム・タブマン (William Vacanarat Shadrach Tubman, 1895-1971) 第19代リベリア大統領(1944-1971) ・ジェームズ・モンロー (James Monroe、1758-1831) 第5代アメリカ合衆国大統領(1817-1825)2期。 参考地図HP:〜 ・リベリアの地図 ・リベリアの地図(州別) こちらで ・スパイス (香辛料) ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/3/3、19/1/15 |