Burkina Faso

国連 1986 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.34
ブルキナファソ共和国
Republic of Burkina Faso

大航海物語
  地図編

AFRIQUE OCCIDENTALE FRANCAISE
クーグリ王 と ブルキナファソの地図

1947 オート・ヴォルタ10周年記念 1957
Upper Volta Territory
フランス西アフリカ 1958/11/1 発行
モロ・ナバ・クーグリ(Moro Naba Kougri,1930-1982)
ブルキナファソのモシ族36代ワガドゥグー王(Moro Naba, 在位1957-1982/12/8)


REPUBLIQUE DE HAUTE-VOLTA
ヤママユガ科ゴニムラシア蛾


Gonimbrasia Hecate
HAUTE-VOLTA
AFRIQUE OCCIDENTALE FRANCAISE

仏領西アフリカ切手に ”HAUTE-VOLTA” 加刷
ブルキナファソ1番切手

オートボルタ 1914-17 発行
オフィデア蛾

Ophideres Materna
カバマダラ蝶

Danaus Chrysippus
ブルキナファソ 1958/11/1 発行

AFRIQUE OCCIDENTALE FRANCAISE
フランス領西アフリカの場所地図

第6回国際アフリカ観光年記念
仏領西アフリカ 1958 発行

ブルキナファソナ共和国
 (Republic of Burkina Faso)

    旧名:オートボルタ(上ボルタ、英:Upper Volta、仏:Haute-Volta)
 面積:274,200ku(日本の約70%)、人口:1,520万人(2008)、1,865万人(2016)
 首都:ワガドゥグー(Ouagadougou、英:Wogodogo)
 民族:モシ族、グルマンチェ族、ヤルセ族、グルーシ族、ボボ族など
 言語:フランス語(公用語)、モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語
 宗教:伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%
 1番切手:1920年にフランス領西アフリカ切手へオートボルタ加刷で発行。
  (Afrique Occidentale Francaise → ”Haute Volta”)

フランス領西アフリカの変遷とブルキナファソ>
・1895-1958、フランス領西アフリカ〜フランス領8地域の内、
  ・1895-1919、フランス領スーダンの一部地域
  ・1919-1932、オートボルタ州、分離
  ・1932-1947、フランス領スーダンの一部地域
  ・1947-1958、オートボルタ州、復活
・1958-1960、フランス共同体内オートボルタ自治共和国
・1960-1984、オートボルタ共和国、独立
・1984〜ブルキナファソ共和国、改名。

・ブルキナファソの略史:〜
11世紀、ワガドゥグーにモシ人の都市王国のワガドゥグー王国(Ouagadougou)が成立
      その後は分裂、独立を繰り返す
1441、モシ王国(Mossi Kingdom)ワガドゥグー王朝(Wagadugu, 1441-1896)がワガドゥグーに成立
1884、アフリカ分割のベルリン会議 (1884-1885)開催で欧州列強諸国が動きを強めると、
    フランスが西アフリカに進出
1896、ワガドゥグーにあったモシ王国がフランスの保護領となる
1898、現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランスの保護領に入る
1919、仏領西アフリカから分離、仏領オートボルタ植民地(仏上ボルタ:French Upper Volta)成立
    モシ諸国はよく組織された国家のため、仏はこの地域を間接統治、各王国王の権力は残る
1957、モロ・ナバ・クーグリ(Mogho Naba Kougri、27才)がワガドゥグーの第36代モシ族の王に即位
1958、フランス共和国の自治共和国となる
1960、8月「アフリカの年」にボルタ川の上流という意味のオートボルタ共和国として独立
    初代大統領はモーリス・ヤメオゴが就任
1961、フランス共同体から離脱
1966、この年から数次にわたるクーデターが発生
    1月にサンゴール・ラミザナの軍事クーデター発生、ヤメオゴは失脚、ラミザナが大統領就任
1974、アガッチャー・ストリップ戦争(Agacher Strip War, 1974/11/25-1985/12/30)
    サヘル地方ウダラン県の天然ガスをめぐるマリ共和国との紛争が勃発
1980/11/25、セイェ・ゼルボ大佐は無血軍事クーデタでラミザナ政権を打倒し、ラミザナ大統領失脚
    「国家再建軍事委員会(CMRPN)」を結成した。ゼルボはCMRPN議長・国家元首・首相に就任
    全権を掌握、ゼルボ政権は強権政治を行い、政党の抑圧、労働組合のストライキ禁止を実施
1982、4月に労組側はゼネラル・ストライキで対抗し、経済の混乱に拍車をかける
1982/11/7、ウエドラオゴ少佐率いる下士官グループが軍事クーデタでゼルボ政権を打倒
    ゼルボらは逮捕され、クーデタは軍の派閥抗争・経済の低迷が原因で、ゼルボらは失脚
1983、8月ブレーズ・コンパオレによるオートボルタ時代最後のクーデターが起こる(サンカラ革命)
    ジャン=バプティスト・ウエドラオゴ大統領は失脚、かつて首相でありながらも失脚していた
    トーマス・サンカラが大統領に就任、サンカラは社会民主主義、革命的民主主義を掲げて
    社会主義路線を推進し、ブルジョワジーや伝統的首長、イスラムのマラブー(聖人)と対抗、
    女性の地位向上、識字運動、福祉の向上などを図り、旧宗主国フランスや領土問題のあった
    マリ共和国と対立し、キューバリビアアンゴラモザンビーク、北朝鮮、ベナンなど社会主
    義国と友好関係を築く
1984、8月にサンカラは国名をオート・ボルタ(ヴォルタ川上流の国)からブルキナファソ(清廉潔白な
    人たちの国)に変更し、自ら新国歌「ある一夜」を作詞し、アフリカのチェ・ゲバラの異名をとる
1985、ブルキナファソとマリが交戦(サヘル地方ウダラン県でのアガッチャー・ストリップ戦争)
    (Agacher Strip War(Christmas War), 1985/12/25-1985/12/30)
1986/12/22、国際司法裁判所の判決で紛争地域アガッチャー・ストリップ(3,000kmu)を
     ほぼ同等分割で東西160kmの内、マリは西部、ブルキナファソは東部を受け取って和解
1987/10/15、サンカラが独裁的かつ行き過ぎた社会主義路線をとっているとして、側近のブレーズ
    ・コンパオレ大尉がクーデターを起こし、サンカラは暗殺され、コンパオレは人民戦線を設置、
    人民戦線議長(国家元首)に就任
1990、10月にサンカラ時代の急進的左翼路線(マルクス・レーニン主義)を放棄し、
    複数政党制や大統領の直接選挙を柱とする憲法を国民投票にかける
1991、6月に新憲法国民投票、採択
1991、12月に大統領選挙、コンパオレ大統領選出
1992、5月に複数政党制による国民議会選挙、コンパオ大統領が、以後7年の任期を2回、任期の
    長さを批判されて短縮された5年の任期を2回、都合27年にわたり大統領として君臨
1997、5月に国民議会選挙、与党勝利
1998、11月に大統領選挙、コンパオレ大統領再選
2000、11月に内閣改造
2002、5月に国民議会選挙、6月内閣改造
2005、11月に内閣改造
2002、5月大統領選挙、コンパオレ大統領再選
2007、5月に内閣改造
2002、5月国民議会選挙、6月内閣改造
2008、3月に内閣改造
2002、5月内閣改造
2008、9月に内閣改造
2002、5月内閣改造
2010、11月に内閣改造
2002、5月大統領選挙、コンパオレ大統領再選
2011、4月に内閣改造
2002、5月内閣改造
2013、1月に内閣改造
2002、5月内閣改造
2014、翌年の大統領選挙に向けて3選を禁止していた憲法の改正に着手しようとするも国民が反発
    10月に首都で死者数十人の暴動に発展(2014年ブルキナファソ反政府運動)、この混乱に
    対し、軍が内閣を総辞職させ、夜間外出禁止令を出し政権を掌握、コンパオレ政権が崩壊
2014、11月にコンパオレ大統領辞任
    12月にカファンド暫定政権成立
2015/9/16、コンパオレとつながりのある大統領警備隊兵士がミシェル・カファンド暫定大統領と
    イザック・ジダ暫定首相、ほか閣僚2人を拘束
    17日にクーデターを宣言
    クーデター派は国民民主評議会を設置し議長には、コンパオレ政権で参謀総長を務めた
    ジルベール・ディエンデレを指名、暫定政権を解散させ、国境を封鎖し、夜間外出禁止令発令
    同日、フランスのフランソワ・オランド大統領がクーデターに対する非難を表明
    18日、クーデター派は拘束していたカファンドと閣僚2人を解放、封鎖していた国境を開放
    同日、危機打開に、西アフリカ諸国経済共同体議長国セネガルのマッキー・サル大統領と
    ベナンのヤイ・ボニ大統領が首都ワガドゥグーに到着
    一方、アフリカ連合は平和安全保障理事会後、ブルキナファソの加盟国資格を即時停止発表
    クーデター参加者の渡航禁止と資産凍結を全加盟国に呼び掛ける
    21日、クーデターに反対する政府軍部隊が事態収拾を目指しワガドゥグーに入り
    クーデター派に武装解除を迫る
    22日に拘束していたジダを開放し降伏に向けた協議に入る
    23日に交渉が妥結してカファンドが暫定大統領に復帰し、クーデターの終結を宣言
    カファンドの職務復帰から数時間後、ディエンデレもクーデターの終結を宣言
    反乱部隊と政府軍との全面戦闘は回避される
2015、11月に大統領選挙、国民議会選挙、カボレ大統領選出。

・ブルキナファソには13地方、45県、301郡が有 (2001年以降)
No 地方 (Regions) 中心都市 県(Province)
1 ブクル・デュ・ムウン Boucle du Mouhoun デドゥグ コッシ, スル, ナヤラ, バレ, バンワ, ムフン
2 カスカード Cascades バンフォラ コモエ, レラバ
3 中部 Centre ワガドゥグー カディオゴ
4 中東部 Centre-Est タンコドゴ クリテンガ, クルペロゴ, ブルグ
5 中北部 Centre-Nord カヤ サンマテンガ, ナメテンガ, バム
6 中西部 Centre-Ouest クドゥグ サンギエ, シッシリ, ジロ, ブルキアンデ
7 中南部 Centre-Sud マンガ ズンドウェオゴ, ナウリ, バゼガ
8 東部 Est ファダ・ングルマ グナグナ, グルマ, コモンジャリ, コンピエンガ, タポア
9 上流域 Hauts-Bassins ボボ・ディウラッソ ケネドゥグ, トゥイ, フエ
10 北部 Nord ワヒグヤ ゾンドマ, パッソレ, ヤテンガ, ロルム
11 中央大地 Plateau-Central ジニアレ ウブリテンガ, ガンズル, クルウェゴ
12 サヘル Sahel ドリ ウダラン, スム, セノ, ヤガ
13 南西部 Sud-Ouest ガウア イオバ, ヌンビエル, ブグリバ, ポニ

・ボボ=ディウラッソ
 (Bobo-Dioulasso)
ボボ・ディウラッソは、人口約60万人のブルキナファソ第二の都市で、街の名前は「ボボ族とジュラ族の郷」を意味しています。ボボ=ディウラッソはブルキナファソ南西部の上流域地方フエ県に有。ブルキナファソの経済的、文化的要所のひとつで、単に「ボボ」と呼ばれることも有。

参考:〜
・フランス領西アフリカ〜フランス領8地域:〜
  (French West Africa、1895-1958)
  (仏:Afrique occidentale francaise, AOF)
   @コートジボワール州
   Aモーリタニア州
   Bセネガル州
   Cフランス領ギニア州(現ギニア)
   Dニジェール州
   Eオートボルタ州(上ボルタ、現在のブルキナファソ
   Fフランス領スーダン州(現マリ共和国)、
    1880頃-1960(1890-1902 & 1920-1960)
   Gフランス領ダホメー州(現ベナン)
     ・首都:サンルイ、1895-1902
     ・首都:ダカール、1902-1958
  ※1919-1932、オートボルタ(上ボルタ)、分離
Afrique Occidentale Francaise
仏領西アフリカの場所地図

仏領西アフリカ 1958 発行
   ・フランス領オートボルタ(French Upper Volta、1919-1932)
  ※1932-1947、フランス植民地のフランス領西アフリカは解散
   ・フランスは3地域の植民地として管理
    (1)コートジボワール植民地
    (2)フランス領スーダン(マリ)植民地
      ・フランス領オートボルタ(French Upper Volta、1932-1947)は分離
    (3)ニジェール植民地
  ※1947(第二次世界大戦後)、植民地は前の境界を持つフランス連合の一部として復活
    ・フランス領オートボルタ(French Upper Volta、1947-1958)成立
・1958、フランス共同体内の自治共和国アッパーボルタとして再建
  ・オートボルタ共和国(Republic of Upper Volta,(Republique de Haute-Volta), 1958-1984)
・1960/8/5、オートボルタ共和国として完全独立
・1984、ブルキナファソ共和国 (1984〜現在)
  ・1984/8/4、ブルキナファソ共和国に変更。

1895年にフランス領西アフリカは、現在のセネガル、マリ、ギニア、コートジボワールに相当する地域に成立。その後、フランスの植民地拡大で版図を拡大させ、1910年に現在の中央アフリカ共和国にあたるウバンギ・シャリ植民地(1894-1910)を、1920年にチャドを「フランス領赤道アフリカ」に変更。第二次世界大戦時にはヴィシー政府側を支持。1940年にはイギリス軍による侵攻を受けるもフランス軍はこれを撃退。1946年に限定的に選挙権が与えられ、フランス議会に13議席を受領。その時に、アフリカ民主連合などの政党が成立し、後の独立運動の母体となり、1958年にド・ゴール政権下でフランス共同体が発足したことに伴い解体し、
・ベニン(Ivory Coast Dahomey〜Benin)
・マリ(French Sudan〜Mali)
・ギニア(Guinea)
・モーリタニア(Mauritania)
・ニジェール(Niger)
・セネガル(Senegal)
・ブルキナファソ(Upper Volta〜Burkina Faso)
・トーゴ(French Togoland〜Togo)
・中央アフリカ(Central African Republic)
・ナイジェリア(Enclaves of Forcados and Badjibo〜Nigeria)、となり

・フランス領赤道アフリカ〜フランス領3地域:〜
 (French Equatorial Africa)
 (仏:Afrique-Equatoriale francaise、1910-1959、AEF)は、
1910年に
・ガボン植民地(French Gabon、Colonie du Gabon)
・中央コンゴ植民地(French Congo)
・ウバンギ・シャリ植民地(Oubangui-Chari)
の3地域に連邦制を敷きフランス領赤道アフリカを設立。
1920年にはフランス領西アフリカに所属していたチャド植民地も加わり4地域体制となる。総督はコンゴのブラザヴィルに常駐し、その代理が各地域の主都に赴き統治に当たり、独立後は
・ガボン植民地 (主都:リーブルヴィル〜ガボン共和国
・中部コンゴ植民地(主都:ブラザヴィル、総督所在地)〜コンゴ共和国
AFRIQUE EQUATORIALE

仏赤道アフリカ1910発行
・ウバンギ・シャリ植民地 (主都:バンギ)〜中央アフリカ共和国
・チャド植民地(French Chad、主都:フォールラミ、現ンジャメナ)〜チャド共和国
となる。

その他のフランス領は
・モロッコ
・チュニジア
・コンゴ共和国(French Congo〜Republic of the Congo)
・ジブチ(フランス領アファール・イッサ)
となる。

<ブルキナファソの世界遺産>
・ロロペニの遺跡群
 (The Ruins of Loropeni)、文化遺産、2009年
・W=ペンジャリ=アルリ自然公園群
 (W-Arly-Pendjari Complex)、自然遺産、1996年、2017年拡大
  (ニジェール・ベナン・ブルキナファソ)。

参考HP:〜
ブルキナファソの地図
ブルキナファソの地方区分地図
フランス領西アフリカの場所地図(アフリカ 1914 の地図)

こちらで
コーヒー
ヴェーゲナー博士
世界遺産の
ヘンダーソン島ピトケーン諸島
ヌビア遺跡エジプト
パルテノン神殿ギリシャ
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2019/1/20、令和 R.2/12/23(2020)
スタンプ・メイツ
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