Sao Tome & Principe 国連 1985 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.102 サントメ・プリンシペ共和国 Republic of St.Thomas & Prince Island |
大航海物語 地図編★ |
S.TOME E.PRINCIPE アフリカ・ギニア海岸の地図 |
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南西アフリカ ギニア湾 サントメ島 |
←アフリカ 赤道ギニア領 ←ビオコ島 ←プリンシペ島 ←サントメ島 ←アンノボン島 |
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メルカトル・ホンディウス版アトラスの1610年版地図の拡大図 1492 コロンブス新大陸発見500年記念 1992 サントメプリンシペ 1991/10/12 発行 |
S.TOME E.PRINCIPE | GHANA | |||
エスコラール→ サントメ島→ |
←プリンシペ島 ←サンタレン |
南西アフリカの地図 |
←ギニア湾 ←サントメ島 ←プリンシペ島 |
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ポルトガル領サントメプリンシペ 1970/1/25 発行 | ガーナ共和国 1959 発行 |
サントメ・プリンシペ民主共和国 Democratic Republic of Sao Tome and Principe ポ:Republica Democratica de Sao Tome e Principe サントメ・プリンシペ諸島 (St.Thomas & Prince Islands) 旧称:ポルトガル領サントメ・プリンシペ (Portuguese Sao Tome and Principe) 大西洋島国々家 (Atlantic island nation) 面積:964ku(日本の東京都の約半分)、人口:約163,000人(2008)、199,910人(2016) 首都:サントメ(Sao Tome)、GDP:約3億ドル(2014) 民族:バンツー系及びポルトガル人との混血 言語:ポルトガル語、宗教:キリスト教 宗教:イスラム教(国教)他、1番切手:1869年発行。 サントメ・プリンシペはアフリカのギニア湾にある島々で、赤道ギニアとガボンの沖合に有。ギニア湾の無人島サントメ・プリンシペ諸島(英:セント・トーマス・アンド・プリンス諸島)へ、1470年にポルトガル人が上陸、ポルトガルから主にユダヤ系住民の流刑地として使われる一方、奴隷貿易の中継基地となりました。 また、1522年にポルトガルの植民地となり、初めサトウキビ、後にカカオ栽培が盛んに行われました。サトウキビ栽培のため多くの奴隷がアフリカ本土から連れてこられました。奴隷制度廃止後も、白人農園主の農園労働者に対する実質的な待遇は変わらず広範囲な不満があって、1960年に現サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党 (MLSTP・PSD) の前身であるサントメ・プリンシペ解放委員会(MLSTP)が設立され、独立運動が本格化。ポルトガルが植民地からの撤退を決めると、1974年に暫定政府が設立されました。 サントメ島とプリンシペ島は1975/7/12にポルトガルから正式に独立して、 サントメ・プリンシペ民主共和国(Democratic Republic of Sao Tome and Principe)となりました。 ・サントメ・プリンシペの略史:〜 1470/12/21、エスコラール船長がサントメ島を発見、その日が「使徒トマスの日」だったので、 それに因んでサントメ島(ポルトガル語で聖トマスの意)と名づける その時にサンタレン船長が僚船で同行していたという説も有 1493、ポルトガル王室(アヴィシュ王朝)から島の所有権を認められて、 ポルトガルのアルヴァロ・カミニャ達入植者が無人島のサントメ島に入植
1573、プリンシペ島がポルトガル王領の植民地となりポルトガルの行政機構に編入 16世紀後半、砂糖の主産地はブラジルに取って代わられる 19世紀初頭、カカオとコーヒーのプランテーション栽培が導入され、 農場主が絶大な権力を握り、奴隷を使役するプランテーション経営がなされる 1869、ポルトガが植民地切手「S.TOME E PRINCIPE」を発行 1876、ポルトガルは公式には奴隷制度を廃止したが、栽培にたずさわる労働者は依然として 実質的な奴隷制度下で、労働者の間には処遇についての慢性的な不満があった 1951、ポルトガル海外州となる、 サントメ・プリンシペ独立運動(MLSTP)がガボンとリベリアを拠点として活動 1953、現地人の暴動が勃発、バテーパの虐殺と呼ばれる事件で、アフリカ人農業労働者の ポルトガル人の支配層による大虐殺が起り、多数の現地人が殺害される 1960、サントメ・プリンシペ解放委員会(MLSTP・PSD) が設立され独立運動が本格化 1974、ポルトガル本国のカーネーション革命でヨーロッパ史上最長の独裁政権が打倒され、 その後成立した新政権は海外植民地の放棄を決定 1974、暫定政府が設立される 1975/7/12、正式独立、サントメ・プリンシペ民主共和国となり、MLSTPの マヌエル・ピント・ダ・コスタが初代大統領に就任、MLSTPの一党独裁のもと アンゴラやキューバなど旧社会主義陣営と密接な関係を持つ 1980年代、経済立て直しのため親西欧・親米に転換 1985/10、 ダ・コスタ大統領3選 1988/03、 クーデター未遂事件発生 1990/08、 国民投票で多党制移行を決定、憲法改正(複数政党制への移行) 1990/9/10、現行憲法が公布される(複数政党制) 1991/03、大統領選挙(トロヴォアダ大統領選出) 1994/10、総選挙実施 1995/4/28、プリンシペ州が自治州に昇格 1996/07、大統領選挙(トロヴォアダ大統領再選) 1998/11、国民議会議員選挙 2001/07、大統領選挙、独立民主行動 (ADI)フラディケ・デ・メネゼス大統領に就任 2002/03、国民議会選挙 2003/7/16、クーデター事件発生、政治の腐敗と石油からの収入の配分の不正などを 不満とする軍事クーデターで、協議の後にメネゼス大統領が職務に復帰 2006/03、大総選挙実施 2006/07、大統領選挙(デ・メネゼス大統領再選) 2011/07、総選挙で、初代大統領のマヌエル・ピント・ダ・コスタが勝利し、再び大統領に就任 2016/08、エバリスト・カルバリョ大統領が就任。 サントメ・プリンシペは主島のサントメ島とプリンシペ島からなり、周囲にある小島も含まれ、ガボンから250〜300km沖合に有。いずれも火山島で、最高峰はサントメ島のピコデサントメ山(2,024m)。アフリカ大陸のカメルーン山から赤道ギニアのビオコ島とアンノボン島まで含むカメルーン火山島列に属する。サントメ島は長さ50km、幅32kmで、ほぼ赤道直下にあり(北緯0度23分)、年間を通して気温・湿度共に高い。年間平均気温は27度で、32度を超えることは少ない。内陸高地では年間平均20度で、夜間は涼しい。雨季は10月から5月。年間降水量は南西部で5,000mmも有、北部では1,000mmと降水量は少ない。プリンシペ島は長さ30km、幅6kmでサントメ島よりも乾燥している。 サントメ・プリンシペは2州(Province)と、7つの県(District)に分かれる
<サントメ・プリンシペの世界遺産>〜無 サントメ・プリンシペの世界遺産条約批准は2006年で、暫定リストにも何も無。 ※石油開発について、 世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾にあることから、油田開発が有望視されています。隣国のナイジェリアにも鉱区の範囲が及ぶため権利関係のもつれを解消できず開発が遅滞するも、2003年にナイジェリアとの共同開発案がまとまり、鉱区の国際入札が行われ、シェブロン・テキサコ社が、2004年の入札では中国石油化工らが落札。既に海底油田の開発は着手され、2010年を目途に生産が開始される見込みといわれています。 ※切手について、 1970年代には切手の発行を外貨獲得の手段としており、アラブ首長国連邦の一部土侯国などと同様に自国とは関係のない記念切手(土侯国切手)を乱発し、切手商を通じ収集家に販売していました。世界的に権威のあるアメリカのスコットカタログで「一部は政府が発行したものではない可能性がある」と注意書きのある切手もあり、国外のエージェントと組んで乱発していたことが伺えます。2010年代に入っても切手の発行件数は多く、2014年は小型シート約200種(単片ベースで約500種)を発行していました。また、違法切手(illegal stamps)と呼ばれる、実際にはサントメ・プリンシペが発行していないにもかかわらず同国国名を冠した偽物の切手が市場に出回っているといわれています。 参考HP:〜 ・サントメ・プリンシペの地図 ・サントメ・プリンシペの県別区分地図 ・ギニア湾の地図
1719年、海賊ブラック・バート船長がプリンシペ島を襲撃・略奪しました。 プリンシペ諸島は火山島で、 総面積:142ku、ピコ・デ・プリンシペ山(942m)がプリンシペ島の最高峰 プリンシペ島の面積は136Ku、人口:7,324人 (2012) 中心地及びプリンシペ州都とパグエ県の県都はサン・アントニオ プリンシペ島ではカカオのプランテーションが盛ん。 プリンシペ島の沖合いに無人島の ・ペドロ・ダ・ガレ島 (Islet Pedra da Gale) ・ボンボン島 (Islet Bom Bom)、プリンシペ島北部ボンボン村北海岸の北沖に有 ・モンステイロス島 (Islet Mosteiros) ・カロス島 (Islet Caroco、0.4ku、305m)、プリンシペ島の南東沖に有 別名:ジョケリの帽子(ポ語:Bone do Joqueri) ・ペドラス・ティンボラス諸島 (Pedras Tinhosas Islands) ・ティホサ・ベケラ島 (Islet Tinhosa Pequena、0.03ku、64m) ・ティホサ・グランデ島 (Islet Tinhosa Grande)、ティホサ・ベケラ島の南約20kmに有 など有(プリンシペ州パグエ県)。 参考HP:〜 ・プリンシペ島の地図 ・サントメ島 Sao Tome Island
1471年、アルヴァロ・エステヴェス船長がエスコラール船長に随伴航海して寄航。 1493年、ポルトガル人アルヴァロ・カミニャ達入植者が無人島だったサントメ島に入植。ポルトガ ル人はアフリカ大陸から奴隷を購入し、砂糖やカカオの農場で働かせました。 奴隷制度は19世紀に廃止されました。サントメ島の土地はとても肥沃なので、カカオやコーヒー、コプラなどの他に穀物栽培が行われています。サントメ島は、火山島で、48kmx32kmの円形島、面積:854ku(淡路島は855.26ku)、人口:約157,000人(2009)、171,856人 (2011)。ピコ・デ・サントメ山(2,024m)がサントメ島の最高峰。サントメ国際空港とポルトアレグレ空港と2ヵ所の空港があり、サントメ・プリンシペ民主共和国の首都サントメがあります。 サントメ島の沖合いに無人島の ・ロラス島 (Islet Rolas:Ilheu das Rolas、3ku)、カウエ県、常住人口約200人、赤道直下 ・カブラス島 (Islet Cabras:Ilheu das Cabras、0,25ku)、サントメ県空港の北約3km ・ガバド島 (Islet Gabado:Ilheu Gabado、?ku)、カウエ県南西に有 ・キジバ島 (Islet Quixiba:Ilheu Quixiba、?ku)、カウエ県南東に有 など有(サントメ州)。 参考HP:〜 ・サントメ島の地図 こちらで ・「ポルトラノ」古海図切手 ・スパイス (香辛料) ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/7/15、11/5/5、2017/2/25, 2019/1/25 |