United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.5
トリスタン・ダ・クーニャ島グループ
Tristan da Cunha Island Group
, British Overseas Territories

大航海物語
  地図編

TRISTAN da CUNHA
トリスタン・ダ・クーニャ島グループの島々の鳥瞰図


トリスタン・ダ・
クーニャ島→




ゴフ島→


←イナクセシブル島


←ストルテンホフ島
←ミドル島
←ナイチンゲール島
図案は17世紀の古図
トリスタンダクーニャ 1983/8/1 発行

南大西洋の
トリスタン・ダ・クーニャ島グループ
の場所地図


トリスタンダクーニャ 1983/8/1 発行

トリスタン・ダ・クーニャ島グループ トリスタンダクーニャ島
イナクセシブル



トリスタンダクーニャ島



ストルテンホフ島
ミドル島
ナイチンゲール島


ゴフ島

ブーベ島
トリスタンダクーニャ  1980/12/15 発行

トリスタン・ダ・クーニャ島グループの島々
トリスタン・ダ・クーニャ島 イナクセシブル島 ナイチンゲール島
ミドル島 ストルテンホフ島
トリスタンダクーニャ 2007/1/22 発行
ゴフ島

トリスタン・ダ・クーニャ島グループ
 Tristan da Cunha Island Group

トリスタン・ダ・クーニャは南大西洋に浮かぶ絶海の孤島で、南緯37度6分、西経12度18分に有。イギリスの海外領土で、行政区域はセントヘレナ総督府に属しています。同島からは南下して約2,000kmも離れていて、「人が住んでいる世界一孤立している島」(the most isolated inhabited island in the world)としてギネスブックに登録されています。
▼そのグループの島々は:〜
・トリスタン・ダ・クーニャ島(主島、Tristan da Cunha Island、210ku)
・主島の35km南西付近にある
 ナイチンゲール諸島(Nightingale Islands、2.0ku)
  ・ストルテンホフ島(Stoltenhoff Island、0.10ku)
  ・ミドル島(Middle Island、0.10ku)
  ・ナイチンゲール島(Nightingale Island、1.80ku)
・主島の35km南西付近にある
 イナクセシブル島(Inaccessible Island、14ku)
・主島の350km南東付近にある
  ゴフ島(Gough Island、65ku)
グル|プの島
・切手の説明:〜
トリスタン・ダ・クーニャ島グループは大西洋中央海嶺上にある火山島で、セントヘレナ島と同じくイギリス領、独自の切手が発行されています。同グループは主島のトリスタン・ダ・クーニャ島以外に小さい2つの島を含めて6島からなっていますが、それらの内5つの島が経緯線とともに右の切手に描かれています。

大西洋中央海嶺
大西洋中央海嶺スバールバル諸島の西の北極海からアイスランド島を経て大西洋のほぼ中央を南北に走り、トリスタンダクーニャグ島ループ付近を通り、さらにアフリカ大陸と南極大陸の間を東西に走り、インド洋・レユニオン島の南東まで続く世界最大規模の海嶺で、総延長はおよそ1万8,000km。

こちらで
ナイチンゲール諸島
  ・ストルテンホフ島
  ・ミドル島
  ・ナイチンゲール島
イナクセシブル島
ゴフ島
をお楽しみください。

参考HP:〜
 トリスタンダクーニャの大西洋上の場所
 トリスタンダクーニャ島グループの地図
 ゴフ島の場所地図
 トリスタン・ダ・クーニャ政府公式HP     09/2/26、13/12/25






トリスタン・ダ・クーニャ島
Tristan da Cunha Island


トリスタン・ダ・クーニャ島

トリスタンダクーニャ 2007/1/22 発行
トリスタン・ダ・クーニャ島グループの島々

トリスタン・ダ・
クーニャ島→


←イナクセシブル島


ストルテンホフ島
ミドル島
ナイチンゲール島
図案は17世紀の古地図
トリスタンダクーニャ 1983/8/1 発行

トリスタン・ダ・クーニャ島
   Tristan da Cunha Island、 37° 06' S, 12° 18' W

1853年ファルマス湾の居住地とヘラルドポイント
1853年ファルマス湾の居住地とヘラルドポイントの地図
トリスタンダクーニャ 1981/5/22 発行

面積:210ku、人口:約271人(2004)、通貨:イギリス・ポンドとセントヘレナ・ポンド、面積は伊豆大島(91ku)とほぼ同じ。南緯37度6分、西経12度18分に有、最高峰2060mの円錐形の島。南大西洋のイギリス領セントヘレナ総督府に属するトリスタン・ダ・クーニャ島グループにある島。
1番切手:1952/1/1セントヘレナ1938-49切手に加刷で発行
1506 ポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャが発見
1652 オランダ船イナクセシブル号(t'Nachtglas)が発見、イナクセシブル島命名
1696 オランダのウィレム・デ・フラミングが西オーストラリア探検で寄航
1767 フランス・フリゲート艦”L'Heure du Berger”が最初の調査
海岸線、大滝(Big Watron)、北部海岸近くの湖を調査
1781 その調査結果をイギリス海軍の水路部が発表
1810 アメリカ・マサチューセッツ州セーラム市のジョナサン・ランバート(Jonathan Lambert)が到着、最初の定住、島の所有を宣言、島名をリフレッシュ島(Islands of Refreshment)と名付けた
1812 彼がボートでの事故で亡くなり終了。彼がゾウアザラシの油を付近を航行する船舶に売って儲けた金が隠されているといわれている
1816 セント・ヘレナ島のナポレオンの監視のためイギリス海軍が占領
1817 イギリス駐留隊が島から撤退後、ウィリアム・グラスが彼の家族と共に島に残り総督となる
1938 セント・ヘレナ総督府に編入 クイーン・メアリ・ピーク噴火

トリスタンダクーニャ 1961 発行
1961 クイーン・メアリ・ピーク火山の噴火で、当時の数百人の住民がイギリス本土に避難、現在はほとんどが帰還
・島の経済:〜
現在、島では自給自足が可能ですが、生活必需品などを搭載した連絡船が3〜4ヵ月に一度、寄港しています。空港はなく、小さな漁港が有。この島の主な外貨収入源は収集家のための切手発行で、そのため万国郵便連合がトリスタン・ダ・クーニャに特別な割り当てを行っています。その他の収入源としては「ロブスター漁」があり、日本とアメリカ合衆国へ輸出しています。

参考HP:〜
 トリスタンダクーニャ島の地図                09/2/26、13/12/25






ナイチンゲール諸島
Nightingale Islands

トリスタン・ダ・クーニャ島グループの島々

トリスタン・ダ・
クーニャ島→


←イナクセシブル島


ストルテンホフ島
ミドル島
ナイチンゲール島
図案は17世紀の古地図
トリスタンダクーニャ 1983/8/1 発行

ストルテンホフ島
ミドル島
ナイチンゲール島
トリスタンダクーニャ 2007/1/22 発行

ナイチンゲール諸島
 Nightingale Islands

ストルテンホフ島
  Stoltenhoff Island

トリスタンダクーニャ島から南西34Kmに有る小島で、ナイチンゲール島付近にあるミドル島と共に3島でナイチンゲール諸島を結成。面積0.10Kuほどの小さな無人島。島は火山性の粗面岩からなる険しい崖に囲まれ最高地点は99m。島の名は1871年にストルテンホフ島から35Kmに有るイナクセシブル島アザラシ狩りで、置き去りにされたドイツのガスタフ・ストルテンホフ(Gustav Stoltenhoff)とフリードリッヒ(Friedrich)兄弟の名に因み、彼らが1871年から1873年まで植民を試みました。
ストルテンホフ島

トリスタンダクーニャ1987発行
ガスタフ
・ス
トルテンホフ

ミドル島
  Middle Island

ナイチンゲール島のすぐ北海岸に有る小島で、ナイチンゲール島とストルテンホフ島の間にある。面積0.10Kuの火山性の無人島で、険しい断崖絶壁が多く岩肌が剥き出した島、最高地点は45m。

ナイチンゲール島
  Nightingale Island
イナクセシブル島から南の方にあり、島は面積1.8kuほどの小さな無人の火山島で、最高峰は561m。島の周囲は断崖絶壁に取り囲まれており、島に上陸するのは難しい。1506年にポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャがイナクセシブル島と共に発見しました。



ナイチンゲ|ル諸島

参考HP:〜
 トリスタンダクーニャ島グループの地図(グループ内ナイチンゲール諸島の場所地図)
 トリスタンダクーニャ島グループの地図               09/2/26、13/12/25






イナクセシブル島
Inaccessible Island


トリスタン・ダ・クーニャ島グループの島々

トリスタン・ダ・
クーニャ島→


イナクセシブル島


←ストルテンホフ島
←ミドル島
←ナイチンゲール島
図案は17世紀の古地図
トリスタンダクーニャ 1983/8/1 発行
イナクセシブル島

トリスタンダクーニャ 2007/1/22 発行

イナクセシブル島
  Inaccessible Island

その名は「近寄りがたい島」を意味し、トリスタン・ダ・クーニャ島から南西32Kmにある面積:14kuの火山島で、2004年ユネスコ世界遺産に登録されていた近隣のゴフ島を拡大登録して、自然遺産に加えられました。
1506、ポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャナイチンゲール島と共に発見
1652、オランダ船ナチェットグラス号(t'Nachtglas)が発見、
   なかなか近付けなかったので接近不可の島「イナクセシブル」と命名
1817、ウィリアム・グラスが家畜の山羊や豚をこの島に導入
1821、7/22イギリス商船ブレデンハルワズ号(Blenden Hallwas)が座礁・遭難
1871、10月にドイツのストルテンホフ兄弟がプロイセンの軍隊からのがれ、
   アメリカ捕鯨船に乗船して到着。捕鯨船の命で3ヵ月間、アザラシ狩りを
   するため島に残され、3ヵ月過ぎても捕鯨船は戻らず
   兄弟は山羊や豚を食料にして生活
1873、イギリス海軍チャレンジャー6世号(H.M.S.Challenger Y)が来島
   ストルテンホフ兄弟を救助、兄弟は島を去る
1922、シャックルトンが最後の南極探検でのクエスト号(Quest)で寄港、
   植物学者のウィルキンスが上陸して
   ウィルキンス・ホオジロ(Wilkins's Finch)を発見
1938、ノルウェーの科学探険隊が3週間の調査で、島の植物や鳥および石の
   広汎な標本を作成収集
イナ
クセシブル島
1962、トリスタン・ダ・クーニャの会社が島の地図作成で島に科学者を上陸させ
   探検するも上陸できず、船からの調査は雲で失敗
1982、10/25にイギリスのデンストン大学の教授と男子学生が島に上陸、
   正確な科学的調査を実施し、詳しい地図作成、植物や動物群や地質学
   調査も実施、翌年2/9に離島

ブレデン・ハル号(Blenden Hall 450t)の遭難
イギリス東インド会社のチャーター船ブレデン・ハル号が84人の乗船者を乗せて、1821/5/6にイギリスのケント州グレーヴセンド(Gravesnd)を出帆。ビスケー湾(Biscay)を順調に航海し、赤道を越えた付近で凪になり、潮の流れで南米方向へ流されました。セントヘレナ島を過ぎて南の西風を捉える必要がありましたが、反対の流れでトリスタン・ダ・クーニャ諸島へ流されて、1821/7/22AM10時頃に霧の中を「アクセス不可の島」と名付けられた”イナクセシブル島”で座礁しました。乗船者の2人が犠牲となりましたが、残りは好運にも海岸へ流れつき、野生のセロリや、アザラシ、ペンギンアホウ鳥を捕えて食料にして生き延び、数隻のボートを造り、トリスタン・ダ・クーニャ島へ渡りました。最初に出発した6人は亡くなりましたが、それ以外は1821/11/10にトリスタン・ダ・クーニャ島へ渡ることができ、グラス総督に救助されました。その後、彼らのほとんどはブリッグ型帆船ネリナ号(Nerinae)で、ケープタウンへ連れて行ってもらい救助されました。
ブレデンハル号の生存者
トリスタンダクーニャ1987発行
ゾウアザラシを食糧とする

参考HP:〜
 イナクセシブル島の地図

こちらで
世界遺産
ピラミッドエジプト
パルテノン神殿ギリシャ
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。         09/2/26、13/12/25, 2021/9/3
この島の大西洋中央海嶺上の場所はこちらでお楽しみください。
こちらで英領トリスタンダクーニャ島をお楽しみください。
この島の大西洋上の場所はこちらでお楽しみください。
こちらでイワトビペンギンをお楽しみください。
こちらでポルトラノ古地図切手をお楽しみください。
ブーベ島(ノールウェー領)はこちらでお楽しみください。
スタンプ・メイツ
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