Madagascar 国連 1980 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.103 マダガスカル共和国 Republic of Madagascar |
大航海物語 地図編★ |
MADAGASCAR マダガスカル島の地図 フランス・ヴィシー政府発行 マダガスカル島での発売は無し マダガスカル 1942-44 発行 |
REPUBLIQUE MALAGACHE 国旗と地図 共和国宣言記念 マダガスカル 1959/2/28 発行 |
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JERSEY マダガスカル島の場所地図 |
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マダガス↑カル島 |
アフリカの子供 |
1946 UNICEF 50年記念 1996 ユニセフ子供基金 ジャージィー 1996/2/19 発行 (画:200%) |
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REPOBLIKA MALAGASY ノシ・ベ島 マダガスカル 1962/5/7 発行 |
REPUBLIQUE MALAGASY マダガスカル島の地図 |
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コモロ諸島 マヨット諸島 ノシ・ベ島 マハジャンガ ムルンタバ トリアラ |
アンツィラナナ セントメリー島 トアマシナ マナンジャリ マナカラ トラナロ アンブブンベ |
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マダガスカル 1960/3/25 発行 |
MADAGASCAR |
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ベティミスサラカ族の母子 Betsimisaraka マダガスカル 1946 発行 |
長尾グラウンド・ローラー Long-tailed Ground Roller マダガスカル 1954 発行 |
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REPUBLIQUE MALAGASY こびとキツネザル Greator Dwarf Lemur マダガスカル 1973/10/9 発行 |
REPOBLIKA MALAGASY キツネザル Ruffed lemur マダガスカル 1961/12/9 発行 |
MADAGASCAR |
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インド洋側のタマタヴ港(トアマシナ) Tamatav(Toamasina) マダガスカル 1946 発行 |
バオバブの木 Pachypodes マダガスカル 1954/9/20 発行 |
マダガスカル共和国 Republic of Madagascar 旧称:フランス領マダガスカル (英:French Madagascar (仏:Republique de Madagascar), 1896-1960) 面積:587,041ku(日本の1.6倍)、人口:1,967万人(2007)、2,190万人(2012) 首都:アンタナナリボ(人口150万人2008)、GDP:約375億ドル(2016) 民族:アフリカ大陸系、マレー系、部族:約18(メリナ、ベチレオ他) 言語:マダガスカル語、フランス語(共に公用語、2007年4月の憲法改正で英語も公用語となる) 宗教:キリスト教41%、伝統宗教52%、イスラム教7%)、1番切手:1889年発行。 マダガスカル島の広さはグリーンランド島、ニューギニア島、ボルネオ島に次ぎ、世界第4位。島は南北方向に長く約1,570km、最大幅約580km。一番近い大陸のアフリカ大陸まではモザンビーク海峡で隔てられており、その距離は約400km。首都はアンタナナリヴ(Antananarivo:タナナリヴ(Tananarive)、通称タナ)。国名の由来はマルコ・ポーロの「東方見聞録」の中のマディガスカルという記述からで、1958年から1975年まではマダガスカル人やマダガスカル語を意味するマラガシ共和国(仏:Republique Malgache、英:Malagasy Republic)を正式名称としていた。 ・マダガスカル略史:〜 5世紀頃、ボルネオ島からマレー系の言語を話す人々が到来、マダガスカル人の祖先となる 12世紀頃、イスラム教徒が海岸部で交易 1500年、ポルトガルのディオゴ・ディアス船長(Diogo Dias)がマダガスカル島を発見 1543年、ポルトガルのディエゴ・ソアレス(Diogo Soares)が来島 1643年、フランスが島東南部にドーファン要塞 (Fort Dauphin) を建設 1720年、海賊イングランド船長がモーリシャス島から小舟で脱出して渡ってくる 18世紀末〜19世紀初頭、メリナ王朝(Merina Kingdom, 1540-1896)が繁栄 1840年、ピエール・パソット艦長がフランス艦コリブリ号(Colibri)でノシ・ベ島に寄航 1841年、レユニオン総督ルイ・ドゥ・エルがノシ・ベ島をフランス保護領とする条約に調印 1885/12/17、メリナ王国の女王ラナバロナ3世がノッシ・ベ島、セントメリー島とともに、 アンツィラナナとその周辺部をフランスの保護領とする条約に調印 1890年、イギリスがフランスの保護領化を承認 1896年、マダガスカル全域がフランスのマダガスカル植民地となる メリナ王国滅亡、フランス植民地成立 1905年、日露戦争のとき日本に向かうバルチック艦隊がアンツィラナナに停泊・補給 1940年、マダガスカル植民地政府、ヴィシー政権を支持 1941/12/8、太平洋戦争が勃発 1942/4/05、大日本帝国海軍航空部隊がセイロン島コロンボを空襲 1942/5/05、大日本帝国の攻撃でインド方面から撤退してきたイギリス軍が ディエゴ・スアレス西のクーリエ(Courrier)湾&アンバララタ湾へ上陸 マダガスカルの戦い(アイアンクラッド作戦:Operation Ironclad)勃発 ヴィシー政権フランスvsイギリス連合軍(英、南ローデシア、南アフリカ連邦) 1942/5/07、ディエゴ・スアレスは降伏、ヴィシー・フランス軍の主力は南へ後退 1942/5/29、大日本帝国海軍特殊潜航艇が島の北端のディエゴ・ソアレス港の英艦を攻撃 1942/11/6、イギリス連合軍がマダガスカル全島を制圧 1943年、自由フランス(ヴィシー政権)の支配が認められる 1945年、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結) 1947年、対仏反乱( - 48年)で、犠牲者数約8万人 1958年10月、共和国宣言、フランス共同体内の自治領マルガシュ共和国となる 1960年06月、フランスより完全独立、チラナナ大統領就任(第1共和制) 1972年05月、ラマナンツォア政権誕生 1973年、マダガスカルに社会主義革命が起こる 1973年05月、フラン圏離脱 1975年06月、ラチラカ政権誕生で社会主義政策採用宣言、マダガスカル民主共和国に改称 1975年12月、新憲法採択(第2共和制) 1976年01月、ラチラカ大統領就任 1992年08月、新憲法採択、国名をマダガスカル共和国に変更(第3共和制) 1993年02月、大統領選挙、ザフィ国家最高機関議長当選 1993年03月、ザフィ大統領就任 1996年09月、憲法最高裁判所、ザフィー大統領弾劾を決定 1996年11月、大統領選挙第1回投票 1996年12月、大統領選挙第2回投票 1997年02月、ラチラカ大統領就任 2001年05月、上院開設 2001年12月、大統領選挙、得票結果を巡り政情危機 2002年05月、ラヴァルマナナ大統領就任 2002年12月、国民議会選挙 2003年07月、AU(アフリカ連合)首脳サミットでAU復帰を承認される 2006年12月、大統領選挙 2007年01月、ラヴァルマナナ大統領就任(再任) 2009年03月、反政府勢力が、軍の支持を受け、ラヴァルマナナ大統領を辞任させ、 憲法に則らない形で「暫定政府」発足 2010年12月、憲法改正(第4共和制) 2013年10月〜12月、大統領選挙、ラジャオナリマンピアニナ大統領選出、国民議会選挙 2014年01月、ラジャオナリマンピアニナが大統領就任 2015年12月、上院議員選挙。 マダガスカルは6つの州に区分され、さらに22の地区に分けられる。2007年の国民投票の結果で州が解体されることから、将来は地区が最も大きな地域区分となる予定なるも、2015年から、6州(Provinces)、24県(Prefectures)、117郡(Districts)の区分となる。(※人口:2004) 。
・ノシ・ハラ島 (Nosy Hara)、アンツィラナナ州 ノシ・ハラ島はマダガスカル沿岸の北東端にある石灰岩の小島(島嶼:Islet)で、2003-2007年調査間にて捕獲された絶滅危惧種ミクロヒメカメレオンが生息。 ・ベラフィア島 (Nosy Berafia)、マハジャンガ州、ハサナリー家(Hassanaly)所有 ベラフィア島はマダガスカル島北端部のすぐ西にある小さな島、面積25ku。 ・ラダマ諸島(Radama Archipelago)〜4島、マハジャンガ州 ・ノシ・カラカジョロ島(Nosy Kalakajoro)、ベラフィア島北隣の小島 ・ノシーオービー島(Nosy Ovy) ・ノシーアンタニーモーラ島(Nosy Antany Mora) ・ノシ・ヴァリハ島(Nosy Valiha) 標高47mの保護された群島は、2007年にラダマサハマラザ諸島国立公園となる。 ・マンガブ島 (Nosy Mangabe)、面積5.2ku、トゥアマシナ州 マンガブ島はマダガスカル北東にある大きなアントンギラ湾(Antongil Bay)の中にある島。 ・サント・マリー島付近の島:〜 ・サント・マリー島(Ile Sainte-Marie)、トゥアマシナ州 東海岸のサント・マリー島の中心地はアンボディフォトトラ(Ambodifotora)で、 西海岸のノシ・ベに次ぐマダガスカルの大リゾート地 海賊キャプテン・キッドの根拠地島。 ・ナット島(Ile aux Nattes)、サント・マリー島の直ぐ南に有 ・イルオックスフォバン島(Ile aux Forbans) ・ノシ・ベ島付近の島:〜ノシ・ベからの日帰り観光地(アンツィラナナ州) ・ノシ・タニケリ島 (Nosy ) ・ノシ・コンバ島 (Nosy Komba)、面積約27.9ku、絶滅危惧種クロキツネザル生息 ・ノシ・サカティア島 (Nosy Sakatia)、約300人、長さ約6km:幅約2km ・ノシ・ミツィウ島 (Nosy Mitsio)、1,500〜2,000人で漁村が点在 ・ノシ・イランジャ (Nosy ) など。 紛争地域:〜 @マヨット島に主権を主張しているも、現在はフランス領。 Aフアン・デ・ノヴァ島 (Ile Juan de Nova) フアン・デ・ノヴァ島はモザンビーク海峡にあるフランス領インド洋無人島群の島。面積 4.4 ku。マダガスカル共和国も領有権を主張している。1501年にジョアン・ダ・ノーヴァ船長が率いるポルトガル艦隊が発見、船長の名から命名され、1897年にフランス領となる。 Bグロリオソ諸島 (Iles Glorieuses) グロリオソ諸島はインド洋のマダガスカル島北西にある島々。面積5ku。1892年にフランス領となるも、マダガスカル共和国も領有権を主張している。 Cユローパ島 (Ile Europa) ユローパ島はモザンビーク海峡南部にあるフランス領の無人島。面積は28 ku。 フランス軍の気象観測所がある。また、港湾などはないが、長さ1,000mにわたる未舗装の滑走路が設置されている。マングローブをはじめとする植生に覆われており、野生生物が多い。1897年以降、フランス領となっているも、マダガスカル共和国も独立以降領有を主張している。 <マダガスカルのユネスコ世界遺産>:〜3件 ・アンブヒマンガの丘の王領地〜2001年、文化遺産 (Royal Hill of Ambohimanga) ・ツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区〜1990年、自然遺産 (Tsingy de Bemaraha Strict Nature Reserve) ・アツィナナナの雨林〜2007年、自然遺産 (Rainforests of the Atsinanana)、東部6つの国立公園 ・アンドハヘラ国立公園 (Parc national d'Andohahela) ・アンドリンギトラ国立公園 (Parc national d'Andringitra) ・マロジェジ国立公園 (Parc national de Marojejy) ・マソアラ国立公園 (Parc national de Masoala) ・ラノマファナ国立公園 (Parc national de Ranomafana) ・ザハメン国立公園 (Parc national de Zahamen)。 マダガスカル島に住む哺乳類は極めてユニークである。霊長類では真猿類は存在せず、原猿類のみが生息している。マダガスカル島に生息している原猿類は世界最小の霊長類であるコビトキツネザル、インドリ、シファカ、キツネザルなどで、全原猿類のうち3/4がマダガスカル固有種といわれるほどである。他には、テンレック類、マングース類なども生息している。 ・ミクロヒメカメレオン (学名:Brookesia micra) ミクロヒメカメレオンは、ヒメカメレオン属に分類されるカメレオンの一種で、マダガスカル沿岸のノシ・ハラ島に生息する。2012年2月現在世界最小の爬虫類とされている。その大きさはマッチの先に乗る程度の大きさで、成長しても体長は29ミリメートルほどにしかならない。バイエルン州立動物学博物館(Bavarian State Collection of Zoology)のフランク・グロー(Frank Glaw)調査隊が、マダガスカルの森を8年間探査して発見。本種は2007年のグローらの論文中でノシ・ハラ島産ヒメカメレオン属の一種(Brookesia sp. "Nosy Hara")ミクロヒメカメレオンとして言及されていた。 ・ドーファン要塞 (トラナロ市(トラニャロ市)に有) 別名フォール・ドーファン(Fort Dauphin, 1643-1674) ドーファン要塞は、フォール・ドーファンの地にフランス東インド会社が1643年に砦を築き植民を開始した。砦は当時のルイ13世皇太子(後のルイ14世, 在位1643-1715 )にちなんでフォール・ドーファン(皇太子の砦)と名づけられた。砦は本国からの支援をある程度受け、100人程度の植民者も送り込まれたものの、現地政治の対立や疫病に苦しめられ、最終的に現地人アンタヌシ人(Antanosy people)の攻撃で、1674年に撤退を余儀なくされた。現在はマダガスカル南部にあるトゥリアラ州のインド洋に面する港町で、トラニャロ(Tolanaro、46,000人)と改名された南部の中心都市のひとつで、特に街から車で、2〜3時間ほど西のベレンティー私設自然保護区(Berenty Private Reserve)の玄関口となっているため、多くの観光客が訪れる。
参考HP:〜 ・マダガスカルの州区分図 ・マダガスカル島の地図(日本語) ・マダガスカル島付近の地図(Google map、日本語) ・アンブヒマンガの丘の王領地の場所地図(日本語、世界遺産) ・ツィンギ・デ・ベマラの場所地図(日本語、世界遺産) こちらで ・スパイス (香辛料) ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/1/15、2019/1/30 |