Mali

国連 1980 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.33
マリ共和国
Republique du Mali

大航海物語
  地図編

REPUBLIQUE DU MALI
マリの場所地図とUPUエンブレム

11th Aniversarie de L.A.C.A.P.T.E.A.D.
マリ連邦 1970/2/23 発行
1969 西アフリカ郵便連合11周年記念 1970
11th Annvrsary West African Postal Union

Federation du Mali
マリ連邦の旗とマリ連邦の地図

マリ連邦 1959/11/7 発行
UGANDA
ルネ
・カイ
トンブクトゥ寺院
ウガンダ 1990/11/15 発行

1959/1/17にフランス・スーダンとセネガル共和国がマリ連邦(Federation of Mali)を結成するも、1960/1/20に連邦が崩壊、セネガルとマリに分裂。上の切手の地図左上には、英・タンジール、モロッコ、フランス・モロッコ、スペイン・モロッコを含むモロッコ地域の線引きが有、その下の外枠がフランス領アフリカの地域で、中の小枠で囲まれているのはイギリス領だったシェラレオーネガーナナイジェリアで、赤い所がマリ連邦を示している。

Republique du Mali
バマコ市街の遠望

マリ 1961 発行

  マリの被害地 害虫対策 アフリカの地図
ニジ
ェ|ル河の沿岸
サブクトビバッタ

バッタ駆除農薬の空中散布
マリ 1964/6/14 発行

Afrique Occidentale Francaise
バマコのマリ美術博物館

マリ 1961/12/24 発行
バマコの現地人少女

フランス西アフリカ 1947 発行
ジェンネの泥のモスク

フランス西アフリカ 1947 発行

  Repablique de Guinee
マリ()の場所地図





モーリタニア(
)→
セネガル
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マ リ
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ギニア
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マダガスカル
セネガル川開発機構 (OERS) 会議記念
(セネガル川に接する4国の代表者会議)

ギニア1970/2/3 発行 (200%)



パリ












ダカール
REPUBLIQUE du MALI
パリ・ダカール・ラリーのルート地図

マリ 1983 発行

マリ共和国
 Republic of Mali

 面積:124万ku(日本の約3.3倍)、人口:1,270万人(2008)、1,630万人(2012)
 首都:バマコ(人口:約138万人、2007)、GDP:443.29億ドル(2018)
 民族:バンバラ族、プル族、マリンケ族、トゥアレグ族など23以上、
 言語:フランス語(公用語)、バンバラ語など
 宗教:イスラム教80%、伝統的宗教、キリスト教など
 1番切手:1959/11/7発行。

国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部で、残りの中南部も中心を流れるニジェール河沿岸だけが農耕地となっている他は乾燥地帯。植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていて独立して、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられ、現在のマリという国名となった。マリとはバンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの像が有。

1076年まで、ガーナ王国(8世紀頃〜11世紀、8世紀以前の歴史は不明)があった
1240〜1645年、北アフリカとのサハラ交易で繁栄した王都ニアニのマリ帝国が興隆
カバ(河馬)
1312頃、マリ帝国(1230年代-1645)の王に マンサ・ムーサが即位
1352頃、イブン・バットゥータが来訪し、その繁栄ぶりを母国モロッコに伝えた
1464〜1590年、マリ帝国は東部のガオ(Gao, Gao Region)に都を置いた
      ソンガイ帝国(Songhay、1464-1590)の属国となり
      ソンガイ帝国にはニジェール川上流域が豊富な金の産地であったので
      ムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた
1458年、ポルトガルのディオゴ・ゴメス船長ガンビア河からトンブクトゥと交易
1591年、ソンガイ帝国がモロッコのサアド朝に滅ぼされると、大西洋での三角貿易
      や奴隷貿易の影響で、内陸部のサハラ交易のルートが衰退しして以後、
      この地に大帝国は興隆せず
1797年、イギリスムンゴ・パークがガンビア河からニジェール河を探検航海
1828年、ルネ・カイエがトンブクトゥに到着
マンサ・ムーサ王

グレナダ領 2000 発行
1848年、エルハジ・ウマール(El Hadj Umar Tall 1797-1864)が
      トゥクロール帝国(Toucouleur Empire, 1848-1898)を建国
1904年、フランスが征服、フランス領スーダンとなる
1920年、フランス植民地、フランス領西アフリカとなる
1959/1/17、フランス・スーダンとセネガル共和国がマリ連邦を結成、フランスから独立
1960/1/20、連邦が崩壊、セネガルとマリに分裂
1960年、マリ共和国としてフランスより独立
1960/6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立
1960/8月、セネガルが連邦から離脱したため、
1960/9月、マリ共和国と国名を改め、モーディッボ・ケイタ大統領が社会主義政策を推進
1968年、ムーサ・トラオレ中尉のクーデタ発生、長い軍事独裁体制の時期に入る
1969年、トラオレ軍事政権成立
1979年、トラオレ大統領就任
1991年、クーデターにより民主化運動が成功、トゥーレ暫定政権成立、暫定政府が発足
1992年1月、新憲法成立
1992年4月、大統領選挙、コナレ大統領選出
1992年、憲法を制定し、大統領選挙が行われる
      北部ではトゥアレグ族が過激な分離闘争を繰り返した
1996年、武装解除が行われた後、内政は安定
1997年5月、コナレ大統領再選
2002年5月、大統領選挙、トゥーレ大統領選出
2007年4月・5月、大統領選挙、トゥーレ大統領再選
2012年3月、一部国軍による騒乱発生
2012年4月、トゥーレ大統領辞任、トラオレ国民議会議長が暫定大統領に就任
2013年7月・8月、大統領選挙、ケイタ大統領選出
2013年11月・12月、国民議会選挙。

8州(Region)とバマコ特別区に分かれている。
1.ガオ州 (Gao)〜州都はガオ(Gao)
2.カイ州 (Kayes)〜カイ(Kayes)、1892年にカイはフランス領スーダンの首府となる
3.キダル州 (Kidal)〜キダル(Kidal)
4.クリコロ州 (Koulikoro)〜クリコロ (Koulikoro)、首都バマコ(2006の人口:169万人)有
5.シカソ州 (Sikasso)〜シカソ (Sikasso)
6.セグー州 (Segou)〜セグー (Segou)
7.トンブクトゥ州 (Tombouctou)〜トンブクトゥ(Tombuktu)
8.モプティ州 (Mopti)〜モプティ (Mopti)、ジェンネ(Djenne)有
9.バマコ特別区(Bamako)〜1908年にバマコはフランス領スーダンの首府となる
    1960年都市の人口は16万人、2006年の人口は169万人

・ダカール・ニジェール鉄道
 (Chemin de fer du Dakar-Niger)
 (Dakar-Niger Railway)
鉄道は西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線、全長1287kmで、1925年開通のダカールとクリコロ所要時間は29時間、バマコ、カイを経由(ニジェールへは行ってない)。

マリの世界遺産:〜
トンブクトゥ、(サンコレ・モスク、サンコレのメデルサ、1988年、文化遺産)
・バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)、(1989年、複合遺産)
・アスキアの墓、(2004年、文化遺産)
ジェンネ、旧市街、(1988年、文化遺産) 。

・バマコ
 (Bamako)
マリの首都バマコは同国の南西部で、ニジェール川の河岸に有。年間を通じ最高気温は30度C以上で、3月から5月は平均39度Cに達する。雨季は6月から9月で月間200mmを超える。12月から3月は雨が全く降らない。この都市には、旧石器時代から居住の痕跡が見られる。マリ帝国の時代においては、重要な交易都市であり、イスラム文化の拠点の一つであるも、19世紀になる頃には衰退していた。1883年に、この地域はフランス軍が占領し
バマコ市街の遠望
1908年にはバマコはフランス領スーダンの首都となった。1960年には、都市の人口は16万人であるも、その後に人口は急速に増大して、2009年の人口は約180.9万人。

・パリ・ダカール・ラリー
 (Paris-Dakar Rally、1978〜)
パリダカール・ラリーはフランス人冒険家ティエリー・サビーヌ(Thierry Sabine、1949-1986)の発案で、1978年から例年1月に開催されているラリーレイド競技大会である。アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O.) が主催。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。元々はフランスパリを出発点、セネガルのダカールを終着点として主にアフリカ大陸で競技が行われ、パリ・ダカール・ラリー(Paris-Dakar Rally、日本での略称「パリダカ」)と呼ばれていた。2009年からは南米大陸に開催地を移し、2020年からはサウジアラビアでの開催となる。大会の公式語はフランス語であり、フランス
世界一過酷なモータースポーツ競技

マリ 1983 発行
語では一般に「ラリー・ダカール(Rallye Dakar)」と呼び、さらに短縮して「ル・ダカール(Le Dakar)」と呼ぶこともある。日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い競技。

参考HP:〜
マリの地図
 マリの州区分地図
マリの場所地図 (Googlw Map)
マリ帝国の地図 (日本語:Mali Empire
ソンガイ帝国の地図
ガーナ王国の地図 (日本語)
トゥクロール帝国の地図
ジェンネの場所地図
トンブクトゥの場所地図 (世界遺産)
アスキアの墓の場所地図 (世界遺産)
バンディアガラの断崖の場所地図 (世界遺産)
ニジェール河の流域地図

こちらで
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡エジプト)世界遺産
パルテノン神殿ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/7/28、11/9/11追記、2019/8/31、令和元年 R.1/12/24
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