大統領と国旗 マラウイ独立記念の1番切手 マラウイ 1964/7/6 発行 |
マラウイの場所地図 帝国の日(Commonwealth day 1983)記念 マラウイ 1983 発行 |
マラウイの場所地図 1874 万国郵便連合(UPU)100年記念 1874 マラウイ 1974 発行 |
南部アフリカ開発共同体9国の場所地図 1980 南部アフリカ開発調整会議(SADC)5年記念 1985 マラウイ 1985 発行 |
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ジ ョ|ジ6世 |
マラウイ共和国 Republic of Malawi 旧称:イギリス保護領ニヤッサランド (Nyasaland) 面積:11.8万ku(日本の約1/3)、人口:約1,721万人(2015) 首都:リロングウェ( Lilongwe)、GDP:113億ドル(2008) 民族:バンツー系、主要民族はチェワ族、トゥンブーカ族、ンゴニ族、ヤオ族など 言語:チェワ語、英語(以上公用語)、各民族語など 宗教:人口の約75%がキリスト教、その他イスラム教、伝統宗教など 1番切手:1964/7/6発行。 マラウイ共和国は、アフリカ大陸南東部にある共和制国家で、イギリス連邦加盟国で、旧称はイギリス保護領ニヤサランド(Nyasaland、ニアサは「湖」の意)。アフリカ大地溝帯にある内陸国。マラウイ湖の西岸にあり、東西の幅は約90〜161km、南北の長さは約900kmと南北に細長い形をした国。国土はほとんど高原上にあり、マラウイ湖が大きな面積を占有。チェワ族が主流。 独立以降、アフリカでは珍しく対外戦争や内戦を経験しておらず“The Warm Heart of Africa”(アフリカの温かい心)という別称を持つ国です。 ・マラウイ共和国の略史:〜 15世紀、サン人がいた地域に、チェワ族を中心とするバントゥー系の複数の部族が連合すると マラヴィ(Maravi)と呼ばれ、マラビ帝国(Maravi、16世紀頃-19世紀末)が建国される マラビ帝国はモザンビーク方面から到来したポルトガル人やスワヒリ都市のアラブ人との 交易を行いながら、19世紀末まで存続 1891、スコットランドからの強力なキリスト教宣教活動でイギリスの保護領となる 1893、イギリス中央アフリカ保護領(1893-1907)と改称 1907、イギリス保護領ニヤッサランド(1907-1953)となる 1953、ローデシア・ニヤッサランド(現マラウイ)連邦が成立 北ローデシア(現ザンビア)、南ローデシア(現ジンバブエ)、ニヤッサランド(現マラウイ)が ローデシア・ニヤッサランド連邦(イギリス領中央アフリカ連邦、CAF、1953-1963)となる それは白人入植者(アングロアフリカン)が、地下資源の豊富な北ローデシア、製造業が盛んな 南ローデシアと、黒人労働力の供給先であるニヤッサランドを結びつけて経済発展を図ったもの 1958/11/23、全アフリカ人民会議出席のバンダをはじめ、急進派の独立運動がアフリカ各地で高揚 1959、ニヤッサランドではローデシア・ニヤッサランド連邦反対運動のバンダがグウェル(現ジンバブエ) に投獄されるも、連邦分離の動きは止まらず、連邦の維持は困難になる 1960、「アフリカの年」 1962、ニヤッサランドがローデシア・ニヤッサランド連邦内の自治権を獲得 1963、英に連邦離脱の権利を認めさせ、翌年にローデシア・ニヤサランド連邦は解体される 1964、ニヤッサランドは英連邦内の英連邦王国の形式で英国から独立、国際連合にも加盟 初代大統領はヘイスティングズ・カムズ・バンダ(在位-1994) 1966、マラウイ共和国が成立、マラウイ議会党の一党制移行(バンダ大統領)バンダが大統領に就任 経済発展の必要性から、マラウイ国民の主要な出稼ぎ先であったアパルトヘイト時代の 南アフリカ共和国とも外交関係を維持し、アフリカにおける植民地帝国を維持しようとしていた ポルトガルとも連携してモザンビーク経由で沿岸部との繋がりを持とうとするなど、アフリカ南部 の白人政権への接近がみられ、首都改造や鉄道網整備に際して南アフリカ共和国から経済支 援を受け、反共の観点から台湾(中華民国)との友好関係が保たれ、複数政党制も認められる 1971、バンダが自ら終身大統領となる 1993、国民投票で一党制から複数政党制へ移行 1994、独立後初めての大統領・議会選挙で民主化され、バンダ大統領に代わって 統一民主戦線のバキリ・ムルジが大統領に当選(ムルジ政権) 1999、ムルジ大統領が再任 2004、選挙で統一民主戦線のビング・ワ・ムタリカが大統領に当選・就任 2005、ムタリカ大統領が民主進歩党(DPP)を旗揚げ 2009、ムタリカ大統領が再選される 2012/4/5、ムタリカは急死 4/7、副大統領で民主進歩党から除名されて人民党を立ち上げていた ジョイス・バンダが憲法の規定により大統領に昇格、マラウイ初の女性大統領となる 2014/5/20、選挙で、ビング・ワ・ムタリカ元大統領の実弟で、 民主進歩党のアーサー・ピーター・ムタリカが当選して第5代大統領に就任。 ・マラウイは3つの州(Region)と、28の地域(District)有:〜
・マラウイの世界遺産:〜 ・マラウイ湖国立公園〜1984年、自然遺産 (Lake Malawi National Park) 湖のガラパゴスの異名をとるマラウイ湖を対象とする国立公園で、湖はマラウイ、タンザニア、 モザンビークにまたがるも、国立公園指定は、マラウイ領内の湖の南端にあたるごく一部で、 全面積の0.3%程度のみ。 ・チョンゴニの岩絵地域〜2006年、文化遺産 (Chongoni Rock-Art Area)、中部州のデッザ県。
ザンビアとの国境に近いムチンジ県西部から、リロングウェを経由し、南部のブランタイヤやマカンガまでの区間を運行して、ンカヤ・ジャンクションで、ナカラ回廊開発会社のナカラ回廊線と接続されて、ナユチ経由でモザンビークのナカラ港へ連結。マカンガ南部からモザンビークのベイラに向かう線は、モザンビーク内戦(1977-1992)以降閉鎖となったままで、再建の目処は未だしです。現在、路線をムチンジからザンビアのチパタまで延長する計画が提起されており、この計画では最終的にムピカのタンザン鉄道へと接続することになります。貨物輸送は、主にナカラ経由で輸出しています。ナカラ経由で海外に輸出する主要な商品は、砂糖、タバコ、鳩豆や紅茶など。また、ナカラ経由で輸入されるのは、肥料、燃料、コンテナ貨物化された消費財などのほか、植物油、穀物などの食品。政府補助金を受けた旅客鉄道サービスが週に3回行われ、ブランタイヤからムカンガとモザンビーク国境の町ナユチ間の運行が行われています。2003年1月にサイクロン・デルフィナ(Cyclone Delfina)の被害で、リビリビ橋(Rivirivi Bridge)が損傷するも、2005年に復旧。
参考:〜 ・アフリカの年 フランスのド・ゴール大統領の措置で13ヵ国の独立が認められ、フランス領を主にアフリカ大陸で 17ヵ国が植民地からの独立を達成し、脱植民地化が進んでアフリカが急激に政治的に変化する ・1960年の独立17ヵ国:〜
参考HP:〜 ・マラウィの地図 ・マラウィの場所地図 ・マラウィの場所地図(日本語) ・マラウィの県の地図(28の地域) ・マラウイ湖国立公園の場所地図 (世界遺産) ・マラウィの鉄道地図 こちらで ・ジブチ鉄道 ・中央アフリカ ・ルワンダ ・コーヒー 世界遺産の ・ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2019/6/20 |