Gambia 国連 1986 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.4
ガンビア共和国 Republic of The Gambia |
大航海物語 地図編★ |
Repablique de Senegal | |||
モーリタニア→ | ガンビアの場所地図 | ||
サンルイ→ セネガル川→ ヴェルデ岬→ ダカール→ ガンビア川→ カザマンス川→ |
セ ネ ガ ル |
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←ガンビア | |||
←セネガル ←ギニアビサウ |
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セネガル 1976/2/26 発行 (200%) |
The Gambia | GAMBIA | ||
ガンビア→ |
ガンビアの場所地図 初代大統領 西アフリカ諸国開発経済共同体の場所地図 (15) Economic Community of West African States Development 石鹸工場 (Denton Bridge Banjul) ガンビア 1982 発行 (画像200%) |
石鹸工場 | ガンビア独立、1965 ガンビア 1965 発行 |
ガンビア→ |
GAMBIA エリザベス女王訪問記念 ガンビア 1961 発行 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 . カナリア諸島 . ボジャドール岬→ オーロ川 ブランコ岬→ アルギン セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
ガンビア 1992 発行 |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 |
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GAMBIA | THE GAMBIA ピーナッツ ガンビア 1973 発行 |
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ヤシの収穫 |
現地の女性 |
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イギリス領ガンビア 1953 発行 |
ガンビア共和国 Republic of The Gambia 面積:11,300ku(ほぼ岐阜県の面積)、人口:180万人(2008)、 首都:バンジュール(Banjul)、GDP:22億ドル(2008) 民族グループ:マンディンゴ族、ウォロフ族、ジョラ族、セラフリ族、 言語:英語(公用語)、マンディンゴ語、ウォロフ語等、 宗教:イスラム教(80%)、キリスト教(10%)、伝統的宗教(10%)、 1番切手:1870年発行。 ガンビア共和国は西アフリカ西岸にありアフリカ最小の国。北大西洋に面したガンビア河の河口を除き、周りをセネガルに取り囲まれている。西は大西洋に面する。 ・ガンビアの略史:〜 10世紀から13世紀頃までガーナ王国に属し、15世紀までマリ帝国に属す 13世紀、マリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持つ 1446年、ポルトガル人がガンビア河の河口付近のジェームズ島に商業拠点を建設 1456年、ポルトガルのカダモストがガンビア河を遡上して交易を行なう 1458年、ポルトガルのディオゴ・ゴメス船長がガンビア河を遡上、カントール(Cantor)に到達 16世紀、イギリスが進出、その後フランスと争った末、 1783年、イギリスの植民地となる。奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる 遺構の数々が「ジェームズ島と関連遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録 1797年、イギリスのムンゴ・パークがガンビア河を探検航海 1959年、ダウダ・ジャワラがマリンケ族の支持で人民進歩党(PPP)を結成 1963年、ジャワラが首相になり、自治権を獲得 1965/2/18、イギリスから独立、ジャワラが初代大統領、英連邦(Commonwealth)加盟 1970/4/24、共和国となり、ジャワラ大統領就任 1981/07/29、ジャワラが外遊中、社会主義革命労働党と国軍内左派の軍副将軍との国家革命 評議会のクーデターが発生、ジャワラはセネガル駐留軍に介入を要請して鎮圧 1982/02/01、隣国セネガルとの間にセネガンビア国家連合設立 1987年03月、総選挙実施。、大統領選挙(ジャワラ大統領再選) 1989年09月、セネガンビア国家連合解体 1992年04月、総選挙実施、大統領選挙(ジャワラ大統領再選) 1994/07/22、29才のヤヒヤ・ジャメ陸軍中尉の無血軍事クーデターで、 ジャワラ大統領はセネガルへ亡命、長期政権に終止符が打たれる その後はジャメを国家元首とする軍政が敷かれ、軍政となる 1995年01月、サバリー副大統領、サデイブー内相によるクーデター未遂発生 1995年07月、台湾と外交関係樹立 1996年08月、改正憲法国民投票 1996年09月、大統領選挙(ジャメ大統領就任) 1997年01月、国民議会選挙、民政へ復帰 2001年10月、大統領選挙(ジャメ大統領再選) 2002年01月、国民議会選挙 2006年03月、チャン軍参謀総長によるクーデター未遂発生 2006年09月、大統領選挙(ジャメ大統領再選) 2007年01月、国民議会選挙 2011年11月、大統領選挙、ジャメ大統領4選 2012年03月、国民議会選挙 2013/10/02、同日付でイギリス連邦からの離脱を発表 2014/12/30、軍離反者や大統領警護隊のサネ元国軍中佐によるクーデター未遂 首謀者らは殺害される 2015年12月、国名を「ガンビア・イスラム共和国」に変更 2016年12月、大統領選挙、アダマ・バロウ候補当選 前職のジャメは当初は退任を受け入れるも、後に退任を拒否し首都に軍隊を配備 2017/01/19、バロウは隣国セネガルの首都ダカールにあるガンビア大使館で宣誓式を挙行 バロウ大統領就任 15ヵ国で構成される西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ジャメに対し 20日正午までに権限移譲するよう要求し、セネガル・ナイジェリア・ガーナが結成した 連合軍はガンビアへの軍事介入を表明 21日、ジャメは退陣を宣言して赤道ギニアへ亡命 2017年2月、 国名を「ガンビア共和国」に変更 2018年2月、イギリス連邦に復帰。 ガンビア共和国はガンビア河の両側に国土を有し、最大幅は48kmに過ぎないアフリカ最小の国。ガンビアはもともとイギリス領であり、セネガルはフランス領で、イギリスとフランスが1889年に、ガンビア河の約200マイルをイギリス領とすることで合意。アフリカ最小の国で1,300kuをガンビア河が占める。国土の大部分がサバンナ地帯。 (1)ガンビアは5つの地方と1つの市に分かれる。
(2)8つの地方行政区(Local Government Areas, LGA)に分ける。
・ダウダ・ジャワラ初代大統領 (Sir Dawda Kairaba Jawara, 1924/5/16〜) ダウダ・カイラバ・ジャワラは、ガンビアの政治家で、1962年から1970年まで首相、1970年から1994年まで初代大統領。
2011年に、ガンビア河の河口から30km上流にあるジェームズ島(James Island)は改名されて、クンタ・キンテ島(Kunta Kinteh Island)となり、世界遺産のジェームズ星型城塞(Fort James)が有。 1456年に、エンリケ王子が派遣したアルヴィーゼ・ダ・カダモスト(Alvide da Ca' da Mosto, 1432-1488)とジェノヴァのアントニオット・ウス・ディ・マーレ(Antoniotto Usus di Mare, 1416-1462)が、ガンビア河を遡上して交易を行なった。 参考地図HP:〜 ・ガンビア河の流域地図 (ガンビア共和国の地図) ・ガンビアの地方区分の地図 (5地方区分) ・クンタ・キンテ島と関連遺跡群の場所地図 (世界遺産) ・セネガンビアの環状列石の場所地図 (世界遺産) こちらで ・スパイス (香辛料) ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/7/28、10/7/23、2019/1/10 |