Cameroon 国連 1980 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.14
カメルーン共和国 Republic of Cameroon |
大航海物語 地図編★ |
CAMEROUN Republic of Cameroon カメルーン共和国 |
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地図と国旗 カメルーン独立宣言1960/1/1記念 カメルーン 1960 発行 |
バナナ農園 カメルーン 1959 発行 |
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Republique Federation du Cameroon カメルーン連邦共和国 |
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カメルーンの地図 カメルーン再統一1年記念 カメルーン 1962/10/1 発行 |
グレープフルーツ |
パパイア |
カメルーン 1967/5/10 発行 |
RF CAMEROON フランス領カメルーン |
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現地人(Mandara)女性 |
コブ(Zebu)牛 仏領カメルーン 1946 発行 |
現地人の男性 |
仏領カメルーン 1939-40 発行 | 仏領カメルーン 1946 発行 |
カメルーン Republic of Cameroon 旧称:フランス領カメルーン (French Cameroons、1918-1960) 面積:475,440ku(日本の1.26倍)、人口:1,890万人(2008)、首都:ヤウンデ、民族:ドゥアラ族、バミレケ族、バムン族、フルベ族他、言語:フランス語、英語(共に公用語)、その他各部族語、宗教:カトリック、プロテスタント、イスラム教、その他伝統宗教、GDP:417億ドル(2008) 1番切手:1897年ドイツが”KAMERUN”で、 1924年フランスが”RF CAMEROUN”で、 1958年に自治政府が”CAMEROUN”で発行。 旧ドイツ植民地から、イギリスとフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年にイギリス連邦に加盟した。国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人がエビの多いことからカマラウン(camarao,ポルトガル語で「小エビ」)と名付けたことに由来。 ・国名の変遷:〜 1960〜1961年:カメルーン共和国 1961〜1972年:カメルーン連邦共和国 1972〜1984年:カメルーン連合共和国 1984〜 :カメルーン共和国 ・カメルーンの略史:〜 1470/12月、ポルトガル人がカメルーンに到達するも、拠点を築かず 1472年、ポルトガルのフェルナンド・ポーがウォリ川 (Wouri River, 525km)を 「小エビの川」(リオ・ドス・カマラウン、Rio dos Camaroes)と命名 1806年、イスラム系王国が支配 1870年代、ドイツ帝国がアフリカ分割で沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植 1884年、ドイツ保護領カメルーンが成立(ドイツ植民地帝国) 1911年、ドイツが全土を掌握 第一次世界大戦でドイツが敗れた後、 1922年、ヴェルサイユ条約(1918)で、西部がイギリスの「西カメルーン」、 東部がフランスの「東カメルーン」として委任統治領となる 第2次世界大戦中にドゴールの自由フランスの拠点の一つとなる 1946年、英仏の信託統治領となり、 1957年、仏領の東カメルーンに自治が認められる 1960/01月、仏領カメルーンが独立(アフリカの年) 1960/05月、大統領は北部出身イスラーム教徒アマドゥ・アヒジョが初代大統領に就任 1961年、イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、 北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となる 1961/02月、英信託統治地域の一部が人民投票により「西カメルーン」になる。 1961/10月、西カメルーン独立、旧仏領カメルーンとともに「カメルーン連邦共和国」成立 1965年、アヒジョ(Ahmadou Ahidjo 1924-1989)大統領が再選 1970年、アヒジョ大統領が再選 1972/05月、連邦制を廃し、「カメルーン連合共和国」に変更 1975年、アヒジョ大統領が再選 1980年、大統領選挙でアヒジョ大統領が再選 1981年、カメルーン人民民主連合の一党支配が嫌われ、 カメルーン人民民主連合の政党を合法化、 1982/11月、アヒジョ大統領が辞任 南部出身の現大統領ポール・ビヤ首相、大統領に就任 1984/01月、ビヤ大統領再選 国名を「カメルーン共和国」に変更 1986年、北西州にあるオク火山の火口湖の一つであるニオス湖で 最大規模の火山ガス災害が発生。湖底に溶け込んでいた 二酸化炭素の噴出で、1,700人以上が死亡。 1988/04月、ビヤ大統領再選 1990/12月、複数政党制導入 1992/10月、ビヤ大統領再選 1996/01月、地方選挙で野党側が勝利 1997/05月、国民議会選挙 1997/10月、ビヤ大統領再選 2002/06月、国民議会選挙及び地方議会選挙 2004/10月、ビヤ大統領再選。 カメルーンは10の地域(州:Provinces)、58の県(divisions)に分けられ、ナイジェリアと接する北西州と南西州の2州は、もとイギリスの委任統治領であり、その他の8州はもとフランス領。 01)極北州(Far North Region):ファー・ノース(サバナ)地域〜 州都マルア(Maroua)、人口299960人(2001)、綿花の集散地 02)北部州(North Region):ノーザン地域〜 ガルア(Garoua)、人口490000人(2001)、ベヌエ川(Benue River、1370km) 03)アダマワ地域(Adamawa Region)〜 州都ンガウンデレ(N'Gaoundere)、 へトランスカメルーン鉄道の終点(〜ヤウンデ〜ドゥアラ) 04)中央州(Centre Province):セントラル地域、 首都ヤウンデ、人口1,651,600人(1987)、首都圏の周りは昔ながらのプランテーションが 広がり、カメルーンの一大生産地で、ココア(カカオ)、コーヒー、パームオイル、タバコなどを 生産する他、自給目的の農業 05)東部州(East Province):イースタン地域〜州内はジャングルに覆われる、 ベルトゥア(Bertoua)、人口173,000人(2001)、標高717m、ヤウンデから東に350km 06)西部州(West Province):ウェスタン地域〜 バフーサム(Bafoussam)、人口242000人(2001)、 周辺の交易の中心、周辺で生産されるコーヒー、茶、タバコの集散地 07)北西州(Northwest Province):ノースウェスタン地域〜 バメンダ (Bamenda)、人口446,000人、ヤウンデから北西に336km、 バンブドス山地の山中、標高1615mの高原に有 08)南西州(Southwest Province):サウスウェスタン地域〜カメルーン山(4070m)が有 ブエア(Buea)、人口57000人、カメルーン山の東斜面で標高870mに有 西の沖合56kmに赤道ギニアのビオコ島が有 09)リトラル州(Littoral Province):沿岸地域〜 ドゥアラ(Douala)、人口約1,600,000人(1991、減少傾向)、 カメルーン最大の都市でギニア湾に面し北西にはカメルーン山(4070m)が有、 1472年にフェルナンド・ポーが来航してウォリ川を 「小エビの川」(リオ・ドス・カマラウン、Rio dos Camaroes)と命名 以来、奴隷貿易の中心として発達(サナガ川(Sanaga River:全長890km)説有) 10)南部州(South Province):サザン地域〜 エボロワ(Ebolowa)、人口は79,500人(2001)、ココア(カカオ)が主作物。 参考HP:〜 ・極北州の場所地図 ・北部州の場所地図 ・アダマワ州の場所地図 ・中央州の場所地図 ・東部州の場所地図 ・西部州の場所地図 ・北西州の場所地図 ・南西州の場所地図 ・リトラル州の場所地図 ・南部州の場所地図 カメルーンは5つの地理区分に分けられる。 海岸平野はギニア湾から15km-150kmまで広がり、森林で覆われ、平均標高は90m、非常に暑く、世界で最も湿度が高い所がある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林で覆われるが、乾季と雨季が海岸平野より区別されるため湿度はやや低い。平均標高は650m。カメルーン山脈は最高峰のカメルーン山のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。気候は、とくに西部高地は温暖で雨が多く、土地は肥沃。サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1100mで、気温22-25度C、雨が多い。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川、ロゴーヌ川と南部のサナガ川。サナガ川は国土中央部のムバカウ湖を水源としてドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ全長890kmの最大河川である。北部(ステップ気候、サバナ気候)から南部(熱帯雨林気候)に移動するに従い、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300-350mで、気温は高いが、雨が少ない。北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山(4,095m)の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680mmに達する。 気温の年較差は全国で5度-10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730m)の年平均気温は23.2度。年降水量は1,560mm。 独立後、四半世紀はカカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢などの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。対日貿易ではコーヒーの輸出が主。主な輸出用の農産物は北部の綿花、南西部のコーヒーとカカオである。南部は熱帯雨林であるため、農業に適さない。耕地はベヌエ川北部に集中している。主食となるバナナ、イモ、モロコシなどはほぼ自給できている。イモ、特にキャッサバの収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74%から2000年時点の42%まで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。家畜放牧は全土で見られる。漁業には5千人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37%を占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6千万ドルの収入をもたらす。安全で持続可能な伐採を義務付けているが林業への規制は最も緩い。 石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭、金、スズが見られるだけである。エネルギーの大部分は水力発電により、残りは石油である。国土の大部分で電力不足である。産業活動はドウアラとボナベリの2都市に集中している。 <カメルーンの世界遺産>:〜2 ・ジャー動物保護区、自然遺産(1987) (Dja Faunal Reserve) 「ジャー動物保護区」は自然保護区で首都ヤウンデの東南約70kmにあり、 アフリカ州で自然のままの姿が残された最大の熱帯雨林として登録 ・サンガ川流域の3ヵ国が保護地域、自然遺産(2012) (Sangha Trinational、コンゴ共和国・カメルーン・中央アフリカ共和国)。 参考HP:〜 ・カメルーンの地図(日本語) ・ジャー動物保護区の場所地図 こちらで ・パパイア ・スパイス (香辛料) ・ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/8/18、2019/1/18 |