Spain

国連 1988 発行
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.104
( 切手で綴る スペイン自治州 No.6
カナリア諸島
Islas Canarias、Espana

大航海物語
  地図編

Espana
諸島の旗 カナリア諸島 諸島の地図
スペイン  2012/3/13 発行




スペインの州区分地図

スペイン 2011/11/2 発行



ラ・パルマ島
羅針盤  カナリア諸島の古地図  帆船
グランシオーサ島
アログロサ島
ロボス島

ランサローテ島

ラス・パルマス・ド・グラン・カナリア
1599 防衛戦争500年記念 1999


スペイン 1999 発行






























1599年にオランダ私掠船が数隻の艦隊で、カナリア諸島のグラン・カナリア島ラス・パルマス港沖に姿を現わし、攻撃してきました。スペインの防衛隊はこれを良く持ちこたえ、反撃して敵艦隊を追い払いました。
スペイン 1981/7/8 発行

グラン・カナリア島ラスパルマス市、1599

1599 ラスパルマス市400年記念 1999
Las Palmas de Gran Canary (1599-1999)
スペイン 1999/6/25 発行
民族衣装    .
ラス・パルマス
サンタ・クルス・デ・テネリフェ
スペイン 2011/11/2 発行

Australia
1787年のテネリフェ島

オーストラリア 1987 発行

カナリア諸島
 Islas Canarias
(英:Canary Islands)
  カナリア諸島州 (自治州化, 1982/8/16)
  (Comunidad Autonoma de Canarias)
 面積: 7,493ku(日本の約倍)、人口:約137万人(1982)、2,127,685人(2018)
 州都:ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア & サンタ・クルス・デ・テネリフェ(共同州都)。

カナリア諸島はアフリカのモロッコ沖の大西洋上にあるスペイン領の火山群島です。
主要7島と多くの小島で構成されていて、大陸のモロッコからの距離は100km〜500km程度。

主な島:〜
主な7島 (Island) 主な都市 (Capital)
1 グラン・カナリア島 Gran Canaria ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア Las Palmas de Gran Canari @県都
2 ランサローテ島 Lanzarote アレシフェ Arrecife @
3 フェルテペントゥラ島 Fuerteventura プエルト・デル・ロサリ Puerto del Rosario @
4 テネリフェ島 Tenerife サンタ・クルス・デ・テネリフェ Santa Cruz de Tenerife A県都
5 ラ・ゴメラ島 La Gomera サン・セバスチャン San Sebastian de La Gomera A
6 エル・イエロ島 El Hierro バルベルデ Valverd A
7 ラ・パルマ島 La Palma サンタ・クルス Santa Cruz de La Palma A
  ※(ランサローテ島とテネリフェ島には諸島の共同州都があって、政庁所在地)、
  ※@ラス・パルマス県、Aサンタ・クルス・デ・テネリフェ県。


カナリア諸島は行政上、東半分のラス・パルマス県と、西半分のサンタ・クルス・デ・テネリフェ県に分けられています。テネリフェ島にある活火山テイデ(Pico del Teide、世界遺産, 2007)は標高3,710mでスペインの最高峰で、気候は年間を通じて温暖ですが、降水量は特に東部諸島で少なくなっています。漁業の他、バナナ、トマトタバコなどの農業と観光産業があり、日本の遠洋漁業基地があります。

歴史的にはローマ時代に漠然と知られており、インストラエ・フォルトゥナタエ(Insulae Fortunatae、幸運諸島)と呼ばれていたと伝えられています。現在の名は野生の犬が多いとの想像から大プリニウスが名づけたといわれています。ローマ帝国滅亡後は忘れられていましたが、1312年ジェノバの航海者ランチェロット・マルチェロが再発見し、1339年の地図にその一部が記載されました。その後、ローマ教皇クレメンス4世(在位1265-68)が原住民へのキリスト教の布教を条件にスペインのカスティリア王アルフォンソ10世の曾孫ルイス・デ・ラ・ゼルダに領有権を与えました。しかしポルトガル王はこれを不服として、以降15世紀末までカナリア諸島の帰属をめぐって両国は対立しました。カナリア諸島の先住民はグアンチェ族といい、キリスト教徒でもなくイスラム教徒でもない彼らとの出会いは、スペイン人にとっては未知の体験でした。キリスト教への改宗とスペイン人入植者との混血を通じて彼らは奴隷制度やその他さまざまな問題をはらみながら、やがてスペイン社会に吸収同化されてゆきました。

・カナリア諸島の略史:〜
15世紀初頭、カスティリヤ王の了承でフランスのノルマンディ貴族ジャン・ド・ベタンクール(Jean de Bethencourt, 1360頃-1425)がランサローテ島に上陸、引き続き フェルテペントゥラ島、ゴメラ島、イエロ島の3島を征服しました。その後、1478年イサベラ1世によってラ・パルマ島、グラン・カナリア島、テネリフェ島が1500年までに征服されました。1479年のアルカンバス条約で、カスティリア王国はポルトガルからカナリア諸島領有の最終承諾を取り付けました。

そして、カナリア諸島は、1492年のコロンブスの第1回航海を皮切りに、大西洋横断のスペイン船にとってかけがえの無い重要な中継基地となりました。

1500年、コーサが南米海岸の探検航海の途上にバスチダスバルボアらと共に寄港
1799年、ドイツ人フンボルト男爵がスペイン船ピサロ号でサンタクルーズ港に到着、
      テネリフ島の海抜1200m火山「ピコ・デ・テイデ山」に登頂。
1832/1/6、ダーウィンがビーグル号でテネリフ島のサンタクルーズ港到着するも、
      コレラで隔離されて上陸できず
1977/3/27、テネリフェ島のロス・ロデオス空港でテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故が発生
        滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突、(パイロットエラーと管制ミス)
        乗客乗員583人死亡(史上最悪)、生存者は乗客54人と乗員7人(計61人)
1982/8/16、カナリア自治州自治法で自治州の州旗が制定される。

<カナリア諸島の世界遺産>:〜2件
・サン・クリストバル・ デ・ラ・ラグーナ、文化遺産
  (San Cristobal de La Laguna、1999)、テネリフェ島北部
・テイデ国立公園、自然遺産
  (Teide National Park、2007)、テネリフェ島中央部。

参考地図HP:〜
 カナリヤ諸島
 ラス・パルマス・デ・グラン・カナリヤ島

カナリア諸島は鳴き声の良い小鳥、カナリアの原産地でも知られ、16世紀にスペイン人がカナリア諸島から持ち帰って飼育したのが最初といわれ、当時スペインの上流社会に流行し、イタリア商人がこれに目をつけ、カナリア飼育熱はヨーロッパ一円に広がりました。ドイツで品種改良が進められ、鳴き声の良いローラーカナリア(Roller Canary)がつくられ、イギリス、フランス、ベルギーでは姿の改良が行われ、イギリスのスタイルカナリア、オランダの巻き毛カナリアなど、さまざまな品種がつくられました。アメリカではレッドカナリアがつくられ、日本には18世紀後半、長崎に入ったといわれています。

・カナリア (金糸雀)
 Serinus canaria
キイロカナリヤ

レソト 1981/4/20 発行
カナリア(カナリヤ)はスズメ目(Passeriformes)、アトリ科(Fringillidae)、カナリア属(Serinus)、カナリア種(S. canaria)に分類される小鳥、及びそれを原種として品種改良された愛玩鳥フィンチの一種で、野生種は ”Island Canary”, ”Wild Canary”, ”Tame Canary”, ”Atlantic Canary” などと呼び、飼養種は ”Domestic Canary” と呼ばれています。野生種はアゾレス諸島、カナリア諸島、マデイラ諸島が原産でした。現在は各地に広まっており、名前のカナリアは原産地のカナリア諸島に由来しています。

参考HP:〜
カナリヤ鳥
赤カナリヤ鳥

こちらで
バレンシア州
カンタブリア州
エストラマドーラ州
カスティーリャ・イ・レオン州
イフニ
スパイス (香辛料)
ユネスコ (UNESCO:世界遺産の成立理由)
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2005/5/12、06/2/9、08/11/11、 09/6/7、11/9/9、19/1/13
スタンプ・メイツ
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