Togo 国連 1986 発行 |
切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.11
トーゴ共和国 Republic of Togo |
大航海物語 地図編★ |
RF TOGO |
REPUBLIQUE TOGOLAISE トーゴ 1973 発行 |
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フランス領トーゴ 1947 発行 |
トーゴ共和国 (Togolese Republic) 旧称:ドイツ領トーゴラント (Togoland Protectorate (Schutzgebiet Togo) 1884-1916) 東部:フランス領トーゴランド 〜 1960/4/27、トーゴ共和国 となる (French Togoland (Togo francais) 1916-1960) 西部:イギリス領トーゴランド 〜 英領ゴールド・コースト へ統合される (British Togoland 1916-1956) 面積:54,390ku(日本の愛知県(5,172ku)の10倍強) 人口:約761万人(2016)、GDP:44億米ドル(2016)、首都:ロメ (Lome) 民族:エヴェ(Ewe people、約35%)をはじめ約40のグループからなる民族が有 言語:フランス語(公用語)、エヴェ語、カビエ語など 宗教:伝統的宗教67%,カトリック18%、イスラム教10%、プロテスタント5%など 1番切手:1897年ドイツ領トーゴラントで ”TOGO” として発行(カイザーヨット図案)。 ・トーゴ略史:〜 1490、ポルトガル人が到達し、奴隷海岸(現シェラレオーネ)の一部として知られるようになり 19世紀まで奴隷貿易での奴隷の供給地とされる 1884、ドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域がドイツ保護下におかれ ベルリン会議でドイツ領(トーゴランド)になる 1885、トーゴ全域がドイツ領トーゴラント(1884-1916)と宣言される 1897、ドイツ領トーゴラントで ”TOGO” として1番切手(カイザーヨット図案)発行 1914、第一次世界大戦が勃発(-1919) 1914、8/6にフランス軍がドイツ領トーゴラントのアネホに上陸 8/8に首都ロメを占領 8/27にドイツ領トーゴラントはイギリスとフランスに無条件降伏 1916、西部はイギリス領トーゴランド(British Togoland、1916-1956)に 東部はフランス領トーゴランド(French Togoland、1916-1960)に分割される 1922、国際連盟の委任統治領となる 1939、第二次世界大戦が勃発(-1945) 1946、国際連合の信託統治領として、英仏の植民地支配が継続される 1955、フランス領地域はフランス連合内の自治政府に昇格 1956、10/28にフランス領地域は国民投票実施 国民93%が国連信託統治領ではなく、フランス連合内の自治政府を選択 9/10にニコラ・グルニツキーが自治政府初代首相になる 1957、イギリス領地域は後のガーナとなるイギリス領黄金海岸と併合される 1958、フランス領地域は国民投票の不正を理由に無監督の総選挙が行われ シルバヌス・オリンピオが勝利 1960/4/27、フランス領地域はトーゴ共和国として独立 初代大統領にオリンピオ氏就任 1963、1月にクーデターでシルバヌス・オリンピオ初代大統領が暗殺され ニコラ・グルニツキー元首相が大統領就任 1967、1月、ニャシンベ・エヤデマ陸軍中佐が軍事クーデターでグルニツキー大統領を追放 4月にエヤデマ中佐が大統領に就任 1972、1月にエヤデマ中佐が元首・大統領に選出される 1979、12月にエヤデマ将軍が第三共和国初代大統領に当選 1979、民政移管に伴う大統領選でエヤデマ大統領が当選 1986、12月にエヤデマ大統領三選 1991、6月に実権はエヤデマ大統領からジョセフ・コクー・コフィゴー首相に移るも 大統領派の軍が反発し首相官邸を襲撃 8月にコフィゴー首相の暫定政府 12月に軍が首相を拘留、国民統一暫定政府を樹立 1992、3月に国民投票で第4共和制憲法を採択 1992、11月に首都で無期限ゼネスト突入 1993、2月に首都市民20〜30万人が国内外に退避(ガーナ、ベナンなどへ) 1993、3月にエヤデマ大統領襲撃事件 7月に民主化に向けたワガドゥグ国際合意成立 8月、トーゴ人民連合(RPT)による一党独裁から複数政党制へ移行後 初めての大統領選が行われ、エヤデマ大統領が当選 1994、2月に議会選で大統領与党であるRPTが過半数割れし、 野党の革新行動委員会(CAR)が第1党になる 4月にエヤデマ大統領は野党第2党トーゴ民主連合(UTD)エデム・コジョ党首を首相に任命 5月にコジョ新内閣成立 1996、8月の選挙では与党RPTが過半数を回復し、コジョ首相は辞任 エヤデマ大統領は新首相にRPT党員のクワッシ・クルッツェ計画・地域開発相を任命 9月にクルツェ新内閣成立 1998、6/21の大統領選でエヤデマ大統領が当選するも、野党陣営は不正があったとして反発 1999、3月の総選挙では野党がボイコットする中、与党RPTが81議席中79議席を獲得 5月にエヤデマ大統領は新首相にウジェーヌ・コフィ・アドボリを任命 2000、8月に経済立て直しの遅れを理由に、議会が首相の不信任案を可決し、 アドボリ首相は辞任、エヤデマ大統領は後任首相にアベヨメ・コジョを任命 2002、6/27に「議会選に向けた体制準備」としてコジョ首相を解任し、 RPT党員のコフィ・サマ国民教育研究相を後任に任命 8月にCARなど4つの主要野党は対RPT連合の結成で合意、与野党の対立が深まる 10/27に議会選が実施され、RPTが81議席中72議席を獲得・圧勝、野党はボイコット 12/30にほぼRPT支配下の議会は大統領の3選禁止事項を撤廃する憲法改正案を可決 2003、6月に大統領選挙(エヤデマ大統領再選) 11月に中国の援助で新しい大統領府を建設し始める 2005、2月にエヤデマ大統領が療養のためフランスに向かう途中、飛行機の中で逝去 同大統領は1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでの約40年近く 政権の座にあり、アフリカ最長の国家指導者という事実上の独裁者として君臨 トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているも ナンジャ陸軍参謀長は「国会議長は外遊中であり、権力の空白を防ぐため」として、 エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベ設備・鉱業・電気通信相が代行職就任と発表 しかし実際はトーゴ軍が陸海空全ての国境を閉鎖したため、国会のファンベア・オウアタ ーラ・ナッチャバ議長がトーゴ国内に戻れなくなり、「権力世襲」「憲法違反」の措置だ と西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合(AU)等の国際社会から非難され 2/25にニャシンベ大統領は辞任、議会のボンフォー・アッバス副議長が暫定大統領に就任 4/24の大統領選でフォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣が当選 5/4に再びニャシンベが大統領の座に就くも、 選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展 6月にエデム・コジョ内閣成立 2006、9月にヤウォヴィ・アボイボ内閣成立 2007、10月に国民議会選挙 2007、12月にマリ内閣成立 2008、9月にジルベール・フォッスン・ウングボ内閣成立 2010、3/4に大統領選挙、フォール・ニャシンベ大統領再選(2期目) 5月に第2次ウングボ内閣成立 2012、7月にアオメイ・ズュニュ内閣発足 2013、7月に国民議会選挙 2015、4月に大統領選挙(フォール・ニャシンベ大統領再選、同年5月より3期目) 2015、6月にコミ・クラス内閣発足。 ・トーゴの5州(Region)と首都のロメ特別区と31県(Prefecture):〜
(Lome, Golfe Prefecture, Maritime Region, capital of the Republic of Togo)。 ※南部は高温多湿の熱帯性気候。 ※北部はサバンナ気候で南部より雨量が少なく、湿度も低い。 ・トーゴの世界遺産〜1件 ・バタマリバ人の土地 クタマク、(文化遺産、2004) (Koutammakou, the Land of the Batammariba) クタマクは、トーゴ北東部カラ州近辺に広がる、バタマリバ人の居住地になっている一地域の名称で、タキヤンタ (Takienta) と呼ばれる独特の泥の住居群などが織りなす文化的景観が評価され、2004年にユネスコの世界遺産に登録されました。 参考HP:〜 ・トーゴの地図 ・トーゴの地図(拡大版) ・トーゴの州区分地図(5州 Region) ・トーゴの地図(詳細地図) ・クタマクの場所地図(世界遺産) こちらで ・コンゴ共和国 ・チュニジア ・コーヒー ・ヴェーゲナー博士 世界遺産の ・ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2019/5/19 |