切手で綴る世界遺産(ギリシャ)
パルテノン神殿
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E∧∧∧Σ パルテノン神殿 ギリシャ 1927/4/1 発行 |
E∧∧∧Σ アテネのアクロポリス丘のパルテノン神殿 ギリシャ 1938/11/11 発行 |
MAGYAR POSTA パルテノン神殿とギリシャの地図 古代建築シリーズ ハンガリー 1980 発行 |
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日本 NIPPON アクロポリス丘のパルテノン神殿 日本の海外世界遺産シリーズ第5集 日本 2015/7/10 発行 |
Nations Unies パルテノン神殿とアクロポリス丘 |
アテネのアクロポリス丘のパルテノン神殿 国連の世界遺産シリーズ(切手帳)より 国連NY 2004/6/20 発行 |
・パルテノン神殿 Parthenon Temple 住所:ギリシャ共和国アテネ市アクロポリス (Acropolis, Athens, Greece) 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1987) (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural) 正式名称:日:アテネのアクロポリス 英:Acropolis, Athens 仏:Acropole d'Athenes パルテノン神殿は、古代ギリシア時代(古典時代:BC500年末頃〜BC350年頃)にアテナイのアクロポリスの丘上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。紀元前447年に建設が始まり、BC438年に完工、装飾等はBC431年まで行われました。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされています。装飾彫刻もギリシア美術の傑作で、この神殿は古代ギリシアそして民主政治アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として1987年に世界遺産に登録されました。 この地には古パルテノンと呼ばれるアテーナーの神殿があるも、BC480年のペルシア戦争(BC499-BC449)で破壊された後に再建され、当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟(BC478-BC404)、そして後のアテナイ帝国(BC404-BC337)の国庫として使われました。6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、生神女マリヤ聖堂となりました。オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、神殿内にはミナレットが設けられました。1687/9/26にオスマン帝国(1299-1922)によって火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア共和国(7世紀末期-1797)の攻撃で爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けました。1806年、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯(Thomas Bruce, 7th Earl of Elgin, 1766-1841)は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去りました。これらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブルまたはパルテノン・マーブルの名で展示されています。ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているも、実現していません。ギリシア文化・観光庁は、パルテノン神殿の部分的な破壊の修復や保全など、後世に伝えるための再建計画を実行しています。 参考HP:〜 ・世界遺産アテネのアクロポリスの場所地図(日本語) こちらで世界遺産の ・ヌビア遺跡保存 (エジプト) ・奈良の法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2016/8/9、16/9/9 |