切手で綴る世界遺産(ピトケーン諸島)
ヘンダーソン島
Henderson Island
1988、世界遺産登録


PITCAIRN ISLANDS
古代ヘンダーソン島の住人
ヘンダ
|
ソン島
Cave Dwellers of Henderson
ピトケーン諸島 2006/8/30 発行

岩絵製作の岩絵

Rock carving
ピトケーン諸島 1971 発行
古代ピトケーン諸島の岩絵製作の様子
ピトケ
|
Rock Carvers of Pitcairn
ピトケーン諸島 2007/6/13 発行

古代ポリネシア人の石器 神の坐像

Seated deity
石の釣針の製作過程

Making of stone fishhook
ポリネシアの各種石器

Polynesian Artifacts
Polynesian Art on Pitocairn
ピトケーン諸島 1971/5/3 発行


太平洋のピトケーン諸島の場所地図(中央付近)
ノーフォーク、フィジー、トンガ、サモア、タヒチ、ピトケーン、イースターの島々

英領(ジョージ6世) ピトケーン諸島 1940-51 発行(200%)

Vanuatu
ポリネシア(ラピタ)人の大移動の航海、紀元前1000年頃
ポリネシア(ラピタ)人の移住航海地図


Voyage of Lapita Peaple Expedition
バヌアツ 2005 発行

ヘンダーソン島
  Henderson Island, Pitcairn Islands
 (ピトケーン諸島の〜無人島)
  住所:ピトケーン諸島に有
      (Henderson Island, Pitcairn Islands)
  世界遺産:ユネスコの自然遺産(1988)
  (UNESCO World Heritage Site, Type:Natural)
  正式名称:日:ヘンダーソン島
         英:Henderson Island
         仏:Ile d'Henderson
ヘンダーソン島は太平洋のピトケーン島から北東に約190km離れた所に有って、面積約37kuの絶海の孤島で周囲は岩礁に取り囲まれており、現在ではこの島の環境全体が進化検証の場所として保護されています。独特の自然が残るこの島は1988年に世界遺産の自然遺産に登録されました。現在は各地からのごみが漂着することが問題となっています。

この孤島にはかつてポリネシア人による社会が存在するも、後にその社会は消滅した、いわゆるミステリー・アイランド (Mystery Island)の一つです。1606年にスペイン人のキロス船長が再発見しました。キロス船長は、上陸したときは無人島でしたが、古代ポリネシア人が生活していたと思われる痕跡があった(上図の岩絵など)、と記録しました。

その後、島の存在はしばらく忘れ去られていました。1819/1/17にイギリス東インド会社(British East India Company, 1600-1874/6/1)のヘラクレス号(ship Hercules)のジェームズ・ヘンダーソン船長(Captain James Henderson)が島に到着し「ヘンダーソン島」と命名。1819/3/2にも英捕鯨船エリザベス号(whaleship Elizabeth)のヘンリー・キング船長(Captain Henry King, 1783-1874)が島に上陸し、船名から「エリザベス島」と命名したために名称が重なるも、19世紀末には現名のヘンダーソン島になりました。

1820/12/27には、アメリカの捕鯨船エセックス号(whaleship Essex, 1799 Whaler, 238t)船長ジョージ・ポラード(Captain George Pollard Jr. 1791-1870)が仏領ポリネシアマルケサス諸島付近でマッコウクジラの攻撃に遭って沈没し、乗組員20人が小さなボート3隻に乗り、南アメリカに向かいました(ハーマン・メルヴィルの「白鯨」や2016年の映画「白鯨との闘い」にも登場)。その内、トーマス・チャベル(Thomas Chabel)、セス・ウィークス(Seth Weeks)、ウィリアム・ライト(William Wright)の3人の乗組員が乗る1隻のボートが漂流してヘンダーソン島に漂着。3人は島に上陸し、1821/4/9に救出されるまでの数ヵ月間、ヘンダーソン島にいました。乗組員3人は島で新鮮な水を求めて探すも水は見つからず、その代わり、以前ヘンダーソン島を訪れた捕鯨船エリザベス号の名前が彫られた木を発見した他、島にある洞窟で8体の人間の骨を発見した、と救出された後に報告しました。後日、3人はイギリスのバーク型貿易船サリー号(trading vessel Surry, 1811 barque, 445t)がオーストラリアのポート・ジャクソン(Port Jackson, Sydney)からイギリスへの帰途で救助されました。

1851年にもピトケーン島民が島を訪れた時、海岸で人骨を再発見している他、1958/4/7にも別の洞窟で大人1人と子供3人と思われる4体の人骨が発見され、その後の診断で白人だったことが分かりました。1966年のアメリカの調査では、研究で幾つかの海岸付近や洞窟で見つかったという人骨を調べた結果、その中の1体の人骨などは、かつて島に定住していたポリネシア人のものでは無く、島で食べ物も水もなく、脱水症状で亡くなったと思われる正体不明の難破船の白人の乗組員達の人骨ではないかと報告されました。

1957年にはピトケーン島民に2隻のロングボート(longboat)で救出されるまで、ロバート・トマーチン(Robert Tomarchin、27才)というアメリカの青年がペットのチンパンジーと一緒に2ヵ月間ヘンダーソン島で漂着生活をしていました。

ヘンダーソン島にはヘンダーソンオウム、ヘンダーソンクイナなど5種類の鳥や10種の植物、および昆虫やカタツムリの種の大半などがヘンダーソン島固有種であるなど、今も手つかずの自然が残っています。
ポリネシアのロングボート

ニウエ 1978 発行

1980年代初期にアメリカの実業家アーサー・M・ラトリフ(Arthur M. Ratliff、1924-2007)が牛の牧場や自分の大豪邸や滑走路建設計画など島を開発しようと計画しました。1981年4月にピトケーンン島の立法議会側も彼のこの計画を承知するも、イギリスの環境保護団体が島の自然生態と環境を保護するためロビー活動が行われ、中止を余儀なくされました。

なお、2,000〜6,000年前の古代ポリネシア人については、クイーンズランド大学のマーシュ・ワイズラー教授などが研究を続けていますが、未だ謎が多いようです。

参考:〜
・マーシャル・ワイスラー教授の講演(要旨):〜2005/4/13(水)
 (professor Marshall Weisler)
 クイーンズランド大学 社会科学科 上級講師
 (University of Queensland School of Social Science、
  St Lucia, Queensland, Australia)
「太平洋諸島の先史時代人類の居住」
 (Life on the Margins of the Great Ocean)
太平洋諸島の先史時代人類の居住は約3,500年前に始まりました。それはオセアニアのほぼすべての島への移住で、人類史上最大の水上移動でした。ポリネシアの東縁には世界で最も孤立
ポリネシア人の移住地図
ポリネシアン・トライアングル


ニューカレドニア 2005 発行
した土地の一部である資源の少ない小さな島々のグループがあります。そのうちピトケーン島グループには、約1,200年前に仏領ポリネシアに属するガンビエ諸島の主島マンガレバ島(Mangareva、面積15.4ku)の人々が、東へ4日間帆走して到達しました。また、東に約2,000qのイースター島(163.6ku)、南西に4,800qも離れたニュージーランドへも到達しました。

数年前、私はピトケーン島グループを訪れ、先史時代人類がいかにして植民し、生き残ったか、そして1606年にスペインの探検家キロス船長が訪れる前に放棄された理由を調べました。ピトケーン島グループは4つの島で構成されています。バウンティ号の反乱者たちによって有名になったピトケーン島はわずか4.5uの面積の島で、海岸線は荒波の影響で大半は急峻で頑丈な険しい断崖絶壁か、岩がごろごろしている浜なので、珊瑚礁をぬってカヌーで上陸するほかありません。ポリネシア南東部には、優れたきめ細かい玄武岩質の硬い石(玄武岩:basalt)があります。この岩は工具などに使用されていました。先史時代にこの重要な石の産地を持つことは、今日最高の石油備蓄を所有するようなものです。 ポリネシアの玄武岩製石器の岩絵

Polynesian Artifacts
だからピトケーン島は小さくて孤立していたにもかかわらず、それは他の島々のコミュニティが欲しかったし、取引しようとしていた何か(石器の材料)を持っていました。グループ内で2番目に重要な島は、貧弱な土壌でサンゴ礁を持たないヘンダーソン島(約37ku)で、そこは盛り上がった石灰岩(limestone)の島です。それは道具を作るための火山石の資源がなかったことをあらわしています。この島には、近隣諸島の交易品のウミガメ(sea turtles)や鳥類(birds.)の自然資源を枯渇させるまで、貿易で提供する天然資源はほとんどありません。残りの2つの島は両方とも低サンゴ礁であり、海抜2mの所にあり、ラグーンと外礁からの魚介類以外の交易品はありません。そのような最小限の天然資源で、なぜピトケーン島グループが最初に移住問題が解決されたのかを調査しなければなりませんでした。到着すると、これらの島々の海上には魚(fish)、甲殻類(shellfish)、ウミガメ、カニ(crabs)の未開拓の漁場があり、島内には数千の海鳥の営巣地がありました。移住してきた植民者は、食糧にはことかかなかったでしょう。

<ピトケーン島グループの考古学史調査>
ピトケーン諸島の考古学史に、何が起こったかの詳細な調査をしました。
過去に人が住んでいた場所を指摘し、居住地で慎重に掘削するという3つの島について考古学調査を行いました。私は居住洞窟の堆積物を細かく篩い分けることで、主に魚類だけでなく、カメ、ラット、ブタ、そして鳥類の10万本以上の骨片を回収しました。そのうちいくつかは現在絶滅しています。

ヘンダーソン島の多くの洞窟には、ピトケーン島の細かい石から作られた人工物が含まれていました。おそらくヘンダーソン島のコミュニティは50人以下で、ピトケーン島との交易品の大部分は豊富な魚や海亀を、その代償として取り引きした可能性が高いと思われました。従って、これら2つの隔離された島々は、重要な資源を交換することによって互いに生き残りました。しかし、これらの孤立したコミュニティの生き残りの唯一の本当のチャンスは、より大きな世界で、特に結婚相手を見つけるためにつながることでした。これを行うために、ピケーン・アイランダーズはマンガレヴァ島に遠く離れているも、先史時代のガンビエ諸島31ku(マンガレヴァ島は15.4ku)の広大な土地があって、巨大な黒い真珠の貝殻や装飾品を作るための大きな黒い真珠(large black-lipped pearlshell)や、火山岩(volcanic rock)を使った道具や地下のオーブンで食べ物を焼いたりする道具を作ったりと、はるかに大規模な人口で、十分な結婚相手がありました。ピトケーン島グループとマンガレヴァ島の間の貿易ネットワークには、ピトケーン細粒玄武岩(fine-grained basalt)、マンガレヴァ真珠貝殻(Mangarevan pearlshell)、豚(pigs)、オーブン・ストーン(oven stones)、釣り針(fishhooks)、植え換え株(planting stock)、そして間違いなく結婚相手の情報が含まれていました。この調査が示していることは、貿易相手がゆるい、孤立した資源不足のコミュニティに起こることの古典的な例です。

ところが、数千年前に始まったピトケーン島とヘンダーソン島の居住地の連携は、16世紀に急激に喪失しました。貿易が終了した後、ツールは地元の劣悪な素材から形作られました。それ以降の世代よりもおそらく、コミュニティは絶滅したか、島を離れるかのどちらかでした。ピトケーン島グループの小さなコミュニティは、近隣諸島からの定期的な補給だけで生き残ることができました。これは実際には、今日の「地球規模の村」の時代に考えなければならない教訓であるかもしれません。

ミステリー・アイランド
 (Mystery Island)
ミステリー・アイランドは
 ・ポリネシアン・トライアングルに有るヘンダーソン島、などと、
 ・観光用に名付けられた小さい島のミステリー・アイランド
  例:〜バンジージャンプの起源となった成人の儀式で有名なバヌアツで観光用に通称ミステリー・アイランドと呼ばれているのがあります。そこはタフェア州(Tafea)で、サンゴ礁で囲まれた、南北につながった環礁(ラグーン)の中のアナトム島(Anatom、現地ではアネイチュム島)から、1.5km離れた環礁の最南端で飛行場(タンナ島(Tanna)へ週二回の航空定期便が有)のある無人島インユー島(Inyeug Island、南緯21度:東経171度、面積1ku未満)のこと、
などがあります。
タンナ島

ヴァヌアツ 1980 発行

ポリネシアン・トライアングル
 (Polynesian Triangle)
 ポリネシアン・トライアングルとは
 ・北  端:ハワイ諸島のミッドウェー島
 ・南東端:イースター島(ラパ・ヌイ:Rapa Nui=Easter Island)
 ・南西端:ニュージーランド(アオテアロア:Aotearoa=New Zealand)
 の3点を結んで出来る三角形のこと。

参考HP:〜
ヘンダーソン島の地図
ヘンダーソン島の場所地図 (世界遺産)
ピトケアン諸島の場所地図
ピトケアン島の地図
ポリネシアの場所地図 (Pitcairn有、ポリネシアン・トライアングル

こちらで
ポリネシア(ラピタ)人の移住航海地図

世界遺産の
サン(ツォディロ)の岩絵 (ボツワナ、砂漠のルーヴル)
アルタミラ洞窟の岩絵 (スペイン)
レバントーヌの岩絵 (スペイン)
ラスコー洞窟の岩絵 (フランス)

ヌビア遺跡 (エジプト)
ペトラ遺跡 (ヨルダン)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2018/12/18
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