China 国連 1989 発行 |
切手で綴る アジア諸国(Asian Countries)
中華人民共和国 People's Republic of China |
大航海物語 地図編★ |
政郵国民華中 中国の地図 中国 1939/7/4 発行 |
中国人民郵政 人民大会堂 中国 1983/6/6 発行 |
中華人民共和国 1949 中華人民共和国成立15周年記念 1964 ”5星紅旗” ”天安門” 中国 1964/9/28 発行 |
中国人民郵政 |
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パンダ 中国 1973/1/15 発行 |
万里長城 中国 1979/6/25 発行 |
秦の始皇帝・陵墓出土の「兵馬俑」 |
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中国 1983/6/30 発行 揚子江ワニ |
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中国 1983/5/24 発行
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大清国 暫作洋銀加刷郵票(兌換切手) 兌換切手とは「この郵票と1角(10c)の銀(洋銀)を交換する」ということ 大清国 1897 発行 |
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大清国(上海書信館) 1893 発行 |
大清国(福州書信館) 1895 発行 |
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中国人民郵政 1911 辛亥革命50年記念 1961 |
日本郵便 NIPPON 明石海峡大橋 |
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孫 文 |
神戸の孫文記念館♪ 旅の風景シリーズ第10集 その3 日本 平成22年(2010) 発行 |
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中国 1961 発行 | ||
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中華人民共和国 People's Republic of China 別名:中国 (China) 中華人民共和国は、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家。 面積:約960万ku(日本の約25倍)、人口:約13億人、首都:北京、言語:漢語(中国語)、宗教:仏教・イスラム教・キリスト教など、1番切手:発行。民族:漢民族(総人口の94%)及び55の少数民族:チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家。 3000年以上に亘り、幾つもの王朝が興亡を繰り返した ・長江文明、(紀元前14000頃〜紀元前1000頃) 後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる ・黄河文明、(紀元前7000頃〜紀元前1600頃)、世界四大文明のうちのひとつ 新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、 殷・周の青銅器文化に発展。裴李崗文化 (はいり)、老官台文化(ろうかんだい)、 北辛文化(ほくしん)、磁山文化(じさん)、仰韶文化(ぎょうしょう)、 後岡文化(ごこう)、 大文口文化(だいもんこう)、龍山文化(りゅうざん)、二里頭文化((にりとう)など ・夏、(紀元前2070頃〜紀元前1600頃) ・殷(商とも、商人の語源)、(紀元前1600頃〜紀元前11世紀頃) ・周、(紀元前12世紀頃〜紀元前256)、殷を倒し西周建国 ・西周、(紀元前1046頃〜紀元前771)、遷都して ・東周、(紀元前771〜紀元前256)となる ・参考HP:〜夏の勢力地図 殷の勢力地図 周の勢力地図 ・春秋時代、紀元前770年〜紀元前403年 紀元前453年に晋が韓魏趙に分割された時点、又は紀元前403年に韓魏趙が諸侯に列した 時点をもって春秋時代の終わりとし、戦国時代の始まりとする ・参考HP:〜春秋時代の地図 ・戦国時代、(紀元前403〜紀元前221)、晋が ・韓(紀元前403〜紀元前230) ・趙(紀元前403〜紀元前228) ・魏(紀元前453〜紀元前225)に分裂し、戦国時代に突入 ・参考HP:〜戦国時代の地図 ・秦、(紀元前221〜紀元前207) 秦王の政が6国を滅ぼして中華を統一。 秦の始皇帝は秦王として紀元前246年に即位し、前221年に史上初めて中国を統一し、 中国史上はじめて皇帝(秦の始皇帝)となる(兵馬俑坑) ・参考HP:〜秦の始皇帝時代の地図 秦の勢力地図(210年頃) ・漢、 ・前漢、(紀元前206〜8) 秦滅亡後、楚の項羽との楚漢戦争に勝ち、劉邦が建国 ・新、(8〜23) 外戚の王莽が前漢皇帝から帝位を奪って建国 ・後漢、(25〜220) 前漢の景帝の子孫の劉秀(光武帝)が王莽軍を破り、漢を再興 ・参考HP:〜前漢時代の地図 後漢時代の地図 ・三国時代、(220〜280) 曹操の子の曹丕が献帝から禅譲を受け即位し、 蜀の劉備も漢皇帝を名乗り即位、 さらに呉の孫権も大帝として即位し、三国時代に入る ・魏、(220〜265) ・蜀(蜀漢・漢)、(221〜263) ・呉、(222〜280) ・参考HP:〜三国時代の地図 ・晋、(265〜420) ・西晋、(265〜 316) 晋王司馬炎が魏の元帝より禅譲を受け即位し建国するも、異民族五胡の侵入により衰退、 異民族の漢に滅ぼされる ・東晋、(317〜420) 皇族でただ一人生き残った琅邪王・司馬睿は江南に逃れ、建康で即位(元帝) これを中原の晋と区別して東晋という ・参考HP:〜西晋時代の地図 東晋時代の地図 ・五胡十六国時代、(304〜439) ・南北朝時代、(439〜589) ・北朝:北魏(386〜534)、東魏(534〜550)、西魏(535〜556)、 北斉(550〜577)、北周(556〜581) ・南朝:宋(420〜479)、斉(479〜502)、梁(502〜557)、陳(557〜589) ・参考HP:〜北魏・宋時代の地図 北魏・斉時代の地図 ・隋、(581〜618) 0598年、科挙(〜1905、隋〜清)による官僚登用試験制度が始まる 0607年、小野妹子らの遣隋使を派遣 ・参考HP:〜隋時代の地図 ・唐、(618〜907) 武周:武則天(623頃〜705)は武周朝の創始者。唐の高宗の皇后 中国史上唯一の女帝となり”武周”を創始(則天武后) 0630年、日本が遣唐使(〜894)を唐に派遣 0752年、鑑真和上が遣唐使の藤原清河らに日本への渡海を約束 0753年、中国の鑑真和上が5度の難を乗越え6回目成功、鹿児島に上陸 0804/8/10、日本の空海の乗船が遭難し福州に漂着、12/23長安に到着 0804/9月、日本の最澄が明州に到着・上陸 ・参考HP:〜高宗時代の唐の地図 ・五代十国時代 ・五代(中原を中心とする国) ・後梁(朱梁)、(907〜923)、建国者:朱全忠(在位:907-912)、都:河南省開封 ・後唐(唐)、(923〜936)、建国者:李存勗(在位:923-926)、都:河南省洛陽 ・後晋(晋)、(936〜946)、建国者:石敬?(在位:936-942)、都:開封 ・後漢(漢)、(946〜950)、建国者:劉知遠(在位:947-948)、都:開封 ・後周(周)、(951〜960)、建国者:郭威(在位:950-954)、都:開封 ・十国(中華東西南北に拠る勢力(地方政権) ・前蜀(蜀)、(907〜925)、建国者:王建(在位:907-918)、成都を中心に四川省を支配 ・後蜀 (十国)、(934〜965)、建国者:孟知祥(在位:934)、成都を中心に四川省を支配 ・閨(びん)、( 909〜945)、建国者:王審知(在位:909-925)、福建省を中心に存在 ・呉(ご)、(902〜937)、建国者:楊行密(在位:902-905)、 金陵(現:南京)を中心に江蘇省・安徽省・江西省を支配 ・南唐(唐)、(937〜975)、建国者:徐知誥(在位:937-943)、金陵(現:南京)で江南に割拠 ・荊南、(907〜963)、建国者:高季興(在位:907-926)、湖北省を支配 ・呉越、(907〜978)、建国者:銭鏐(在位:907-932)、 杭州を中心に浙江省と福建省の一部を支配 ・楚(そ)、(907〜951)、建国者:馬殷(在位:907-930)、 湖南省・広西チワン族自治区を支配した国。茶の交易で繁栄 ・南漢(漢)、(909〜971)、建国者:劉隠(在位:911)、 広東省・広西チワン族自治区・ベトナム北部を支配 ・北漢(漢)、(951〜979年)、建国者:劉崇(在位:951-954)、山西省北部を支配 ・参考HP:〜五代十国時代の勢力地図 五代十国時代の地図 南唐・宋時代の地図 ・宋〜宋は文治主義を採用して戦いに不慣れな文官が軍隊を統制したので、 軍事力が弱く周辺諸民族との戦いにも負け続けた 1127年、金の圧迫を受けて宋は江南に移る、これ以前の宋が北宋、以降が南宋 ・北宋(960〜1127)〜趙匡胤が建国(976年に全国統一) 960頃、木綿の栽培が伝来する ・南宋(1127〜1279)〜南宋時代に江南の経済が急速に発展 1170年、大輪田泊(神戸市兵庫区)にはじめて宋の船が入港 ・参考HP:〜北宋時代の地図 南宋時代の地図 遼、西夏、金 唐代の終わりから、陸上の東西交易は衰退していたが、この時期には、ムスリム商人を 中心とした海上の東西交易が発達した。当時の宋の特産品であった陶磁器から、 この交易路は陶磁の道と呼ばれ、 南宋の首都で海上貿易の中心港だった浙江省杭州は経済都市として栄え、元時代に 中国を訪れたマルコ・ポーロが杭州を「世界一繁栄し、世界一豊かな都市」と評した ・元(1271〜1368) 1206年、チンギス・カン(1162頃-1227)がモンゴル高原に遊牧国家モンゴル帝国を創設 1271年、モンゴル帝国の5代目の君主フビライ・ハーンが元を国号として中国支配 1274年、高麗と共に蒙古(元)が日本に来襲、1回目の元寇(文永の役) 1275年、マルコ・ポーロが元の大都に着く 1281年、高麗と共に蒙古(元)が日本に来襲、2回目の元寇(弘安の役) 1292年、マルコ・ポーロが福建省泉州を出帆、帰国 1351年、紅巾党の乱が勃発 1368年、紅巾党の中から頭角をあらわした朱元璋は南京で皇帝に即位して明を建国 同年、朱元璋は元の都の大都を陥落させ、元の政府はモンゴル高原へと撤退 撤退後の元のことを「北元」といい、明と北元はしばしば争った 明は1388年に北元は滅んだと称するも、実質的にはその後も両者の争いは続く ・参考HP:〜モンゴル帝国版図の地図 モンゴル帝国の勢力地図 ・明(1368〜1644) 1368年、朱元璋(1328〜在位:1368-1398)、明朝を創始(太祖) ・南明(1644〜1661) 1402年、永楽帝(朱棣、1360〜在位1402〜1424)が即位、 1404年、日本が遣明使(〜1547)を派遣 1405年、鄭和艦隊が世界周航の途上、マレー(シンガポ−ル、マラッカ)に寄航 1421年、1406年から改築の世界最大の宮殿・紫禁城が北京に完成し永楽帝が南京から遷都 1513年、ポルトガルのジョルジョ・アルヴァレスが珠江デルタのリンチン島に上陸 1540年、ポルトガルのメンデス・ピントが寧波(ニンポー)港に寄港、上陸 1541年、ポルトガルのメンデス・ピントが鎖に繋がれて北京に着き、6ヵ月半も入牢 1582年、マカオ〜マニラ貿易が始まる ・参考HP:〜明時代の地図 ・清(1616〜1912) 後金(1616〜1636)、 ヌルハチ(中国後金の創始者(1559〜在位:1616〜1626)が清の初代皇帝となる 1630年、フランスのドゥ・ロード師がベトナムから追放されてマカオに来る 1636年、中国東北地方でヌルハチが女真族を統一し、その子のホンタイジは中国東北地方と 内モンゴルを征服しモンゴル人から元の玉璽を譲られて清を建国 1638年、日本がポルトガル船の来航を禁止 1644年、李自成が明を滅す。漢族の王朝・明が滅亡、満州人の清朝が最後の王朝として 中原王朝を掌握し、満州族の清が明滅亡後の中国に進出 李自成が漢族の王朝・明を滅ぼすと清の軍隊は万里の長城を越えて李自成の軍隊を破り、 中国全土を支配下に置く。17世紀後半から18世紀にかけて、康熙帝・雍正帝・乾隆帝との 3人の賢帝の下で、清の支配領域は中国本土と中国東北地方・モンゴルのほかに、台湾・ 東トルキスタン・チベットにまで及ぶ。明代の後期にはメキシコや日本から大量の銀が中国に 流入して、貨幣として基本的に銀が使われる。そのため政府も一条鞭法と呼ばれる税を銀で 払わせる税法を始める。また、清代に入ると人頭税を廃止し土地課税のみとする地丁銀制が 始まる。また明清両代ともに商品経済が盛んになり、農業生産も向上する 1662年、清王朝、遷海令発布、マカオの貿易を禁じる(-64年) 1670年、ポルトガル使節、北京に朝貢(康熙帝) 1685年、清王朝、対外貿易を再開 1727年、ポルトガル使節、北京に朝貢(雍正帝) 1743年、イギリスのアンソン提督が世界1周航海の途上にマカオ寄航 1753年、ポルトガル使節、北京に朝貢(乾隆帝) 1787年、フランスのラ・ペルーズが北西航路発見の探検航海途上にマカオ到着 1788年、アメリカのイングラハム船長がマカオ寄航 1796年、イギリスのブロートン艦長が太平洋探検航海の途上にマカオ寄港 1805年、ロシア最初の世界1周航海でクルーゼンシュテルン提督がマカオ寄港 1839年、イギリスが中国の「お茶」輸入で貿易赤字となり「阿片」を中国へ輸出したため、 中国の林則徐がアヘン貿易を取り締り、 1840年、イギリス政府は清に対して宣戦布告、阿片戦争(〜1842)勃発 アヘン戦争では、工業化を成し遂げ近代兵器を持っていたイギリス軍が勝利 1841年、香港島が阿片戦争(1840-42)中に英に占領され自由港宣言
1864年、ポルトガルがマカオのコロアネ島を占領 1894年、日清戦争(明治27年7月〜1895年(明治28年3月)勃発 主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清帝国の戦争、清は敗退 1895年、日清戦争で日本に敗れたことにより列強による植民地化が進行 これを契機に満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で起こる 1898年、ドイツが膠州湾を租借地(〜1914年)とし、山東半島南部に青島を建設 1904年、日露戦争(〜1905)が勃発 1911年、武昌での軍隊蜂起をきっかけに辛亥革命が勃発、各地の省が清からの独立を宣言 袁世凱(1859〜1916)が清朝第2代内閣総理大臣就任して 反乱軍の鎮圧を命じるも、寝返って反乱側につき、清朝が崩壊 ・参考HP:〜清の最大時代の地図 ・中華民国(1912〜現在) 日本やイギリス、フランスやドイツなどの列強による中国大陸の局地的な支配が続き 軍閥による群雄割拠が続いた上に、統一国家の体をなさない混乱状態がしばらく続いた その後は非漢族居住地たるモンゴル・チベットなどの支配も目論んだが、 活発な独立運動が行われた 1912/1/1、孫文(1859〜1916)が南京で中華民国の樹立を宣言、臨時大総統となる 東アジア初の共和国の中華民国が成立 1912/2/12、袁世凱により清朝皇帝の宣統帝が退位、清朝が消滅 1912/3/10、宣統帝の退位で袁世凱が中華民国臨時大総統に就任 1914年、第一次世界大戦が勃発、 大日本帝国がドイツに宣戦布告して膠州湾のドイツ要塞(青島)を陥落させ占領 1915年、袁世凱が帝政復活を宣言し中華帝国皇帝(1915/12/12〜1916/3/22)となる 1916年、袁世凱が退位、6月に病没、軍閥割拠の時代に突入、 蒋介石の北伐が終了までの10年余り、軍閥割拠状況が続く 1918年、第一次世界大戦が終結
1941/12/8、大日本帝国がハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発 マカオは中立港として繁栄 1943年、大日本帝国軍、マカオを保護領化 1945/8/15、大日本帝国降伏(9/2:第2次世界大戦終結) 1945年、第二次世界大戦における日本の敗北によって日本が中国大陸から撤退し、 中華民国が連合国(戦勝国)の1国として中国大陸を完全統治する体制が整う 1949年、共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立、 中華民国は台湾島に遷都、台湾島とこれらの島嶼地域は現在中華民国の統治下 1950年、中華人民共和国が台湾および福建省一部島嶼を除く中華民国の統治国土を制圧 ・中華人民共和国(1949〜現在) 毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで 大躍進政策を行なったが、多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。その後、経済の 立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の 多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。文革は、毛沢東の死と共に終結 その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだ 1949年、毛沢東主席(1893〜1976)時代が始まる(〜 1978) 1949/6/2、中国人民解放軍が青島に入城 1949/10/1、中華人民共和国が成立 1958年、毛主席が大躍進政策を指示するも、失敗に終わり、経済が疲弊する 1959年、毛主席に代わって、劉少奇(1898〜1969)が国家主席に就任 1962年、七千人大会で毛主席が自己批判して政務の一線を退く 劉主席は党総書記のケ小平と共に市場主義を取り入れた経済調整政策を実施し 大躍進政策で疲弊した経済の回復に努める 1966年、文化大革命が始まる(〜1970年代前半、毛沢東の死と共に終結)、 政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動の筈が、全国の人民を巻き込む 粛清運動に展開、数千万人の犠牲者を出したほか、国内の主要な文化の破壊と 経済活動の長期停滞をもたらす惨事となる 1968/10、第8期拡大12中全会で、劉少奇が中国共産党除名処分となり、失脚 1969/3/2〜15日、アムール川(黒竜江)支流ウスリー川の中州ダマンスキー島(珍宝島)の 領有権を巡って大規模な軍事衝突が発生 1971/8/08、林彪(りんぴょう、1907〜1971)副主席一派による毛沢東暗殺未遂が発生 林彪の娘の林立衡が毛沢東側近の周恩来に密告したため失敗との説有 1971/9/13、林彪事件が発生、ソ連へ逃亡中の林彪の乗機がモンゴル領内に墜落、死亡 1973/8月、10全大会で中央政治局内に四人組が成立、 江青(中央文革小組副組長、毛沢東夫人、1914〜1991、西太后と並ぶ悪女説有) 張春橋(副首相、政治局常務委員、1917〜2005) 姚文元(政治局委員、1932〜2005) 王洪文(党副主席、1935〜1992、獄中病没) 1976年、江青一派が復活したケ小平を再度失脚に追い込む 1976/9/09、毛沢東主席が亡くなる 1976/10/6、クーデター的に「四人組」が逮捕される 1978/12月、第11期三中全会でケ小平が実権を掌握、ケ小平時代が始まるケ小平時代の 中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済 革導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。その結果、経済の 改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長。一方、急激な経済成長と 共に貧富差の拡大や環境破壊が問題となる。また、政府は中華人民共和国の分裂を促す ような動きや、共産党一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢をとる 1980年、「四人組裁判」(四人組や林彪事件の関係者)始まる 1981年、江青に死刑(2年間の執行猶予付き)判決(1983年に無期懲役に減刑) 1985年、ソ連のゴルバチョフ書記長が北京を訪れる 1989年、六四天安門事件 1991年、ソ連が崩壊 2005年、反国家分裂法成立 2008年、北京で第29回夏季オリンピック開催、8/8〜8/24、 (204の国と地域 、約11000人のアスリートが参加 2010/5/1〜、上海で万国博覧会が開催される、7000万人が目標入場者数。 領土問題:〜 中国は国境地域で複数の国々と境界線や島嶼部を巡って領土問題を抱えている。 ・尖閣諸島(日本、中華民国) ・パラセル諸島(ベトナム、中華民国)西沙諸島 ・スプラトリー諸島(フィリピン、ベトナム、マレーシアなど)南沙諸島 ・マクマホンライン(インド) ・カシミール地方(インド、パキスタン) ・蘇岩礁(韓国) ・広開土王碑(北朝鮮) ・台湾(中国が台湾省として領有を主張)中華民国 中国大陸の東部は渤海、黄海、東シナ海に、南部は南シナ海に臨んでいる。 海域には5,400の島が点在し、そのうち最大の島は台湾島。台湾島の北東海域に位置する釣魚島、赤尾島は中国の最東端の島嶼で、中国最南端は南海諸島と呼ばれる島嶼群である。この南海諸島では島嶼、礁(サンゴ礁)、灘(砂浜)が散在しており、これを一括して南海諸島と言う(但し、中華人民共和国政府が中国領と主張しているが実効支配していないため、東シナ海、南シナ海の海域には領土問題が存在する。詳細は外交参照)。主要河川として黄河や長江があり、それぞれ黄河文明、長江文明を育んだ自然の恵みでもある。 2004年現在、中華人民共和国の行政区分は23の省(中華民国の領土で、中華人民共和国が実効支配していない台湾省を含む)、5つの自治区、4つの直轄市、および2つの特別行政区から成り立っている。 省と省都所在地:〜 ・安徽省、合肥市 ・福建省、福州市 ・甘粛省、蘭州市 ・広東省、広州市 ・貴州省、貴陽市 ・海南省、海口市 ・河北省、石家荘市 ・黒竜江省、ハルビン市 ・河南省、鄭州市 ・湖北省、武漢市 ・湖南省、長沙市 ・江蘇省、南京市 ・江西省、南昌市 ・吉林省、長春市 ・遼寧省、瀋陽市 ・青海省、西寧市 ・陝西省、西安市 ・山東省、済南市 ・山西省、太原市 ・四川省、成都市 ・雲南省、昆明市 ・浙江省、杭州市 ・台湾省、中華民国の台北市 自治区:名称、区都所在地 ・広西チワン族自治区、南寧市 ・内モンゴル自治区(内蒙古)、フフホト市 ・寧夏回族自治区、銀川市 ・新疆ウイグル自治区、ウルムチ市 ・チベット自治区(西藏自治区)、藏(Zang、ラサ市) 直轄市、政府所在地 ・北京市、東城区 ・重慶市、渝(Yu)中区 ・上海市、黄浦区 ・天津市、和平区 特別行政区:名称、(略称) ・マカオ特別行政区、(澳、Ao) ・香港特別行政区、(港) 香港とマカオは返還された年(香港:1997年、マカオ:1999年)から50年間は返還される前と同じ行政体系をそのまま維持することが認められている。そのためオリンピックなどの国際スポーツ競技会では香港、マカオは独自のチームを編成している。 <中国のユネスコ世界遺産>:〜55件 ・文化遺産 01.万里の長城(1987)※ 02.北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(1987、2004拡大) 03.莫高窟(1987年) 04.秦始皇帝陵及び兵馬俑坑(1987) 05.周口店の北京原人遺跡(1987) 06.承徳の避暑山荘と外八廟(1994) 07.曲阜の孔廟、孔林、孔府(1994) 08.武当山古建築(1994) 09.ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(1994、2000・2001拡大) 10.廬山国立公園(1996) 11.麗江古城(1997) 12.平遥古城(1997) 13.蘇州古典園林(1997、2000拡大) 14.頤和園(1998)※ 15.天壇(1998) 16.大足石刻(1999) 17.青城山と都江堰(2000) 18.安徽南部の古村落−西逓と宏村(2000) 19.龍門石窟(2000) 20.明・清王朝の皇帝墓群(2000、2003・2004拡大) 21.雲崗石窟(2001) 22.高句麗前期の都城と古墳(2004) 23.マカオ歴史地区(2005) 24.殷墟(2006) 25.開平楼閣と村落(2007) 26.福建土楼(2008) 27.五台山(2009) 28.「天地の中央」にある登封の史跡群(2010) 29.杭州西湖の文化的景観(2011) 30.上都遺跡(2012) 31.紅河哈尼棚田群の文化的景観(2013) 32.シルクロード:長安−天山回廊の交易路網(2014) 33.大運河(2014) 34.土司遺跡群(2015) 35.左江花山の岩絵の文化的景観(2016) 36.歴史的共同租界、鼓浪嶼(コロンス島、2017)※ 37.良渚古城遺跡(2019) ・自然遺産 38(01).九寨溝の渓谷の景観と歴史地域(1992) 39(02).黄龍の景観と歴史地域(1992) 40(03).武陵源の景観と歴史地域(1992) 41(04).雲南の三江併流保護区(2003) 42(05).四川ジャイアントパンダ保護区群(2006) 43(06).中国南方カルスト(2007・2014拡大) 44(07).三清山国立公園(2008)※ 45(08).中国丹霞(2010) 46(09).澄江の化石産地(2012) 47(10).新疆天山(2013) 48(11).湖北神農架(2016) 49(12).青海可可西里(2017) 50(13).梵浄山(2018)※ 51(14).中国の黄海=渤海湾沿岸の渡り鳥保護区群(第1段階)(2019) ・複合遺産 52(1).泰山(1987) 53(2).黄山(1990) 54(3).峨眉山と楽山大仏(1996) 55(4).武夷山(1999) ・国境を越える世界遺産 (1).シルクロード:長安−天山回廊の交易路網(カザフスタン、キルギスと共有) ※:HP準備中:※HP作成中。 参考HP:〜 ・中華人民共和国の行政区画の地図 ・在日中華人民共和国大使館の公式HP(日本語) ・珠江流域の地図 こちらで ・秦の始皇帝の兵馬俑坑(写真集)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/5/5、2019/11/19, 令和5年 2023/10/28 |