Pakistan

国連 1984 発行

パキスタン
Islamic Republic of Pakistan

大航海物語
地図編
1947、パキスタンが独立

英連邦王国パキスタン
Commonwealth of Pakistan


西パキスタン
PAKISTAN
パキスタン独立時の地図
東西パキスタンとカシミール地方を表示


パキスタン 1955/10/14 発行



カシミール地方
東パキスタン

・参考HP:〜東西パキスタンの地図 (1939)

パキスタン分裂(1971)

パキスタン・イスラム共和国
Islamic Republic of Pakistan

PAKISTAN POSTAGE
東西パキスタン分裂後の地図

パキスタン 1955/10/14 発行
14th October 1955、
PROVINCE OF VEST PAKISTAN
パキスタン帰属州地図 上(北)より
・PESHWAR ペシャワール ・北西辺境州
・RAWALPINDI ラワルピンジ ・パンジャーブ州
・D.I.KHAN D.I.ハーン #2州
・LAHORE ラホール ・パンジャーブ州
・MULTAN ムルタン ・パンジャーブ州
・BAHAWALPUR バハワルプール ・パンジャーブ州
・KHAIRPUR カーイルプール ・シンド州
・HYDERABAD ハイデラバード ・シンド州
・KARACHI カラチ ・シンド州
西に、・QUETTA クェッタ ・バローチスターン州
西に、・KALAT カラート ・バロチスタン州
左の切手に11の都市名を表示
1947/8/14、イスラム教徒多数派地域がイギリス領インド帝国から独立を宣言し、
        イギリス国王を元首とする、ドミニオン(英連邦王国パキスタン)となる
1947〜1949、印パ西部国境でカシミール地方の領有をめぐって、
         第1次パキスタン・インド(印パ)戦争が勃発、
         国連の仲裁で停戦、停戦ラインでカシミールを分割
1956、共和制移行、(パキスタン・イスラム共和国)
1965/8〜9/21、印パ西部国境でカシミール地方の領有をめぐって、
          第2次印パ戦争、国連の仲裁で停戦
1971/3/26、東パキスタンがバングラデシュとして分離独立を宣言
1971/12/3〜12/16、印パ西部国境でバングラデシュの独立で第3次印パ戦争、インドの勝利
1971/12/16、パキスタンがバングラデシュの独立を承認

・国名の変遷:〜
 1947〜1956:英連邦王国パキスタン(Dominion of Pakistan、Commonwealth of Pakistan)
 1956〜1962:パキスタン・イスラム共和国(Islamic Republic of Pakistan)
 1962〜1973:パキスタン共和国(Republic of Pakistan)
 1973〜現在:パキスタン・イスラム共和国(Islamic Republic of Pakistan)

PALAU
イスラム諸国初の女性首相
ベーナズィール・ブット女史

2000年紀のミレニアム切手
パラオ 1999/12/31 発行
Dominica
パキスタンが核実験に成功、1998

画像は米国ニューメキシコでの人類最初の核実験、1945/7/16
2000年紀のミレニアム切手

ドミニカ 1999/12/31 発行

S.TOME E PRINCIPE
マララ・ユスフザイ

ノーベル平和賞の受賞者
サントメプリンシペ 2019 発行

パキスタン・イスラム共和国
  (Islamic Republic of Pakistan)
パキスタン・イスラム共和国は南アジアの国家で、イギリス連邦(Commonwealth of Nations)加盟国。国土の中心部を流れるインダス河(Indus River、3,200km)流域に国民の80%以上が住み、人口増加が著しい国の一つ。

面積:79.6万ku(約80万kuで日本 (約38万ku) の約2倍)
人口:1億9,540万人(年人口増加率1.89%、2016年)
首都:イスラマバード(Islamabad)、最大都市:カラチ(Karachi)
民族:パンジャブ人、シンド人、パシュトゥーン人、バローチ人
言語:ウルドゥー語(国語)、英語(公用語)
識字率:60%(10才以上、2016)、宗教:イスラム教(国教)
1番切手:インド(1937-43)切手に”PAKISTAN”加刷、1947/10/1発行。

・パキスタン略史:〜
1947/08/14、パキスタンが英領インドから独立(イスラム教徒地域の英連邦王国パキスタン国)
         新国旗制定(1947/8/11)
1947/08/15、インドがイギリスから独立
1947/10/21、第1次印パ戦争(-1948/12/31)
1948、建国の父ムハンマド・アリー・ジンナー(Muhammad Ali Jinnah, 1876-1948)死去
1949/1/1、第1次印パ戦争が国連仲裁で停戦
1951/10/16、ハーン首相(Nawabzada Liaquat Ali Khan 1895-)暗殺
1952、日本・パキスタン国交樹立
1954、5月に米国と相互防衛援護協定を締結
    同年9月にはSEATO(東南アジア条約機構)加盟
1955、米国主導の反共同盟METO(中東条約機構)加盟
    インドが親ソの非同盟主義で、パキスタンは米国との関係を強める
1956、「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行
    経済五ヵ年計画で高度経済成長が始まる
1958、クーデターでアユーブ・カーン陸軍大将が大統領に就任、独裁政権を樹立
1962、「パキスタン共和国憲法」(大統領制)公布・施行
1965、第2次印パ戦争(1965/8-9/23)、国連仲裁で停戦
1969、アユーブ大統領辞任
    ヤヒヤー陸軍参謀長が大統領に就任
1970/11/12、ボーラ・サイクロン(Bhola cyclone)
         東パキスタンのボーラ地方とインドの西ベンガル州をサイクロンが襲う
         ベンガル・デルタ地帯の標高が低い島々が高潮に襲われ、これを主な原因として
         もっとも控えめな見積でも20万5000人以上、最大50万人と推定される人命が失わ
         れ、サイクロンとしては史上最大級の犠牲者を出す。被災地への政府対応に対す
         る批判が高まり第三次印パ戦争に発展
1970/12月〜翌年1月、初の総選挙実施
    ズルフィカール・ブット人民党(PPP)党首が大統領に就任(1971/12/20-1973/8/13)
1971、インドが東パキスタン (現バングラデシュ) へ軍隊を派遣
     外務大臣ズルフィカール・ブットが問題解決のため国連へ赴く
1971/03/26、東パキスタンがバングラデシュとして独立宣言
1971/12/3、第3次印パ戦争(-12/16)勃発、インドの勝利
1971/12/16、パキスタンがバングラデシュの独立承認
1972、イギリス連邦脱退
1973、「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行
    ズルフィカール・ブット大統領が首相(在任1973/8/14-1977/7/5)に就任
1977、総選挙実施、選挙でズルフィカール・ブット党首率いる人民党勝利
    ハク陸軍参謀長(Muhammad Zia-ul-Haq、1924-1988)がクーデター、選挙で勝利した
    ブット党首率いる人民党に対して選挙の不正を指摘した野党が大規模な抗議運動を展開
    これが暴動などの混乱を引き起こすと、ハク陸軍参謀長が軍事クーデタで政権を掌握して
    大統領に就任。まもなく、ブット党首を処刑(1979)し、それから約10年間軍部独裁が続く
1978、ハク陸軍参謀長、大統領に就任(1978/9/16-1988/8/17)
1979、ハク大統領、「イスラム化政策」開始
1979/04/04、ブット党首が処刑される
1979/12/24、ソビエト連邦がアフガニスタンへ軍事介入、1989/2/15に撤退
1985、総選挙実施、ジュネージョ首相就任
    「憲法第8次修正」成立
1988/05/29、ハク大統領がジュネージョ首相を解任
1988/08/17、ハク大統領が飛行機墜落事故で急死
    グラーム・イスハーク・カーン上院議長が大統領に就任(1988/8/17-1993/7/18)
1988/10/31、ソ連軍の撤退および難民の帰還に関する
    国際連合アフガニスタン・パキスタン仲介ミッション協定が締結される
1988/12/2、総選挙実施(後に第1次ブット政権が成立)
    ブット元大統領の娘ベーナズィール・ブット女史がイスラム諸国初の女性首相に就任
1989、イギリス連邦に再加盟
1990/8/6、軍支持のクーデターで汚職を告発されたブット首相がカーン大統領に解任される
    総選挙実施、シャリフ首相就任(第1次シャリフ政権)
1993、G・I・カーン大統領、シャリフ首相を解任
    総選挙実施、ブット女史が首相に復帰(第2次ブット政権)
1996/11/5、レガーリ大統領がブット首相を汚職や不正蓄財を理由に解任
1997、総選挙実施、シャリフ首相就任(第2次シャリフ政権)
    「憲法第13次修正」成立
1998/5/11、と5/13にインドのヴァージペーイー政権が地下核実験を実施
1998/5/28、と5/30にナワーズ・シャリーフ首相兼国防大臣のパキスタンによる初核実験が成功
    これに対し日米がインド・パキスタン両国へ経済制裁を課す
    米国で2001年に同時多発テロが発生すると経済制裁を解除
1999/5月、インドとのカシミール領有権をめぐる国境紛争(カルギル紛争)
    カシミールのカルギル地区でパキスタン軍およびカシミール反インド政府活動家が
    停戦ラインを超えてインド軍の駐屯地を占領して両軍が衝突
    カルギル紛争(Kargil War, 1999/5月-6月)に発展し、核兵器の実戦使用が懸念される
1999/6月、インド軍が駐屯地を奪還して停戦
1999/10/12、ムシャラフ陸軍参謀総長が無血クーデター
    ムシャラフ参謀総長が行政長官就任
2001/06/20、ムシャラフ行政長が大統領就任(-2008/8/18)
2007/10/06、大統領選挙が行われ、ムシャラフ大統領が圧倒的多数で再選
2007/12/27、ベーナズィール・ブット(Benazir Bhutto)元女性首相がイスラマバード郊外の
    ラワルピンディーでテロリストの銃撃と自爆テロで暗殺(54才)される
2007、イギリス連邦(Commonwealth)の資格停止
2013/5/13、パキスタン下院総選挙でパキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派が勝利
2013/6/05、ナワーズ・シャリーフ(Mian Muhammad Nawaz Sharif、1949-)が首相に就任。

・パキスタンの州区分:〜州(4)、連邦直轄地区(2)、行政区(2) 区分 州都
バローチスターン州 Balochistan クエッタ
カイバル・パクトゥンクワ州 Khyber Pakhtunkhwa ペシャーワル
パンジャーブ州 Punjab ラホール
シンド州 Sindh カラチ
イスラーマーバード首都圏 Islamabad Capital Territory 直轄 イスラマバード
連邦直轄部族地域 (FATA) Federally Administered Tribal Areas 直轄 ペシャーワル
アザド・カシミール Azad Kashmir 行政区 ムザファラバード
ギルギット・バルティスタン Gilgit-Baltistan 行政区 ギルギット
※カシミール地方のパキスタン実効支配領域は、2つの行政区に分かれる。
参考HP:〜
パキスタンの州区分地図

・ベーナズィール・ブット女史
  (Benazir Bhutto)
  1953/06/21: パキスタン、カラチ生
  2007/12/27: パキスタン、ラーワルピンディー(54才)没
ベーナズィール・ブット女史は、パキスタンの政治家、元首相(1953/6/21- 2007/12/27)。イスラム諸国家における初の女性首相であり、後に暗殺されました。植民地独立後のイスラム諸国家における初の女性首相で、父ズルフィカール・アリー・ブット元首相(Zulfikar Ali Bhutto, 1928-1979/4/4)が設立したパキスタン人民党(PPP)の総裁(党首)となり、1988年と1993年の2度、首相に選出されているも、いずれも汚職などを理由に解任されました。2007年12月27日に政界復帰を目指して、国会議員選挙運動中に暗殺されました。夫アースィフ・アリー・ザルダーリー
ブット女史
との間に、一男二女(長男・長女・次女)がいます。現在、アースィフ・ザルダーリー(大統領在任2008/9/9-2013/9/9)と長男のビラーワル・ブットー・ザルダーリーが、後継の人民党共同総裁。

ブット女史の略年表
・第14代首相、在任:1993/10/19-1996/11/05
・第20代財務大臣、在任:1994/01/26-1996/10/10
・第17代財務大臣、在任:1988/12/04-1990/12/06
・第19代国防大臣、在任:1988/12/04-1990/08/06
・第12代首相、在任:1988/12/02-1990/08/06
1953/6/21、カラチで誕生
1969/4月、ハーバード大学のラドクリフ・カレッジ校
       オックスフォード大学レディー・マーガレット・ホール校
1971、カレッジを一時的に離れ、ニューヨークで父の助手を務め、様々な社会問題に参加
1973、政治学の学位を得てカレッジを卒業
    秋にオクスフォードに進学し、PPE(政治学・哲学・経済学)で修士号を得る
    オクスフォード卒業後にパキスタンへ帰国したが、父親の監禁と処刑の過程で、
    彼女は自宅軟禁を受ける
1977、父がムハンマド・ハク将軍のクーデターで失脚
1979/4/4、政敵暗殺の容疑をかけられた父が死刑を執行されて亡くなる
1984、イギリスへの渡航が許可され、彼女は亡命、
    父の政党であったパキスタン人民党 (PPP) の党首に就任
1988/11/16、10数年振りに施行された公開選挙で、
    PPPはパキスタン国民議会の単独与党の座を勝ち取った
    12/2に宣誓、現イスラム諸国家で最年少 (35才) で初の女性政府代表、
    パキスタン第12代首相となり、同年ビープル誌で「世界で最も美しい50人」に選出される
1990/8/6、汚職を告発(首相選出20ヵ月後)され、軍の支持を受けてクーデターで大統領に就
    任したグラーム・イスハーク・ハーン()により首相を解任される
    10月の選挙で、PPP(パキスタン人民党)は敗北
1993/10/19、首相に返り咲く
1994/8月、パキスタン北西辺境州でパキスタン諜報機関支援にてタリバンが結成される
1996/9月、タリバンがアフガニスタンのカブールに入城
1996/11/05、再び汚職を告発されるなど様々なスキャンダルが原因で、
    ファールーク・ラガーリー()大統領によってまたも首相を解任される
2002、統一選挙
1999、ムシャラフ(Pervez Musharraf、1943-、大統領2007/10/6-2008/8/18)の無血クーデター
2002、民政移管で統一選挙、 PPP は最大票を得て国民議会で62議席を獲得
2004年秋、ドバイに滞在し3人の子供ら家族とともに生活し、世界中を回って講演活動を行い、
    PPPの支持者と連絡を取り合って、2007年の統一選挙でパキスタンに帰国し首相への
    返り咲きを狙うことを公言
    2007/10月、政界復帰を目指して帰国、カラチで帰国遊説中に自
    爆テロに遭遇するも難を逃れる
2007/12/27、イスラマバード郊外のラーワルピンディーで選挙集会に参
    加中、イスラム原理主義
    者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロで暗殺(54才)される
    自爆テロで集会現場に居合わせた支持者や警官にも20人死亡
    翌日に一族の墓に葬られ、彼女が総裁を務めていたパキスタン
    人民党は彼女の長男でオックスフォード大学生ビラーワル・ブッ
    ト(19才)を新総裁に、夫(51才)が総裁代行
マララ・ユスフザイ女史

サントメプリンシペ 2019 発行
2014年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai、1997-)女史はイスラム
   世界における初の女性首相であるのブット女史に刺激を受けたと語っています。

・古代遺跡:〜
モヘンジョダロ
 (Mohenjo-daro)
モヘンジョダロ遺跡群はパキスタンのインダス文明最大級の都市遺跡。 紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測される。しかしその後短期間で衰退した。原因としてさまざまな説があげられるも、近年の研究では大規模な洪水で衰退したと考えられている世界遺産。

タキシラ仏教寺院遺跡群
 (Taxila Buddhist Ruins)
タキシラ仏教寺院遺跡群はパキスタンの仏教寺院の跡で、世界遺産。

パハルプールの仏教寺院遺跡群
 (Paharpur Buddhist Bihar Ruins)
パハルプールの仏教寺院遺跡群は旧東パキスタンで、現バングラデシュのラジシャヒ管区にある8世紀半ば〜9世紀にかけてパーラ王朝が建設した仏教寺院の跡で、その最大級のものがパハルプール。ベンガル語でパハルは「山」、プールは「中核」の意味。世界遺産。

マイナマティのシャルバン精舎
 (Shalban vihara Ruins, Mainamati, Comilla, Bangladesh)
マイナマティの仏教寺院遺跡群シャルバン精舎は旧東パキスタンで、現バングラデシュのチッタゴン管区コミラ県にある8世紀〜12世紀にかけてパーラ王朝が建設した仏教寺院の考古遺跡。

・参考:〜
”1955/10/14”の道路地図
←シャープール


←ハイルプール


←ハイデラバード

←カラチ






高速道路”Shahara-e”の地図

カシミ

ル地方
”Quetta-Hyderabard-Islamabard-Torkham”
・トールハム(Torkham)、アフガニスタン・パキスタン国境検問所
 アフガニスタンのナンガルハール州
 パキスタンの連邦直轄部族地域でカイバル・パクトゥンクワ州
・イスラマバード(Islamabad)、パキスタンの首都
・ハイデラバード(Hyderabad)、パキスタンのシンド州の都市
・クエッタ (Quetta)、パキスタンのバローチスターン州の州都。
こちらで
バングラデシュ
世界遺産の
サンマリノ
ヌビア遺跡 (エジプト)
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2018/9/15、令和元年 R.1/12/25 (2019)

スタンプ・メイツ
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