切手で綴る世界遺産 (中国)
秦の始皇帝陵墓の兵馬俑
BC210、以降の創建
1974、地元住民が発見
1987、世界遺産登録


中国人民郵政
秦の始皇帝陵墓の兵馬俑坑出土品
兵馬俑


中華人民共和国 1983/6/30 発行 切手帳より

青銅製の銅車馬
 青銅製馬車の御者 青銅製馬車の馬

始皇帝が使ったといわれる馬車の青銅製1/2モデルが出土

4頭立ての二輪馬車:1号銅車馬の御者は立車姿、2号銅車馬の御者は正座姿
中華人民共和国 1990/6/20 発行

Nations Unies
歩兵俑
兵馬俑抗
跪射俑
国連の世界遺産シリーズ(切手帳)より
国連ニューヨーク本部 2001/8/1 発行

秦の始皇帝陵墓の兵馬俑
  The Terracotta Army
(warrior)
   (テラコッタウォリア:Soldier-and-horse funerary statues)
 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1987)
 (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
 正式名称:日:秦始皇帝陵及び兵馬俑坑
 英:Mausoleum of the First Qin Emperor
 仏:Mausolee du premier empereur Qin
 所在地:中華人民共和国陝西省西安市臨潼区の秦始皇帝陵兵馬俑坑(1〜3号)
秦始皇帝陵及び兵馬俑(へいばよう)は中国陝西省西安北東30kmの驪山(りざん)北側(臨潼区:りんどうく)にあるユネスコ世界遺産(文化遺産)です。

秦(しん:BC221-BC206)の始皇帝(しこうてい:BC259〜在位BC247〜BC210)は中国史初の皇帝で、その強大な力を利用して大きな陵墓(人形を作り埋葬したのは二代皇帝胡亥(こがい:在位BC210/8月〜BC207/8月)という説も有)を建てました。その秦始皇帝陵(墓)は、1974年に地元の住民が発見しました。その周辺の地下にある兵馬俑坑は、この陵を取り巻くように配置されており、その規模は
・面積:2万u余
・東西:230m
・南北:62m
・高さ:5m
という、きわめて大規模な地下の3つの俑坑から、本物の人間や馬と同じサイズの粘土で出来た人形の、
・戦車:100余台
・陶馬:600体余
・兵士:約8,000体
・などが出土。
武士俑は成人男性の等身大で全て違う顔をしており、兵馬俑の軍団は東方を向いて、旧六国(斉・楚・燕・韓・魏・趙)を威圧したものとみなされています。また、かつては兵士の俑それぞれに顔料で彩色がされていたことがその後の発掘調査で判明しました。1975/7/21に新華社通信が秦始皇帝陵兵馬俑坑の発見を報じると、世界的な大ニュースとなりました。1976/4月に1号坑の東端北側から2号兵馬俑坑が発見され、1976/5月に1号坑の西端北側から3号兵馬俑坑が発見されました。

・兵馬俑の種類:〜
兵馬俑は、全体でひとつの軍団を写したものです。そのため、指揮官・騎兵・歩兵と異なる階級や役割を反映させた造形で、将軍・重装歩兵・軽装歩兵・騎兵・御者・弓兵などの他に、力士・文官・芸人など、軍団を構成するさまざまな役割の将兵が表されています。来世へと旅立った始皇帝のために造られた兵馬俑抗の遺跡には、身を守る軍隊だけでなく、宮殿のレプリカや、文官や芸人等の俑も発掘されています。そのため、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうとしたものである可能性が高いと考えられています。

(1)武士俑(ぶしよう)
武士俑は兵士俑(へいしよう)、又は歩兵俑(ほへいよう)とも呼ばれる一般的な兵士で、平均身長は約1.8m。軍団の主体を構成しており、兵馬俑坑から出土した数は最も多く、戦袍を着た兵士(戦袍武士俑)と、鎧を着た兵士(鎧甲武士俑)の2種が有ります。軽装備の戦士の歩兵俑には、右前合わせの上着を革帯で留めて、歩きやすいように丈の短いズボンと脚絆を着用し、右手に弩弓を持っていたものと推測されるものも有。
歩兵俑

(2)御者俑(ぎょしゃよう)
兵馬俑坑1号坑では、随所に4頭立ての陶製馬の引く木製の指揮用戦車がありました。戦車の後方には3体の俑が並べて置かれ、そのうち中央か左側に立つのが御者俑。丈の長い下衣の袍の外側に鎧を着け、頭には頭巾や長冠を被っています。手綱を持つ両手を前に突き出している形状が特徴的です。銅車馬とともに出土した御者の俑は、「曷鳥(1文字:やまどり)」冠(かつかん)と呼ばれる山鳥の尾をかたどった冠を載せており、高い身分であったといわれています。

(3)立射俑(りっしゃよう)
兵馬俑坑2号坑の東部で出土し、武器として強弩を所持していました。跪射俑と共に弓弩兵の四方戦陣を構成しており、陣の外側に配置されています。立射俑には、弓の準備、完了の姿で、半身に構えて遠くを見据えて、弓か弩弓に矢をつがえて待機している兵士の姿を表したもので、鎧ではなく、上着を身にまとい革帯で留めていて動きやすい軽装備の射手俑もあります。

(4)跪射俑(きしゃよう)
立射俑と同様に、2号坑の東部で出土し、武器として弓を所持していました。跪射俑は左膝を曲げて立って、右膝を地につけた形状が特徴的です。下衣に戦袍を着て、外側に鎧を着け、頭頂の左側に髷を結っています。立射俑と共に弓弩兵の四方戦陣を構成して、陣の内側に配置されています。跪射俑には、鋭い眼光の射手で片膝を立てて、緊張した表情で前方を見ていて、攻撃命令を待っているように見え、右側には弩弓を携えて鎧を着た重装備の弓兵もいて、立射俑とは異なる部隊を編成していました。

(5)将軍俑(しょうぐんよう)
兵馬俑として数が少なく、出土したものは10体もなく、戦袍を着た将軍と、鎧を着た将軍の2種類があり、いずれも頭の髷の上に曷鳥冠(かつかん)を載せています。将軍俑には、思慮深そうな眼差しとたくましい両腕に百戦錬磨の武将の様子を伝えて、 湾曲した冠と丈の長い、房飾り付きの鎧を身につけて、組んだ両手の下には、剣を立てていたものもあります。
前が将軍俑

(6)軍吏俑(ぐんりよう)
重装備の豪傑 二の腕まで覆う重装備の鎧をまとい、頭に板状の冠を載せています。前に出した左手の角度から、当初は何らかの武器を少し傾けて持っていたものと推測されます。いかにも豪傑風の髭をもつ部隊長級の人物です。

(7)文官俑(ぶんかんよう)
裾の長い上衣を着て、頭に冠をつけ、腰には小刀と砥石をぶらさげて携帯しており、小刀は竹簡を削って誤字を修正するためのものでした。

(8)百戯俑(ひゃくぎよう、力士俑:りきしよう)
でっぷりと肥った腹部と逞しい筋肉をもつ男性の俑。力比べに用いられた青銅の鼎とともに出土。

(9)楽士俑(がくしよう)
足を伸ばして座り、足の上の何かを操作する男性の俑。船を漕ぐ人という説も有。青銅製の水鳥とともに出土。

(10)銅車馬(どうしゃば)
銅車馬は2種類の4頭立て馬車をかたどった青銅製の精巧な模型で、大きさは実際の馬車の半分ほどです。表面全体に彩色を施し、馬には金・銀製の豪華な金具を着けています。1号の銅車馬は立って乗るもの(立車)で、輿には絹傘を立てています。2号の銅車馬は輿のなかに座る(安車)ことができ、左右両側と前方の窓は自在に開閉できます。2両とも始皇帝陵の西側の坑から出土。御者はいるものの、主人の姿は見えません。始皇帝の霊魂を乗せて出かけるために副葬したとする考え方もあります。

(11)その他
・騎兵俑(きばよう)
・軍馬俑(ぐんばよう)
・雑技俑(ざつぎよう)
・馬丁俑(ばていよう)
など。

参考HP:〜
彩色兵馬俑抗の場所地図(日本語)
彩色の兵馬俑写真

こちらで世界遺産の
ヌビア遺跡 (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
アンコールトム (カンボジア)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2016/11/16

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