China 国連 1983 発行 |
マカオ・澳門 Macau Special Administrative Region of China |
大航海物語 地図編★ |
中国 澳門 MCAU CHINA 粤港澳大湾区 中国・マカオ 2019 発行 |
中 国 郵 政 C H I N A |
中国郵政 CHINA & 中国澳門 MACAU CHINA 1999 マカオ返還20周年記念 2019 中国 & 中国・マカオ 2019 共同発行 |
中 国 M A C A U C H I N A 澳門 |
REPUBLICA PORTUGUESA MACAU
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中国澳門 MCAU CHINA 粤港澳大湾区 澳門(マカオ) 2019 中国・マカオ 2019 発行 |
中国澳門 MCAU CHINA 粤港澳大湾区 |
粤港澳大湾区 | ||
深川(シンセン)市街 2019 |
香港 (ホンコン)2019 |
広州(コウシュウ) 2019 |
中国・マカオ 2019 発行 |
マカオ 中華人民共和国、澳門特別行政區 Macau Special Administrative Region of China 面積:28.6ku、人口:520,400人(2007)、通貨:マカオ・パタカ(MOP)、1番切手:1884年発行。 マカオ(澳門)は中華人民共和国の特別行政区の一つ。正式名称は「中華人民共和国澳門特別行政区」(ポルトガル語:Regiao Administrativa Especial de Macau da Republica Popular da China)。中華人民共和国の珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と沖合いにあったタイパ島とコロアネ島という二つの島から構成される。現在、半島部とタイパ島の間は3つの橋でつながれている。また、二つの島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、ひとつの島のようになっているほか、西に珠海と結ぶ橋もできている。マカオは珠江の最下流域に位置し、広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。中国南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル植民地で、現在はカジノを中心とした世界的な観光地。 1999年までポルトガルの植民地であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005/7/15にマカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前で世界文化遺産に登録された。その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987/4/13にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999/12/20に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。 1513年、ポルトガルのジョルジョ・アルヴァレスが珠江デルタのリンチン島に上陸 1517年、ポルトガル人広東来航 1535年、明王朝、香山県濠鏡(マカオ)に市舶司を設置 1557年、ポルトガル、マカオに永久居留権を獲得 1580年、スペイン国王フェリペ2世がポルトガル王位を兼任 1582年、マカオ、フェリペ2世への忠誠を宣言、以後マカオ〜マニラ貿易始まる 1583年、マカオ市政議会設置 1586年、ポルトガル国王、マカオの自治都市資格を承認 1603年、VOCのオランダ船がマカオからゴアに向かうサンタ・カタリナ号を拿捕 1613年、最初のマカオ総督任命 1622年、オランダの艦隊が、マカオを攻撃し、澎湖諸島に転じる 1630年、フランスのドゥ・ロード師がベトナムから追放されて来て10年間を過ごす 1638年、日本がポルトガル船の来航を禁止 1640年、ポルトガル、スペイン支配から離脱、マニラ貿易停止 1647年、ポルトガル使節が日本の長崎に来航し貿易再開を願うが、拒絶される 1650年、清軍広州入城 1662年、清王朝、遷海令発布、マカオの貿易を禁じる(-64年) 1670年、ポルトガル使節、北京に朝貢(康熙帝) 1685年、清王朝、対外貿易を再開 1685年、ポルトガル船、日本人漂流民を長崎に返還するが、貿易再開は拒否される 1727年、ポルトガル使節、北京に朝貢(雍正帝) 1743年、イギリスのアンソン提督が世界1周航海の途上に寄航 1753年、ポルトガル使節、北京に朝貢(乾隆帝) 1783年、イギリスのヘンリー・ウィルソン船長がアンテロープ号でイギリスへと出帆 1787年、フランスのラ・ペルーズが北西航路発見の探検航海途上にマカオ到着 1788年、アメリカのイングラハム船長が寄航、 1792年、アメリカのイングラハム船長が再度、寄航 1796年、イギリスのブロートン艦長が太平洋探検航海の途上に寄港 1805年、ロシア最初の世界1周航海でクルーゼンシュテルン提督が寄港 1808年、ナポレオン戦争中英国艦隊マカオを保護下に置くため来航するが、清が武力を背景に拒絶 1849年、ポルトガル、マカオ独立を宣言、マカオ総督フェレイラ・アマラル暗殺 1851年、ポルトガル、タイパ島を占領 1862年、天津条約で中国、マカオがポルトガル植民地であることを承認 1864年、ポルトガル、コロアネ島を占領 1884年、1番切手を”CORREIO MACAO”で発行 1941年、太平洋戦争勃発、マカオは中立港として繁栄 1943年、日本軍、マカオを保護領化 1945年、8/15:大日本帝国降伏(9/2:第2次世界大戦終結) 1949年、中華人民共和国成立 1966年、マカオ暴動 1974年、ポルトガル本国でカーネーション革命、海外植民地放棄を宣言 1979年、中国・ポルトガル外交関係樹立 1980年、マカオ総督北京訪問 1987年、マカオ問題に関する中国ポルトガル共同声明発表 1999年、マカオ返還、特別行政区成立
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2008/11/23、令和 R.2/1/2 (2020) |