切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.31
日本固有の領土 <日本vs中華人民共和国>

航海物語
Japan

国連 1982 発行
尖閣諸島 紛 争 尖閣諸島 China

国連 1982 発行

地図
尖閣諸島紛争
1971〜
日本固有の領土の帰属をめぐる紛争 (2)
現在も係争中

琉球郵便
尖閣諸島

海洋シリーズ
(夕日と島)


DPR KOREA
東シナ海の地図
の所が尖閣諸島
尖閣諸島・南小島
岩棚とアホウドリ

アホウド

海洋シリーズ
(海鳥と島)

琉球政府 1972/4/14 発行 (200%)








尖閣諸島
←石垣島
北朝鮮 2005 発行
小型シートより

尖閣諸島紛争
  Senkaku Islands Dispute

日本が日本固有の自国領土として実効支配している尖閣諸島は、
1879年、(明治12)琉球藩が日本本土の一部となるも、尖閣諸島の領有は不明
1885-95年、(明治18-28)日本政府が尖閣諸島の領有状況を調査して、
         隣国の清国(中国)などいずれの国にも属していないことを確認
1894/7/25、(明治27)日清戦争が勃発
1895/1/14、(明治28)尖閣諸島が日本領に編入される
1895/4/17、大日本帝国が日清戦争で清国に勝利(台湾を併合)
1905/9/05、(明治38)日露戦争(1904/2/6-)で
        大日本帝国がロシア帝国に勝利(北緯50度以南の南樺太を領有)
1910/8/22、(明治43)日韓併合条約調印、大日本帝国が韓国を併合(朝鮮併合
1914-18年、(大正3-7)第一次世界大戦、日本は参戦せず繁栄(船成金
1920年、(大正9)南洋群島がドイツから大日本帝国の委任統治領となる
1937年、(昭和12)日中戦争が勃発
1941/12/8、(昭和16)ハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦争が勃発
1945/4/01、(昭和20)アメリカ軍と連合軍が沖縄本島に上陸
1945/6/25、沖縄が陥落、琉球(沖縄)が連合国に占領される
1945年、8/6広島、8/9長崎に原子爆弾が投下される
1945/8/15、大日本帝国降伏・無条件降伏、9/2第2次世界大戦終結
1950/6/25、朝鮮戦争が勃発(-1953/7/27)、日本は朝鮮特需で繁栄
1951/09/8、(昭和26)日本国が米国など連合国と平和条約(サンフランシスコ講和条約)締結
1952/4/28、(昭和27)サンフランシスコ講和条約が発効
1952/2/10、トカラ列島が日本の本土に復帰
1952/4/01、沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府が
        琉球政府となる
1953/12/25、米軍の「日本へのクリスマスプレゼント」として、奄美諸島が日本の本土に復帰
1958年、(昭和33)アメリカドルを使用となる(それまで(昭和33年)のはB円)
1968/12/01、琉球政府の行政主席選挙が初めて行われ、日本復帰派の屋良朝苗が当選
1964年、(昭和39)第18回夏季東京オリンピック
1964/9/7、聖火が台北から那覇空港に到着、5日間の聖火リレーが沖縄島を駆け巡る
1968年、(昭和43)海底調査で東シナ海の大陸棚に石油資源埋蔵の可能性が指摘される
1969/3/2-15、アムール川(黒竜江)支流ウスリー川の中州ダマンスキー島(珍宝島)の
      領有権を巡って、中国とソ連の大規模な軍事衝突が発生
1969-70年、(昭和44-45)国連が東シナ海の海洋調査を実施
      推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性
      が報告された結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると
      判明すると、台湾がアメリカ合衆国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権を与える
1970/9/2、台湾の水産試験所の船が魚釣島に上陸、台湾の国旗である青天白日旗を掲揚
      この時に周辺海域で操業中の台湾漁船からは拍手と万歳の声が挙がる
      台湾当局はその「青天白日旗」掲揚写真を撮らせ世界中の通信社に配信
      日本政府が抗議
9月中旬、その「青天白日旗」を琉球政府が撤去、米国民政府に保管される
1971/02月、(昭和46)アメリカ合衆国在住の中国人留学生らによる
      尖閣諸島は中国固有の領土だと主張する反日デモが発生
1971/06月、中華民国(台湾)が領有権を主張
1971/12月、中華人民共和国(中国)が領有権を主張
      その根拠は、尖閣諸島が中国側の大陸棚に接続しているとの主張と、古文書に尖閣
      諸島を目印として航海に役立てていたという記述が見られることで最も古くから同諸
      島の存在を認識していたという解釈による
1972/4/14、(昭和47)琉球政府が尖閣諸島だとする切手を海洋シリーズとして
      「海鳥と海と島」5cを3種(夕日と島、さんご礁、海鳥と島)発行
1972/5/14、琉球政府が消滅して、琉球が日本の本土に復帰
1972/5/15、沖縄が日本へ返還され、日本の沖縄県となる
1972/9/29、中華人民共和国を訪問した田中角栄首相が中国の北京で毛沢東国家主席や
      周恩来首相と会談後、日中の共同声明が発表されて日中国交正常化が実現
      同日に中華民国(台湾)が対日国交断絶を発表
1978/10/25、(昭和53)中国のケ小平副首相(当時)が日中平和友好条約批准書交換で来日
      「私達は知恵が足りません。次の世代に任せましょう」と尖閣諸島問題を棚上げ発言
尖閣諸島は沖縄返還の直前、1971年から台湾と中国が領有権を主張して、日本と台湾及び中国との間の外交問題になっています。

参考HP:〜
東シナ海と尖閣諸島の場所地図(尖閣諸島と、西表島・石垣島・宮古島・沖縄本島)
尖閣諸島の場所地図(日本語)
魚釣島から付近島の地図(日本語、釣魚島から久場島、大正島などの場所地図)
魚釣島から付近の島の場所地図(日本語)

東シナ海の地図(日本語)
尖閣諸島の写真(南小島、北小島、魚釣島)
尖閣諸島の場所と地図(日本語)

大戦景気と船成金(嘘か真か?)
朝鮮戦争と朝鮮特需

こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の
竹島
北方四島

南砂諸島
西砂海戦
ガ ザ
パレスチナ紛争
フォークランド戦争

チャコ戦争、をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   13/1/13、令和 R3:2021/9/29

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