France

国連 1980 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.6
クリッパートン島
Ile Clipperton

大航海物語
  地図編

FRANCE
クリッパートン島


ココヤ
サンゴ礁の礁湖
1711 クリッパートン島300年記念 2011
フランス 2011 発行

クリッパートン島
  仏:Ile Clipperton
  英:Clipperton Island
クリッパートン島は、太平洋のメキシコ沖(アカプルコ港から1,280km)に浮かぶフランス属領の絶海の孤島で無人島。フランス領ポリネシアに属するも、地域的には北アメリカに属するという見方もあります。

面積:6ku、直径3km〜4kmの円形の環礁
標高:最高地点はクリッパートン・ロック(Clipperton Rock)で、20m。

1521年、クリッパートン島へのスペインによる最初の上陸が記録される
1705年、海賊ジョン・クリッパートン(John Clipperton 1722没)が上陸して彼の名がつけられ、
    現在の名前になるも、イギリスは領有権を主張せず
    その後フランス人も発見したが領有権を主張せず
1711年、仏船ラ・プリンセサ号(La Princesse)の仏人マルチン・デ・チャッシロン船長(Martin de
    Chassiron)とラ・デクヴェルト号(La Decouverte)のミチェル・ドゥ・ボケージ船長
    (Michel Du Bocage)が最初の地図を仏当局に作成提出して、仏名:パッション島(Ile
    de la Passion、英:Passion Island) がクリッパートン島に正式に改名される
1725年、仏人ボケージ船長(M. Bocage)が科学的探検のため島で数月間暮らして調査を実施
1836年、スペイン海軍も同島を再発見するも、特に実効支配を行わず
1858年、フランスがハワイ政府に対し領有を宣言して、フランス領となり現在に至る
1858/4/8、フランスは同島のグアノ(肥料の原料になる)採掘許可を認める
1858/11/17、フランス海軍の士官が同島沖でフランスの領有宣言を行ったが、国旗などフラン
    スの主権を示すものは置かなかった。この士官はハワイ王国(現在のハワイ州)の
    ホノルルにあるフランス領事館とハワイ王国政府に対し領有を宣言したことを報告、
    このことは地元英字新聞の1858年12月8日紙面に掲載されたが、フランスは同島に
    対する主権的行使を1887年までしなかったが、周辺諸国も同様
1897年、フランス海軍の艦艇は同島でグアノを採掘している3人を発見した。この3人はアメリカ
    合衆国の民間企業(American Guano Company)に雇用されており、アメリカの星条旗
    を掲揚していたため、フランス政府はアメリカ合衆国政府に抗議
1898/1/28、アメリカ政府はこの企業にグアノ採掘の許可を与えておらず、アメリカは領有権を
    主張する意思はないと回答。この回答の直前、米仏の交渉の最中にイギリスが同島
    を獲得しようとしているとの誤報を信じたスペインから独立したメキシコは、軍艦を同
    島に派遣し、前述の3人を見つけ出し、メキシコは同海域を自国に帰属するものと考
    えていたため星条旗を降ろさせメキシコ国旗を掲揚させた
1898/1/8、「クリッパートン島はフランス領である」とメキシコに抗議するも、
    メキシコが領有権を主張して帰属問題が裁判となる
1931年、判決で正式にフランス領と認定される。これをクリッパートン島事件といい、
    「主権の表示を残さず離島しても、布告・通告・公布・新聞による公表で
    領有は成立する」という国際法の慣例の一つとして現在でも知られている。

クリッパートン島は、一時期には軍事目的や太平洋を横断する飛行機の中継点として使用されるも、現在は定住する人間もいない無人島。

参考HP:〜
クリパートン島の地図
クリパートン島の場所地図

参考:〜
クリッパートン島事件
  (国際仲裁裁判)

こちらで
世界遺産
ピラミッドエジプト
パルテノン神殿ギリシャ
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        12/8/12、13/2/22, 2021/9/4
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