切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage)
★クック物語 第1回
第2回
第3回
United Kingdom

国連 1983 発行
キャップテン・クック
第3回 太平洋探検航海
1776〜1779
未知の”天然運河” と ”北西航路” を求めて探検大航海

大航海物語
  イギリス
  クック編
COOK ISLANDS
1778 ハワイ諸島発見200年記念 1978









ィスカバリ|号



レゾリ
ュ|シ
ョン号
1728 クック船長生誕250年記念 1978
クック諸島 1978 発行

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クック船長の大航海
 ・初めに:生立ちの記
 ・序 章:全3航海の足跡(航海地図)
第1回探検航海
 ・第1章:第1回航海へ出帆、ホーン岬へ
 ・第2章:タヒチ島(Transit of Venus)
 ・第3章:ニュージーランド探検航海
 ・第4章:オーストラリア探検航海
 ・第5章:グレートバリアリーフで座礁
 ・第6章:バタヴィア、喜望峰、帰国
 ・帆 船:(1)エンデヴァー号
 ・終 章:クック船長の年表
第2回探検航海
 ・第7章:第2回航海へ出帆、喜望峰へ
 ・第8章:南極一周探検航海
 ・第9章:太平洋探検航海、トンガ島
 ・第10章:クック諸島
 ・第10-2章:ニュヘブリデス諸島、上陸
 ・第11章:ノーフォーク島
 ・第12章:フェゴ島
 ・第13章:ジョージア島
 ・第14章:喜望峰、セントヘレナ島、帰国
 ・帆 船:(2)レゾリューション号
 ・帆 船:(3)アドヴェンチャー号
第3回探検航海
 ・第15章:第3回航海へ出帆、喜望峰へ
 ・第16章:南極海ケルゲレン島
 ・第17章:太平洋探検航海、クリスマス島
 ・第18章:アイツタキ島
 ・第19章:ハワイ諸島発見
 ・第20章:ヌトカ・サウンド
 ・第21章:北西航路の探検、北極海へ
 ・第22章:ケアラクアに死す!
 ・帆 船:(4)レゾリューション号
 ・帆 船:(5)ディスカヴァリー号

 ・補章:クック船長亡き後の探検航海


第3回探検航海
SOLOMON ISLAND
キャップテン・クック

ソロモン諸島 1979/1/16 発行
Republic of Maldives
北極探検航海地図

モルジブ 1978/7/15 発行
Gilbert Islands

ィスカバリ|号
レゾリ
ュ|シ
ョン号
ギルバート諸島 1977/9/12 発行

・キャップテン・クックの第3回探検航海(1776〜1779):〜
クック船長の第2回航海(1772〜1775)でイギリスのロンドンに連れてこられていたポリネシアのタヒチ人オマイ(Omai)が街の好奇の目に晒され、大評判となっていました。このタヒチ人をどうするのか、いずれは島(Tahiti)に帰すんだろうと噂されました。そんな中、クック船長は第2回航海から帰ると、海軍大佐に昇進して勅任艦長Post-Captain)として戦艦ケント号(HMS Kent 74-gun third rate ship of the line 1643t)の艦長に任命されましたが、翌日に解任され現役から引退して名誉職のグリニッジ海軍病院(Greenwich Hospital)の院長になりました。
ポリネシア人

ポリネシア 2006 発行
1776年に壊血病予防に対する貢献に対してロイヤル・ソサイエティ(王立協会)からコプリ金メダル(Copley Gold Medal)を授与され、特別会員(FRS=List of Fellows of the Royal Society)に推挙されました。1775年にナサニエル・ダンス男爵(Sir Nathaniel Dance-Holland, 1st Baronet 1735-1811)によって肖像画が描かれ、貴族院で「ヨーロッパ最初の海洋探検家」(first navigator in Europe)と讃えられる栄誉に浴しました。現在その絵は大ロンドン市南東部の町で、グリニッジ・ロンドン特別区のテムズ川南岸にるグリニッジ標準時の基準となる都市”グリニッジ”の国立海事博物館に現存しています。しかし、根っからの海の男の船長は海から離れるのには耐えられず「航海記」を書き上げて直ぐに海に戻るべく、海軍大臣サンドウィッチ伯爵に前回達成されなかった北西航路(Northwest Passage)の探索を目的とした航海を提案して自らを売り込み、第3回航海の総司令官として認められました。 博物館のクックの絵

モルジブ 1978/7/15 発行

第3回探検航海のクック船長(48才)の乗船には前回使用のスループ型帆船レゾリューション号(HMS Resolution sloop)が使用されることになり、副長にオックスフォード大学の天文学教授ホーンスビー(Thomas Hornsby 1733-1810)の推薦で、1773年から海軍
を離れてパリへ行って研究していたジェームス・キング(26才)をクック船長が海軍 (Royal Navy)に復帰させ、海軍中尉(2nd Lieutenant)でレゾリューション号の副艦長として乗組ませました。 キング副長は六分儀を使って天体観測を担当する天文学班のチーフとしてクック船長を助けました。航海長には航海経験(6年)のある航海実務たたき上げのウィリアム・ブライ(22才)を任命しました。僚船には前航海のアドヴェンチャー号は使用せず、新購入の民間ブリッグ型(Brig)石炭運搬船ディリジェンス号(civilian collier Diligence)をクック船長が要請して、全装帆船型(full rigged ship)へ大改装し、船名をディスカバリー号(HMBarqu Discovery、発見号)と改名して随伴することになり、前回のレゾリューション号乗り組みチャ−ルス・クラーク(35才)が船長に任命されました。
サモア 1970/9/14 発行
六分儀




▼第3回(1776〜1779)探検航海:〜:(ハワイ諸島発見、北極海探検)
プリマス出帆〜カナリア諸島〜ケープタウン〜ケルゲレン諸島〜タスマニア島〜ニュージーランド〜クック諸島〜タヒチ島〜トンガ島〜ソシエテ諸島〜クリスマス島〜ハワイ諸島〜ヌトカ〜アラスカ湾〜ウナラスカ島〜チュクチ海〜ハワイ諸島〜ハワイ島ケアラクワにてクック船長戦死。

・1776年:〜:
 1〜 3月:第3回航海の計画
 4〜 6月:第3回航海の準備
 7〜 9月:大西洋を南へと航海
10〜12月:ケープタウンに寄港、ケルグレン島を探検
・1777年:〜:
 1〜 3月:タスマニ島から、ニュージランドに到達
 4〜 6月:トンガ島に寄港、危うく殺されかかる
 7〜 9月:トンガ島からタヒチ島へと航海
10〜12月:ソシエテ諸島に寄港、クリスマス島を発見
・1778:〜:
 1〜 3月:ハワイ西部に寄港後、北アメリカ西海岸へと航海
 4〜 6月:北アメリカ西海岸方面を探検後、アラスカ方面の探検航海
 7〜 9月:北西航路の探検で北極海を航海
10〜12月:北アメリカ西海岸からハワイへと南へ航海
・1779:〜:
 1〜 3月:ハワイ島に寄港し、クック船長2月戦死
 4〜 6月:クック船隊はロシアの東海岸カムチャッカ寄港、クラーク船長病死
 7〜 9月:喜望峰回りでイギリスに帰港
        レゾリューション号はジョン・ゴア船長(船隊司令官)で、
        アドヴェンチュアー号はジェームス・キング船長で帰国。

参考HP〜
 ・南極周辺の島の地図(日本語)
 ・ハワイ諸島の地図
 ・アラスカ湾プリンス・ウィリアム・サウンドの場所地図
 ・アラスカの地図
 ・アニアン海峡の想像図の地図
 ・アラスカ湾ケナイ半島とクック入江の地図
 ・アラスカ湾ケナイ半島とプリンス・ウィリアム・サウンドの場所地図







★クック物語 第15章
第16章

第17章

第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第15章 第3回航海へ出帆
キャップテン・クックの第3回探検航海
1776/7/12
イギリスを出帆、喜望峰から南極海へ


大航海物語
  クック編★
USA
キャップテン・クック
Alaska 1778


ィスカバリ|号
Hawai 1778
レゾリ
ュ|シ
ョン号
USA 1798 発行

第3回探検航海(1776〜1779)は、
1776/7/12にクック船長が、前回の第2回で使用したレゾリューション号(HM Sloop Resolution、1775/7/30帰港)の修理もそこそこに、チャ−ルス・クラーク船長ディスカバリー号(HMBarqu Discovery)とを率いて、北大西洋と北太平洋を連絡する幻の天然運河アニアン海峡北西航路(Northwest Passage)の探索を目的としてイギリスを出帆しました。ところが、ディスカヴァリー号はクラーク船長の兄弟の借金問題で出帆が約3週間遅れ、南アフリカのケープタウン港で合流しました。
▼1776年:〜:
06/08、海軍大臣サンドウィッチ伯爵(John Montagu, 4th Earl of Sandwich, PC, FRS 1718-1792)、パリサー提督(Admiral Sir Hugh Palliser, 1st Bt. February 1722-1796)、その他の海軍省随員(Admiralty officials)がレゾリューション号に来船
06/15、レゾリューション号がロング・リーチ(Long Reach, Gravesend, Kent)を出帆
06/24、ノール(Nore)でオマイ(Omai)を乗船させる
06/25、ダウンズ(Downs)へと出帆
06/26、ディール(Deal)を回航してダウンズで投錨
06/27、プリマス(Plymouth)へ向けてダウンズを出帆
06/30、プリマスで投錨
07/08、命令書(Instructions)を受領
・大航海へとイギリスを出帆
07/12、レゾリューション号がプリマスを出帆
07/14、午後イングランドのリザ−ド岬(Lizard)沖を航行
07/16、シリー諸島(Scilly Isles)沖を航行
07/17、アーシャント(Ushant)沖を航行
07/22、オルテガ岬(Cape Ortegal)沖を通過
07/24、スペインのフィニステレ岬(Cape Finisterre)沖を航行
07/30、月食(Eclipse of Moon)を観測
08/01、カナリア諸島のテネリフ島(Tenerife)着、投錨して補給する
     時計職人ジャン・ボーダとドン・ヴァレラ(Don Joseph Varela)が
     クロノメーター時計を調整
08/04、テネリフ島を出帆、
08/10、マデイラ諸島の西方ボア・ヴィスタ(Boa Vista)を航行
08/12、ヴェルデ岬諸島(Cape Verde Islands)沖を航行
09/01、赤道(Crosses the Equator)を通過
09/08、南米東岸ブラジル方面へ航海
09/17、レゾリューション号はアフリカ南部西岸を望見
09/18、レゾリューション号はケープタウン(Cape Town)テーブル湾(Table Bay)に投錨、
     上陸して総督を表敬訪問、船の修理を行う
     ディスカヴァリー号は数週間遅れる
11/10、ディスカヴァリー号がケープタウンに到着、
     クック船長は仏のマリオン・デュフレーヌの副官ジュリアン・クローゼーと会い
     プリンス・エドワード諸島のことを聞き、この諸島へ向かうことにする
12/02、ケープタウンを出帆、喜望峰を望見
     南極海へ向かう

参考HP〜
 ・南アフリカ共和国の地図
 ・喜望峰とケープタウンの場所地図
 ・アフリカ最南端の地図






★クック物語 第15章
第16章
第17章

第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第16章 ケルゲレン島
南氷洋の探検航海
1776/12/24
南極海ケルゲレン諸島、上陸


大航海物語
  クック編★

クック船長とレゾリューション号


ップテン
・ク
ック
レゾリ
ュ|シ
ョン号
イギリス領南極地域 1975-80 発行
南極の氷島に上陸
レゾリ
ュ|シ
ョン号





クック諸島 1968/9/12 発行

クック船隊とケルゲレン諸島

フランス領南極地方 1976/12/31 発行
US
南極大陸の地図
外側:60度線
内側:66度33分線=南極圏
真ん中:80度線


1961 南極条約10周年記念 1981
アメリカ 1971 発行

▼1776年:〜:
12/01、ケープタウンから南極海へと航海
12/12、マリオン島(Marion)とプリンスエドワード諸島(Prince Edward Islands)望見
     悪天候のため上陸せず
12/15、クローゼー諸島(Crozet islands)を通過、ケルゲレン諸島(Kerguelen)へ向かう
12/24、ケルゲレン島(Isle de Croy)に到達、
12/25、クリスマス・ハーバー(Christmas Harbour)命名・上陸、氷を割って飲料水を船積み
     良く働く乗組員と共にクリスマスを祝う
     その後、ケルゲレン諸島の北方海岸線を調査航海して海図に記入、
12/29、ポート・パリサー(Baie de Baleiniers:現Port Palliser)に投錨
12/30、ディグバイ岬(Cape Digby)、サンドウィッチ岬(Cape Sandwich)命名して回航後、
     ケルゲレン諸島を出帆、
     北上航海してニュージーランド方面へ向けて航行
▼1777年:〜:
01/24、ヴァン・ディーメンズ・ランド(タスマニア島)を望見
     タスマン・ヘッド(Tasman Head)を回航
01/26、アドヴェンチュアー湾(Adventure Bay)に到着、上陸
01/29、ニュージーランドへ向け出帆、
02/10、ニュージーランドのロック・ポイント(Rocks Point)を望見、
     フェアウェル岬(Cape Farewell)を視認、
02/12、南島北岸クック海峡クィイーン・シャーロッテ・サウンド
     (Queen Charlottes Sound)に投錨、上陸
ニュージランド島上陸

ギルバート諸島 1977 発行
02/13、観測所を設営、水汲み、食料調達
02/15、チャタム島ヒッパー村(Hippah)のモツアラ岬(Motuara)に立寄り上陸探査
02/16、サウンドに再上陸して、セロリや壊血病予防の食用野草を採集
02/23、テントなどを船積み完了
02/25、サウンドを出帆、
02/27、クック海峡を航海、パリサー岬(Cape Palliser)沖を航行
02/29、サウンドに再上陸して、ディスカバリー号の伝言を発見
03/01、クィイーン・シャーロッテ・サウンドを出帆

参考HP〜
 ・南極周辺の島々の地図(日本語)
 ・ソシエテ諸島 & トゥアモトゥ諸島
 ・ソシエテ諸島






★クック物語 第15章
第16章

第17章
第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第17章 クリスマス島
太平洋の探検航海
1777/12/24
クリスマス島、発見


大航海物語
  クック編★










オ|ストラリア
Gilbert Islands
1777 クック船長のクリスマス島発見200年記念 1977

第3回航海・レゾリュ−ション号の航海地図
ギルバート諸島 1977/9/12 発行 組合せ小型シート


←クリスマス島

▼1777年:〜:
12/08、ボラボラ島から南へと航海
12/22、赤道(Equator)を通過
12/24、キリバスのクリスマス島(Christmas Island)を望見、
     その日がクリスマス・イヴだったので「クリスマス島」と命名
     珊瑚の環礁島に到着
     珊瑚の環礁(atoll)で食料用に海亀を捕獲
12/29、レゾリューション号ブライ航海長が大型カッターで調査に上陸
12/30、珊瑚環礁(lagoon)で食料用に海亀を20匹と魚を捕獲

▼1778年:〜:
01/01、クリスマス島を出帆
大型カッター

ノーフォーク 1987 発行
01/02、クリスマス島から北へと航海

参考HP〜
 ・キリバスのクリスマス島の公式HP(日本語)







★クック物語 第15章
第16章

第17章

第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第18章 アイツタキ島
太平洋の探検航海
1777/4/11
アイツタキ島、発見


大航海物語
  クック編★
Cook Islands
AITUTAKI

アイツタキ環礁島 クック船長とレゾリュ−ション号
クック諸島・アイツタキ 1973 発行

▼1777年:〜:
03/01、ニュージーランドの南島北岸クック海峡の
     クィイーン・シャーロッテ・サウンドから北上航海
03/29、クック諸島(Cook Islet、1774/6/16に来島)で
     最南端マンガイア島(Mangaia, Lower Cook Islands)を望見
03/30、クック諸島アチウ島(Atiu)を望見
04/01、アチユ島(Atiu)に接近
04/04、クック諸島タクテア島(Takutea)に上陸
04/06、クック諸島マヌアエ島(Manuae現:Hervey Island)沖を航行
     アイツタキ島(Aitutaki)南沖を航行
04/11、クック諸島の”アイツタキ島”(Aitutaki Island)をブライ船海長が発見
04/13、パーマストン島(Palmerston Island)に上陸調査、無人島だった
     食用野草を収拾
     クック船長はクック諸島最大のラロトンガ島は見逃している
04/24、ニウエ(Niue)サヴェージ島(Savage Island)沖を航行
04/28、トンガ諸島ノムカ島(Nomuka)到着、上陸、食料調達
05/06、ノムカ島の大酋長を訪問
05/14、ノムカ島出帆、
     コツ島(Kotu)、トフア島(Tofua)へ向かう
05/17、リフカ島(Lifuka)上陸、アルピ島(Arpi Isles)上陸
05/26、南方へ航海後、ウオレヴァ島(Uoleva)に投錨
05/29、ノムカ島へ向かって航行
06/05、ノムカ島に投錨
06/06、アナムーカ島(Anamooka)に投錨
06/07、翌日に出帆
トンガ島では歓迎される、現地人とハウス

人民コンゴ 1978/1/16 発行
06/08、アムステルダム島(Amsterdam Island)現:トンガタプ島(Tongatapu)へと航海
06/09、トンガタプ島を視認
06/10、トンガタプ島ヌクアロファ港(Nukualofa Harbour)に投錨、トンガ王と会見
07/01、トンガタプ島で日食の観察を準備
07/05、皆既日食(eclipse of Sun)の観察、現地の儀式とお祭り見物、物資調達
07/10、エウア島(Eua)へとトンガタプ島を出帆
07/12、トンガ諸島のエウア島(Eua)到着、イングリッシュ・ロード(English Roads)投錨
     トンガに長逗留して住民とトラブルが発生、危うく殺されかかる
07/17、タヒチ島へ向けて出帆、東方へ航海
08/09、ポリネシア諸島トゥーブアイ諸島(オーストラル諸島)に到達
08/12、ソシエテ諸島マイテア島(Maitea)、オタヘイテ島(Otaheite:タヒチ島)望見
08/12、オーストラル諸島ヴァイテピア湾(Vaitepiha Bay)投錨、仮停泊
08/23、オーストラル諸島を出帆
     ソシエテ諸島のタヒチ島に到達、
     マタヴァイ湾(Matavai Bay)に投錨、上陸
09/29、北東隣のモーレア島(Moorea (Eimeo)へとタヒチ島を出帆
09/30、フランス領ポリネシアの首都パペーテがあるタヒチ島の西隣りで
     タヒチ島から18km西にあるモーレア島(Moorea)到着
10/01、両船がモーレア島パペーテ(Papetaai)に投錨に投錨
10/11、フアヒネ島(Huaheine)へとパペーテを出帆
10/12、フアヒネ島到着、
     オマイ(Omai)を上陸させ、家屋を建てて農場経営をさせる
11/02、ライアテア島( Raiatea)へと出帆
11/03、ライアテア島(Raiatea)到着
11/03、タヒチ島(Haamanino)に投錨、1768/7と1774/5に次いで3度目の来島となる
     観測所を設営
12/08、ボラボラ島(Bora Bora)上陸
     同島を出帆して、南へと航海

参考HP〜
 ・クイーンシャーロット海峡の場所地図(ニュージランド)
 ・クック諸島の詳細場所地図 
 ・パーマストン島の地図
 ・ラロトンガ島の地図
 ・トンガ諸島の詳細場所地図
 ・ソシエテ諸島の地図
 ・フアヒネ島の場所地図







★クック物語 第15章
第16章

第17章

第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第19章 ハワイ諸島
太平洋の探検航海
1778/1/18
ハワイ諸島、発見


大航海物語
  クック編★
Norfolk Island
キャップテン・クック、ハワイ発見
ユニオンジャック
クック船長ハワイ発見
Bicentenary of the Discovery of Hawaii by Captain J. Cook 1778
1778 クック船長・ハワイ発見200年記念 1978
、ノーフォーク島 1978/1/18 発行

Republic of Maldives

ィスカバリ|号
クック船長のハワイ探検航海地図
レゾリ
ュ|シ
ョン号
ハワイ大王とクック船長
モルジブ 1978/7/15 発行

太平洋の地図
インドネシア
スマトラ→

ジャワ→



←ハワイ






←赤道
         チモール↑   オーストラリア↑ パプア↑   ↑ソロモン   ギルバート↑エリス
パラオ 1995 発行
ハワイ島ケアラクア湾の
レゾリューション号とディスカバリー号


クック諸島 1968/9/12 発行
ハワイ住民との交流

ニウエ 1978/1/18 発行

1778/1/18に現在のハワイ諸島、ハワイ島(Hawai)・マウイ島(Maui)・モロカイ島(Molokai)・オアフ島(Oahu)・カウアイ島(Kauai)・ニイハウ島(Niihau)を発見し、カウアイ島のワイメア湾に上陸して海軍大臣のサンドウィッチ伯爵にちなんでサンドウィッチ諸島と名付けました。

▼1778年:〜:
01/03、太平洋を北方へと航海
01/18、ハワイ諸島で3番目に大きいオアフ島(州都ホノルル市有)望見・発見
     カウアイ島(Kauai Isand)望見・現在のハワイ諸島を発見
01/19、ニイハウ島望見
01/20、カウアイ島ワイメア湾(Waimea Bay, Kaiai)に投錨、上陸
01/23、ワイメア湾を出帆、順風に乗ってニイハウ島へ
01/25、ブラッドリー水夫(William Bradley)を職務怠慢(disobeying orders)
     の罪で鞭打ちの刑24回(女性問題もあって12回増えた)
01/27、ロバーツ漕舵手(Thomas Roberts)が亡くなる
01/29、ニイハウ島に上陸
02/01、ハワイ諸島をサンドウィッチ伯爵に因んで「サンドウィッチ諸島」
     (Sandwich Islands)と命名して出帆

参考HP〜
 ・ハワイ諸島の場所地図
 ・ハワイ諸島の地図







★クック物語 第15章
第16章
第17章

第18章
第19章
第20章
第21章

第22章
第3回 第20章 ヌトカ・サウンド
北米西海岸の探検航海
1778/6/1
ヌトカ・サウンド


大航海物語
  クック編★
CANADA ESPANA
キャップテン・クック と ヌトカ・サウンド

クック船長 バンクーバー島・ヌトカ砂洲 発見
bicentenary of  anchorage near Anchorage
1778/6/1 アンカレッジ付近投錨 200年記念

カナダ 1978/4/26 発行
ヌトカ・サウンドの地図

スペイン 1971/3/1 発行

▼1778年:〜:
02/02、北米西岸へ航海を続ける
03/07、北米西海岸オレゴン州(Oregon)のフォウルウェザー岬(Cape Foulweather)望見
03/08、北米ブリチッシュコロンビア州海岸を望見
03/11、パーペツア岬(Cape Perpetua)、
     アラゴ岬(Cape Arago、現:グレゴリー岬 Cape Gregory)望見
03/22、ヴァンクーヴァー島(Vancouver Island)を南から東へ通過、
     ファン・デ・フカ海峡(Straits of Juan de Fuca)見逃し、
     フラッタリー岬(Cape Flattery)沖を航行
03/29、クック岬(Cape Cook、現:ウッディ・ポイント Woody Point)沖を航行
03/30、カナダのバンクーバー島西岸ヌトカサウンド(Nootka Sound)到着
     ホープ湾(Hope Bay)に投錨、ボートで調査に上陸
04/01、両船はヌトカサウンド付近を調査
     キング・ジョージ・サウンド(King George Sound)、ブライ島(Bligh Island)
     クラ−ク半島(Clerke Peninsula 現:レゾリューション・コーヴ Resolution Cove)
     など探検航海して命名
04/07、ビ−ルを造ってラム酒の代わりに乗組員に提供する
04/13、森へ入ってミズンマスト(Mizen Mast)用の材木を切り出す
04/14、フォアマスト(Fore-mast)の修理に取り掛かる
04/15、木材を船に積み込んで船を修理
04/16、6隻の現地人のカヌーが近寄ってくる
04/19、大きな現地人の村を見つけた西方の島をブライ島(Bligh Island)と呼ぶ
04/23、観測所を撤収してヌトカサウンド出帆の準備をする
04/26、ヌトカ・サウンドを出帆
     ヴァンクーヴァー島沿いに北へと航海

参考HP〜
 ・バンクーバー島の地図(ヌトカ・サウンドを明示)
 ・ヌトカ島近郷のブライ島の場所地図(ヌトカ・サウンドのブライ島公式HP)







★クック物語 第15章
第16章

第17章

第18章
第19章
第20章

第21章
第22章
第3回 第21章 北西航路の探検、北極海へ
北氷洋の探検航海
1778/8/18
北極圏に突入


大航海物語
  クック編★
Gilbert Island
キャップテン・クック

ノーフォーク島 1978/1/18 発行
COOK ISLANDS
シベリアのカムチャッカ、1779

クック諸島 1968/9/12 発行

Norfolk Island
北極の氷海を探検航海する
レゾリュ−ション号とディスカバリー号
クック船長の北極圏探検航海地図
北米沿岸からベーリング海峡を越えて北極海へ

Nothern most point of the Voyages of Capt.Cook Aug. 1778
ノーフォーク 1978/8/29 発行

北米太平洋岸からヨーロッパに向かう北西航路の探索は、ハワイ諸島を経て、ベーリング海峡に入り北緯70度30分に到達、帆船が航行できるような北西航路は存在しないことを明らかにしました。結局、帆船での北太平洋から北大西洋へ抜ける海路が存在しないことを確認する結果となりました。

なお、北極圏(Arctic Circle)は、真冬に太陽が昇らず(極夜)真夏に太陽が沈まない(白夜)北緯66度33分39秒地点を連ねた線、およびそれ以北と言われています。

▼1778年:〜:
04/27、ヴァンクーヴァー島沿いに北方へと探検航海を続ける
05/01、バラノフ島(Baranof)沖を航行、
     クルゾフ島(Kruzof Islands)沖を航行、
     シトカ・サウンド(Sitka Sound)沖を航行
05/02、エッジコーム岬(Cape Edgecombe)沖を航行
     エッジコーム山(Mount Edgecombe)望見、
     サリスベリー・サウンド(Salisbury Sound)望見
05/03、フェアーウェザー岬(Cape Fairweather)沖を航行
05/04、フェアーウェザー山(Mount Fairweather 4660m)望見
05/06、セント・エリアス山(Mount St. Elias 5490m)望見
     ベーリング湾(Berings Bay)望見
北極探検航海地図

モルジブ 1978/7/15 発行
05/10、ベーリング船長が1741年上陸のサックリング岬(Cape Suckling)望見
05/11、カヤック島(Kayak Island)上陸
     ウィンガム島(Wingham Island)上陸
     キイーズ島(Keyes Island)のコンプトローラーズ湾(Comptrollers Bay)命名
      現在はヴァンクーヴァー命名のコントローラー湾(Controller Bay)沖を航行
05/12、アラスカ湾ケナイ半島東の
     プリンス・ウィリアム・サウンド(PRINCE WILLIAM'S Sound)到着
     ヒンチングブルック岬(Cape Hinchingbrook)望見
     ヒンチングブルック島(Hinchingbrook Island)の
     イングリッシュ湾(English Bay)投錨
     プリンス・ウィリアム・サウンド(Prince William(Sandwich)Sound)進入
05/13、オルカ湾(Orca Bay)通過
05/14、スナッグ湾(Snug Corner Bay)投錨
     ヴァルデス・ナロース(Valdez Narrows)望見
05/18、モンターギュ島(Montague Island)航行
     モンターギュ海峡(Montague Straits)沖を航行
     プリンス・ウィリアム・サウンドを離れる
     小さいグリーン諸島(Green Islands group)
     現:インゴット島(Ingot)、エントランス島(Entrance)、
       スフインクス島(Sphinx)、エレノア島(Eleanor)通過
05/21、エリザベス岬(Cape Elizabeth)を国王ジョージ3世3番目ご令嬢により命名
     現:チュガッチ諸島(Chugach Islands)望見
05/24、セント・ハーモゲネス岬(Cape St. Hermogenes)望見
     マーモット島(Marmot Island)望見
     コディアク島(Kodiak Islands)望見
05/25、アラスカ湾(Gulf of Alaska)ケナイ半島(Kenai)西のクック入江(Cook Inlet)進入
     バレン島(Barren Islands)沖を航行、
     ダグラウ岬(Cape Douglas)望見、
     スモ−キー・ポイント(Smoky Point)望見、
     スモ−キー湾(Smoky Bay、現:シェリコル海峡 Shelikof Strait)望見
05/26、セント・オーガスチン山(Mount St. Augustine)望見
     カミシャク湾(Kamishak Bay)近くのベド岬(Cape Bede)望見
05/27、アンカー・ポイント(Anchor Point)投錨
05/29、カルギン島(Kalgin Island)を通過
06/01、アンカレージ(Anchorage)近くのファイヤー島(Fire Island)沖を航行
     海峡(channel)もしくは水道(Passage)から、
     ターナゲイン川(Turnagain River)通過、
     ケナイ半島(Kenai Peninsula)ポイント・ポゼッション(Point Possession)投錨
06/02、入江(Inlet)を航行して、
06/06、シュヤク島(Shuyak Island)通過後、海へ出る
06/07、ホワイトサンデー岬(Cape Whitsunday 現:ピラー岬 Pillar Cape)
     マーモット湾(Marmot Bay)のアフォグナク島(Afognak)、
     ホォエール島(Whale)、コディアク島(Kodiak)、スプルース島(Spruce)沖を航行
06/08、グレヴィル岬(Cape Greville)沖を航行
06/12、セント・バーナベス岬(Cape St. Barnabes)沖を航行
06/14、トリニティ島(Trinity Island)と
     コディアク島南西トリニティ岬(Cape Trinity)沖を航行後
     アラスカ半島の海岸沿いに太平洋を航行していると
     エスキモー(Eskimos)のカヤック(kayak)を初見
06/15、フォッギィ岬(Foggy Cape)沖を航行、
     フォッギィ島(Foggy Island クリコフ島(Chirikov Island)沖
06/17、シュマギン諸島(Shumagin Islands)沖を航行
06/19、ウンガ岬(Unga Cape)沖を航行
一人乗りシーカヤック

カナダ 1955 発行
06/20、サナク島(Sanak Islands 現:ハリバト島 Halibut Island)沖を航行
     ウニマク島(Unimak Island)と
     シシャルディン火山(Shishaldin Volcano、2860m)を望見して、
     アリューシャン列島(Aleutian Islands)へと航海
06/25、北方へ転舵、ウニマク水路(Unimak Pass)から、
     クレニチン諸島(Krenitsin Islands)のウガマク島(Ugamak)、
     チガルダ島(Tigalda)、アヴァタナク島(Avatanak)を通過
06/26、セダンカ岬(Cape Sedanka)沖から、
     ウガルガ島(Unalga)エッグ入江(Egg Inlet)に投錨
06/27、アリューシャン列島ウナラスカ島(Unalaska Island)望見
     ウナラスカ島イングリッシュ湾到着
06/28、ウナガ水路(Unalga Pass)から
     サマグンダ島(Samagunda)イングリッシュ湾(English Bay)投錨
     アレウト人(Aleuts)に出会う
07/01、両船はウナラスカ島を調査
07/02、ウニマク島(Unimak Island)望見
     アラスカ沿岸沿いに北東を航海
07/09、チチャゴフ岬(Cape Chichagof)望見、
     ブリストル川(River Bristol)進入
07/10、コンスタンチン岬(Cape Constantine)沖を航行
07/13、ラウンド島(Round Island)と
     ワルラス島(Walrus lslands)に投錨
07/14、カーム・ポイント(Calm Point)沖を航行
     ハゲメイスター島(Hagemeister Island)航行
07/15、アラスカのカスコウィム湾(kuskokwin)南ベセル半島(Bethel)突端の
     ネウェンハム岬(Cape Newenham)に到着
     ワルラス島(Walrus Islands)投錨
07/16、ペヤース岬(Cape Peirce)とニュウエンハム岬(Cape Newenham)沖を航行
07/18、クスクウィン湾(Kuskokwim Bay)浅瀬(shoals)から、
     アヴィノフ岬(Cape Avinof)沖を航行
07/23、ベーリング海(Bering Sea)を北へと航行
07/29、セント・マッソウ島(St. Matthew Island)と
     ポイント・アップライト(Point Upright)、バード島(Bird Island)沖を航行
08/03、船医アンダーソン(Anderson)が亡くなる、1728/8にベーリングが
     セント・ローレンス島(St. Lawrence)と呼んだ島を望見しアンダーソン島と命名
08/04、アラスカを望見
08/05、ポイント・ロドニー(Point Rodney)近くのスレッジ島(Sledge Island)上陸
08/06、ノートン湾(Norton Sound)湾口北のスレッジ島に投錨
08/08、プリンス・オブ・ウェールズ岬(Cape Prince of Wales)沖を航行
     北米最西端フェアウェイ岩礁(Fairway Rock)望見、
     ラトマノヴァ岩礁(Ratmanova)、
     イグナルク岩礁(Ignaluk)、
     ラトマノフ島(Ratmanova)、イグナルク島(Ignaluk)、
     ダイオミード島(Diomede Islands)を望見、
     ベーリング海峡(Bering Strait)に投錨
08/09、ベーリング海峡を超えてアジアへ、
     ベーリング海峡を北上、横断してから、
     西へと航海してアジア大陸を望見
ベーリング海峡の航海地図
08/10、ベーリング海峡を超えてアジアのセントローレンス湾(St. Lawrence Bay)投錨、
     キリググノン岬(Cape Krigugnon)、
     ヌニャグモ岬(Cape Nunyagmo)望見、
     チュクチ人(Chukchi)に出会う
     シベリアのヴコドナヤ山(Mt. Vkhodnaya/Tirtova)望見
08/11、北西へ転舵して、アラスカの海岸へ向かう
08/14、アラスカのコツェブー湾ポイント・マルグレーヴ山(現:Mulgrave Hills)を望見、
     北極圏(Arctic circle)へ突入
08/18、さらに北上してチュクチ海に入り氷に覆われているアイシー岬(Icey Cape)望見、
     この航海の最北端の北緯70度30分に到達、氷に阻まれるも海岸沿いに航海
     アイシー(氷結)岬(Icy Cape)から、戻りの航海へ
08/21、リスバーン岬(Cape Lisburne)沖の氷海の真只中を西へと航行
08/24、氷に閉ざされ北上を断念
08/29、アジア海岸を望見しながら、シュミッダ岬(Cape Shmidta)から
     シベリア海岸沿いに南西に航海、
     エキアタップ・ラグーン(Ekiatap lagoon)、
     コゼヴニコヴァ湾(Kozhevnikova)、
     ヴェベラ湾(Vebera:Severnaya Bay)望見
08/30、コリュチン島(Kolyuchin Island)現:ブルニー島 (Burney Island)沖を航行
09/01、アイディドルヤ島(Ididlya Islet)、
     イクガー岬(Capes Ikugur)、
     ヴォルニスチー岬(Volnisti)、
     サーズカメン岬(Cape Serdze Kamen)沖を航行、
     チュクチ半島(Chukotski Peninsula)沿いに航海
09/02、シベリヤ最東端のイースト岬(East Cape 現:デジニョフ岬 Cape Dezhneva)航行
09/03、セント・ローレンス湾(St. Lawrence Bay)から
     アラスカ方面へ転舵
09/04、セニャーヴィン海峡(Senyavina Strait)入り口を航行、
     アラカンチェチェン(Arakamchechen)の南海岸から
     イッチグラン島(Ittigran Islands)沖を航行、
     ヌニーンガン島(Nuneangan Island)沖から
     チュコッツキ岬(Cape Chukotski)を航行
09/05、8/6に投錨した湾口北のスレッジ島望見、
     スレッジ島からノートン・サウンドへ進む
09/07、ノートン湾(Norton Bay)と名付ける
09/08、ダービー岬(Cape Darby)から、
     ノートン湾へ
09/11、デンビ岬(Cape Denbigh)沖を航行
09/12、ベスボロー島(Bessborough Island)投錨、
     住民(inhabitants)に出会う
09/16、チュクチ半島(Chukchi Peninsula)のアジア最東端デジニョフ岬から
     スワード半島(Seward Peninsula)のアメリカ最西端
     プリンスオブウェールズ岬(Cape Prince of Wales)へ回航
09/17、浅瀬(Sound)の砂洲(shoals)沿いに航行
09/18、スタート島(Stuarts Island)、ステファン岬(Cape Stephens)、
     エッグ小島(Egg Islet)、ベウラー島(Beaulah Island)、
     ポイント・シャロー・ウォーター(Point Shallow Water)沖を航行、
09/20、セント・ローレンス島(St. Laurence Island)、クラーク島(Clerke's Island)、
     現:スリー・パナク諸島(Three Punuk Islands)沖を航行、
09/23、クック船長がジョージ島(Gore's Island)と呼んだ
     現:セント・マッソー島(St. Matthew Island)、
     バード島(Bird Island、現:キング島(King)沖を航行、
     アップライト岬(Cape Upright)、ピナクル島(Pinnacle Island)通過
     サングヌダ(Samgunuda)へと南西に回頭、転舵
10/01、6/28〜7/2に来たウナラスカ島イングリッシュ湾沖を航行
10/02、ウナラスカ湾(Unalaska Bay、ダッチハーバー有)へ入る
10/03、ウナラスカ湾サングヌダ(Samganunuda)に投錨
10/14、ウナラスカ島でロシアの毛皮商人イスマイロフ船長に出会い、
     カムチャッカ(Kamchatka)とオホーツク海(Sea of Okhotsk)、そして
     クリル諸島(Kurile Islands)の地図を見せてもらい、カムチャッカ当局と
     ペトロパブロフスク(Petropavlovsk)総督へ紹介状を書いてもらう
10/21、イスマイロフ船長を通じてイギリス海軍省への手紙を送る
10/22、ロシア商船イワノヴィッチ船長(Jacob Ivanovich, master of sloop)が
     手紙を持ってクック船長を訪問
10/23、ウナラスカ島を出帆
10/26、冬の訪れで越冬のため南方のハワイへと、
     チュコート半島東岸(Samgoonoodha Harbour)を出帆、航行
10/27、夜半に暴風が吹き荒れたのでディスカヴァリー号掌帆長が上甲板に人出を
     集めて作業をしていると水夫マッキントッシュ(John Macintosh)が船外に
     吹き飛ばされ、掌帆長他数人が重傷を負う
10/28、ディスカヴァリー号掌帆長にアイトケン(Aneas Aitken)を昇進させる
10/29、ウムナク島(Umnak)とボゴスロフ小島(Bogoslof Islet)沖を航行
10/30、暴風は終日吹き荒れ、ディスカヴァリー号大砲の砲声を聞くも姿は見えず
11/02、吹き荒れた暴風がようやく収まる
11/07、嵐で見失っていたディスカヴァリー号のクラーク船長が乗船してきて
     不幸な事故と大砲発射の報告を受ける、クラーク船長は病床に就く(12/25迄)
11/26、マウイ島(Maui)望見

参考HP:〜
 ・ペトロパブロフスク・カムチャツキーの場所地図(Petropavlovsk-Kamchatsky)
 ・チュクチ半島付近の地図
 ・チュクチ海付近の地図
 ・ダイオミード諸島(衛星写真)
 ・クィイーンシャーロッテサウンド(砂洲)の場所地図(カナダ西岸)
 ・プリンス・ウィリアム・サウンドの場所地図(アラスカ湾)
 ・アラスカ湾の地図
 ・アラスカの地図
 ・北極の地図







★クック物語 第15章
第16章

第17章

第18章
第19章
第20章

第21章

第22章
第3回 第22章 ケアラクア
キャップテン・クックの最後
1779/2/14
クック船長、ケアラクアに死す


大航海物語
  クック編★
Niue
クック船長、ハワイ島ケアラクア海岸に死す
ケアラクア上陸 原住民との戦闘
レゾリ
ュ|シ
ョン号

ック船長の戦死
ニウエ 197/7/30 発行

第3回探検航海(1776〜1779)でクック船長は、北氷洋の探検航海後に、冬の訪れで越冬のために南方のハワイへ戻ることにしました。
▼1778年:〜:
12/01、ハワイ島沖を航行
12/02、高い山の頂が雪に覆われているのを見て驚く
     ハワイ島に接近して、現地人のカヌーから食料などを購入する
12/04、キング副長と月食(eclipse of moon)を観測
12/07、ハワイ島マウナケア山(Mauna Kea、4210m)、
     ハワイ島マウナロア山(Mauna Loa、4170m)望見
12/19、ハワイ島最東端のクムカヒ岬(Cape Kumukahi)沖を航行

▼1779年:〜:
01/05、ハワイ島最南端のカラエ(Kalae、サウスポイント)を通過する、
     突然に物資を積んだカヌーがどんどん寄ってくる
01/17、ハワイ島ケアラクワ湾(Kealakekua Bay)到着、現地人は友好的に見える
     船の修理の木材があり、水汲みの飲料水のあるちょうど良い所に停泊
     夜間にカヌーから現地人が乗船してきて、翌朝物が無くなっているのに気付く
01/18、キレカクア村(town of Kirekakooa)に上陸、テントを設営
01/21、多数のカヌーが寄ってきて機会があれば何かを持ち去る
01/22、子供達が海岸で高波をものともせずに上手にサーフィンをしているのを見る
01/23、カワオラ村(Kaawaloa)でクラーク船長が豚を丸焼きにしてもてなしてもらう
02/01、21年海上で働いて慕われていた老いた砲手ワットマン(William Watman、
     Gunners Crew)が中風患者(Paralytic)で病死し海岸に手厚く葬る
02/04、ケアラクワ湾を出帆して、諸島の調査のため北方へ航海を始める、
     マウイ島へと航海
02/06、カワイハエ湾(Kawaihae Bay(kahulul Bay)、マウイ島カフルル湾?)沖を航海
02/08、昨夜レゾリューション号のマストが破損、修理のためハワイ島へ向かう
02/11、ハワイ島ケアラクワ湾に到着、
     マスト修理のため上陸
     トップマストの取換えと、フォアマストの修理に取りかかる
02/11、浜辺で遊ぶ子供なく、カヌーも見えない
02/13、多数のカヌーが集まってくる
     本船搭載の小型艇ピンネスが盗難、取戻す
02/14、大型カッター(Cutter)が盗難、
     取戻しに上陸したクック船長と一行がカワロア村(Kaawaloa)近くで戦死、
     海兵隊トーマス伍長(Corporal Thomas)、ヒンクス隊員(Privates Hinks)、
     アレン隊員(Allen)、ファッチェット隊員(Fatchett)の一行4人が戦死
02/16、現地人の僧侶が乗船してクック船長を手厚く葬ったと語る
     クック船長の遺体の返還を依頼する
02/20、クック船長の遺骨の一部が現地人から戻される
02/21、クック船長の水葬式を挙行する
02/22、クック船長の遺志をついでカクチャッカ(Kamchatka)へと出帆
     レゾリューション号はチャールス・クラーク船長(船隊司令官)、
     ディスカヴァリー号はジェームス・キング船長で探検航海を続行
02/24、マウイ島南13km程にあるカホオラウェ島(Kahoolawe)沖を航海、
     マルス湾(Males Bay)沖を航海、ケカ・ポイント(Kekaa Point)望見
02/25、ラナイ島カエナ岬(Cape Kaea)を望見
02/26、モロカイ島、オアフ島沖を航海
02/27、ハワイ島ワイメア湾(Waimea Bay)上陸
02/28、カウアイ島望見
03/01、カウアイ島に再上陸、現地人とトラブルになり3/8まで続く
03/08、ニイハウ島カワイホア岬(Cape Kawaihoa)沖を航海、
     カウアイ島の南西にあるニイハウ島に上陸、交易で物資調達
03/15、カムチャッカへとハワイ諸島を出帆して離れる

越冬のためにやってきたハワイ島を出帆して、付近の島々を探査航海中に、レゾリューション号のマストが破損したので修理のためにハワイ島西岸のケアラクア湾へ引き返しました。そして船の修理中に、現地人が色んな物を持ち去るので、取換えしてトラブルが起きていました。探検に必須のボートが持ち去られたので、返してもらう交渉に出かけて現地人住民と戦闘になり、多勢に無勢で、1779/ 2/14にクック船長と護衛の海兵隊4人が全員戦死しました。こうしてクック船長は51才で異郷の地にて非業の死を遂げました。

クック船長は3回の探検航海で多くの島々を発見、もしくは再発見し、南方大陸の迷信を打破し、北西航路の不通や、その他の多くの貴重な民俗学的・博物学的資料を収集し、学界に多大の貢献をしました。しかも10年間にわたる航海中に一人の壊血病による死者も出しませんでした。それは、科学者でもあったクック船長が、その予防のために大量の塩漬けキャベツ(ザワークラウト(sauerkraut)というキャベツの漬物)を積んでいたのと寄港先の土地で果物や食用の野草を探しては後組員に食べさせていたからだといわれています。イギリス・ホイットビーにクック船長の偉業を称えて銅像が建立されています。

なお、レゾリューション号はクラーク船長が指揮をとり、彼がカムチャッカで亡くなるとジョン・ゴア船長が代わって船長となり指揮をとって、1780/9/30にイギリス・ワイト島ヤーマース港(Yarmouth)に投錨・帰国しました。ディスカバリー号はジェームス・キング艦長のもとで、1780/10/7にロンドンのウールウィッチ港(Woolwich)に帰国しました。
クック船長没後の航海は、「クック船長亡き後の探検航海」につづく

なお、北西航路が見つからなかったので、英海軍本部は英政府の懸賞金を獲得できませんでしたが、1785/8/5にフランスのラ・ペルーズ船長が「北西航路」発見のために、仏ブレスト軍港を出帆しました。

参考HP〜
 ・ハワイ諸島の場所地図
 ・ハワイ諸島の地図(日本語)
 ・ハワイ諸島の地図
 ・ハワイ島の地図(日本語)
   (クムカヒ岬、マウナ・ケア山、サウスポイント、Kealakekua、その他が有)
 ・クック船長の全3回航海地図(詳細地図)

こちらで乗組の
ブライ艦長
バンクーバー船長
キング艦長
クラーク艦長
フルノー艦長
バンクス男爵
ソランダー博士
ウェールス(経度計測員)
ホッジス(画家)
パーキンソン(植物画家)
グリーン(観測隊員)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。#0103   2010/3/30追記、令和 R.3/1/27 (2021)
クック物語第1回第2回、第3回、補筆
帆船(1)(2)(3)(4)(5)

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