アリューシャン列島 Aleutian Islands |
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ベーリング海 カムチャッカ半島 - アリューシャン列島 - アラスカ 1741 ベーリングの航海250年記念 1991 ソ連 1991/7/27 発行 |
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ベーリング海と アリューシャン列島の地図 |
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ベ|リング |
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ベーリング生誕275年記念 ソ連 1957/2/6 発行 |
・アリューシャン列島 Aleutian Islands アリューシャン列島とは「アレウト人の島々」の意味で、北太平洋のベーリング海の南に半円状に300以上の火山島が連なり、全島が北緯52度から55度、東経172度から西経163度に有。アメリカのアラスカからロシアのカムチャツカ半島にかけて約1930kmに渡って連なる列島。大部分がアメリカのアラスカ州に属しているが、西端のコマンドルスキー諸島はロシアに属している。アリューシャン列島はフォックス諸島、アンドリアノフ諸島、ラット諸島、ニア諸島などからなり、アッツ島の西に日付変更線が通っている。アメリカ領の総人口:8,162人(2000)で、その内の4,283人がウナラスカ島に居住。1741年にロシアのベーリング探検隊が到達する前は、先住民アレウト族が17世紀までに主にアザラシやラッコ漁等で約25,000人が暮らして繁栄していたとされているが、ロシアの進出での乱獲で海洋資源が枯渇したり、彼らの持ち込んだ疫病でその数は十分の一以下に激減し、1910年の調査では1,491人だったといわれている。 1648年、ロシアのデジニョフ船長がベーリング海峡を探検航海 1728年、ロシアのベーリング船長がベーリング海峡を探検航海 1741年、ベーリング船長がアムチトカ島を望見、サンクト・マカリウス命名 1741/08/31、ベーリング船長が乗組員の埋葬でナガイ島に上陸 1741/10/25、ベーリング船長が第2回航海でキスカ島を発見 1741/11/07、ベーリング船長とゲオルク・ステラー博士の一行がベーリング島に漂着 1741/12/08、ベーリング船長がベーリング島で亡くなる 1742年、ロシアのチリコフ船長がアッツ島を発見、サンクト・セオドール島と命名 1759年、ゴロトフ船長が上陸のウナラスカ島に1,000人以上の原住民アレウトが居住 1760年、ロシアの毛皮商人が常駐し始める 1761年、ロシアのアンドリアノフがアンドリアノフ諸島に来航・命名 1762年、ロシア難破船・聖ペテロ・パウル号(Saint Peter and Paul)がシェミア島を発見 1763年、毛皮取引を巡ってアレウト族(Aleut)がウナラスカ島のロシア船を襲撃300人殺害 その後にデラノフ船長がシュマージン諸島に来島 1766年、アレウト族がウナラスカ島のロシア船4隻を襲撃、175人殺害、ロシアが一時撤退 その後、ロシアが再上陸して”アレウトの大虐殺”(massacre of Natives)が起る 1768年、クレニツゼン船長とレヴァスヘフ船長がクレニツゼン諸島を探検航海 1774年、ロシアの露米会社が乗出して毛皮交易所(fur trading post)居住地が完成、 1775年、ロシアのシェリコフ船長がキスカ島を毛皮会社の拠点とする 1778/6/27、クック船長がベーリング海峡を航海後にウナラスカ島イングリッシュ湾到着 1780年、ラット諸島のラット島に日本船が漂着 1782年、アムチトカ島に大黒屋光太夫が漂着 1785年、クック船長がアクタン島名”Acootan”を記録 1788/8/05、スペインがウナラスカ島に来航して、ロシア領と抗議 1778/10月、ロシアのイズマイロフ船長がウナラスカ島を探検航海、クック船長に出会う 1779年、イギリスのキング艦長がクック船長の没後にベーリング海峡を探検航海 1790年、ロシアのビリングス船長がアムチトカ島を望見 1825年、ロシア正教会(Russian Orthodox Church)の教会がウナラスカ島に建設される 1827年、ロシアのリュトケ船長がウナラスカ島、デラロフ諸島に寄航 1836年、ロシアのリュトケ船長が出版書に記録、(1827年の探検航海) 1840年、ロシアのヴァニアミノフ神父がクレニツゼン諸島のウガマク島名を記録 1852年、ロシアのタベンコフ船長がクレニツゼン船長の航海をもとにクレニツゼン諸島を命名 1867/10/18、アメリカ合衆国(USA)がロシアから720万ドル(当時1エーカー2c計約100億円)で アラスカを購入して、アリューシャン列島もこの日に正式なアメリカ領となる アリューシャン列島の主な島:〜 ・シュマージン諸島(Shumagin Islands)〜 アラスカ半島の南にある20島からなる諸島 陸地面積:1,192.369ku、人口:953(2000)殆どがポポフ島に居住 1741年、サンクト・ピョートル号乗組員シュマージンに因んで命名 ・ウンガ島(Unga Island)〜面積:442.188ku、現在は無人島 1763年のアレウト族の襲撃後にデラノフ船長(Evstratii Delarov 1740-1806)が来島 ・ポポフ島(Popof Island)〜長さ:16km、幅:8km、高さ:472m、面積:93.651ku、 サンドポイント町(city of Sand Point)の人口:952人(2000) ・コロヴィン島(Korovin Island)〜長さ:16km、面積:67.85 ku、無人島 1762年のイワン・コロヴィン船長(Ivan Korovin)の探検に因んで命名 ・ナガイ島(Nagai Island)〜長さ:49.9km、シュマージン諸島の名前は、 1741/8/31、ベーリング船長のサンクト・ピョートル号乗組員ニキータ・シュマージン (Nikita Shumagin)が壊血病で亡くなったので、この島に埋葬したことに因んで命名 ・アンドロニカ島(Andronica Island)〜面積:14.661ku ・大コニウジ島(Big Koniuji Island) ・小コニウジ島(Little Koniuji Island) ・シメオノフ島(Simeonof Island) ・チャーナブラ島(Chernabura Island) ・バード島(Bird Island) ・フォックス諸島(Fox Islands, Alaska)〜 アリューシャン列島東区(Aleutians East Borough) ・サナク島(Sanak Island) ・ウニマク島(Unimak Island)〜アリューシャン列島最大の島、面積:4,069.9ku シシャディン火山(Mt Shishaldin 2,857m)、↓この地震ではハワイが被害にあった 1946/4/1、アリューシャン地震(マグニチュード7.8)で30mの津波(Tsunami)に襲われる ロシアのリュトケ船長に因んで命名されたリュトケ岬(Cape Lutke)有 ・クレニツゼン諸島(Krenitzin Islands)〜主な島が8島有 全島の陸地面積:159.533ku、全島が無人島 1852年、タベンコフ船長がクレニツゼン船長の航海をもとにクレニツゼン諸島を命名 ・アクン島(Akun Island)〜面積:166.77ku ・カリガガン島(Kaligagan Island) ・アイクタク島(Aiktak Island)〜長さ:2.1km、アクン島東61kmに有 1852年、タベンコフ船長(Mikhail Tebenkov, 1802-1872)が記録 ・ダービン島(Derbin Island)〜チガルダ島海岸の南西に有 1840年、.ロシアのヴァニアミノフ神父(Father Veniaminov)が記録 ・アヴァタナク島(Avatanak Island)〜長さ:16.10km、 1768年、クレニツゼン船長(Captain Lt.Pyotr Krenitsyn 1728-1770)と レヴァスヘフ船長(Captain Lt.Mikhail Levashev 1738-1776)が記録 1836年、リュトケ船長が出版書にアヴァタナク島と記録、(1827年の探検航海) ・ルートク島(Rootok Island)〜1901/1/4に灯台(lighthouse)を建設、無人島 ・チガルダ島(Tigalda Island)〜長さ:19km、面積:91ku、アクタン島の東31kmに有 1768年、クレニツゼン船長とレヴァスヘフ船長がカガルガ島"Kagalga"と記録 1836年、リュトケ船長が出版書に記録、(1827年の探検航海) 1840年、.ロシアのヴァニアミノフ神父が91人の村ありと記録、現在は無人島 ・アクタン島(Akutan Island)〜長さ:30km、アクタン火山(Mt Akutan volcano、1,303m) 1768年ロシアのクレニツゼン船長が(Capt. P. K. Krenitzin & M. Levashev)が島名報告 1785年クック船長が島名”Acootan”を記録 ・ウガマク島(Ugamak Island)〜長さ:9.5km、アクタン島の東51kmに有 1840年、.ロシアのヴァニアミノフ神父(Father Veniaminov)が記録 ・ラウンド島(Round Island)〜ウガマク島の南800mに有
1836年、リュトケ船長が出版書に記録、(1827年の探検航海) 1942(昭和17)年、大日本帝国軍がダッチハーバーを空襲 ・アマクナク島(Amaknak Island)〜 ダッチハーバー区域内で、面積:8.5ku、 ウナラスカ島のウナラスカ湾(Unalaska Bay)に有る小島(islet) ・ビオルカ(セダンカ)島(Biorka(Sedanka) Island)〜無人島 ウナラスカ島の北東に有、長さ:16.6km、面積:103.31ku ・ボゴスロフ小島(islets of Bogoslof) ・グレウィングク小島(islets of Grewingk) ・ウマナク島(Umnak Island)〜面積:1,776.76kuの火山島、 北部にオクモク火口(Mt.Okmok Caldera 1,073m)(Mt Tulik 1,253m)有 南部にレチェシュノイ成層火山(Mt Recheshnoi 1,984m)(Mt Vsevidof 2,149m)有 ・アドゥガク島(Adugak Island)〜 ウマナク島の南西8kmの所に有る長さ:2km、高さ:31mの岩礁島 ・フォーマウンテン諸島(Islands of Four Mountains)〜 火山島の連島(Volcano Islands Chain) ・アムクタ島(Amukta Island)〜最高点:1,055m ・チャグラク島(Chagulak) ・ユナスカ島(Yunaska Island) ・ハーバート島(Herbert Island) ・カーリスル島(Carlisle Island) ・チュンギナダック島(Chuginadak Island) ・ウリアガ島(Uliaga Island) ・カガミル島(Kagamil Island)〜長さ10.0km、幅:5.0km、の小島 カガミル火山(Kagamil Volcano)には890mと 690mとの2つの火口がある ・アンドリアノフ諸島(Andreanof Islands)〜 1761年、ロシアのアンドリアノフ船長(Andreyan Tolstykh)が来航して命名 ・タナガ島(Tanaga Island)〜タナガ火山(Mount Tanaga 1,806m) ・カナガ島(Kanaga Island)〜カナガ火山(Mt Kanaga 1,307m) ・アダック島(Adak Island)〜モフェット山(Mt Moffett 1,196m) ・カガラスカ(Kagalaska Island)〜長さ:14km幅:11kmの小島 ・グレート・シトキン島(Great Sitkin Island)〜1,740mのグレート・シトキン火山が有 ・アトカ島(Atka Island)〜北東部にクロヴィン火山(Korovin Volcano 1,533m)が有 ・アムリア島(Amlia Island)〜長さ:74km幅:14.0km、面積:445.72kuの小島 ・セグアム島(Seguam Island)〜成層火山(Stratovolcano 1,054m)の島 ・デラロフ諸島(Delarof Islands)〜11島、 1836年、リュトケ船長が出版書に記録、(1827年の探検航海) ・アマグチグナク島(Amagtignak Islands)〜長さ:8km幅:4kmの小島 ・ガレロイ(Gareloi Island)〜長さ:9.7km幅:8.0km、面積:67.2kuの小島 ガレロイ火山(Gareloi Volcano 1,573m) ・ラク島(Ilak Islands)〜長さ:1.59 km、最高点:58m、 島名はロシアのサリチェフ船長(Lt. Sarichev)の出版地図書((1826)に因む ・アヴァルガ島(Kavalga Islands) ・オリウガ島(Ogliuga Islands) ・スカグル島(Skagul Islands) ・タグス島(Tags Islands) ・タナダク島(Tanadak Islands) ・ウギダク島(Ugidak Islands) ・ウラク島(Ulak Islands) ・ウナルガ島(Unalga Islands)
・アライド島(Alaid Island)(3) ・ニズキ島(Nizki Island)(4)〜長さ:5km、高さ:50.30mの小島 ロシア語”nizkiy”「低い」の意に因む ・ハンマーヘッド島(Hammerhead Island)〜長さ:243mの小島 ・ロータス島(Lotus Island)〜長さ:320mの小島 ・シェムリャ(シェミア)島(Shemya Island)(5)〜面積:15.289ku 1762年ロシア船聖ペテロポール号(Saint Peter and Paul)が漂着後、多くの生存者有 ・アガッツ島(Agattu Island)(2)〜面積:221.593ku、最高点:632m ・ブルダー島(Buldir Island)〜 面積:19.291ku、長さ:6.9km、幅:4.0km ブルダー火山(Buldir Volcano、656m)〜1741年のベーリング船長の航海で発見 ラット諸島(Rat Islands)〜 ・キスカ島(Kiska Island)(7)〜別名:鳴神島 1741/10/25、ベーリング船長が第2回航海で発見 1775年、シェリコフ船長が毛皮会社の拠点とする 1943(昭和18)年、大日本帝国軍がキスカ島からの撤退を成功させる ・小キスカ島(Little Kiska Island)(8)〜キスカ港の東に有。 ・セグラ島(Segula Island)(9)〜セグラ火山(1,153m) ・クヴォストフ島(Khvostof Island)(10) ・ダヴィドフ島(Davidof Island)(11) ・小スィッキン島(Little Sitkin Island)(12)〜火山(1,190m) ・ラット島(Rat Island)(13)〜面積:26.7095ku、1827年リュトケ船長が命名、 1780年、日本船が漂着。 ・アムチトカ島(Amchitka Island)(14)〜〜長さ:68km、幅:3-6km 1741年ベーリング船長が望見してサンクト・マカリウス(St. Makarius)命名 1782年、大黒屋光太夫が漂着 1790年、ロシアのビリングス船長(Joseph Billings 1758-1806)が望見 アメリカが地下核実験を、1965、1969、1971年の3回実施 ・セミソポクノイ島(Semisopochnoi Island)(15)〜 面積:221.59ku、セルベルス山(Mt Cerberus 1,600m)。 ・コマンドルスキー諸島 Komandorski Islands ・ベーリング島 ・メードヌイ島 コマンドルスキー諸島をこちらでお楽しみください。 参考:〜 ・プリブロフ諸島 Pribilof Islands アリューシャン列島の北方で、ウナラスカ島の北320kmに有 1767年、プリブロフ船長(Gavriil Pribylov -1796)が寄航、記録 1788年、プリブロフ船長が上陸 1793年、イズマイロフ船長が再発見・命名、毛皮用オットセイ狩(Fur seal)の諸島 1836年、リュトケ船長が出版書に記録、(1827年の探検航海) ・セントポール島(Saint Paul Island)〜 ウナラスカ島の北方320kmにある火山島、面積:104ku 1787/7/12、プリブロフ船長がセントポールの日に難破・命名 1794年、イズマイロフ船長がプリブロフ船長と乗組員を救助 ・セントジョージ島(St. George Island)〜 セントポール島の南約80.5kmにある面積:90kuの小島 1786/6/25、プリブロフ船長が発見、乗船セントジョージ号(St. George)に因んで命名 ・オター(カワウソ)島(Otter Island)〜 セントポール島の北西にある面積:0.6686ku、最高点:285mの小島 ・ワルラス島(Walrus Island)〜 セントポール島の東にある長さ:650m、面積:0.2036kuの小島 島名はロシアのワルラス船長(Mikhail Vasilyev 1770-1847)の出版書(1829)に因む ・参考HP:〜 ・アリューシャン列島の場所地図 ・アリューシャン列島の地図 ・シュマージン諸島の場所地図 ・アクタン島の地図 ・ウナラスカ島の地図 ・アラスカ半島、アクタン島、ウナラスカ島の場所地図 ・西アリューシャン列島の地図 (1-5 ニア諸島、6ブルダー島、7-15 ラット諸島) (1アッツ島、2アガッツ島、3-5セミチ諸島、3 アライド島、4 ニズキ島、5 シェムリャ島、 7 キスカ島、8 小キスカ島、9 セグラ島、10 クヴォストフ島、11 ダヴィドフ島、 12 小スィッキン島、13 ラット島、14 アムチトカ島、15 セミソポクノイ島) ・コマンドルスキー諸島の場所地図(ベーリング島&メードヌイ島) ・プリブロフ諸島の地図(セントポール島&セントジョージ島) ・プリブロフ諸島の場所地図 ・ウマナク島の地図 ・セミソポクノイ島の場所地図(黄色印) ・ベーリング海とベーリング海峡の場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 11/2/11 |