United Kingdom 国連 1983 発行 |
大航海物語 | ★ イギリス VS スペイン |
アルマダの海戦 1588、ARMADA イギリス艦隊がスペイン無敵艦隊アルマダを撃破 |
海戦物語★ | 参考資料 | Spain 国連 1988 発行 |
イギリスの見張り→ |
←スペイン艦隊 |
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1588 アルマダの来襲400年記念 1988 セント・ヴィンセント 1988 発行 |
LIZARD・7/19 リザード岬沖の海戦 |
PLYMOUTH・7/21 プリマスの海戦 |
WIGHT・7/25 ワイト島の海戦 |
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CALAIS・7/28-29 カレー沖の海戦 |
NORTH SEA・7/30-8/2 北海に神風来る |
英仏海峡の地図 |
英リザード岬・プリマス・ワイト島、 仏カレー、ドーバー海峡 英領ジャージ 1988/7/19 発行 |
・スペイン無敵艦隊アルマダの海戦 Battle of Armada 1588/7/19-7/29 1587年2月にイギリスのエリザベス一世がカトリックのスコットランド女王メアリー・スチュアートを処刑したことから、スペインのフェリペ二世がフランドル駐屯軍でイギリス征服を企てました。1588年7月中旬2万2000の兵を乗せた約130隻のスペイン無敵艦隊がラ・コルニャを出帆しました。まもなく約200隻のイギリス艦隊が迎撃に出てイギリス海峡からドーバー海峡にかけて、9日の間、砲撃戦を戦いました。射程の長い軽砲を備えた小型船を主力とする英海軍は地中海流の衝角戦で挑むスペイン海軍を巧みにかわして、かなりの損害を与え、戦意をくじきました。 イギリス艦隊は1588年迎撃に出帆、 7月19日にリザード岬沖の海戦 7月21日にイギリス海峡のプリマス沖の海戦、 7月25日にワイト島沖の海戦、 7月28〜29日にドーバー海峡カレー沖の海戦、その他と勝ち進み、 スペイン艦隊を北海へと追いやりました。その後スペイン艦隊は北海の嵐によって、さらなる損害をこおむり、約半数の船だけがスペインに帰港することが出来ました。これにより、3分の2近い将兵が失われる、という大打撃を受けてしまいフェリペ2世がイギリス征服を断念しました。 アルマダの大敗でスペインは制海権を失い、この後オランダの独立、イギリスの台頭を招くこととなりました。なお、アルマダの海戦時は、そのほとんどのイギリス船が私掠船による寄せ集め艦隊でした。スペインの船は大型で船足が遅く鈍重でしたが、イギリスの船は小型ながら快速で、操船術が巧みで軽快に走り回ることができ、砲列甲板が2層3層になる船もあり、砲術の改良により片舷一斉射撃が可能となっておりました。スペイン艦隊128隻に対し、イギリス艦隊は197隻であったと伝えられています。ホーキンス船長、ドレーク船長、フロビシャー船長、デイヴィス船長などが活躍しました。 なお、セルバンテスはスペイン無敵艦隊で食料調達係をしており、後に日本に渡ったウィリアム・アダムス(三浦按針)はイギリス補給船の船長として前線と港を往復していました。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2004/2/17 08/11/11追記 |