切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage)
United Kingdom

国連 1983 発行

フルノー艦長
1773
クック船長と世界最初の南極圏一周航海

大航海物語
 イギリス編

Norfolk Island
アドベンチャー号と南極の氷山

1773 南極圏一周200年 1973
First Crossing of the Antarctic Circle
ノーフォーク 1973/1/17 発行
Tokelau Islands
ドルフィン号

アタフ島
トケラウ 1970 発行

British Antarctic Territory

1961 南極条約20周年記念 1981
イギリス南極地域 1981 発行
Australian Antarctic Territory
南極圏一周航海地図 南極圏一周航海地図

オーストラリア南極地域 1972 発行

U S
ボストン茶会事件

1773 ボストン茶会事件200年記念 1973
アメリカ 1973/7/4 発行

イングランド生れのフルノー艦長はキャップテン・クックの第2回探検航海で、アドベンチャー号艦長で随行して、1773年に世界最初の南極圏一周航海を達成しました。
トバイアス・フルノー艦長 (1735/8/21〜1781/9/19)
 Tobias Furneaux

フルノー艦長はイングランド南西部デヴォン州プリマス(Plymouth)近郊スィリー(Swilly)で生れ、1755/2月に20才で英国海軍に入隊し、マールボロー号(H.M.S. Marlborough)で海軍少尉候補生になりました。フランスやアフリカ沿岸に航海しました。七年戦争(1760-1763)中は西インド諸島に配置され、1759/11に海軍大尉に昇進しました。1760年にイギリスに戻ってきました。1762/10月にフリゲート艦メランペ号(HMS Melampe)に乗艦しました。1766/8月にフリゲート艦ドルフィン号(HMS Dolphin 24-gun sixth-rate frigate 508t)の副官で乗艦して、ロンドンのノア(Nore)を出帆しました。

フルノー艦長の探検大航海
・ウォリス世界周遊航海〜1766/8ー1768/5:ドルフィン号副官
クック船長第2回航海〜1772ー1775:アドヴェンチャー号艦長

サミュエル・ウォリス艦長のドルフィン号に副官として乗艦、カートレット艦長のスワロー号と共に世界周遊航海に出帆しました。カートレット艦長はマゼラン海峡を通過してから、ピトケーン島(Pitcairn Island)を発見しました。さらに、1767年にブーゲンビル島の北東(86km)にあるカートレット環礁島(Carteret Islands)を発見し、世界周遊航海を達成して、1769/3イギリスに帰港しました。ドルフィン号はマゼラン海峡を通過してから、スワロー号と別れて、1767/6/18にジョージ王諸島に到達して、ジョージ国王に因んでジョージ王諸島(King George Islands)と名づけ、インドネシアのバタヴィア(現ジャカルタ)へと航海を続けました。そこでは赤痢(dysentery)がはやっていて、多くの乗組員を亡くしました。喜望峰周りでイギリスへ航海して1768/5月に帰港しました。

1770/12月にはトライデント号(H.M.S. Trident)に乗船し、12/30にはトルベイ号(H.M.S. Torbay)の副官となりました。1771/11月にフルノーはアドベンチャー号(HMS Adventure barque 1570t)の艦長に任命され、1772/7月にクック船長の第2回航海にレゾリューション号(HMS Resolution)に従ってプリマス港(Plymouth)を出帆し、世界最初の西周り世界一周航海を成し遂げました。

クック船長は第一回航海から帰還後、テラアウストラリアス(Terra Australis)の発見を王立協会により再び委託されました。第1回航海のニュージーランド周航によって、ニュージーランドが南方の大陸とは繋がっていないこと、さらに、東海岸の測量で、オーストラリアが大陸であろうことも、既に明らかにされていましたが、テラアウストラリアスはさらに南に存在する筈だと王立協会は未だ信じていました。クック船長はレゾリューション号を、フルノー艦長が僚船アドベンチャー号を指揮して、きわめて高緯度の南極地域を周航し、1773年1月17日にヨーロッパ人として初めて南極圏に突入し、南緯71度10分まで到達しました。これが如何に偉業であったかは、次の南極圏突入が約50年後だったことからも明らかなのです。
南ジョージア島と南サンドウィッチ諸島もこの南極航海で発見されました。しかし、南極圏の濃い霧によってクック船長とフルノー艦長は1773/2/8と1773/10/22の2回もはぐれてしまいました。クック船長は南極探検を続けましたが、フルノー艦長はタスマニア島の南岸から東岸へと探検航海し、バス海峡でフルノー諸島(52の連鎖珊瑚礁島)を発見しました。そして、ニュージーランドへ向かうも、マオリ族との戦いで部下を失い1774/10/14に、やむなく先にイギリスへ帰還することになり、ポリネシアのタヒチ人オマイ(Omai)を連れて、1774/7にスピットヘッド(Spithead)に帰港しました。オマイはクック船長が第3回航海の時に、タヒチへ戻しました。 ポリネシア人

ポリネシア 2006 発行
アメリカ独立戦争(1775-1783)ではフリゲート艦サイレン号(HMS Siren 28-gun)の艦長を務め、サウスカロライナ州チャールストンで1776/6/28に参戦しましたが、結果は敗戦となりました。サイレン号は1777/11月に北米北東岸のナラガンセット湾(Narragansett Bay)で沈没し、乗組員は捕虜となり投獄され、翌年の4月に放免となりました。フルノー艦長は軍法会議にかけられましたが何んのミス指揮も無かったとして無罪放免となりました。彼は1779/9月に休職給リスト(退役)が適用される時に、イシス号(H.M.S. Isis)で奉仕活動を勤め、その後は海軍の軍務にはつきませんでした。フルノー艦長は未婚のままで、故郷のスィリーにて46才で亡くなりました。

参考:〜:
・アメリカ独立戦争「チャールストンの戦い」
(American Revolutionary War, 1775/4/19-1783/9/3)
(1st Siege of Charleston, 1776/6/28、別名:サリバン島の戦い(Battle of Sullivan's Island)
(2nd Siege of Charleston, 1780/3/29-1780/5/12、別名:チャールストンの包囲戦)
植民地人とイギリスとの関係が悪化すると、チャールストンは革命の焦点となりました。「代表なくして課税」する1773年の茶法に抗議ボストン茶会事件:Boston Tea Party, 1773/12/16)して、チャールストン市民は茶を没収し、交易所と税関内に保管しました。1774年に植民地のあらゆるところから大陸会議に送る代表を選ぶために交易所に集まってきました。代表はアメリカ独立宣言を起草する責務がありました。サウスカロライナは交易所の階段でイギリスからの独立を宣言。まもなく教会の尖塔、特にセント・ミカエル教会尖塔がイギリス艦隊の標的にされたので、独立派の軍隊は夜の空に溶け込むように ボストン茶会事件

コスタリカ 1973 発行
その尖塔を黒で塗ってしまいました。チャールストンは前後2回イギリス軍の攻撃目標となりました。どちらの場合もイギリス軍の戦略はイギリス王への忠誠を誓う王党派が軍事的にも支援してくれるという仮定に立っていました。
・第1次
1776年の戦いはクリントン将軍が英国艦隊9隻に2,000人の兵士で、サウスカロライナ王党派の決起を期待して、チャールストンを占領しようとした戦いです。これは戦争の行方を甘く見たもので、英国海軍が市内の防衛軍の助けを得たムールトリー砦に敗れ去り、また、サリバン島から来たウィリアム・ムールトリーの部隊にクリントン将軍が破れました。さらに土地の王党派はイギリス軍の期待に反して町の背後から攻撃することもありませんでした。王党派の組織力が弱く効果を上げられませんでした。それでも1780年まで、王党派の避難民からたきこまれたイギリス高官は今度こそ決起があるものと確信していたのでした。
・第2次
クリントン将軍は1779年2月に英国艦隊18隻と輸送艦90隻で14,000人の部隊とともに再度来襲しました。大陸軍のベンジャミン・リンカーン将軍が罠に嵌り、5,400人の将兵全員が降伏しました。独立戦争で大陸軍最大の敗北でした。クリントン将軍はコーンウォリス将軍に8,000人の兵を託してニューヨークに戻りました。コーンウォリス将軍は王党派を集結させ、植民地内に砦を造り、イギリス王への連帯を誓わせました。彼らは1782年までチャールストン市を支配。イギリス軍が去ると、1783年に市の名前を公式にチャールストンに変えました。

参考HP〜
プリマス
フルノー諸島
ナラガンセット湾
サウスカロライナ州
南半球の地図
クック船長の航海 (赤:1回、緑:2回、青:3回)の地図

こちらで世界遺産
ピラミッドエジプト
パルテノン神殿ギリシャ
姫路城 (日本
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。#0118 07/4/30, 10/7/27, 令和 R.3/2/9 (2021)
スタンプ・メイツ
Copyright(C):StmpMate
無断転載禁止