★イギリス タ ヒ チ 島
Tahiti Island、Society Islands、French Polynesia
(1789、”バウンティ号”乗組員が置き去り)
大航海物語★

POLYNESIE FRANCAISE RF
タヒチ島


パペーテ湾           ポリネシア 1998/11/5 発行           パペーテ海岸

POYNESIE FRANCAISE
楽園の情景(タヒチにて)、ゴーギャン 作
我々は何処から来たのか? 我々は何者か? 我々は何処へ行くのか?
Where have we come from? What are we?
Where are we going? Gaugin(1848-1903)

Gaugin 1897-1898年作 ボストン美術館)蔵

仏領ポリネシア 1985/5/17 発行 (200%)

・タヒチ島 Tahiti Island
 Windward group of French Polynesia,
 located in the archipelago of Society Islands in the southern Pacific Ocean

日本では天国に一番近い島と言えばニューカレドニア島と言われた時代がありましたが、ヨーロッパでそれはタヒチ島だったんではないでしょうか。今から200年前の1789年にイギリスの商船を改良して武器を積んだ艤装をほどこした軍艦バウンティ号が、”パンの木の苗木”を採取しにタヒチ島へやって来ました。着いてみると乗組員にとって、そこは楽園そのものでした。使命感にあふれた艦長は、半年後に準備がととのうと船を出帆しました。やがて一ヵ月もしない内に、反乱を起こされ艦長と忠実な部下はボートに追放され、バウンティ号はタヒチ島へ戻りました。

そのタヒチ島は南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシアに属するソシエテ諸島東部にある島で、首都はパペーテ、面積1048Ku、人口約17万人(2002年推計)の南太平洋有数のリゾート地となっています。1769年にクック船長がロンドン王立協会(The Royal Society of London)にちなんでソサイエティ諸島と名付けました。冒険家ヘイエルダールの逸話や、ゴーギャンが移り住んだ島としても有名ですね。

タヒチ島は大きい方のタヒチ・ヌイと小さい方のタヒチ・イチの2島で構成された、ひょうたんのような形をした島です。火山性の山がちな島で、最高峰が標高2241mのオロへナ山があり、島の周囲をサンゴ礁が取り巻き、火山性特有の黒い砂浜が多いのが特徴です。モーレア島までは18kmで高速船で30分、飛行機で7分となっています。住民はほとんどがポリネシア系。白人や華人の住民も少数いて、仏領ポリネシアのうち、住民の75%がタヒチ島で生活しています。詳しくは下記の”タヒチ島観光局公式サイト”を参照してください。

・ポリネシアの首都パペーテがタヒチ島にある。
パペーテ(Papeete)とは南太平洋ポリネシアにあるフランス領ポリネシア及びタヒチ島の首都でタヒチ島に有。パペーテは1818年イギリス人宣教師ウィリアム・クックにより築かれ、女王ポマレ5世がパペーテに彼女の裁判所を移し、1820年ポマレ5世がパペーテを彼女の首都としました。そして、町は主要な船積みおよび交通機関の中心となって発展。1842年フランスはポマレ5世に対しタヒチ島をフランスの保護領となる条約に署名を要求。ポマレ5世はそれに応じ、そしてパペーテはフランス領タヒチの首都となりました。現在、パペーテの町は官庁、病院、銀行、航空会社および旅行会社、免税店や黒真珠の店などが立ち並び観光客で賑わい、パペーテの玄関口であるファアア国際空港は1962年に完成。

タヒチ島略年表:〜:
1606年、キロスの来島説有。
1616年、オランダのルマール船長が来島。
1722年、オランダのヤコプ・ロッヘフェーンが来島。
1767/6/18、イギリスのサミュエル・ウォリスがタヒチ島を発見。
1768年、フランスのブーゲンビルが来島。
1769年、クック船長が「金星の太陽面通過調査」をタヒチ島で実施。
1817年、イギリスのジョン・ウィリアムズ牧師夫妻がキリスト教を伝道に来島、ライアテア島へ渡航
1788年、ブライ艦長がバウンティ号で「パンの木の苗木」を採集に10/26に来島。
1789年、バウンティ号が4/4に「パンの木の苗木」を積み込んで出帆、その後に反乱が発生
1791年、ブライ艦長が再び「パンの木の苗木」を採集に来島。
1801年、 イギリスのジョージ・バスが食糧買い付けにソシエテ諸島に寄港
1842/9/9(天保13/8/5):フランス太平洋艦隊の司令官デュプチ・トゥアルが、
      タヒチ島の女王ポマレ4世に対し、タヒチをフランスの保護領とする条約を強制。
1843/11/5(天保14/9/14):フランスが、タヒチの領有を宣言。
1847年:ポリネシア(ソシエテ諸島、マルケサス諸島、ツモアツ諸島など)、
      フランスの保護領土として承認。
1880(明治13)/8/29:タヒチ国王ポマレ5世によって主権譲渡を宣言、フランスの植民地。
1880年、フランスの本格的なタヒチ島への植民が行われた。
1945年、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
1949年、フランス海外領土に昇格し、
1957年:フランス領ポリネシアとして第二次大戦後、正式に海外領土。
1963年:珊瑚環礁(ムルロア環礁)を利用しての核実験場として確定。
      以降200回近い核実験をフランスが実施。
1995年6月:フランスのシラク大統領は、核実験の再開を発表。
1995年9月5日:フランスはムルロア環礁で核実験を実施。

参考HP:〜
タヒチ観光局公式サイト
ソシエテ諸島 & トゥアモトゥ諸島
ソシエテ諸島
トゥアモトゥ諸島

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       08/2/15 08/8/8画像追加

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