切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage) | ||||
★クック物語 | 第1回 第2回 第3回 |
United Kingdom 国連 1983 発行 |
キャップテン・クック
第3回 太平洋探検航海 1779/2/22〜10/7 クック船長亡き後の探検航海 |
大航海物語 クック編★ |
(4)レゾリューション号 (5)ディスカバリー号 |
|
|||||
ク ッ ク 船 長 最 後 の 戦 い |
アラスカ ← |
ハワイ | |||
1778 ハワイ発見200年記念 1978 1728 クック 生誕250年記念 1978 グレナダ 1978 発行 |
|
|
北極の氷海を探検航海する レゾリュ−ション号とディスカバリー号 ノーフォーク 1978/8/29 発行 |
COOK ISLANDS シベリアのカムチャッカ、1779 クック諸島 1968/9/12 発行 |
ベーリング海峡の地図 ソ連 極東地域領土 1966/12/25 発行 |
・クック船長亡き後のレゾリューション号とディスカバリー号の探検航海:〜 ▼1779年:〜: 02/22、クック船長の遺志をついで探検航海を続行 レゾリューション号はチャールス・クラーク船長(船隊司令官)、 ディスカヴァリー号はジェームス・キング船長で、北西航路発見の探検航海を続行 03/15、カムチャッカ(Kamchatka)へとハワイ諸島を出帆 04/23、カムチャッカを望見 04/29、ペトロパブロフスクから約11.3kmに有るアヴァチャ湾(Avacha Bay)に投錨 上陸して観測所を設営、食料を調達、ロシア軍人や商人、土地の僧侶が訪れる クラーク船長が総督ベハム少佐(Major Behm)に親書を出す クック船長の航海日誌をロンドンの海軍省に送る、7ヶ月後に着く 05/07、ロシアやドイツの商人はカムチャッカ南西岸ボルシェレツク(Bolsherstsk)へと出帆、 05/16、船大工助手マッキントッシュ(Alexander McIntosh)が熱病で亡くなり水葬に付す 05/21、ロシア商人がベハム総督を連れてアヴァチャカ川(Avachka)河口へ戻ってくる 05/26、ベハム総督が帰る、船に氷がつき始めて船大工が除去する 06/11、アヴァチャ湾を出帆 06/15、アヴァチャンスカヤ火山(Mt. Avachinskaya 2,741m)が噴火、 船が火山灰に覆われる 06/18、シンパンスキー岬(Cape Shipunski)通過 06/19、アヴァチャ湾外に出て半島沿いに北東へと航海 06/20、コロノツキー岬(Cape Kronotski)、 カムチャッカ湾(Gulf of Kamtchka)沖を航行 06/24、オリュートルスキー岬(Cape Olyutorski)沖を航行 06/28、アナスタシー湾(Anastasii Bay)、 ヴィチャンステイナ・ポイント(Vitgenshteina Point)、 ナタリー湾(Natalii Bay)、 グルボカヤ湾(Glubokaya Bay)沖を航行
アメリカのマウンテン岬(Cape Mountain)沖を航行 北極圏(Arctic Circle)を横切るも、天候と氷の状態が悪い 07/10、天候と氷の状態はますます悪くなる 07/18、なお北上を続けて北緯70度33分に到達、 氷に阻まれて、もうこれ以上の北上は出来なくなり、 北西航路の探検は断念して南へと転舵。 07/26、チュコート半島の岬(Cape Serdtse Kame)沖を航行 07/30、ダイオミード諸島からベーリング海峡へ向かう 08/21、カムチャッカの海岸を望見 08/22、長い闘病の後に、クラーク船長が結核で亡くなる 08/24、アヴァチャ湾に到着 08/25、レゾリューション号はジョン・ゴア中尉が船長として指揮をとることになる 08/29、クラーク船長の遺志でペトロパブロフスク(Petropavlovsk)の墓地に葬る 09/03、ロシア提督エヴァン・シンド(Evan Sind)やロシア士官の訪問を受ける 両船共に補給物資を積み込む 09/22、新総督シミロフ船長(Captain Smilof)が訊ねてくる 09/26、乗船していたフリーメーソン(Freemasons)がロシアの住居(barracks)に泊る 09/27、マソニック神父(Masonic)に会う 09/30、クラーク船長の紋章(escutcheon)をペトロパブロフスクの教会に納める 10/09、アヴァチャ湾を出帆 10/16、クリル諸島(Kurile Islands)のシムシュリ島(Shimushiru)と パラマシュリ島(Paramushiru)を望見
マカオ(Macao)と香港(Hong Kong)に接近 12/01、マカオ近くのロードス(Roads)に投錨 ▼1780年:〜: 01/13、マカオを出帆 01/20、コンドル島(Pulau Condore)と呼んだ所(コンドル島:Kondor Island)沖を航行 01/28、ボルネオとスマトラの間のバンカ海峡(Straits of Banca)へ進入 02/12、スンダ海峡のプリンセス島(Princes Island)投錨 02/19、プリンセス島を出帆して、喜望峰へ向かう 04/12、南アフリカのファルス湾(False Bay)のシモンズタウン(Simonstown)に到着 レゾリューション号のタラップを修理 05/09、シモンズタウンを出帆 08/09、嵐でアイルランド(Ireland)の名も知らぬ海峡に避難、 その後、アイルランドの西海岸沿いに航海 08/21、スコットランド(Scotland)の西岸を航海、 母国に帰ってくる、船出して実に48ヵ月以上経過 08/22、嵐でオークニー諸島(Orkneys)のストローネス港(Stromness Harbour)に避難 09/20、ストローネス港を出帆、 デイヴィス漕舵手(John Davis)が亡くなり、水葬に付す 09/22、海兵隊ギルバート軍曹(Sergeant Samuel Gilbert)が亡くなり、水葬に付す 09/30、レゾリューション号がワイト島ヤーマス港(Yarmouth Roads)に到着・投錨、帰国 10/07、ディスカヴァリー号がロンドンのウールウィッチ港(Woolwich)に到着・投錨、帰国 ・チュクチの地図(1773) ・セント・ローレンス島の場所地図 ・カムチャツカ半島の場所地図 ・日本の地図 ・台湾島の地図 ・ファルス湾の地図(喜望峰の(北東)奥の湾) ・アイルランドの地図 ・オークニー諸島の場所地図(スコットランドの北方の青色の所) ・オークニー諸島の地図(West Mainlandの南部にStromness有) ・スコットランドの地図 ・イギリスの地図(イングランド・スコットランド・北アイルランド) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。#0108 2010/3/30、令和 R.3/1/31 (2021) |
★クック物語、第1回、第2回、第3回、補筆 帆船:(1)、(2)、(3)、(4)、(5) |
こちらで ・コロンブス (スペイン) ・マゼラン (スペイン) ・バスコ・ダ・ガマ (ポルトガル) ・カルティエ (フランス) ・バレンツ (オランダ) ・ベーリング (ロシア) 世界遺産の ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・姫路城 (日本) をお楽しみください。#0108 |