大航海物語 | 切手で綴る 海峡(No.10)
伝説のアニアン海峡 Strait of Anian 幻の天然の運河 |
参考資料 |
アニアン海峡とフアン・デ・フーカ | ||
ギリシャ 2018 発行 |
オルテリュウスの古地図 世界の舞台(Orbis Terraum, 1570) |
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北極→ アニアン海峡→ 北アメリカ→ |
←ジパング |
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1522 マゼランの世界一周航海480年記念 2002 フィリピン 2002 発行 |
・アニアン海峡 (Strait of Anian) アニアン海峡は、1560年頃に記録された「太平洋と大西洋とを結んでいる」伝説の海峡で、北極海から太平洋への北西航路へ航海できる信じられていました。真の海峡は1728年に発見されたベーリング海峡だとする説もあります。アニアン海峡は一般的に北極の近くに配置されるも、カリフォルニアのはるか南に図示されることもありました。 また、アニアン海峡は想像上の北西航路の16世紀頃のヨーロッパでの名前で、アニアンとは、マルコ・ポーロの「東方見聞録」の1559年発行版に登場する中国の地方名「アニア」(雲南地方の阿寧州)に由来すると考えられています。 海峡は1562年ごろのイタリアの地図製作者ジャコモ・ガスタルディ(Giacomo Gastaldi)の地図で最初に現れました。5年後にはボロニーニ・ザルティエリ(Bolognini Zaltieri)が、アジアとアメリカの間に細く曲がりくねった海峡を書き入れた地図を出版しました。1569年のメルカトルが発行した地図 "Nova et aucta orbis terrarum descriptio" にも、当時最も普及していたオルテリュスの地図帳(1570)に収集されたタルタリア地図にも "Stretto di Anian" として描かれました。 この想像上の海峡は北アメリカは、大陸ではなく大きな諸島であるという考えに基づいていました。このような海峡は実際には存在しないも、北西航路はアジアとヨーロッパを結ぶ最短航路となりうるため、多くの探検家がこの海峡を求めて、北大西洋のラブラドル海側と北太平洋のカリフォルニア側から捜索を行いました。 1542年にはカブリロがアニアン海峡と北西航路の探索の遠征航海に出帆して米国カリフォルニアのサンディエゴに到達しました。 ギリシャの航海士フアン・デ・フーカは、1592年にスペイン王フェリペ2世の命で北アメリカ大陸北西岸(現在のカナダ西岸)を探検しました。彼は、バンクーバー島(現 カナダ・ブリティッシュコロンビア州)とオリンピック半島(現 米国ワシントン州)との間のファンデフーカ海峡(Strait of Juan de Fuca)の名前の由来として最もよく知られています。彼自身は、北米大陸の北を迂回して東アジアとヨーロッパを最短距離でつなぐ仮説上の海路「アニアン海峡」を発見したと称して、後世まで議論を残しました。 この「海峡」の存在は18世紀末、カナダのアレグザンダー・マッケンジーに(Sir Alexander MacKenzie, 1764-1820)よるカナダ北極圏・内陸探検と、イギリス海軍のバンクーバーによる北米太平洋岸探検航海により伝説上のものとして実在しないことが実証されました。 参考HP:〜 ・アニアン海峡の場所地図(1687年) (ハドソン湾に向かって伸びるアニアン海峡の可能性がある島として バハカリフォルニアを示す地図) ・アニアン海峡の場所地図(1610年) (ベーリング海峡のおおよその所にあるアニアン海峡を示す地図) こちらで ・ファントム・アイランド(別名:幻島) ・シボラの七都市 ・シリー諸島 世界遺産の ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・サンマリノ (イタリアの中のサンマリノ共和国) ・姫路城 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.2:2020/12/14 |