United Kingdom

国連 1983 発行

フォークランド諸島探検
1765〜 第1次探検
1831〜 第2次探検

大航海物語
  地図編
Falkland Islands
第1次探検 第2次探検
ジェーソン号&マックブライド艦長

HMS Jason 1765
ドルフィン号&バイロン艦長

HMS Dolphin 1765
ビーグル号&フィッツロイ艦長

HMS Beagle 1831
フィロメル号&サリヴァン提督

HMS Philomel 1842
1765 海軍探検家 1985
フォークランド諸島 1985/9/23 発行


フォークランド諸島
Forkland Islands


エグモント港→
Port Egmont



ウェッデル島


西フォークランド島・東フォークランド島





←ソレダード港

←スタンリー

←ダーウィン
Cocos Islands
ダーウィン


ココス諸島 1986/4/1 発行
Rebuilding Conflict with Algentina
フォークランド紛争再建記念、寄付金付

フォークランド諸島 1982/9/13 発行


 マルビナス、南ジョージア、南サンドウィッチ、の各諸島を示す地図
   フォークランド↓(マルビナス)諸島      サウス↓ジョージア島
アルゼンチン サウスジョージア諸島

サウスサンドウィッチ諸島


サウスオークニー諸島

1829 マルビナス危機153年記念 1962
アルゼンチン 1982/6/12 発行

南極点からのフォークラン諸島の場所地図(赤丸
サウスジョージア諸島→

フォークラン諸島

サウスシェトランド諸島→
南極半島→
グレアムランド→
アレクサンダー島→


←サウスサンドウィッチ諸島

←サウスオークニー諸島






南極点
フォークランド 1946/2/1 発行

エリザベス号の遭難

マン島 1984 発行

難破船エリザベス号の残骸(1913〜1982)
The Karran fleet Lady Elizabeth, Iron Barque (1,115t, 1879)
1913 Beached in Whalebone Cove, Stanley Harbour, Falkland Islands
1912/12/4、エリザベス号はカナダのバンクーバーで木材を積んでモザンビークのデラゴア湾に向かい出帆。途中で悪天候に見舞われ、ホーン岬沖で損傷を受け、修理のために船を最寄り港のフォークランド諸島スタンレー港へコースを変更。ポート・スタンレーから24km離れたボランティア・ポイント直ぐそばのウレイン・ロック(Uraine Rock)岩礁で座礁・沈没。
フォークランド諸島 1982 発行

・フォークランド諸島 (スペイン語:マルビナス諸島)
 Forkland Islands (Islas Malvinas)

フォークランド諸島は南大西洋上にあるイギリス領の諸島。1833年からイギリスが実効支配し続け、現在に至る。スペイン語ではマルビナス諸島(Islas Malvinas)。首都はスタンリー(Stanley)、又はポート・スタンリー(Port Stanley)、人口2,967人(2003年調査)。

・1520年にエステヴァン・ゴメスがフォークランド諸島を発見。
・1592年にジョン・デーヴィスがディザイアー号に乗船して発見。乗組員が食料として125,510羽ものペンギンを獲ったと報告。貯蔵中の肉は赤道付近を航行中に腐敗し海へ投棄、以降は乗組員が飢餓状態。
・1600年(1598説有)にオランダのセボールド・デ・ウィールト(Sebald de Weert 1567-1603)が望見、セボールド島(Sebald Islands)と呼ぶ。
・1648年にダンピール(Wiriam Dampier)がクーク船長の備砲18門船で寄航
・1690年にジョン・ストロング船長(Captain John Strong)がウェルフェアー号(Welfare)に乗船し、西フォークランド島ポート・ハワード(Port Howard)に初上陸、東西の島を分けるフォークランド海峡(Falkland Channel現Falkland Sound)を発見、航海の援助者の海軍アンソニー・フォークランド子爵 (Anthony Falkland, 1659-1694)にちなんで「フォークランド島」と命名
フォークランド・ペンギン

フォークランド 1952 発行

・1708年にウッヅ・ロジャース船長(Captain Woodes Rogers)がフォークランド島に到達。
・1721年にオランダののヤコプ・ロッヘフェーンバタヴィア(Batavia)、 への航海途上に寄航
・1740年にアンソン提督(Admiral Anson)が世界一周航海の途上に到達。
・1763年にフランスブーゲンヴィルがイーグル号(L’Aigle=Eagle)とスフィンクス号(Sphinx)で到達。1764/4/5に東フォークランドのバークリー・サウンド(BerkeleySound、バークレー湾の入り江)に上陸、フランスの居住地を建設、入植し、後にポール・サン・ルイ (Port St. Louis) と命名。
・1765年にバイロン艦長がドルフィン号とタマール号(Tamar)で西フォークランドのソーンダース島(Saunders Island)に到達、諸島全体をフォークランド諸島、そして港をポート・エグモント(Port Egmont)と名付け諸島のイギリス領有を主張しましたが、東フォークランドのフランス居住地「サン・ルイ」には気づきませんでした。
・1766/1/8にマックブライド艦長(Captain John MacBride)がフリゲート艦ジェイソン号(Jason)、スループのカルカス号(Carcass)と補給船を率いて到達、ポート・エグモントにイギリスの入植、居住地を建設しました。

・1767年にフランスが金を貰ってフォークランド諸島から撤退することにスペインと同意。ボルボン朝スペインが領有を宣言すると、サン・ルイ(Port Louis)をプエルト・ソレダード (Puerto Soledad) と改名し、ドン・フェリペ・ルイス・プエンテ(Don Felipe Ruiz Puente)が総督になりました。1770年には、スペインはトルデシリャス条約(Treaty of Tordesillas 1494)によるスペイン領土との見解から、5隻のスペイン・フリゲート艦隊がイギリス人をフォークランドから追い払うためにスペインを出帆しフォークランドに向かいました。ブエノスアイレスからフリゲート艦に海兵隊を乗艦させポート・エグモントに敵前上陸し、兵力で劣るイギリス軍は降伏(フォークランド危機、Falklands Crisis 1770/7-1771/1/22)。北アメリカで高まっていた緊張(アメリカ独立戦争、American Revolutionary War 1775-1783)に備えていたイギリスは戦争を避け、1774年には西フォークランド島の居住を認められる代償として、スペインの領有権を認めました。領有権の放棄こそしなかったもののエグモントのイギリス軍は1776年に解散。

・1788年にアメリカのケンドリック船長のコロンビア号(イングラハム航海長)が来航。
・1790年にアメリカのイングラハム船長のホープ号がフォークランド島に来航。

・1811年には南アメリカでの独立運動とイギリスの圧力を受け、スペインの移民もフォークランド諸島から撤退するも、スペインも領有権の主張は維持。スペインが撤退した後はアメリカとイギリスの軍艦や捕鯨船が悪天候時の避難港として頻繁に島を利用しました。

・1820年にアメリカで私掠船の船長をやっていたデイビッド・ジューエット大佐(Colonel David Jewett 1772-1842)の指揮下でリオ・デ・ラ・プラタ連合州(the United Provinces of the Rio de la Plata 後のアルゼンチン)のフリゲート艦エロイナ号(Argentine Privateer Heroina) がソレダード港に到着し、アルゼンチンは諸島の領有と主権を宣言。連合州当局は諸島周辺のイギリスおよびアメリカ合衆国のアシカ漁船(sealers)に対して警告を発するが無視されました。諸島周辺で操業していた捕鯨業者に、船籍を問わず鯨1トンごとに一律5ペソの税金を課することを決定。しかし、アメリカ船三隻がこの支払いを拒否し、この漁業権紛争により、アルゼンチン当局がアメリカ船舶の船長を逮捕。駐ブエノスアイレス合衆国領事は本国に報復を訴え、アメリカはサイラス・ダンカン(Silas M. Duncan 1788-1834)をスループ型3本マストのレキシントン号(sloop USS Lexington 691t)艦長に指名し、海兵隊をフォークランド諸島に派遣。1825年、フランスのデュルヴィル提督が世界1周航海の途上に来島。
1831/12/28にダンカン艦長はソレダード港を襲撃し住民を連行、植民地の状態が良好ではないとを報告しました。

・1833/3にフィッツロイ艦長がビーグル号での航海の最中にフォークランド諸島を訪れました。ダーウィンは植民地の悲惨な状態を報告し、それがレキシントン号の攻撃が原因である可能性についても言及しました。また、同年にイギリスの探検家ウェッデルがフォークランド諸島の西のある島に到達しました。その島は、後年にウェッデル島(Weddell Island)と命名されました。

・1833/1/3にイギリスのジェームス・オンスロー艦長(Captain John Jamがes Onslow)がブリッグ・スループのクレイオー号(Cruizer class brig-sloop HMS Clio 380t, 18gun)に乗艦し、タイン号(HMS Tyne)と合流してフォークランド諸島に到着し、無血占領に成功。1842年にサリヴァン提督がフィロメル号(HMS Philomel)に乗艦してフォークランド諸島の探検調査に来島しました。1834年にロバート・フィッツロイ艦長がビーグル号第2回航海でチャールズ・ダーウィンを伴って再度フォークランド諸島を訪れ、東部の”Goose Green”近くにダーウィン(Darwin)、そしてスタンリー南西にフィッツロイ(Fitzroy)とその名を残しました。

1842年、アラン・ガーディナー師が宣教のためパタゴニアへとフォークランドを出帆。
1765年にジョン・バイロン船長がすでに発見されていたフォークランド諸島に到達し、イギリスによる領有を宣言しました。それがその後のイギリスとスペイン間で「その不毛の島の主権を争う」戦争の原因となり、アルゼンティンの独立後も領土問題として引き継がれました。1982年にイギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド戦争が勃発
・フォークランド諸島は東フォークランド島と西フォークランド島の
英ジョージ6世とフォークランド諸島の地図

フォークランド 1952 発行
2つの大きな島、そして776の小さな島で構成され、これら諸島の総面積は12,173 kuで、北アイルランドや日本の長野県と同じぐらいで、東フォークランド島と西フォークランド島にはそれぞれ山脈があります。最高峰は東フォークランド島にあるアスポーン山(Mt. Usborne, 705m)で、ポート・スタンリーは東フォークランド島の東端にあります。島のほとんどが不毛な地ですが、東フォークランド島の平坦な土地は羊の牧草地になっています。 フォークランドの牧羊

フォークランド 1952 発行

・主な島:〜
 ・東フォークランド島(East Falkland、ス:Isla Soledad)〜主島
  ・付属の島々:〜
   ・ウェッデル島(Weddell Island)
   ・サンダース島(Saunders Island)
   ・ジェーソン諸島(Jason Islands)
   ・ビーバー島(Beaver Island)
   ・ニュー島(New Island)
   ・など
 ・西フォークランド島(West Falkland)〜主島
  ・付属の島々:〜
   ・ライブリー島(Lively Island)
   ・スピードウェル島(Speedwell Island)
   ・ジョージ島(George Island)
   ・など
 ・その他
  ・バレン島(Barren Island)
  ・ブリーカー島(Bleaker Island)
  ・カルカス島(Carcass Island)
  ・ジョージ島(George Island)
  ・ケッペル島(Keppel Island)
  ・ニュー島(New Island)
  ・ペッベル島(Pebble Island)
  ・シーライオン島(Sealion Island)
  ・スターツ島(Staats Island)
  ・ウェストポイント島(West Point Island)
  ・ジェイソン島(Jason Islands)
    フォークランド諸島の北西(lie to the north west of the main archipelago)
  ・ボーシェネ島(Beauchene Island)
    フォークランド諸島の遥か南(some distance to its south)
  ・など。

ウェッデル島 (Weddell Island)
ウェッデル島は南大西洋のイギリス領フォークランド諸島にある不毛の島です。なお、フォークランド諸島の領有を主張しているアルゼンチン側の呼び名ではスペイン語でイスラ・サン・ジョゼ島(Isla San Jose)と呼んでいます。フォークランド諸島の中では3番目に大きな島で、面積は254Kuです。人口は少く、島唯一の集落地のウェッデル(Weddell Settlement)に人が暮らし、牧羊をしながら生活。またウェッデル島はアシカペンギンなど野生動物が生息しています。
フォークランドの
ウェッデルアザラシ、Weddll Seals

イギリス南極地方 1982 発行

参考HP:〜
 ・フォークランド諸島の場所地図
 ・フォークランド諸島の地図
 ・ウェッデル島の地図
 ・フォークランド諸島の地図(拡大有)
 ・フォークランド諸島の地図(拡大)
 ・ソレダードとバークリー・サウンドの地図
 ・フォークランド諸島の大西洋上の場所地図
 ・南極大陸周辺の島の地図(南極大陸周辺の島の場所地図)     令和 R.2/1/31 (2020)







サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島
(略称:SGSSI)
South Georgia and the South Sandwich Islands

REPUBLICA ARGEBTINA
SGSSI
サウスジョージア諸島

サウスオークニー諸島
サウスサンドウィッチ諸島
アルゼンチン 1964/1/25  発行
   フォークランド諸島            サウスジョージア島
アルゼンチン ←サウスジョージア諸島

サウスサンドウィッチ諸島


サウスオークニー諸島
アルゼンチン 1982/6/12 発行

サウスジョージア島 SOUTH GEOGIA
←グリトビケン港
Port Grytviken


サウスジョージア島
地図と観測隊員


サウスジョージア 2005/9/26 発行
Rebuilding Conflict with Argentina
フォークランド紛争再建記念、寄付金付
フォークランド諸島 1982/9/13 発行

南極点からの位置 SOUTH GEOGIA
サウスジョージア諸島→

フォークランド諸島→

サウスシェトランド諸島→
南極半島→
グレアムランド→
アレクサンダー島→

←サウスサンドウィッチ諸島
←サウスオークニー諸島



南極点
サウスジョージア島の夏小屋

サウスジョージア 2005/9/26 発行
フォークランド諸島 1946/2/1 発行

・サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島 (略称:SGSSI)
  South Georgia and the South Sandwich Islands

サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(略称:SGSSI)は、南大西洋にあるイギリス領の諸島。フォークランド諸島の約1,000km東(南緯54度30分、西経37度)にあって、
・サウスジョージア諸島と
・サウスサンドウィッチ諸島で構成されていて、
サウスジョージア諸島とサウスサンドウィッチ諸島は共に一つの行政区分となっています。







サウスジョージア諸島
South Georgia Islands

サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(略称:SGSSI)
サウスジョージア諸島の場所地図
サウスジョージア諸島→

サウスオークニー諸島
サウスサンドウィッチ諸島

サウスジョージア島
←グリトビケン港
Port Grytviken


Rebuilding Conflict with Argentina
フォークランド紛争再建記念、寄付金付

フォークランド諸島 1982/9/13 発行

・サウス・ジョージア諸島
  South Georgia Islands

サウス・ジョージア諸島にはぺピス島と主要な6島と岩礁が有ります。

1502/4にアメリゴ・ヴェスプッチが南緯52°に達した時に望見したとその著書で述べていますが、1675年にロンドン生まれでユグノー教徒の父とイギリス人の母を持つアンソニー・デ・ラ・ロッシュ(Anthony de la Roche)が350屯の帆船に乗ってヨーロッパと南アメリカの太平洋岸チリ海岸とを貿易している時に嵐に流されて、南大西洋を航行中に発見したのが最初で、1775年にクック船長が再発見。イギリスが領有を宣言し、島名はジョージ3世を記念してつけられました。
サウスジョージア島
地図と観測隊員

1823年ウェッデルはサウス・ジョージアで越冬の準備をし、さらに北のフォークランド諸島で冬越しして、1823/11に再びサウスシェットランド諸島へと出帆。1824年初頭にウェッデルのジェーン号は、ビューフロイ号と分かれて、1824/3にフォークランド諸島に戻り、イギリスへと出発し、7月にロンドンに帰港しました。

19〜20世紀前半、鯨油採取の基地であった。フォークランド戦争の時には一時アルゼンチン軍に占領されたが、3週間後の1982/4/25にイギリス軍によって奪還されました。
ラーセン湾(左)

1916、シャックルトン、サウスジョージア島に到達
シャックルトンと氷山
エンデュランス号が氷に囲まれ崩壊
シャックルトンは救出を求めに出発
1,300km先の南ジョージア島に到達
シャックルトン没後 50年記念、南ジョージア 1972 発行
シャックルトン
  Sir Earnest Shakleton

1916年には、シャックルトンが南極大陸まで320kmの地点で氷塊に阻まれ身動きが取れなくなり、氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊を始めたため船を放棄して徒歩で、そして氷がきれてからはボートで氷洋上を踏破、約500km先のサウス・シェトランド諸島エレファント島に上陸、そこから救命ボートで航海を行い、約1300km東のサウスジョージア島の南岸に到達、さらに36時間歩いて救助を求め、約1年8ヵ月にわたる漂流にもかかわず27人の全隊員と共に、1人も欠けることなく全員が救助され生還を果しました。

サウス・ジョージア諸島:〜(ぺピス島と主要な6島と岩礁)
・サウスジョージア島(ペピス島、Pepys Island)〜
エンデュランス号

オーストラリア南極1979発行
 1675年にイギリスの商人アンソニー・デ・ラ・ロッシュ(Anthony de la Roche)が最初に発見
 1775年にクック船長によって再発見され、イギリスの領有を宣言
・バード島(Bird Island)〜
 1775年クック隊が鳥の大群を見てバード島と名づけた
・アンネコフ島(Annenkov Island)〜
 1775年クック隊レゾリューション号の(Lieutenant Richard Pickersgill)に因みピックスギル島
 (Pickersgills Island)と名付けられていたが、1820年ベリングスハウゼン隊のアンネコフ
 (Lieutenant Mikhail Annenkov、1835-1899)に因んで名づけられた。
・クーパー島(Cooper Island)〜
 1775年クック隊レゾリューション号の(Lieutenant Robert Palliser Cooper)に因む
・ウェルカム諸島(Welcome Islands)〜
 1775年クック隊が発見
・ウィリス諸島(Willis Islands)〜
 1775年クック隊の発見者”Willis”に因んで名づけられた
・ピックエレギル諸島(Pickersgill Islands)〜
 1775年クック隊レゾリューション号の(Lieutenant Richard Pickersgill)に因む
・ブラック岩礁(Black Rock)〜
 ブランンハイム岩礁(Blenheim Rocks)を1930年に改名、(Stromness Bay)に有
・グラス島(Grass Island)〜
 1920年に名づけられた、(Stromness Bay)に有。

参考HP:〜
 ・サウス・ジョージア島の地図
 ・クーパー島の場所地図
 ・サウス・ジョージア島付近の地図    09/10/31追記






サウスサンドウィッチ諸島
South Sandwich Islands


サウスジ

|ジア諸島
クック船長の航海地図、1775
サウスサンドウ

ッチ諸島
英領サウスジョージア 1979/2/14 発行

サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(略称:SGSSI)
サウスサンドウィッチ諸島の場所地図
サウスジョージア諸島

サウスオークニー諸島
←サウスサンドウィッチ諸島

    フォークランド諸島           サウスジョージア島
アルゼンチン ←サウスジョージア諸島

サウスサンドウィッチ諸島


←サウスオークニー諸島

アルゼンチン 1982/6/12 発行

サウスサンドウィッチ諸島
  South Sandwich Islands

サウスサンドウィッチ諸島(11島有り)は、1775年にクック船長によって南の8島が発見された。諸島名はクックが世話になった「サンドウィッチ伯爵」第4代サンドウィッチ伯ジョン・モンタギューに因んで名づけました。

サウスサンドウィッチ諸島:〜 北から
・トラバーシー諸島(Traversay)
・ザボドフスキー島(Zavodovski)、25ku
・レスコフ島(Leskov)、0.3ku
・ビソコイ島(Visokoi)、35ku
・キャンドルマス諸島(Candlemas Islands)〜1775/2/2クック船長が発見
・キャンドルマス島(Candlemas)、14ku
・ビンディケーション島(Vindication)、5ku
・ソーンダース島(Saunders)、40ku
・モンタギュー島(Montagu)、110ku
・ブリストル島(Bristol,)、46ku
南部テューレ
ベリングシャウゼン島(Bellingshausen)、1ku〜1820年ベリングスハウゼンが発見
・クック島(Cook)、20ku
・テューレ島(Thule、マレル島 Morrell)、14ku。

・参考HP:〜
 サウスサンドウィッチ諸島の場所地図
 サウスサンドウィッチ諸島付近の地図      08/9/28     08/12/12追記






サウス・オークニー諸島
South Orkney Islands

サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(略称:SGSSI)
サウスオークニー諸島の場所地図
サウスジョージア諸島

サウスオークニー諸島→
サウスサンドウィッチ諸島

    フォークランド諸島           サウスジョージア島
アルゼンチン



←サウスサンドウィッチ諸島


サウスオークニー諸島
アルゼンチン 1982/6/12 発行

・サウス・オークニー諸島
  South Orkney Islands

サウス・オークニー諸島は南極海にある諸島。南緯60度50分から60度83分、西経44度25分から46度25分、面積:620kuで、コロネーション島(Coronation Island)が最も大きい島で最高地点は標高1266mのニヴェア山 (Mount Nivea)。1821年にアメリカ人のナサニエル・パルマー と、イギリス人のジョージ・パウエル (George Powell) によって発見されました。パウエルはこの年がジョージ4世の戴冠式の年だったので、この島をコロネーション島(戴冠島、Coronation Island)となずけました。また、この群島をパウエル諸島(Powell's group)と呼びました。1823年にジェームズ・ウェッデルが訪れ、この諸島を今の名前にしました。その後、しばしばアザラシ狩猟船や捕鯨船が来島。しかし、完全な調査は1903年のウィリアム・ブルースの探検まで行われず、彼は気象観測基地を作り、1904年にブルース一行が島を離れた際に、アルゼンチン側の気象科学者に譲り渡されました。1951年に基地はオルカダス(Orcadas)と改名。基地は現在も使われています。1908年にフォークランド諸島属領の一部となりました。1947年にシグニー島にイギリス政府の機関であるイギリス南極観測局が、海洋観測所を開設。イギリスとアルゼンチンが領有権を主張していますが、南緯60度以南なので南極条約で領有権の主張は凍結されています。

サウス・オークニー諸島は南極海にある諸島で、面積:620ku、ほとんど氷に覆われている。
・コロネーション島 (Coronation Island) 、
・ローリー島 (Laurie Island) 、
・パウエル島(Powell Island)、
・シグニー島 (Signy Island) 、
・サドル諸島 (Saddle Islands) などからなり、
コロネーション島が最大の島で、最高地点は標高1266mのニヴェア山 (Mount Nivea)。
平均気温は0℃で、冬には-10℃程度まで下がる。最高気温12度、最低気温の-44度を記録。

参考HP〜南極周辺の島

・サウス・シェトランド諸島
  South Shetland islands

フォークラン諸島→

サウスシェトランド諸島
サウス・シェトランド諸島の場所地図(赤丸

フォークランド諸島 1946 発行
サウス・シェトランド諸島は南極海にある諸島で、南極半島の約100km沖を半島と並行に広がっている。南緯61度00分から63度37分、西経53度83分から62度83分の範囲。面積は3687kuであり、80から90%は氷河に覆われている。最高地点はスミス島のフォスター山で標高2,105m。1819/2/19にイギリスの船長ウィリアム・スミス(William Smith, 1790-1847) が発見し、イギリス領と宣言。そして同じ年の10/16にはこの諸島最大の島キングジョージ島に上陸。

1837/2/27、フランスのデュモン・デュルヴィル提督が南極探検航海の途上にサウスシェットランド諸島に到達、フランス国王領土と宣言。また、この諸島は他にアルゼンチンとチリが領有権を主張しているが南極条約により領有権は凍結。19世紀から20世紀初頭にかけて、この諸島ではアザラシ狩りや捕鯨が行われました。南極地域の中では最も北方にあるため、観測基地の設置条件が良く、複数の国家が観測基地を設置。夏季にはこの諸島を訪れるツアーがあります。

サウス・シェトランド諸島の島々:〜北から
・コーンウォリス島(小島)、Cornwallis Island (minor)
エレファント島、Elephant Island (Mordvinova by Russia)
・クラレンス島、Clarence Island (Shishkova by Russia)
・ロウェット島(小島)、Rowett Island (minor)
・ギブス島(小島)、Gibbs Island (minor)
・イーディ島(小島)、Eadie Island (minor)
・キングジョージ島(最大の島)
  King George Island (the largest, called May 25 island by Argentina, or Vaterloo by Russia)
・ブリッジマン島(小島)、Bridgeman Island (minor)
・ペンギン島(小島。南極地方に複数ある同名の島のひとつ)
  Penguin Island (minor - one of several Penguin Islands in the Antarctic region)
・ネルソン島、Nelson Island (Leipzig by Russia)
・ロバート島、Robert Island (Polotsk by Russia)
・ウォッチキーパー島(小島)、The Watchkeeper (minor)
・テーブル島(小島)、Table Island (minor)
・アイチョー島(小島)、Aitcho Islands (minor)
・グリニッジ島、Greenwich Island (Berezina by Russia)
・ハーフムーン島(小島)、Half Moon Island (minor)
・デゾレーション島(小島)、Desolation Island (minor)
・リヴィングストン島、Livingston Island (second largest, Smolensk by Russia)
・ラギッド島(小島。南極地方に複数ある同名の島のひとつ)
  Rugged Island (minor - one of several in the Antarctic region)
・スノー島(南極地方に複数ある同名の島のひとつ)
  Snow Island (one of several in the Antarctic region; Maly Yaroslavets by Russia)
・スミス島、Smith Island (Borodino by Russia)
・デセプション島、Deception Island (Teylya by Russia)
・ロー島、Low Island
・シール島(小島)、Seal Islands (minor)
など。

エレファント島
 Elephant Island

エレファント島は、南極海のサウス・シェトランド諸島にある氷に覆われた山がちな島。
サウス・シェトランド諸島の中でも南極大陸から離れた場所にあって、
イギリス領サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島から西南西に1,290km、フォークランド諸島から南に940km、チリのホーン岬から南東に890kmの場所にある。アルゼンチン、チリ、イギリスがそれぞれ領有権を主張している。

ジェームズ・ケアード号
1915年にシャックルトンが救助を求めにジェームズ・ケアード号と名付けたボートで出発。

参考HP:〜
 サウス・シェトランド諸島
 エレファント島の地図

こちらで
フォークランド諸島
SGSSI(サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島)
サウスジョージア諸島(シャックルトン)
サウスサンドウィッチ諸島
サウス・オークニー諸島
サウス・シェトランド諸島
世界遺産
ピラミッドエジプト
パルテノン神殿ギリシャ
エル・エスコリアル宮殿スペイン
サンマリノ (イタリアの中のサンマリノ共和国
姫路城 (日本
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/9/28、08/12/12追記、令和 R.2/3/13(2020)
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