France 国連 1980 発行 |
探検大航海 (Explore Voyage)
ブーゲンヴィル船長 1768 ブーゲンビル島を発見 |
大航海物語 フランス編★ |
SAMOA ブーゲンヴィル船長 サモア 1968/10/10 発行 |
マエオ島→ アオバ島→ ペンテコス島→ アンブリャン島→ パアアマ島→ ロペヴィ島→ シェパアド島→ エピ島→ エマエ島→ ヴァヌアツ諸島 |
Vanuatu ブーゲンヴィル船長ルとブドゥーズ号 |
1768年の探検航海でヴァヌアツに寄航 ヴァヌアツ 1999 発行 (200%) |
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REPUBLIQUE FRANCAIES ブーゲンヴィビル船長と航海地図 2.2f+0.5=2.7f寄付金付切手 フランス 1988/2/20 発行 |
SAMOA ブーゲンヴィリア サモア 1968/10/10 発行 |
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SAMOA ブーゲンヴィル船長の”サモア”航海地図 サモア 1968/10/10 発行 |
ニ ュ|ギニア島 |
PAPUA & NEWGUNIA
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←ニューアイルランド島 ←ブーゲンヴィル島 |
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パプアニューギニア 1952 発行 | ||||
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Solomon Islands ブーゲンヴィル船長が使用した「南太平洋の古地図」 南太平洋の古地図(Jean Nicholas Buache 1891)、赤丸:ソロモン諸島 (1781年に Phillippe Buache, French geographerが提供した古地図) |
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ニ ュ |ホランド |
南アメリカ マゼラン海峡 |
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1597年発刊地図 1601年発刊地図 . ニューギニアとソロモン諸島の地図 ソロモン 19813/23 発行 |
南太平洋の古地図、ニューギニアとソロモン諸島(マライタ島など)の地図 | |
1597年発刊地図 | 1601年発刊地図 |
ブーゲンヴィルは1753年カナダで仏英戦争の海戦を戦い、戦後、フランス太平洋探検隊を率いて、1766年太平洋の探検航海に出帆し、3年後世界一周航海を達成しました。1778年にはフランスのトゥーロン港を出帆、英国艦隊が封鎖中のジブラルタル海峡を突破し、アメリカ独立軍を海上から支援しました。フランス大革命が勃発すると、辛くも一命を取り留め、パリで穏やかな余生を送りました。 |
ルイ・アントワーヌ・ドゥ・ブーゲンヴィル(1729/11/12〜1811/8/31) Louis Antoine de Bougainville フランスの航海者、数学者、軍人。パリ生まれで、20代前半で数学者として名声を博し、1756/1/12にイギリスの英国王立学士院(ロイヤル・ソサエティ、ロンドン王立協会)の会員となりました。1753年にフランス軍のマスケット銃隊(Musketeer)に入隊し、副官と成り、1756年には大尉になってカナダへ行き、イギリスとの戦争(1756/5/18にイギリスが正式にフランスに対して戦争を宣言した7年(〜1763)戦争)に従軍しました。1756年には、カナダ派遣軍司令官のルイス・ドゥ・モンカム侯爵の副官で、竜騎兵の指揮官としてカナダに派遣されました。1758年にモンカム侯はルイ15世の政府へケベック植民地の維持のための増援を要請しましたが、1759年にケベック近くの「アブラハム平原の戦い」(Battle of the Plains of Abraham、1759/9/13)でイギリスに敗れてケベックが陥落しました。モンカム侯が戦傷により亡くなると、フランス軍の退却を指揮し大佐に昇進しました。1760/9/8にフランスは降伏しました。 戦後、1763/9/15に自費で南太西洋のフォークランド諸島へフリゲート艦エーグル(鷲)号(L'Aigle (Eagle) frigate)とスループ艦スファンクス(スフィンクス)号(Le Sphinz (Sphinx) sloop)で向い、1764年1月下旬に到着、フランス入植地を建設しましたが、1767年にルイ15世の命でスペインに譲り渡しました。その代償としてフランス初の太平洋探検隊の隊長となり、1769年にフランス人として最初の世界一周を成し遂げることになりました。 1766/12/15に博物学者、デッサン画家、天文学者を伴って、仏ブルターニュのブレスト港から世界一周の航海に出帆。船は新造のフリゲート艦ブードゥーズ号(ふくれっ面)、後に南アメリカでフリュート(フルート、細長い)型輸送船のエトワール号(星)が合流。ブラジルでは植物学者のフィリベール・コメルソン博士(Dr. Philibert Commercon 1727-1773)が、後にブーゲンヴィル船長に因んでブーゲンビリアと名付けられた花を発見。マゼラン海峡を通過して太平洋横断に乗り出し、1768/4月にサミュエル・ウォリスが発見したばかりのタイチ(タヒチ)島に寄航し、十日ほど滞在して、島民の歓迎を受け物々交換による取引を行いました。1768/5/3〜5にサモア諸島を航海して”航海者諸島”(イル・デ・ナヴィガトゥール、Ile de Navigator Islands)と呼んで、その殆どの島を探検しました。それから、ポルトガル人航海者キロスの発見したエテスプリツ・サントス諸島(espiritu santos、1980年の独立達成以来ヴァヌアツと呼ばれているニューヘブリディーズ諸島)を再発見し、ルイジアード諸島沿いに航海し、スペインのメンダーニャが1567年に発見したのち200年間ヨーロッパ人が訪れなかったソロモン諸島に到達。1768年にパプア・ニューギニアの北ソロモン管区(ソロモン諸島北西端)に有るブーゲンヴィル島を発見しました。この間しばしば逆風の航海となり船員は壊血病と食糧不足に見舞われるも、オランダ東インド会社の勢力圏に達し、モルッカ諸島のブル島とバタヴィアで食糧を補給。当初の計画にあった中国への航海は取りやめてインド洋を横断し、1768/11にフランス島(現モーリシャス島)に寄港し輸送船エトワール号とここで別れ、喜望峰を回ってフランスへ戻る途中、イギリス海軍が派遣した世界周航の探検隊であるカートレット探検艦と出会い、これを追い越しました。1769/3/16に仏ブルターニュのサン・マロに帰港し、フランス人として初の世界周航を達成しました。1771年に「世界周航記」を出版し、翌年には英訳され多くの人に注目されました。 1776/12/12にブーゲンヴィル船長はビエン・アイム号(Bien-aime)の船長になりました。1778/5/15にはジブラルタル海峡を突破し、7/6にアメリカのヴァージニア海岸に到着し、アメリカ独立軍を支援して活躍しました。1781/9/5のチェサピーク湾口の海戦ではグラス提督指揮するフランス艦隊のオーギュスト号(Auguste 80gs)艦長で参戦し、イギリス艦隊を決定的に破り、イギリス艦隊を敗退させ、10/19にイギリスのコーンウォリス卿が降伏するまで海岸を封鎖し、アメリカの独立を確実にしました。1782/4/9〜12に起ったセインツの海戦にもグラス提督指揮するフランス艦隊のオーギュスト号艦長で、ル・トリオンファン号(Le Triomphant)のラ・ペルーズ艦長と共に参戦し、イギリスのロドニー提督艦隊と戦いましたが、グラス提督の旗艦ヴィル・ド・パリ号が白旗を掲げて降伏したので、残存の8隻のフランス艦隊を指揮してオランダ領のシント・ユースタティウス島オラニエスタッド(オレンジタウン)港へと無事に撤退しました。帰国後に海軍少将に昇進しました。なお、フランスは1778/2/6にアメリカの独立を認めました。 帰国後の1789年にフランス大革命が勃発すると、ジャコバン党に加わったり、逮捕されたり、投獄されたりしましたが、この大革命を何とか切り抜けました。その後の晩年は穏やかな暮らしをして、82才でパリで亡くなりました。 ブーゲンヴィル島は昭和18年(1943/4/18)に大日本帝国海軍連合艦隊司令長官「山本五十六」大将が戦死した場所として知られていますね。 ブーゲンヴィル島には有望な銅鉱脈があり、同島の南部パングナで1972年から本格的に産出されています。1975年のパプアニューギニア独立当初から分離独立の機運があり、現在は内戦状態になっていますのも、銅の輸出が同国の総輸出額の40%にも達しているからです。 ブーゲンヴィル船長の生涯年表
・ブドーズ号とエトワール号の装備:〜: French frigate Boudeuse、1766
こちらで ・マゼラン (海峡) ・スパイス (香辛料) ・コーヒー (嗜好飲料) ・ピラミッド (エジプト)世界遺産 ・パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産 ・法隆寺 (日本)世界遺産 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 04/2/17 11/1/1、令和 R.2.2020/4/20 |