★ロシア ベリングスハウゼン艦長
1820
南極探検・アレクサンダー海岸発見
大航海物語★

BRITISH ANTARCTIC TERRITORY
ベリングスハウゼン艦長とボストーク号

イギリス南極地方 1975-80 発行
MAGYAR POSTA
南極 パルマーランド 地図


南極半島



ゾウアザラ
ベリングスハウゼン
ゾウアザラシ、南極地図
ハンガリー 1987/6/30 発行

CCCP
ベリングスハウゼン南極探検隊の航海地図, 1820
 ヴ


ト|ク号

    ミールヌイ号
南極大陸
ベリングスハウゼン・ラザレフ南極探検150年記念
ソ連 1970/1/27 発行
CCCP
南極地図

1961 南極条約10年記念 1971
ロシア 1971 発行

Kiribati
ベリングスハウゼン艦長とボストーク号

キリバス 2002/3/25 発行
Gillbert Islands
ベリングスハウゼン艦長とボストーク号

ギルバート諸島 1977/6/1 発行

ベリングスハウゼンは1820年南極探検の遠征航海中に、南緯69°21′28″の地点に到達。アレクサンダー海岸などを発見しました。
ロシア帝国海軍准将ファビアン・ゴットリーフ・フォン・ベリングスハウゼン
 Counter admiral Fabian Gottlieb von Bellingshausen (1778/9/20〜1852/1/13)
  生地:エストニアのエーゼル島
  没地:ロシアのクロンシュタット、73才没
ベリングスハウゼン艦長はロシア帝国バルト海方面エストニア西部リヴォニア行政区オスエルのラッヘンタッグ荘園(Lahhentagge manor, Osel, Governorate of Livonia(現サーレ県サーム小教区:Salme Parish, Saare County), Estonia、エーゼル島:現サーレマー島)のドイツ人家庭(貴族)に生まれました。10才でロシア帝国海軍幼年学校に入学、17才でロシア帝国海軍に士官候補生として入隊しました。18才でクロンシュタットの海軍兵学校を卒業した後、いち早く大尉になりました。彼はキャップテン・クックの航海の大ファンでした。彼は1803年にクルーゼンシュテルン提督のもとで帆船ナジェージタ号(frigate Nadezhda, 1800, 425t、”Hope”:希望号)に乗船(25才)、ロシア最初の地球一周航海に参加して、1806年に任務を完了、世界1周航海を果たしました。その後、彼はバルト海のバルチック艦隊と黒海方面の黒海艦隊で色々な戦列艦の指揮官を勤めました。

ベリングスハウゼン艦長の大航海:〜:
・1803〜1806年、ロシ最初の世界一周探検航海、ナジェージタ号
・1819〜1821年、世界一周探検航海、ボストーク号、南極探検航海

第10代ロシア皇帝アレクサンドル1世(Alexander I of Russia 1777-在位1801-1825)が1819/9/5に南極地域への遠征を認可したとき、ベリングスハウゼン艦長が司令官に選ばれました。旗艦のコルべット艦ボストーク号(flagship corvette Vostok (East)、600t)と支援艦ミールヌイ号(Mirnyi (Peaceful) 530t、ミハイル・ラザレフ艦長)の2隻の帆船を指揮してロシアのクロンシュタット軍港を出帆し、1819/9/5にイギリスのポーツマスに寄港、出帆しました。探検航海は1820/1/26に南極圏を、キャップテン・クックが最初に横断したように横断しました。1820/1/28に南極大陸の海岸に最接近し、南緯69°21′28″、西経 2°14′50″の地点で、そこから目に見える氷原を発見しました。南極本土の約32.2km(20mls)以内に南極点がある所でした。

1821/1月に霧が晴れると、ナサニエル・パーマー船長のヒーロー号がベリングスハウゼン探検艦隊の旗艦ヴォストーク号と僚船ミールヌイ号の間にいることを発見しました。

ロシアのペテルスブルグ極地博物館の依頼で、イギリスの極地歴史家のジョーンズ(A.G.E. Jones)は彼の航海日誌と英国海軍のブランスフィールド艦長(Edward Bransfield 1785-1852、1820/1/30:望見)、及びアメリカのナサニエル・パーマー船長(1820/11/17:望見)の航海日誌とを慎重に比較研究して、ベリングスハウゼン艦長が最初の”テラ・オーストラリアス”(Terra Australis、南方大陸)の発見者だと結論付けました。

ベリングスハウゼン艦長はその航海の間に、サウスシェトランド諸島を探検しました。そして、ペーター1世島(Peter I Island)、フォークランド諸島の約1,000km東にあるサウスサンドウィチ諸島の中の、ザボドフスキー島(Zavodovski Island)、レスコフ島(Leskov Island)、ベリングスハウゼン島(Bellingshausen Island)、そしてヴィスコイ諸島(Visokoi Islands)と、南極本土の半島(南極半島:Antarctic Peninsula)を発見して、それぞれ名づけ、半島はアレクサンダー海岸(Alexander Coast)と呼びました。サウスサンドイッチ諸島のベリングスハウゼン島は、彼の名をとって名づけられました。その後の遠征航海は太平洋の熱帯海流の中へと続け、1821/8/4にクロンシュタット軍港に戻りました。

ベリングスハウゼン艦長はロシア皇帝のもとで働き続け、ギリシャ独立戦争中のラッソ・トルコ戦争(露土戦争:Russo-Turkish War 、1828-1829)では、トルコのダーダネルス海峡の海戦で手柄(海峡封鎖に成功)を立ててロシア帝国海軍(Imperial Russian Navy, 1696-1917)准将(Counter admiral)に親任されました。1839年からクロンシュタット総督(軍政官)になり、1852年に73才でクロンシュタットで亡くなりました。

・ボストーク号の装備:〜
  corvette Vostok
、1812
船 型 コルべット艦、corvettee ボストーク号、1819
帆 柱 3本マスト
全 長 39.6m
全 幅 10.1m
深 さ 3.1m
重 量 600屯、銅板貼(coppered hull)
武 装 ?(砲術下士官2人、砲手11人)
乗組員 115人(士官12人)
進 水 1812年
最 後 ?

ボストーク号の乗組員リスト:〜
ボストーク号 階級(Rank) ミールヌイ号
士官
(7)
司令官(艦長) (Commander、Captain) 士官
(7)
海軍少佐 (Lieutenant Commander) -
海軍大尉 (Lieutenant)
航海長 (Navigating officer)
海軍中尉 (Sub-lieutenant)
士官待遇
(5)
少尉候補生 (Midshipman) - 士官待遇
(0)
船医(外科医) (surgeon) -
給与長 (paymaster) -
天文学者 (Astronomer) -
画家 (Artist) -
下士官
(9)
甲板長 (Boatswain) 下士官
(6)
砲術兵曹長 (Gunnery petty officer)
航海兵軍曹 (Second mates)
航海兵曹 (Assistant Mate)
操舵兵曹長 (Quartermaster)
下士官待遇
14
1等砲手 11 (Gunner) 下士官待遇
(7)
爆弾手 (Bombardier) -
ラッパ手 (Bugler) -
ドラム手 (Drummer)
下士官待遇専門職
(9)
スチュワード (Steward) 下士官待遇専門職
(8)
船医助手 (Assistant surgeon)
2等船大工 (Carpenter)
大工弟子 (apprentice ) -
錠前屋 (Locksmith)
水漏防止屋 (Caulker)
帆布屋 (Sailmaker)
桶屋 (Cooper)
水夫 71 (Seamen) 44 -
115 ------------ 72 -

参考HP〜
 ・アレクサンダー海岸(ベリングスハウゼン海)
 ・ベリンスハウゼン島の場所

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。
 2006/10/28 、08/9/30、10/6/23追記、13/12/28
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