切手で綴る世界遺産(サンマリノ)
サンマリノ
301
1243
2008
創建
共和国
世界遺産登録


チタ|ノ山






SAN MARINO
世界遺産:サンマリノの歴史地区とティターノ山

世界遺産登録記念
サンマリノ 2008 発行
旧市街








サンマリノ共和国の発行切手
POSTE REP. S.MARINO
サンマリノの地図

ファシズム崩壊(ムソリーニ失脚)記念の加刷
(1943/7/25、クーデターでムソリーニ失脚)
加刷: 28 LVGLIO 1943:LVGLIOは7月
加刷: 1642 d. F.R
黒塗り:(Ventennale dei Fasci 1922 1942)
元の切手:ファシズム20年記念:に加刷

サンマリノ 1943/8/27 発行

サンマリノの国章
英グレイハウンド犬
サンマリノ 1953 発行 サンマリノ 1956 発行

ワイン用ブドウ
ロッククライミング
マッターホルン
サンマリノ 1956/6/8 発行 サンマリノ 1962/6/14 発行










共和国
サンマリノと日本の友好記念

日サ同時発行
サンマリノ 2010 発行









姫路







お江戸日本橋

日本郵便 NIPPON
世界遺産サンマリノ (チターノ山と旧市街)
チタ|ノ山
共和国 第一の砦 グアイタ チターノ山上のグアイタ塔
民衆の前に現れた 聖マリノ 民衆の前に現れた 聖マリノ
政庁舎前の 自由の女神像 サン・マリノ聖堂
サンマリノ共和国の代表的な観光地の、風景、美術品などの特殊切手「サンマリノ共和国」
日本・サンマリノ同時発行

日本 2010/3/23 発行

サンマリノ共和国
  Republic of San Marino

世界遺産サンマリノ (San Marino Historic Centre, San Marino)
所在地:現存世界最古(初?)の共和国、サンマリノ共和国の旧市街とティターノ山
世界遺産:ユネスコの文化遺産(2008)
 (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
正式名称:日:サンマリノの歴史地区とティターノ山
       英:San Marino Historic Centre and Mount Titano
       仏:Centre historique de Saint-Marin et mont Titano
面積:61.2ku、人口:33,285人(2016)、首都:サンマリノ市、一番切手:1877年発行、
住民:イタリア系、公用語:イタリア語。十和田湖とほぼ同じ面積で国連加盟国。

サンマリノ共和国は、イタリア半島の中東部にある共和制国家で、海岸からは23km離れており、国土は標高749mの岩山ティターノ山を中心に広がる山地および丘陵地で、アドリア海を眺望することができ、東西は約88km、南北は13km。周囲は全てイタリアに囲まれています。国土面積は、日本の十和田湖(61.11ku)、山手線の内側(約63ku)、八丈島(72.62ku)や、米国ニューヨーク市のマンハッタン島(59.1ku)とほぼ同じで、世界で5番目に小さなミニ国家です。現存する世界最古の共和国で、4世紀初頭(301)にローマ皇帝によるキリスト教徒迫害を逃れるため、石工マリヌス(聖マリーノ:Saint Marinus, ?-366)がこの地にたてこもり、信徒を集め共同体を作ったのが建国の始まりとされています。中世にも天然の要塞を利用して外敵の侵入を防ぎ、自由と独立を守り続けました。1631年にローマ法王が独立的地位を認めました。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び近代国家としての主権と独立を確立。

サンマリノ共和国の国内総生産(GDP:2004年10億6100万ユーロ)は半分以上を観光産業が占めています。中世からの面影をそのまま残す街のたたずまい、現存する歴史的建造物は中世ヨーロッパの面影を残し、とても素晴らしく、2008年には「サンマリノの歴史地区とティターノ山」として、サンマリノ市、ボルゴ・マッジョーレ市などの一部(旧市街)が、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

・サンマリノの小史:〜
301 イタリア半島の対岸ダルマツィア地方出身の石工マリヌスが、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌス(244-311)によるキリスト教迫害を逃れるために仲間と共にティターノ山に立てこもり建国したといわれる
951 文献上に初めてサンマリノの存在が現れる
1243 元首の執政2人制(キャプテン・リージェント:Captains Regent)が確立される
1257 ギベリン(皇帝派)とグエルフ(教皇派)の闘争に巻き込まれ、
ローマ教皇インノケンティウス4世(Innocentius IV, 1195頃-1254)より破門される
1259 破門が解除される(2年後)
1463 近隣リミニ(現:伊エミリア・ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒されるも、独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大
1631 教皇ウルバヌス8世(Urbanus VIII, 1568-1644)より独立を承認される
1739 アルベロニ枢機卿(Giulio Alberoni, 1664?1752) によって一時的に占領されるも、
教皇クレメンス12世(Clemens XII、1652-1740)の勧告により独立を維持
1815 ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される
1849 イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi, 1807-1882)をオーストリア軍の追撃からかくまう
1854 教皇ピウス9世(Pius IX、1792-1878)がガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」と糾弾してトスカーナ大公国(Toscana, 1569-1860)に命じ、サンマリノの教皇領併合を企てるも失敗
1862 イタリア統一運動(リソルジメント)における功労で、
イタリアと友好善隣条約を締結、独立が再確認される
1915 第一次世界大戦中(1914/7/28-1918/11/11)〜サンマリノは5/23中立を宣言
1943 第二次世界大戦中(1939/9/1-1945/9/2):〜サンマリノは武装中立を宣言
イタリア戦線が始まると、戦火を逃れるために約10万人の難民が国内に流入
1944 /6/26にはイギリス空軍機の誤爆を受け、69人の民間人が死亡
/9/17にはドイツ軍が占領、同日から20日にかけてサンマリノの戦いが発生、
ナチス・ドイツを撃退した連合軍によって約2ヵ月間占領される
1947 世界初の自由選挙による共産党政権が誕生
1962 日本と名誉総領事を交換
1992 国際連合(3/2)、国際通貨基金(IMF)に加盟
2008 世界遺産に登録、サンマリノの歴史地区とティターノ山

・サンマリノには、9のカステッロ(Castello:城)が有
1)アックアヴィーヴァ
  (Castello di Acquaviva)、人口1,812人(2006)、面積4.862ku、標高237m
  ・グアルディッチョーロ (Gualdicciolo)
  ・ラ・セーラ (La Serra) の2教区(クラシア:Curazia)が有
2)キエザヌオーヴァ
  (Castello di Chiesanuova)、人口1,029人(2006)、面積5.46ku、標高450m
  ・カラディーノ (Caladino)
  ・コンフィーネ (Confine)
  ・ガラヴォット (Galavotto)
  ・モラリーニ (Molarini)
  ・ポッジョ・カザリーノ (Poggio Casalino)
  ・ポッジョ・キエザヌオーヴァ (Poggio Chiesanuova)
  ・テリオ (Teglio) の7教区が有
3)サンマリノ市
  (Castello della Citta di San Marino)、国内で第三の町
  人口4,414人(2005)、面積7.09ku、標高749m
  首都で
ティターノ山(Mt.Titano,739m)の頂上に有
  ティターノ山の3つの塔:〜
   ・サンマリノ政庁舎、チェスタの塔
   ・グアイタの塔
   ・モンターレの塔が有
  年間300万人以上の観光客が訪れる観光地:〜
  市庁舎(Palazzo Pubblico)、グアイタの塔、セスタタワー、
  第二次世界大戦記念碑、ジュゼッペ・ガリバルディ広場、
  モンタールタワー市庁舎広場の
自由の女神像
グアイダの砦
  ・カール・ベルローネ(Ca Berlone)
  ・カネパ(Canepa)
  ・カソル(Casole)
  ・カステラロ(Castellaro)
  ・モンタルボ(Montalbo)
  ・ムラタ(Murata)
  ・サンタ・ムスティオラ(Santa Mustiola) の7教区が有って、
世界遺産の中心地
4)ボルゴ・マッジョーレ
  (Castello di Borgo Maggiore)、人口5,992人(2003)、面積9.01ku、標高525m
  ティターノ山のふもとに有って、国内で
第二の町
  名所:大広場 (Piazza Grande)、国内唯一のヘリポートとマクドナルドが有
  ・カ・メロネ (Ca Melone)
  ・カ・リゴ (Ca Rigo)
  ・カイルンゴ (Cailungo)
  ・サン・ジョバンニ・イン・ザ・ペンネ (San Giovanni sotto le Penne)
  ・ヴァルドラゴネ (Valdragone)
  ・ヴェントス (Ventos) の6教区が有
5)ドマニャーノ
  (Castello di Domagnano)、人口2,865人(2006)、面積6.62ku、標高357m
  かつてはその紋章にちなみモンテルーポ(オオカミの山)として知られていた
  ・カ・ジャンニーノ (Ca Giannino)
  ・フィオリーナ (Fiorina)
  ・ピアンディヴェッロ (Piandivello)
  ・スパッチョ・ジャンノーニ (Spaccio Giannoni)
  ・トーラッチャ (Torraccia) の5教区が有
6)ファエターノ
  (Faetano)、人口1,132人(2006)、面積7.75ku、標高362m
  ・カ・キアヴェッロ (Ca Chiavello)
  ・カッリガリーア (Calligaria)
  ・コリアニーノ (Corianino)
  ・モンテ・プリート (Monte Pulito) の4教区が有
7)フィオレンティーノ
  (Castello di Fiorentino)、人口2,245人(2006)、面積6.57ku、標高490m
  ・カパンネ (Capanne)
  ・クロチャレ (Crociale)
  ・ピアナッチ (Pianacci) の3教区が有
8)モンテジャルディーノ
  (Castello di Montegiardino)、人口818人(2006)、面積3.31ku、標高340m
  ・チェルバイオラ () の1教区が有
9)セラヴァッレ
  (Castello di Serravalle)、人口9,714人(2006)、面積10.53ku、標高148m
  ・カ・ラグニ (Ca Ragni)
  ・チンクエ・ビエ (Cinque Vie)
  ・ドガーナ (Dogana)、人口 7,000(2003)、海抜 50m
    イタリアとの北部国境の近く、国内で
最大の町
  ・ファルチャーノ (Falciano)
  ・レジニャーノ (Lesignano)
  ・ポンテ・メッリーニ (Ponte Mellini)
  ・ロヴェレタ (Rovereta)
  ・ヴァルギウラタ (Valgiurata) の8教区が有
カステッロには、幾つかの教区(分離集落:Frazione)が有。

<観光スポット>
・3つの城砦:〜
 ・第1の砦:グアイダ(Guaita)
 ・第2の砦:チェスタ(Cesta)、サンマリノ政庁舎
 ・第3の砦:モンターレ(Montale)
これらの城砦はサンマリノ共和国の国旗にもデザインされているほどで、様々な侵略から国を守った大事なものとされています。中世に建てられた城砦が現存しています。

・自由の女神像が有
アメリカにある自由の女神は、フランスから友好のしるしとして贈られたものですが、サンマリノ共和国にある自由の女神は、それよりも
チェスタの砦
古いものです。サンマリノ市々庁舎広場のリベルタ広場に毅然と立つ“元祖“自由の女神は、長きにわたって民主・中立・自由を重んじてきたサンマリノ共和国のシンボルとされています。

<政治>
・元首
元首は2人の執政(Capitani Reggenti)、任期は6ヵ月で無給。大評議会(60人)の議員による互選で選出され、毎年4/1と10/1に着任。執政が2人で任期も6ヵ月と短いのは、特定の執政による独裁化を防ぐためとされ、このように元首が同時に複数任命される国は、サンマリノ以外にはありません。半年間で、権力の集中を防ぎ、常に民主主義の精神を守ってきたこの国ならではの政治体制です。

・立法
立法機関は一院制の大評議会で、定数は60人、任期は5年で、行政区を単位とする9選挙区から比例代表制で選出されます。
政庁舎前の 自由の女神像

・行政
執政が主催する行政評議会(国家評議会)に行政権が有。
任期は議会の立法期に同じで、 議長は両執政が務め、首相職は無し。内閣は有。

・司法〜裁判官は外国人
人口約3万人というサンマリノ共和国。 いわば日本にある一つの街が共和国になったようなものなので、皆が顔見知りのために公平な判断が出来ないという理由から、サンマリノ共和国の裁判官は全員外国人です。なお、サンマリノの国土はイタリアの内部にあるため、裁判官も基本的にはイタリアから赴任しています。

<特徴>
・長寿国
2005年には男性の平均寿命が日本を抜いて第1位の80才、女性は83才で世界第3位となりました。

・死刑は
1468年の縛り首刑から現在(2018年)まで無し。

・消費税
ヨーロッパ諸国では消費税が当たり前なのですが、サンマリノ共和国には消費税が無。

・ロープウェイ
1959年開業の、
山麓の町ボルゴ・マジョーレと山上の政庁付近を結んでいるロープウェイが有。

・サンマリノ神社
サンマリノ神社は、世界最古の共和国として1700年以上の歴史を持つサンマリノと、世界最古の君主国である日本との両国の友好シンボルとして、さらに東日本大震災の犠牲者の慰霊を目的として2014/6/22に建立されました。ヨーロッパ唯一の神社とうたっているサンマリノ神社ですが、フランスにもヨーロッパ初なる神社があるそうです。なお、広大なブドウ畑にある白い鳥居と水と緑に囲まれた神社の神社設立式典には、日本から約100人が参加。

・サンマリノは世界で5番目に小さな国
世界の国の面積を小さい順に並べると、
 1)バチカン (0.44ku)
 2)モナコ (2.02ku)
 3)ナウル (21.1ku)
 4)ツバル (25.9ku)
 5)
サンマリノ (61.2ku)
 6)リヒテンシュタイン (160ku)
 7)マーシャル (181ku)
 8)クック (237ku)
 9)ニウエ (259ku)
10)セントクリストファー・ネーヴィス (262ku)
となります。

参考HP:〜
サンマリノの地図
サンマリノの区分地図(9の地方自治体)
サンマリノの地図(Google Map、日本語)
サンマリノの場所地図

こちらで世界遺産の
ラスコー洞窟の岩絵 (フランス)
クレムリン(モスクワ)
マルタ騎士団 (イタリア)
アトス共和国 (ギリシャ)
ヌビア遺跡 (エジプト)
ペトラ遺跡 (ヨルダン)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       
2018/4/18

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