United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る 海戦大航海(Naval Battle Voyages)
マックブライド艦長
1766
フォークランド諸島にイギリスの居住地を建設

大航海物語
 イギリス編

Falkland Islands


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ソン号
HMS Jason 38gn 1765   マックブライド艦長
海軍探検家(1842-1985)記念発行
フォークランド諸島 1985/9/23 発行

フォークランド諸島
西フォークランド島 ・ 東フォークランド島
エグモント港→
Port Egmont







ReBuilding Conflict with Algentina
フォークランド紛争再建記念
フォークランド諸島 1982/9/13 発行




←ソレダード港(Puerto Solidad)
←スタンレー(Stanley)
←ダーウィン(Darwin)


南極点からのフォークラン諸島の場所地図(赤丸
サウスジョージア諸島→

フォークラン諸島

サウスシェトランド諸島→
南極半島→
グレアムランド→
アレクサンダー島→


←サウスサンドウィッチ諸島

←サウスオークニー諸島






南極点
フォークランド 1946/2/1 発行

マックブライド艦長はジェーソン号に乗船、カルカス号を随伴し、1765年にジョン・バイロン船長が発見したフォークランド諸島に、1766/1/8に到達してイギリスによる領有を宣言し、西フォークランド島のポート・エグモントにイギリスの入植、居住地を建設しました。

それがその後のイギリスとスペイン間で「その不毛の島の主権を争う」戦争の原因となり、アルゼンチンの独立後も領土問題として引き継がれました。1982年にはイギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド戦争が起りました
ジョン・マックブライド艦長 (1730〜1800)
 Captain John McBride RN

 イングランド王国海軍 青色艦隊 海軍大将ジョン・マックブライド提督
 (Royal Navy Admiral of the Blue John MacBride、c.1730-1800/2/17)

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生立ちの期
七年戦争の期
戦間の期
フォークランド諸島殖民
・アメリカ独立戦争の期
 ・ウェサン島沖の海戦
 ・フィニステレ岬沖の海戦
 ・サンビセンテ岬沖の海戦
 ・フランス私掠船との戦い
 ・第四次英蘭戦争
 ・ヌトカ・クライシス
フランス革命戦争の期
北海の艦隊
家 族
従軍略年表
マックブライド・ヘッド


・生立ちの期
マックブライド艦長は、長老派教会の牧師ロバート・マクブライドの次男で、1730年頃にスコットランドで生まれました。誕生後に父がイギリス北アイルランドのアルスター地方ベルファスト都市圏アントリム県バリマネー(Ballymoney, County Antrim, Northern Ireland)の大臣(minister)になった1735年にアイルランドに移住しました。1751年にマクブライド少年は商船に乗組んで海に出て、3年後の1754年に上級水兵(Able seaman)として海軍に入隊しました。
最初にフリゲート艦ガーランド号(HMS Garland, 500t, 24gn, 1748、乗組員160人+奴隷50人)に乗組み、西インド諸島で数年間勤務した後、イギリスに戻って、イングランド南東部のケント海岸にある白亜の岬フォアランド(Foreland)の、北フォアランドと南フォアランドの間にある、ケント州東海岸沖イギリス海峡(English Channel)近くの北海南部で、ダウンズ錨泊地(Downs, ship anchorage, Kent, England)で戦列艦ノーフォーク号(HMS Norfolk、1556t, 74gn, 1757)に数ヵ月乗艦。 英仏海峡の地図

英リザード岬・プリマス・ワイト島
仏カレー、ドーバー海峡

ジャージー島 198 発行

七年戦争(1756-1763)の期(平和な一時)
1758/10/6に士官承認試験に合格して10/27に少尉に任官し、傭船カッター艦グレース号(cutter Grace)に乗組み、1761/8月に仏オードフランス地域圏ノール県ダンケルク沖ダンケルク投錨地(Dunkirk roadstead, Dunkirk, Departement du Nord, Hauts-de-France)に停泊しているフランスの私掠船と遭遇。マクブライド少尉はフリゲート艦メイドストーン号(HMS Maidstone, 593t, 28gn, 1758、200人乗組)へ武装ボート4隻の支援を要請すると、メードストン号艦長は フレンチ・コルセール(私掠船)の襲撃

フランス 1997/9/13 発行
直ぐ快諾。その夜10時に、武装ボートは私掠船に接近、銃撃して乗り込み、私掠船の男2人を負傷させ、副長を射殺して戦いとなり、私掠船は戦死2人・負傷5人で降伏。1762/4/7に火船艦グランパス号(fireship HMS Grampus)艦長に就任。1763/5/27にスループ艦クルーザー号(sloop HMS Cruizer)艦長。1765/6/20に勅任艦長(post-captain)に昇進して、フリゲート艦レナウン号(HMS Renown, 30gn)艦長。1765/8月にジェイソン号(fifth-rate frigate HMS Jason, 32gn, 1763, 210人乗組)艦長となり、フォークラン諸島に植民地の建設任務が与えられました。

・フォークランド諸島殖民
マクブライド艦長はフリゲート艦ジェイソン号、後の1773年に北極圏遠征でネルソン士官候補生が乗艦した臼砲艦カルカス号(Bomb vessel HMS Carcass, 14gn, 1759)、補給艦エクスペリメント号(storeship HMS Experiment)と共に、1766/1/8にフォークランド諸島の西フォークランド島に到着して上陸しました。そこのポート・エグモント(Port Egmont)に木製の丸太小屋を作ってイギリスの居住地を建設。入植地を確保して島をイギリスが領有したと住民に布告しました。そして周辺海域を調査して、1766/12月にフランスの入植地を発見。マクブライド艦長はフランスのデ・ネヴィル総督(M. de Neville)にイギリスの領有を通告する
フォークランド諸島の地図

アルゼンチン 2012 発行
も、フランスは拒否しました。ところが、艦長も総督も知らなかったのですが、フランス入植地を建設したブーゲンビル艦長が植民地をスペインに売却することに同意(1767/1/31)していたので、1770年にトルデシリャス条約によるスペイン領だとするスペインとイギリスの間に緊張が生じました。帰国したマクブライド艦長は英政府に状況を報告。1770年頃にマクブライド艦長は「1766/2/1〜1767/1/19までのフォークランド諸島の風と天気のジャーナル」(A Journal of the Winds and Weather...at Falkland Islands from 1766/2/1-1767/1/19)という13頁の論文の著書を出版しました。

・戦間の期(平和な一時)
帰国後の、1767/8月にイギリス海峡警備艦シーフォード号(HMS Seaford 22gn)艦長。
1771/3月にアリシューザ号(frigate HMS Arethusa, 32gn, 270人, 1759-1779)艦長。
1771/8月にサウサンプトン号(frigate HMS Southampton, 32gn, 210人, 1757-1812)艦長。
1772/5月にサザンプトン号にて、デンマーク・ノルウェー国王クリスチャン7世の妃キャロライン・マティルダ・オブ・ウェールズ(Caroline Matilda of Wales, 1751-1775、イギリス国王ジョージ2世長男フレデリック・ルイス王太子の末娘、ジョージ3世妹)をデンマークのシェラン島北東部エルシノア(Elsinore、現ヘルシンゲル:Helsingor)からノルウェー西岸ヴェストラン地方のノードフィヨルド地区北西部スタド半島のシュタット(Stadt, Stad peninsula, Stad Municipality, Nordfjord district, Vestland county, Norway)への輸送任務で、以前乗組みのシーフォード号、クルーザー号が随伴、3隻構成の小艦隊でした。 ユトランド半島 デンマークの地図

デンマーク 1995/5/16 発行





ラン島
1773/4月にオルフェウス号(frigate HMS Orpheus, 32gn, 220人, 1773-1778)艦長。

・アメリカ独立戦争の期
1775年にアメリカ植民地との戦争(1775-1783)が勃発すると、マクブライド艦長は1776/11/6にビエンファイザント号(HMS Bienfaisant, 64gn, 1758-1814)艦長に任命され、ウェサン島の海戦(1778/7/28、引分)に従軍。戦果についての議論で、マクブライドはケッペル提督を支持する証拠を提示し、ケッペル提督の軍法会議での無罪判決の重要な決めてになりました。

1778/12月にスペインによるジブラルタル包囲戦(Great Siege of Gibraltar、1779/6/24-1783/2/7)の救援のため、ロドニー提督艦隊の戦列艦20隻などにビエンファイザント号で参加してジブラルタルへとイギリスを出帆。1780/1/8にスペインのフィニステレ岬沖で、ビスケー湾のフランスとの国境からの距離は約20 kmにあるスペイン・バスク州ギプスコア県々都サン・セバスティアン(San Sebastian)から地中海のカディスへ補給物質を輸送する途上のスペイン護送船団と遭遇し、スペイン護送船団とイギリス艦隊の遭遇戦(Action of 8 January、1780/1/8)を戦い、 イギリス〜ジブラルタルの航路地図

ジブラルタル 1967 発行
エリオ

ト将
ロドニー艦隊はスペイン船団を捕捉、商船15隻と護衛艦隊7隻の全てを捕獲。マクブライド艦長はスペイン船団旗艦ギプスコアのヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン号(Spanish flagship Guipuscoana, Nuestra Senora de la Asuncion, 64gn, 1778-1780)と交戦・捕獲し、プリンス・ウィリアム号(HMS Prince William, 64gn, 1780-1817)に改名しました。

その8日後にロドニー艦隊が今度は、ポルトガルサンビセンテ岬沖での夜半の月光のもと、戦列艦9隻からなるスペインのランガラ提督艦隊を発見・捕捉。ロドニー艦隊戦列艦18隻はサンビセンテ岬月光の海戦(1780/1/16)を戦って勝利。スペイン戦列艦6隻を捕獲、1隻を破壊。マクブライド艦長はビエンファイザント号で参加して、スペイン艦サンドミンゴ号(San Domingo)と交戦して爆破しました。その後、ランガラ艦隊旗艦の戦列艦フェニックス号(Fenix, 80gn)を追跡して捕獲しました。マクブライド艦長はビエンファイザント号で天然痘が猛威を振るっていたため、捕虜のフェニックス号の乗組員を 帆船の海戦図

アンギラ 1971 発行
ビエンファイザント号艦内に拘束せず、そのままにしてルイス中尉(Rear Admiral Sir Thomas Louis, 1st Baronet,1758-1807/5/1)を派遣して指揮させ、両艦は何事もなくジブラルタルに到着しました。

・フランス私掠船との戦い
 (Action of 13 August 1780, 1780/8/13)
 英ビエンファイザント号カロン号 vs 仏私掠船コンテダルトワ号
 戦場:アイルランド・コーク州オールドヘッドオブキンセール沖
   (Old Head of Kinsale, Kinsale, Cork County, Ireland)
フランス私掠船との海戦は、ロドニー艦隊がスペイン護送船団との2度の遭遇戦に勝利して、1780/3月にジブラルタルからイギリスへ帰港し、1780/8月初旬にマクブライド艦長はビエンファイザント号に乗艦してカロン号(HMS Charon, 44gn)を随伴してアイルランド南海岸の監視任務でブレスト出帆。
アイルランドの場所地図(赤)

アイルランド 1973 発行
1780/8/13にマクブライド小艦隊はアイルランド南部マンスター地方コーク県コーク港(Cork, Cork County, Munster province, Ireland)を出帆したイギリス護送船団を追いかけている謎の帆を目撃しました。それはフランス私掠船コンテダルトワ号(Privateer Comted'Artois, 64gn, 644人乗組)であると解ってビエンファイザント号と交戦となり、勝利して捕獲しました。その後、英フリゲート艦リンカーン号(HMS Licorne)とユサール号(HMS Hussar)が支援に到着するも、戦いは終わっていました。
・艦隊の編成:〜
イギリス艦隊 戦列艦(Ship:HMS) メモ
・ビエンファイザント号 Bienfaisant 64 マクブライド艦長
・カロン号 Charon 44 フリゲート艦
フランス艦隊
・コンテダルトワ号 Comte d'Artois 64 私掠船

第四次英蘭戦争の期
1781/1月にマクブライド艦長は、1780/7/1にロムニー号(HMS Romney, 50gn)がフィニステレ岬沖で捕獲したフランス艦コンテス・ダルトワ号(Comtesse d'Artois, 40gn:ダルトワ伯爵夫人号)をアルトワ号(HMS Artois, 40gn)と改名して艦長に任命され、パーカー提督の艦隊と共に北海で哨戒活動の任務に従事しました。 1781/8/5にオランダと戦ったドッガー・バンク海戦(1781/8/5)に
オランダの地図

オランダ  1972 発行
従軍。海戦後にマクブライド艦長は、パーカー提督からプリンセス・アミリア号(HMS Princess Amelia, 80gn)艦長ジョン・マッカートニー(John MacCartney)が戦死したので、一時的にその艦長に任命され、艦隊が港に戻った後、アルトワ号艦長に戻って北海での任務を続行しました。
1781/12/3にオランダの私掠船2隻、ヘラクレス号(Dutch privateers Hercules, 24gn)とマーズ号(Dutch privateers Mars, 24gn)と遭遇・交戦して捕獲しました。
1782年4月にはバリントン提督艦隊で北海での任務を続行し、ブレストからイギリス海峡を抜けて西インド諸島へ向うフランス艦隊(French squadron)を迎撃するために、イギリスの主力艦隊の前方に偵察隊として派遣され、1782/4/20にそのフランス艦隊を目撃してバリントン提督へ通報しました。その日にイギリス艦隊がが迎撃して交戦となり、次の日にはフランス艦隊の半分以上を捕獲しました。この成功の後、1782/6月にマクブライド艦長は中尉(first lieutenant)昇進して、アイルランド沿岸警備哨戒隊に任命され、アルトワ号で哨戒任務に従事しました。

・ヌトカ・クライシス
 (ヌトカ紛争:Nootka Crisis)
  ヌトカ協定(Nootka Convention, 1790/10/28)
アメリカとの戦争の終わる頃、1783/6月にドルイド号(frigate HMS Druid, 32gn)艦長。1783/年末に無年金の平時除隊となり、1784年にプリマス(Plymouth, Devon, England)の国会議員に選出(1784-1790)されました。1788年にプリマスの警備艦カンバーランド号(HMS Cumberland、74gn)艦長。
ヌトカ・サウンド, 1791

スペイン 1967 発行
1790/1月にスペインによるヌトカ・サウンドの再占領(ヌトカ紛争:Nootka Crisis)がロンドに伝わり、スペインの脅威が迫っていたため、マクブライド艦長はカンバーランド号でイングランド南西デヴォン州トーベイ(Torbay, Devon, south west England)のハウ提督艦隊に合流しました。

フランス革命戦争の期
 (French Revolutionary Wars, 1792-1802)
1793/2/1にマクブライド艦長は海軍少将(rear-admiral)に昇進。イングランド南部北海と南フォアランド(Foreland)の間のケント東海岸沖イギリス海峡近くの北海南部にあるダウンズ海軍基地(Downs Station, Kent, England, 1626?1834)最高司令官(Commander-in-Chief, the Downs, 1793-1794)に就任、カンバーランド号(HMS Cumberland)でフリゲート艦隊司令官となり、後にケベック号(HMS HMS Quebec, 32gn)に移動。
フランス大革命(七月革命, 1780)

”民衆を導く自由の女神”
日本 1998 発行
1793年初頭に現ベルギーのウェストフランデレン州オーステンデ(Oostende, West Flanders province, Flemish Region, Belgium)のフランス軍撤退後、イギリスが占領。そこへ1793/10月に伯爵グレイ将軍(Charles Grey, 1st Earl Grey KB PC, 1729-1807)の援軍を輸送してダンケルク(Dunkirk)の防衛を支援。1793/12/1にフローラ号(HMS Flora, 36gn)にてモイラ伯爵(Francis Edward Rawdon-Hastings, 1st Marquess of Hastings, KG, PC,1754-1826)の軍を乗艦させてポーツマスから出帆し、ブルターニュとノルマンディーへ上陸させてフランス革命戦争のフランス王党派を支援しました。第一次対仏大同盟はこちら

・北海の哨戒艦隊
グレートブリテン島西岸の大西洋に拡がる長方形の海域ウェスタンアプローチ(Western Approaches)で、スループ艦エコー号(sloop HMS Echo)ミノタウロス号(HMS Minotaur, 74gn)セプター号(HMS Sceptre, 64gn)の小艦隊の司令官。乗馬で足を骨折して一時的に任務を離任。
1794/4/11に赤色艦隊少将(rear-admiral of the red)
1794/7/4に青色艦隊中将(vice-admiral of the blue)
1795/6/1に白色艦隊中将(vice-admiral of the white)
マクブライド艦長はラッセル号(HMS Russell, 74gn)で、オランダ北ホラント州ワッデン海西フリースラント諸島(West Frisian Islands, Wadden Sea)テセル(Texel, North Holland Provincie, Netherlands)にてオランダ艦隊
テセル・ワッデン海の場所地図




テセル
スペイン 1967 発行
を監視する任務を負った北海の艦隊の司令官。1795年後半に職を辞任し、再び海上に出ることはありませんでしたが、1799/2/14に青色艦隊大将に昇進。マクブライド提督は、1800/2/17にロンドンのスプリング・ガーデンコーヒーハウス(Spring Garden Coffee House)にて、麻痺性発作(paralytic seizure)によって70才で亡くなりました。
参考HP:〜
ワッデン海の場所地図(Texel inlet 有)

・家族
マクブライドは早い時期に海軍士官の娘と結婚するも詳細は不明で、1774/7/14にイーストイングランド州ノーフォーク県ヒリントンホール市ウルスラ・フォルクス(Ursula Folkes, Hillington Hall, Norfolk, East of England region, Englnd)で、ノーフォーク・ヒリントンホールのウィリアム・フォルクス(William Folkes of Hillington Hall, Norfolk, 1700-1773, 72才没)の長女ドロシー(Dorothy)と結婚した記録があるので、最初の夫人は亡くなったと推察。息子のジョン・デビッド・マクブライド(John David Macbride(professor)1778-1868)はオックスフォードのマグダレンホール(Magdalen Hall, Oxford)の校長になりました。マクブライドの娘、シャーロット(Charlotte)は、1795年にウィロビー・レイク提督(Admiral Sir Willoughby Thomas Lake KCB 1773-1847)と結婚しました。

・マクブライド提督の従軍など略年表:〜
従軍 座乗艦 砲,メモ 勝敗
七年戦争 1756-1763
・フランス私掠船との戦い 1761/8月 グレース号 カッター艦
・フォークランド諸島殖民 1766/1/8 ジェイソン号 フリゲート艦 成功
・キャロライン王妃の輸送 1772/5月 サザンプトン号 32 成功
アメリカ独立戦争 1775-1783
ウェサン島海戦 1778/7/27 ビエンファイザント号 64 引分
ジブラルタル包囲戦 1779-1783
スペイン船団との遭遇戦 1780/1/8 ビエンファイザント号
サンビセンテ岬月光海戦 1780/1/16 ビエンファイザント号
フランス私掠船との海戦 1780/8/13 ビエンファイザント号
第四次英蘭戦争 1780-1784
ドッガーバンク海戦 1781/8/5 アルトワ号 40 引分
・オランダ私掠船との戦い 1781/12/3 アルトワ号
・トーベイ基地で哨戒任務 1790/1月 カンバーランド号 32,ヌトカ紛争
フランス革命戦争 1792-1799
・ダウンズ基地司令官 1793/2/1 カンバーランド号 32,少将
・グレイ伯爵軍の輸送 1793/10月 ケベック号 32 成功
・モイラ伯爵軍の輸送 1793/12/1 フローラ号 36 成功
・ウェスタンアプローチ 1794 ミノタウロス号 74,小艦隊司令官
・北海艦隊の司令官 1795 ラッセル号 74,白色艦隊中将
・青色艦隊大将 1799/2/14 退役、最高の階級
・逝去 70才 1800/2/17 ロンドン。


・マックブライド・ヘッド
 MacBride Head
, East Falkland
マックブライド・ヘッドは東フォークランド島の北の最東端にあり、マックブライド山(Mount MacBride)はその直ぐ南にあります。そこはアザラシ(Sea Lion)の生息地(colony)になっています。
ウェッデルアザラシ

イギリス南極地方 1982 発行
マックブライド・ヘッドは、サンダース島(Saunders Island)にイギリスの定住地を建設したマックブライド艦長に由来する名前で、また艦長は乗船のジェイソン号からジェイソン諸島、そして随伴船のカルカス号からカルカス島と命名しました。
・ジェイソン諸島:〜
 (Jason Islands)ウェスト・フォークランド島の北西端に有
 ・ニューヨーク市の野生生物保護協会が所有する私有の自然保護区の3島:〜
  (Wildlife Conservation Society of New York City, 1895-)
  ・スティープル・ジェイソン島(Steeple Jason Island, 8.72ku)
  ・グランド・ジェイソン島(Grand Jason Island, 13.6ku)
  ・クラークズ・アイスレット小島(Clarke's Islet), 岩礁
 ・他の島々は
  ・エレファント・ジェイソン島(Elephant Jason Island, 2.6ku)
  ・サウス・ジェイソン島(South Jason Island, 3.75ku)
  ・フラット・ジェイソン岩(Flat Jason Island(シールロックス:Seal Rocks), 岩礁)
  ・など
  フォークランド諸島政府が所有する国立自然保護区。
・カルカス島:〜ウェスト・フォークランド島の北西で、ジェイソン諸島の南東に有
 (Carcass Island)最高地点:バイング山(Mount Byng, 220m)
カルカス島はウェストポイント島グループの最大の島で、猫もネズミもいないので、ゴイサギ(Black-crowned night heron)など多種多様な野鳥が繁殖、アザラシやペンギンなども生息。
なお、カーカス島を含むウェストポイント島グループは、イギリスに本部を置く鳥類の保護を活動目的とする国際環境”NGO”のバードライフ・インターナショナル(BirdLife International, 1922-)によって重要野鳥生息地(IBA)として特定されています。
・ウェストポイント島グループ:〜
 (West Point Island group)
 ・ウェストポイント島(West Point Island, 14.69ku)旧名アルバトロス島(Albatross)
 ・カルカス島(Carcass Island, 18.94ku)
 ・など。
なお、マックブライド・ヘッドやマックブライド山、ジェイソン諸島、カルカス島は
マックブライド遠征隊にちなんで名付けられました。

参考HP:〜
フォークランド諸島の地図
ジェイソン諸島の場所地図
ジェイソン諸島の地図
スペインの地図(カディス(Cadiz)・サンセバスチャン(San Sebastian)有)

こちらで
サフレン提督
ファントム・アイランド
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る 東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/9/28、 令和 R.4/2/22(2022/2/22)
スタンプ・メイツ
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