Australia

国連 1984 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.20
ココス諸島
 Cocos (Keeling) Islands、territory of Australia


大航海物語
 参考資料
  地図編

Cocos (Keling) Islands
ホースバーグ島→

ディレクション島→

ホーム島→


ウェスト島→


サウス島→

ココス諸島 1989 発行








クリスマス島の西が
←ココス島(
赤字の所)

←オーストラリア







ノースキーリング島→



エムデン号座礁浜→
















ウェスト島→






ココス諸島→



オーストラリア→
ココス諸島の地図

ココス諸島 1989/11/9 発行
←ホースバーグ島


←ディレクション島

←プリズン島

←ホーム島


←プロ・チェプロ
←Pulo Pandang
←プロ・シウアト





←サウス島

ココス諸島
 Cocos (Keling) Islands
面積:14ku、人口:628人(2004) 596人(2014)、通貨:オーストラリア・ドル、首都:ウェスト島のバンタム(Bantam Village)。1番切手:1963/6/11発行、マレー系が66%、オーストラリア系白人が33%でジャワ人や中国人もいる。公用語は英語で、他にマレー語など。 宗教はイスラム教80%、その他(キリスト教など)。

ココス諸島はインド洋のオーストラリアとスリランカの中間にあって、オーストラリア領で、行政官はオーストラトリア総督によって任命され、総督はクリスマス島と共に管理しているニール・ルーカス総督(Neil Lucas、2008)。
ココナッツ(ヤシの木の実)がココス諸島唯一の換金作物で、環礁の至る所で栽培されている。外貨を稼ぐための切手の販売が行われている。また、ココス諸島は海底電線及び南アフリカ共和国ヨハネスブルグとオーストラリアのシドニー間を結ぶ定期空路の中継地でもあり、 インド洋上での数少ない気象観測地でもある。

ウェスト島にココス島国際空港があり、ヨハネスブルグ国際空港とシドニーの間を結ぶ定期空路の中継地ともなっている。2005年現在、人が住む島はウェスト島とホーム島の2島だけである。ウェスト島はオーストラリアから来た白人が殆どである。ホーム島はココナッツのプランテーションの労働としてマレーシアから連れて来たマレー系の住民がほとんど。

ヨハネスブルグへ

ココス諸島1980/12/18発行




ドニ

・ココス諸島の略史:〜
1609年 イギリスのウィリアム・キーリング船長が発見 キーリング船長、ヘクター号1609

ココス諸島 1990/8/24 発行
1697年 オランダのウィレム・デ・フラミング船長が再発見
1826年 イギリスのアレキサンダー・ヘアが約100人のマレー人奴隷を連れて諸島に移住マレー人の子供が彼の身辺の世話、大人がココヤシのプランテーション労働
1827年 ジョン・クルーニーズ・ロス一行23人が島に上陸。ヘアとロスが島に渡った時、ココヤシが生い茂るだけの無人島だったがココヤシの樹幹にアラビア文字が刻まれていた。ロスはヘアの部下だったが、結局、ロスがヘアを島から追い出しロスが領主となり、以後ロス一家が占有
ジョン・クルーニーズ・ロス

クリスマス島 1977-78 発行
1836年 4/1、フィッツロイ艦長のビーグル号でチャールズ・ダーウィンが諸島に上陸し、サンゴ礁形態の仮説を発表
1914年 第一次世界大戦が勃発
1914年 ディレクション島に設置されていたイギリスの無線基地の破壊作戦に、ドイツの軽巡洋艦エムデン号が来襲。オーストラリアの軽巡洋艦シドニー号などとの戦闘の末、エムデン号はノースキーリング島南岸に座礁
1918年 第一次世界大戦が終結
1939年 9/01、ナチス・ドイツが、ポーランドに侵攻、第2次世界大戦が勃発
1939年 9/17、ソ連軍がポーランドに侵攻
1941年 12/7、昭和16年12月8日に大日本帝国海軍がハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦争が勃発
1942年 クリスマス島に大日本帝国海軍が艦砲射撃、上陸
1945年 8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
1955年 11/23にオーストラリア領となる
1978年 諸島は5代目領主のジョン・セシル・クルーニーズ・ロスがオーストラリア政府に625万豪ドルで売却、完全にオーストラリア領となる、売却益は全額諸島に寄付(ロス基金)
1979年 ロス基金でココス諸島協同組合を結成、現在この団体が島を運営。

※ココス諸島の概略場所:南緯12度10分、東経96度50分にあり、最も近いクリスマス島でも約900km、スマトラ島から約1000km離れている。南キーリング諸島と北キーリング諸島2つの環礁からなり、最高地点(サウス島北部)でも9mしかなく、ココヤシの木などが密生している。なお、ココス諸島はキーリング諸島 (Keeling Islands) ともいう。

▼南キーリング諸島
・ウェスト島(West Island)〜
 諸島の中心地で、第2次大戦中建設の空港が有り、人口は約120人で、
 オーストラリアから移住した人がほとんど
・サウス島(South Islands)〜無人島
・ホーム島(Home Island)〜諸島人口の2/3が居住、マレー系がほとんど、
 1827年にアレキサンダー・ヘアとロスが住み着いた島
 島の西側に港があり、ウェスト島との間をフェリーが運航している
 ドイツ海軍の巡洋艦エムデン号の襲来に備えた砲台跡が残っている
・プリズン島(Prisn Islands)〜無人島
・ディレクション島(Direction Island)〜無人島
・ホースバーグ島(Horsburgh Islands)〜無人島
 諸島の中では地味豊かだったのでロスが野菜を栽培した
 ドイツ海軍の巡洋艦エムデン号の襲来に備えた砲台跡が残っている
ビーグル号

ココス島1980/12/18発行

▼北キーリング諸島
・ノースキーリング島(North Keeling Island)〜
  サンゴ礁の無人島、概略場所は南緯11度50分、東経96度49分。
  周囲約5kmの環礁で、島とその周辺は全て1995年に国立公園となる。
など27のサンゴ礁島からなる諸島。


ココス島の海戦
  (Battle of Cocos Islands 1914)
ココス島の海戦
シドニー号

エムデン号の蒸気式ランチ        エムデン号
ココス諸島 1989/11/9 発行
第一次世界大戦でインド洋での通商破壊戦に活躍したドイツの巡洋艦エムデン号が、1914/11/9の09:40に砲撃を開始。オーストラリアの巡洋艦シドニー号が応戦後、同日夕方にココス諸島ノースキーリング島の南岸に座礁。


参考HP:〜
ココス諸島の地図
ココス諸島の地図(詳細地図)
ココス諸島の島の地図
ココス諸島の場所地図

こちらで世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。平成 H.21:2009/2/2、14/6/7、令和 R.2:2020/7/7, 21/9/23
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