インドネシア共和国 Republic of Indonesia |
インドネシア全図 インドネシア 1963/5/1 発行 |
皆既日食の通過場所(黒線)を示す地図 インドネシア 1983/6/11 発行 |
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モルッカ諸島 |
マッカーサー将軍とインドネシアの地図 南マルク共和国 1951 発行 |
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クラカタウ火山1883年噴火とその場所を示す地図 インドネシア 1983/8/26 発行 |
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チモール島 |
フローレス島 |
タラウド諸島&サンギヘ島 |
スラウェシ島 |
バリ島 |
スマトラ島 |
ジャワ島 |
西ニューギニア |
ニアス島 |
カリマンタン(ボルネオ島) |
インドネシア 1967 発行 |
インドネシア共和国 Republic of Indonesia Republik Indonesia、印度尼西亜(略:尼) 面積:1,919,440ku(日本の約5倍)、人口:238,452,952人(2004、世界第4位)、首都:ジャワ島のジャカルタ(人口:896万人、2006)、民族:大半がマレ−系(ジャワ、スンダ等27種族)、言語:インドネシア語、宗教:イスラム教87.1%、キリスト教8.8%、ヒンズ−教2.0%他、通貨:ルピア(IDR)、1番切手:1950/1/17発行。 紀元前1世紀頃から、インドの商人たちが訪れ、ヒンドゥー教の影響を受けた独自文化が発展。5世紀頃から、ボルネオ島東部にクタイ王国:インド、マカッサル海峡、フィリピン、中国の交易ルートをインドからの船が寄航し中継貿易で繁栄西部ジャワにタルマヌガラ王国が繁栄。7世紀、スマトラ南部パレンバンを本拠に仏教王国シュリーヴィジャヤ王国が成立、マラッカ海峡を制圧し、南海貿易をコントロールし仏教文化が栄え繁栄を極める、以後ジャワを中心に仏教、ヒンズ-王国が興る。8世紀前葉、ジャワでは古マタラム王国とシャイレーンドラ朝が建国され、8世紀末から9世紀初めにジャワ島の中部に大乗仏教ボロブドゥール寺院を建造。 0856年、サンジャヤ朝ピカタン王がジョクジャカルタ東方にシヴァ神殿”ロロ・ジョングラン”建造 13世紀、イスラム教の伝来(アチェ地方) 1222年、ケン・アンがロククディリ王国(クディリ朝)をたおしてシンガサリ王国を建国、 ジャワ東部を本拠に栄える 1267年、 スマトラ島北端にサムドラ・パサイ王国(Samudera-Pasai)が建国される 1292年、クディリ王家の末裔と考えられるジャヤカトワンによってシンガサリ王国滅亡 1292年、ジャワ島でヴィジャヤが中国「元」の遠征軍を撃退してマジャパヒト王国を建国 1292年、マルコ・ポーロがサムドゥラのすぐ南東ペルラク港を訪れ「この港には多数のムスリム (イスラム教徒)が来航し、彼らがつい先頃原住民をイスラム教に改宗させた」と記述 1345年、東南アジア最初のイスラム国サムドラ・パサイ王国にイブン・バットゥータが訪れる 1346年、サムドラ・パサイ王国にイブン・バットゥータが再度訪れる 1406年、鄭和艦隊の分遣隊が紛争で170人が”西王”軍に殺害され、 マジャパヒト王国”西王”は急遽「明」に謝罪使節を派遣 1468年、中国系イスラム教徒ラデン・パターがドゥマクにモスクを建立(ドゥマク王国) 1511年、ポルトガルのアルブケルケ将軍派遣艦隊がマラッカを占領、マゼランが従軍 1512年、ポルトガルがモルッカ諸島(スパイス諸島)のアンボン島を占領 1521年、ポルトガルによるマラッカ占領の10年後に、サムドラ・パサイ王国滅亡 スペインのフアン・セバスチャン・エルカノがマルク諸島に到達 1526年、西ジャワ島にスーナン・グヌンジャティ(在位:1526〜1552)がバンテン王国を建国 ドゥマク国の支援でバンテン港の支配権を奪う 1527/6/2、バンテン王ファレテハンとドゥマク国のイスラム連合軍がポルトガル軍を駆逐 良港スンダ・クラパを奪い、ジャヤカルタ(勝利の町)と命名 1539年、ポルトガルのメンデス・ピントがスマトラ島に友好使節として来島 1586年、イスラム系セーマパティ(在位1584-1601)がマタラム王国を建国 1596年、オランダのコルネリス・デ・ハウトマン船隊ジャワ島到達、バンテン、ジャカトラなどに寄航 1602年、オランダ、ジャワに東インド会社(VOC)を設立。植民地経営に乗り出す 1603年、オランダ東インド会社 (VOC) がポルトガル人を追い払ってバンテンに商館を置く 1605年、イギリスのジョン・デェイヴィスがスマトラ(島、Bintan)で日本人海賊に殺害される 1619年、オランダがジャワ島ジャカルタを制圧、バタヴィアと改名 1619年、第4代東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(在位1619-1623)がイギリスとパンテン王国の連合軍を撃破しジャカトラ全体を領有、オランダの古代ゲルマン部族名にちなんで「バタヴィア」と名付け、星形の商館兼要塞(バタヴィア城)をスンダ・クラパ港(バタヴィア)に建設、 1623年、アンボン島でアンボイナ事件が発生 1628年、マタラーム王国第3代スルタン・アグンがバタヴィアを攻撃 第一回バタヴィア総攻撃、オランダ東インド会社(VOC)が撃退し守り抜く 1629年、第二回バタヴィア総攻撃、オランダ東インド会社(VOC)が撃退し守り抜く 1632年、人口調査:バタヴィア城の南に広がるバタヴィアの町には約8千人が居住 人口の第一位は中国人、次がオランダ人、日本人は83人。 1641年、オランダ(VOC)がポルトガル領のマラッカを奪取 1663年、オランダ(VOC)がアチェ王国を保護国とする 1667年、オランダのスペールマン軍とブギス族連合軍でマカッサルが陥落し スラウェシ島西南部で帆船を操る海洋民族のマカッサル族のゴワ王国滅亡 1696年、オランダのウィレム・デ・フラミングが西オーストラリア探検後バタヴィアに到着 1706年、オランダのヤコプ・ロッヘフェーンがバタヴィアに到着、裁判官となる 1753年、オランダ(VOC)は西ジャワのバンテン王国の内紛に介入、この国を保護国とする 1755年、マタラム王国はジョグジャカルタとスラカルタの2王家に分割されてその名は消滅 1777年、ジャワ東端のバランバンガン地方がVOCの直轄領となり、ジャワ島全土をほぼ征服 1798年、フランス革命でオランダ東インド会社が解散させられ「オランダ直轄領東インド」となる 1819年、ロシアのバラノフがペテルブルグへ帰る途中、バタビア(現:ジャカルタ)で亡くなる 1823/4、オランダから日本へ赴任途中のシーボルトがジャワ島に寄航 1890年、ジャワ島中部のソロ川上流でオランダ人軍医ウジェーヌ・デュボアがジャワ原人を発見 1927年、スカルノがインドネシア国民党を結成、民族の独立(ムルデカ)を掲げる 1941年、太平洋戦争勃発、大日本帝国軍がボルネオへ上陸、オランダ領東インド攻略開始 1942年、バタヴィアを大日本帝国が占領、ジャカルタと改称 1945/8/15、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結) 1945/8/17、インドネシアア国民党が独立宣言、9/4にスカルノ首班のインドネシア共和国成立 1945/9/29、イギリス英印軍第一陣がジャカルタに上陸、インドネシアの抵抗が始まる 1946/11月末、イギリス軍がインドネシアから完全撤退 1947/07/21、第1次オランダ軍のインドネシア共和国軍事侵攻(オランダの「第1次警察行動」)
1948/12/19、第2次オランダ軍のインドネシア共和国軍事侵攻(オランダの「第2次警察行動」) 共和国臨時首都ジョグジャカルタ陥落、スカルノ大統領、首相兼副大統領ハッタなど大半逮捕 1948/12/24、国連安保理の決議、オランダに共和国指導者の釈放を要求 1949/07/06、スカルノ大統領らがジョグジャカルタに帰還 1949/12/27、インドネシア連邦共和国成立、$11億3000万の債務継承、ジャカルタが首都 1950/08/15、単一のインドネシア共和国の樹立が宣言される 1950、アンボン(マルク=モルッカ諸島)を中心とした地域で、旧植民地軍将兵が 「南マルク共和国」樹立を目指して反乱、オランダに亡命政府を樹立 1950年、1番切手”United States of Indonesia”が発行反乱は 1962/12月にソウモキルをインドネシア軍が逮捕して「南マルク共和国」反乱現地軍を平定 1967年、スカルノ、大統領の権限をスハルトに移譲 1968年、スハルト、第2代大統領に就任 1975年、インドネシアが東ティモールに侵攻、実効支配するも国連とポルトガルはこれを認めず 1976/12/4、自由アチェ運動(GAM)がピディ県の山中で”アチェ・スマトラ国”の独立を宣言 1979年、政府軍が鎮圧作戦を展開、”アチェ・スマトラ国”がスウェーデンに亡命政府を樹立 1998/5/14、ジャカルタ大暴動が発生、約1200人が死亡、スハルト大統領退任のきっかけ 1998年、スハルト大統領辞任、ハビビ副大統領が大統領に就任 1999/06、新しい制度の下で総選挙実施 1999/8/3、東ティモールが国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放される 1999/10、国民協議会でアブドゥルラフマン・ワヒッドが第4代大統領に選出 2001/07、ワヒッドは国民協議会特別総会で解任され、同日メガワティ副大統領が大統領に就任 2002/5/20、東ティモール民主共和国が独立 2004/10、初の大統領直接選挙の結果、ユドヨノ大統領就任(第6代大統領) |
インドネシアは5,000km以上と東西に非常に長く、赤道をまたがる1万7,500もの大小の島により構成され、2億4千万人が住む現在世界第4位の人口の国(2004)。 インドネシア各地に勃興した王国の栄枯盛衰:〜 ・古代マタラーム王国(サンジャヤ朝、Mataram Hindu)732〜929 、首都:中部ジャワのジョクジャカルタ付近マタラーム、ヒンドゥー教寺院プランバナン(Prambanan、9世紀後半)をインドネシアのジャワ島中部ジョクジャカルタ市東方に築く(遺跡群有)、同市西方の仏教寺院群ボロブドゥール遺跡と並び、インドネシアを代表する壮大な遺跡。 ・シャイレーンドラ朝(Sailendra)8世紀中頃〜9世紀後半、 中部ジャワで強盛を誇った古代インドネシアの王朝、大乗仏教を信仰し、 ボロブドゥール遺跡など多くの仏寺を建立、ジャワ族発展。 ・サムドラ・パサイ王国、13世紀末〜1521滅亡、スマトラ島の北西端サムドゥラ及びパサイ、 東南アジア最初のイスラム教国。1292年にマルコ・ポーロがペルラク港を訪れた ・マジャパヒト王国(Majapahit)1293〜1520頃、東部ジャワにあった強大な王国、 ジャワ最後のヒンドゥー文化の黄金期を築き、滅亡ごにバリ島へ移動した説有 ・シュリーヴィジャヤ王国(Srivijaya)7世紀〜14世紀頃、 スマトラ島のパレンバンを中心に栄えた通商国家、ジャンビ(マラユ)、さらにマラッカ海峡を越え マレー半島西岸のケダーまでも含む。 ・パジャジャラン王国(Pajajaran)?〜1579、 1333年、ラトゥ・デワタ (デワタ王) が西ジャワのボゴールを王都に定める 1522年、ポルトガルと条約を結ぶ 1527/6/2、バンテン王となったファレテハンとドゥマク国のイスラム連合軍がポルトガル軍を駆逐 良港スンダ・クラパを奪い、”ジャヤカルタ”=「勝利の町」と命名。 1579年、バンテン王国第2代スルタン・ユースフに併合されパジャジャラン王国滅亡 ・マジャパヒト王国(Majapahit)1293〜1520頃、ジャワ島東部・中部、首都:マジャパヒト 最盛期にはインドネシア全域とマレー半島も支配、ジャワ最後のヒンドゥー文化の黄金期 ・アチェ王国(Aceh)15世紀〜1912 スマトラ北部のアチェ族が築いた王国。稲作に従事する農耕民でイスラム教徒が多い ・ドゥマク王国(Demak)15世紀末〜17世紀初頭にドゥマク国はマタラーム領に吸収される ・チレボン王国(Cirebon)1552〜1752、ドゥマク国などとマジャパヒト王国を内陸部に閉じ込める ・バンテン王国(Banten)1556〜1843 港湾都市バンテンを中心に栄えた西ジャワ最初のイスラム教国 ・マタラーム・イスラム王国(Mataram)1586〜1755、中部ジャワに興隆したイスラム王国 ・ジョクジャカルタ王国(Yogyakarta)1755〜1831、マタラームが分割されてできた ・スラカルタ王国(Surakarta)1755〜1945、マタラームが分割されてできた ・南マルク共和国 1950/4/25、東インドネシア国から独立を宣言 1952/10月、インドネシア軍の鎮圧により消滅 主な島 ・スマトラ島:マレー半島の南西に横たわる島。特に北部は天然資源が豊富。 ニアス島: ・ジャワ島:首都ジャカルタのある島。 ・スラウェシ島(セレベス島) タラウド諸島、サンギヘ諸島 ・カリマンタン島(「ボルネオ島」はマレーシア側の呼称。) ・バリ島:観光で有名な島。住民の大半はヒンドゥー教徒。 ・ロンボク島:バリ島の東隣の島。近年になって、観光開発が進み始めた。 ・スンバワ島:1815年に、島内のタンボラ山が有史上最大の噴火を起こしている。 ・コモド島:コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)が生息する島。 ・フローレス島:住民の多くはカトリック教徒。 ・ティモール島:西側半分がインドネシア領 ・マルク諸島(モルッカ諸島):〜1521年、スペインのエルカノ船長が到達 北マルク州 ・テルナテ島:香料産出地で大航海時代に西洋列強の収奪の拠点となる ・ティドーレ島:香料産出地で大航海時代に西洋列強の収奪の拠点となる ・バカン島 ・ハルマヘラ島 ・モロタイ島 ・オビ諸島 ・サナナ島 ・ティドレ島 マルク州 ・アンボン島 ・アルー諸島 ・ババル諸島 ・バンダ諸島 ・ブル島 ・カイ諸島 ・レチ諸島 ・セラム島 ・タニンバル諸島 ・ウェタル島 ・クラカタウ島 :1883年に大爆発した火山島。ジャワ島とスマトラ島の中間にある ・ニューギニア島:西側半分がインドネシア領。インドネシア国内では「イリアン」などと呼ばれている 参考HP:〜 インドネシアの地図、インドネシアの行政区分地図、 フローレス島、マカッサルの場所(赤丸:タラウド諸島) 南マルク共和国(世界飛び地領土研究会HP) マルク州アンボンにおける暴動の発生(在マカッサル日本国総領事館) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/2/23 |