Argentina
国連 1987 発行
切手で綴る 南アメリカ諸国(South American Countries)
アルゼンチン
Argentine Republic


大航海物語
  地図編

REPUBLICA AGENTINA
アルゼンチンの領土を示す地図
アルゼンチン



アルゼンチン南極

アルゼンチン 1948-49 発行
アルゼンチン

マルビナス(フォークランド)諸島
サウスジョージア諸島
サウスサンドウィッチ諸島
サウスオークニー諸島

南極半島と南極
アルゼンチン 1964/2/22  発行

南アメリカの地図

アルゼンチン 通常切手
1935-51 発行
アルゼンチン南極の地図

アルゼンチン 1966/12/10  発行
リャマ

アルゼンチン 1959-70 発行

アルゼンチン共和国
 Argentine Republic

・面積 2,782千ku(日本の約7.5倍)
・人口 3,810万人(2004)
・首都 ブエノスアイレス(Buenos Aires)
・人種 欧州系(スペイン、イタリア)97%、インディヘナ系3%など
・言語 スペイン語、宗教 カトリックなど
・GDP 約3,100億ドル(約27兆円:2009)
  神奈川県よりやや小さい経済規模
・1862/1/11に共和国の一番切手を発行。

1492年のコロンブスの新大陸発見から、16世紀に入ると、スペインポルトガルから数多くの探検家や征服者(コンキスタドール)が新大陸に渡ってきて、1516年 スペイン人フアン・ド・ソリスがアルゼンチンのラ・プラタ川河口に到着するも、ラ・プラタ川周辺の現地人に殺害されました。1534年にアロンゾ・ド・メンドーサはラプラタ川の領土を征服するために探検。メンドーサはブエノスアイレスの第一の発見者で、1536年にはメンドーサがラ・プラタ河の河口に サンタマリア・デ・ロス・ブエノスアイレス(Santa Maria de los Buenos Aires)を建設、植民化を図るも、町は現地人に破壊され、1541年ブエノスアイレスは放棄されました。

ブエノスアイレスの町は廃墟となり放置されていましたが、 1553年にラプラタ川をボリビアの方から南下してきたフアン・ド・ガライによって、1580年にブエノスアイレスが再建されました。ガライはブエノスアイレスの第二の創設者とされていますが、現地人の反抗に遭いうまくいきませんでした。ガライは1592年に現地人に暗殺されました。1573年にスペイン支配が確定。

1776年にはスペイン国王カルロス三世によってアルゼンチン、ウルグアイパラグアイチリブラジルの一部にいたる植民地がリオ・デ・ラ・プラタ副王領に統括され、ブエノスアイレスはリオ・デ・ラ・プラタ副王領の首都にされました。ブエノスアイレスはヨーロッパの中継港としての役割を担っていたのが、ヨーロッパの支配を現地生まれの白人クリオージョたちは不満と思うようになっていました。1806年、1807年と大英帝国が2度に渡って、ラプラタ川流域へ侵略を企てましたが、クリオージョたちがこれを撃退。

1807年、ナポレオン率いるフランス軍がスペイン本国を占領。アメリカ合衆国の独立や、大英帝国の撃退などで独立の気運が高まっていたことから、リオ・デ・ラ・プラタ副王領では、本国に対して副王の退位と自治委員会の設立を要求しました。1810/5/25に独立宣言。1810/5/25 自治移行(革命記念)。現在のパラグアイ、ボリビア、ウルグアイにあたる地域はこの自治委員会には入らず、それぞれが独立を目指し、1816/7/9ツクマン市で各地方の代表による国民議会が開催されて、リオ・デ・ラ・プラタ地域の独立が宣言されました。1816/7/9に「ラプラタ連合」がスペインからの独立を宣言。

1810、アルゼンチン独立戦争(対スペイン〜1818)アルゼンチン独立軍の勝利
    1816/7/9、アルゼンチンが独立宣言を布告
1811、南アメリカでの独立運動とイギリスの圧力を受け、フォークランド諸島からスペインの
      移民が撤退するも、スペインは領有権の主張は維持
1820、アルゼンチンがフォークランド諸島の領有と主権を宣言
1823、ラ・プラタ連合州がホルヘ・パチェコ とルイス・ベルネトに漁業権を与える
1829、アルゼンチンがフォークランド諸島の知事にルイス・ベルネトを任命
      アメリカの介入でマルビナス危機が勃発
1841、フアン・マヌエル・デ・ロサスが政権を掌握
1851、ロサス戦争
1852、カセロスの戦い、ロサス亡命、フスト・ホセ・デ・ウルキーサが大統領に就任
1853、連邦制の憲法が制定される(連邦制と経済発展)
1862、アルゼンチン共和国が誕生
1862/1/11、共和国の一番切手を発行
1864、三国同盟戦争(パラグアイ戦争)
1920年代、冷凍船の導入で畜産物輸出が好調
1930年代、世界有数の富裕国に成長、一方、浪費がはびこり都市と地方の貧富格差が拡大
1943、フアン・ペロンら軍事政権樹立
1946、大統領当選、ペロン政権が成立。この時すでに2番目の妻エバ・
   ペロン(エビータ)と結婚(1952/7月没、エビータは南米では超がつく
   有名人で、特にアルゼンチンでは一部の人たちの聖女)
1951、中立政策を採りOASより脱退
1952、再選。
1955、保守派アランブル将軍のクーデターでペロン追放、亡命
   OAS(米州機構:Organization of American States)復帰
1958〜1962年、1963〜1966年の急進派を除き軍事政権
1973、軍部介入など変遷の後再度ペロン大統領が就任
1973/5月、民政移管後ペロンが復権
1974/7月、フアン・ペロン死去。3番目の妻イザベルが大統領
エビータ

アルゼンチン1952発行
1976/3月、軍事クーデターによって罷免
1976、クーデターにより軍事政権成立、都市ゲリラ排除のために国内で「汚い戦争」
1982/4〜6月、フォークランド諸島(スペイン語ではマルビナス諸島)をめぐって、
      イギリスとの間にフォークランド紛争が勃発、敗戦でガルチェリ大統領が失脚
1983/12月、アルフォンシン大統領就任、軍政から民政への移管(民政移管)。

・アルゼンチンの地方行政区画:州、州都
01 ブエノスアイレス特別区(Capital Federal)
02 ブエノスアイレス州 (Buenos Aires)、ラプラタ(La Plata)
03 カタマルカ州 (Catamarca)、カタマルカ(San Fernando del Valle de Catamarca)
04 チャコ州 (Chaco)、レシステンシア(Resistencia)
05 チュブ州 (Chubut)、ラウソン(Rawson)
06 コルドバ州 (Cordoba)、コルドバ(Cordoba)
07 コリエンテス州 (Corrientes)、コリエンテス(Corrientes)、1856最初の切手発行
08 エントレ・リオス州 (Entre Rios)、パラナ(Parana)
09 フォルモサ州 (Formosa)、フォルモサ(Formosa)
10 フフイ州 (Jujuy)、フフイ(San Salvador de Jujuy)
11 ラ・パンパ州 (La Pampa)、サンタ・ローサ(Santa Rosa)
12 ラ・リオハ州 (La Rioja)、ラ・リオハ((La Rioja)
13 メンドーサ州 (Mendoza)、メンドーサ(Mendoza)
14 ミシオネス州 (Misiones)ポサーダス(Posadas)、イグアスの滝(Iguazu Falls)
15 ネウケン州 (Neuquen)、ネウケン(Neuquen)
16 リオネグロ州 (Rio Negro)、ヴィエドマ(Viedma)
17 サルタ州 (Salta)、サルタ(Salta)
18 サン・フアン州 (San Juan)、サンフアン(San Juan)
19 サンルイス州 (San Luis)、サンルイス (San Luis)
20 サンタ・クルス州 (Santa Cruz)、リオ・ガジェーゴス(Rio Gallegos)
21 サンタフェ州 (Santa Fe)、サンタフェ (Santa Fe)
22 サンティアゴ・デル・エステロ州 (Santiago del Estero)、エステロ(Santiago del Estero)
23 ティエラ・デル・フエゴ州 (Tierra del Fuego)、ウシュアイア(Ushuaia)
(ティエラ・デル・フエゴ、アンタルティダ・エ・イスラス・デル・アトランティコ・スール州
 Tierra del Fuego, Antartida e Islas del Atlantico Sur、フエゴ島、南極及び南大西洋諸島を含)
24 トゥクマン州 (Tucuman)、サン・ミゲル・デ・トゥクマン(San Miguel de Tucuman)。

なお、OASは米州機構(Organization of American States)の略語。

参考HP:〜
アルゼンチンの州区分地図(南極地域を含む)
同上(英文:Provinces)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/11/25、09/10/31、12/12/13
スタンプ・メイツ
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