United States

国連 1981 発行
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyage)
パルマー船長
1820
南極探検・パルマーランド発見


大航海物語
 アメリカ編
USA

パルマーの航海地図、ヒーロー号
アメリカ 1986 発行
CORREOS DE CHILE

チリ 1947 発行
US
南極条約 10周年 記念
(赤点)
ウェッデル海

南極半島







ロス海
(赤点)
1961 ANTARCTIC TERRITRY 1971
アメリカ 1971 発行 (200%)

南極点からの位置

サウスジョージア諸島→

フォークランド諸島→

サウスシェトランド諸島
南極半島
グレアムランド→
アレクサンダー島→
パーマーランド

サウスサンドウィッチ諸島

サウスオークニー諸島



←南極点
フォークランド諸島 1946 発行

マルビナス、南ジョージア、南サンドウィッチ、の各諸島を示す地図
       フォークランド諸島(マルビナス)     サウスジョージア島

アルゼンチン




サウスサンドウィッチ諸島

サウスオークニー諸島

1829 マルビナス危機153年記念 1962
アルゼンチン 1982/6/12 発行

パルマーは1820年に南極でアザラシ狩りをしいて南極半島を発見した最初のアメリカ人となり、そこをパーマーランドと呼びました。
・ナサニエル・ブラウン・パルマー船長 (1799〜1877)
 Nathaniel Brown Palmer

 別名:パーマー船長
パルマー船長はコネチカットのストニントン(Stonington, Connecticut)で生れ、アザラシの狩猟家、船長、探検家、船舶デザイナーとして活躍したことで知られています。1810年代は南極海でアザラシ狩りをして、それを中国へ運ぶ貿易をしていた、恐れを知らぬアザラシ狩りの狩人でした。21才でたった47f(14m)のちっぽけなスループ型帆船ヒーロー号(Hero)に乗組んだのが船長としての最初の航海でした。

1820/11/27、若いナット号(Nat)の船長パルマー(21才)は、ホーン岬南方の南極海で、新しいアザラシの群居地を捜し求めていて、南極半島を発見(望見)した最初のアメリカ人となりました。そこはオルレアン海峡(Orleans Strait)から南極半島に接近した地点(63°45' S.)でした。その後、再びヒーロー号の船長になって南極大陸(Antarctica)を望見しました。同じ1820年にはベリングスハウゼン艦長やブランスフィールド船長(Edward Bransfield 1785-1852)がもっと大きい帆船で南極大陸を望見しました。

・19世紀のロシア戦艦に挟まれた1本マストのアザラシ漁船
19世紀ロシアの戦艦
アザラシ漁船の同型船
19世紀のロシア戦艦
ウクライナ 2001/4/20 発行 グレナダ  発行 ウクライナ 2001/4/20 発行
1821/1月に霧が晴れると、ヒーロー号がベリングスハウゼン探検艦隊の旗艦ヴォストーク号(flagship Vostok)と僚船ミールヌイ号(Mirnyi)の間にいることが解り、ヴォストーク号に招待されて歓迎されました。その後、ストニントン(Stonington)に戻りました。そして、さらにパルマー船長はサウス・オークニー諸島の発見にも貢献しました。

サウス・オークニー諸島は1821年にアメリカ人のパルマー船長と、イギリス人のパウエル(George Powell)によって発見されました。1823年にウェッデル船長(James Weddell)が訪れ、この諸島を「サウス・オークニー諸島」の名前にしました。

その後、造船技術を研究・改良し、ハル方式とリグ方式(hulls、rigging)を作り、非常に早い帆船”クリッパー型”(clipper ship)を完成し、故郷のストニントンでクリッパー帆船の船主として余生を送りました。78才でストニントンで亡くなりました。

南極半島には彼の貢献を称えて名づけられたパーマーランドがあります。1992年に就航したアメリカ国立科学財団(NSF=U.S. National Science Foundation)の砕氷船がパルマー号(Nathaniel B. Palmer、icebreaker)と名づけられました。日本には南極探検船で砕氷船の「白瀬」が有りますね。

参考HP〜
南極の地図
パーマーランドの地図
ホーン岬の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。2006/11/5、13/12/28、令和 R.2:2020/12/30
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