・第3次蘭英戦争
3rd Anglo-Dutch War(1672/3/27〜1674/2/19)
<第3次蘭英戦争の主な海戦>
第3次蘭英戦争はフランスのルイ14世と盟約したイングランド王のチャールズ2世(1630-在位1660-1685、スコットランド王在位1649-1685)が1672-74年に、フランスの始めたオランダ戦争(1672-1678)に協力する形で始まり、オランダ戦争の局地戦とも言えます。当初フランスの侵略意図が明らかになると、ヨハン(ヤン)デ・ウィッテ(Johan(Jan)
de Witt, 1625-1672)は1668年にイングランドと同盟を結びました。しかしルイ14世は1671/9月にチャールズ2世に絶世の美女ルイーズ・ルネ・ケルアイユ(Louise
Renee de Penancoet de Kerouaille, 1649-1734、チャールズ2世の愛人、ポーツマス公爵夫人)を与えて籠絡し、イングランドを味方につけました。1672年にフランス軍はオランダに侵攻して国土の大部分 |
チャールズ2世
バーブダ 1970 発行
|
を占領しましたが、オランダ側は堤防を決壊させて何とかフランス軍によるアムステルダム占領を防ぎました。危機に瀕した国内ではオラニエ・ナッサウ家統領の総督職復帰を望む声が強まり、若いオラニエ公ナッサウ伯(在位1650-1702)ウィレム3世(Willem
III van Oranje-Nassau,1650-1702、オランダ総督(在任1672/6/28-1702/3/8)、イングランド王・スコットランド王ウィリアム2世・アイルランド王(在位1689-1702)が軍最高司令官となり、次いで統領に就任しました。その後の暴動で、デ・ウィッテ兄弟は民衆に惨殺されました。ウィレム3世はオーストリア・スペインと同盟を結んでフランス軍を包囲し、フランス軍を撤退させました。戦争末期にイングランドは大艦隊を組織してオランダを襲うもオランダの名提督デ・ロイテルなどに撃退されました。
第3次英蘭戦争は、1672年にイギリスがフランスのルイ14世によるオランダ侵略戦争に加担して開戦しました。3月には英仏海峡を航行中のオランダ商船が突如イギリス艦隊から攻撃を受けました(ワイト島沖の海戦)。イギリスはこの時、オランダ船が抵抗したことを理由として三たびオランダに宣戦して、「第三次英蘭戦争」の勃発となりました。フランスがイギリス側に立って参戦し、フランス陸軍十数万がオランダ国内へと侵入し、海上からはイギリス・フランス連合軍がオランダへの上陸を試みましたが、名提督のデ・ロイテル提督率いるオランダ艦隊の活躍での海戦で撃退され、第3次ウェストミンスター条約で講和が成立しました。
一方、イングランド議会では「オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる」と言う声が高まり、チャールズ2世に親仏路線撤回を求めるようになりました。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(後のジェームズ2世)の娘メアリー(後のメアリー2世)をウィレム3世に嫁がせて同盟を結び、国内の不満の沈静化に努めることになりました。
・講和条約:第3次ウェストミンスター条約
(Treaty of Westminster, 1674/2/19)
第3次ウェストミンスター条約で講和が成立。1674年に締結され、第3次英蘭戦争を終結させた講和条約で、敗北したオランダはイギリス・フランスに賠償金を支払うと共に、入植していたニューアムステルダム(ニューヨーク)、ニュージャージーなどの北アメリカ植民地をイギリスへ割譲することで合意しました。
・結末について、
イングランドは3回もオランダと開戦し、オランダ経済に大打撃を与えましたが、皮肉にも1688年の名誉革命で、かつて敵対したオランダ統領オレンジ(オラニエ)公ナッサウ伯ウィレム3世(William
III of Orange, 在位オラニエ公:1650/11/4-1702/3/8,
オランダ統領:1672/6/28-1702/3/8)を、イングランド王ウィリアム3世(William
III, 在位1689-1702, イングランド王・スコットランド王:1689/2/13-1702/3/8)として迎えることとなりました。名誉革命は国際関係からみれば、クロムウェルが提唱した英蘭合邦案の実現と言えなくもないという説も有。 |
ウィリアム3世
バーブダ 1970 発行
|
|
|
<第3次蘭英戦争の主な海戦>
オランダは第3次蘭英戦争(1672〜74)では英仏を敵にまわして戦い、1673年には英仏連合軍がオランダへの上陸を試みましたが、ロイテル提督の率いるオランダ艦隊が撃退して、オランダ上陸を阻止しました。
(1)ワイト島沖の海戦
(Battle of Wight, 1672/3/12-13)引分
別名:1672/3/12の海戦
(Action of 12 March 1672, 1672/3/12-13)
戦場:英仏海峡のハンプシャー海岸沖3.2〜8.0km離れたワイト島沖
(Off Isle of Wight,
Off coast
Hampshire, English Channel)
ワイト島沖の海戦は、第三次英蘭戦争が正式に開始される前に勃発したので、イギリスは1672/3/27にオランダ共和国に宣戦布告しました。 |
オランダの船団
南アフリカ 1952 発行
|
海戦は、英提督ロバート・ホームズ卿(Sir Robert
Holmes, c1622-1692)の戦列艦隊9隻がワイト島沖にて、オランダ輸送船団を発見。遭遇戦となるも、英攻撃艦隊は1
隻の輸送船を拿捕することもできず、戦列艦セント・ミカエル号1隻が大破、他の船も深刻な損傷を受けて敗退。オランダの護送船団スマーナ艦隊(Smyrna
convoy)は提督エイドリアン・デ・ハーゼ(Adriaan
de Haaze, 1672/3/12没)とエバツェン提督の弟コーネリアス・エバツェン提督(Cornelis
Evertsen the Youngest, 1642-1706、ソールベー沖の海戦でズワネンブルグ号座乗)の護衛戦列艦隊5隻と輸送船66隻でした。
<ワイト島沖の海戦、艦隊戦闘序列>
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
(Order of Battle at the Battle of the
Action of 12 March 1672's Fleet)
蘭英艦隊 |
主 力 |
その他 |
総司令官 |
損害 |
・オランダ艦隊 |
戦列艦5隻 |
輸送船66隻 |
デ・ハーゼ提督 |
戦列艦1隻、商船4隻の喪失 |
・イギリス艦隊 |
戦列艦9隻 |
- - - |
ホームズ提督 |
戦列艦1隻の喪失 |
オランダ艦隊 |
(Ship) |
砲 |
メモ |
・フリシンゲン号 |
Vlissinge |
50 |
デ・ハーゼ提督 |
・ユトレヒト号 |
Utrecht |
48 |
|
・クライン・ホランディア号 |
Klein Hollandia |
44 |
拿捕 |
・ドルドレヒト号 |
Dordrecht |
44 |
|
・デルフト号 |
Delft |
36 |
|
|
|
|
|
イギリス艦隊 |
(HMS) |
|
|
・セイント・ミカエル号 |
Saint Michael |
90 |
ホームズ卿、喪失 |
・レゾリューション号 |
Resolution |
70 |
|
・ケンブリッジ号 |
Cambridge |
70 |
|
・グロスター号 |
Gloucester |
62 |
蘭クラインホランディア号を拿捕 |
蘭艦は拿捕後にイーストボーン沖(Eastbourne, East Sussex, England)沈没 |
・ヨーク号 |
York |
60 |
|
・フェアファックス号 |
Fairfax |
60 |
|
・ダイヤモンド号 |
Diamond |
48 |
|
・サクセス号 |
Success |
32 |
|
・など。 |
|
|
|
ジェームズ2世(James VII of Scotland and James
II of England, 1633-1701、在位:1685-1688)イングランド・スコットランド・アイルランドの王。 |
|
|
(2)ソールベー沖の海戦
(Battle of Solebay, 1672/6/7)引分
戦場:ソールベイ沖
(Sole Bay, Southwold town, East
Suffolk, Suffolk district, England)
英仏海峡の北で北海沿岸サフォークの
イーストサフォーク地区にある海辺サウスウォルド町のソール湾
ソールベイ沖の海戦は第3次蘭英戦争の海戦で、英艦隊が停泊し、戦闘の準備ができていないソールベイ港へのオランダ艦隊の襲撃として始まり、激しい戦いの後に引き分けで終了。 |
Cデ・ロイテル提督
オランダ 1607 発行 |
しかし、この戦いは計画された連合国のオランダ共和国への海軍侵攻を防ぎ、オランダ国民の士気を高めるも、蘭英双方が勝利を主張しました。
<ソールベイ沖の海戦、艦隊戦闘序列>
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
(Order of Battle at the Battle of Solebay's Fleet)
・蘭英艦隊 |
主 力 |
その他 |
総司令官 |
乗艦 |
損害 |
オランダ艦隊 |
戦列艦75隻 |
フリゲート14隻、火船36隻等 |
デ・ロイテル提督 |
デゼーヴェンプロヴァンシエン号 |
沈没1隻、拿捕1隻 |
英仏連合艦隊 |
戦列艦93隻 |
火船30隻等 |
ヨーク=オールバニ公 |
プリンス号 |
沈没1隻 |
・蘭戦列艦61隻、フリゲート艦14隻、火船36隻、多数の小型船、沈没1隻、拿捕1隻
・英戦列艦85-95隻、火船30隻、沈没1隻、の説有。
オランダ艦隊(Netherlands Fleets, Michiel
de Ruyter) |
アムステルダム海軍本部艦隊(Admiralty of
Amsterdam Squadron) |
艦 名 |
(Ship) |
門 |
メ モ |
・エイカーブーム号 |
Akerboom |
60 |
|
・ウールデン号 |
Woerden |
70 |
|
・ジャースフェルド号 |
Jaersveld |
48 |
|
・スタッド・ユトレヒト号 |
Stad Utrecht |
66 |
|
・カラントソーグ号 |
Callantsoog |
70 |
|
・スタヴォレン号 |
Stavoren |
48 |
|
・アムステルダム号 |
Amsterdam |
60 |
|
・プロバンス・バン・ユトレヒト号 |
Provincie van Utrecht |
60 |
|
・ドルフィン号 |
Dolphijn |
82 |
ヨーゼフ少将(Lt-Adm Willem Joseph)ガント提督戦死 |
・ゴーダ号 |
Gouda |
72 |
|
・レーウェン号 |
Leeuwen |
50 |
|
・ライガースベルゲン号 |
Reigersbergen |
72 |
|
・ギデオン号 |
Gideon |
58 |
|
・エッセン号 |
Essen |
50 |
|
・ウェースドルプ号 |
Waesdorp |
72 |
|
・スティーンベルゲン号 |
Steenbergen |
68 |
|
・デーベンター号 |
Deventer |
60 |
艦長エンゲル・デ・ロイテル負傷 |
・アガサ号 |
Agatha |
50 |
|
・オーステルワイク号 |
Oosterwijk |
60 |
|
・オリファント号 |
Olifant |
82 |
スワーズ中将(Vice-Admiral Isaac Sweers,1622-73) |
・ベッシャーマー号 |
Beschermer |
50 |
|
・オードショーン号 |
Oudshoorn |
70 |
|
・コミートスター号 |
Komeetstar |
70 |
|
・クルーニンゲン号 |
Kruiningen |
56 |
|
・エダム号 |
Edam |
32 |
フリゲート艦(Frigate) |
・ボンメル号 |
Bommel |
24 |
” |
・アスペレン号 |
Asperen |
30 |
” |
・ダミアテン号 |
Damiaten |
34 |
” |
・ポッケンズバーグ号 |
Popkensburg |
24 |
” |
・ハース号 |
Haas |
24 |
” |
・オーバーアイセル号 |
Overijssel |
30 |
” |
・ポスティリオン号 |
Postijljon |
24 |
” |
・ブラク号 |
Brak |
24 |
” |
・エグモンド号 |
Egmond |
10 |
アドバイスヨット(Advice Yacht) |
・トライトン号 |
Triton |
12 |
” |
・ケーター号 |
Kater |
8 |
” |
・ウォルビス号 |
Walvis |
12 |
” |
・イーンホールン号 |
Eenhoorn |
10 |
” |
・ケーット号 |
Kat |
12 |
” |
・ガレイ号 |
Galei |
12 |
” |
・フェルセン号 |
Velsen |
? |
火船(Fireship) |
・ウィンドホンド号 |
Windhond |
? |
” |
・ベームスター号 |
Beemster |
? |
” |
・ソレンブルグ号 |
Sollenburg |
? |
” |
・ドラク号 |
Draak |
? |
” |
・レイトスター号 |
Leydtstar |
? |
” |
・サン・サルバドール号 |
St. Salvador |
? |
” |
・ソレンバラ号 |
Sollenburgh |
? |
” |
デ・マゼ海軍本部艦隊、ロッテルダム(Admiralty
of de Maze Squadron, Rotterdam) |
・デ ゼーヴェン プロヴァンシエン号 |
De Zeven Provincien |
80 |
C提督デ・ロイテル中将、旗艦 |
・ワッセナー号 |
Wassenaer |
56 |
|
・グルート・ホランディア号 |
Groot Hollandia |
60 |
|
・ヘルダーランド号 |
Gelderland |
64 |
|
・ゼーランディア号 |
Zeelandia |
44 |
|
・マールド・ファン・ドルドレヒト号 |
Maagd van Dordrecht |
68 |
I弟リーフデ少将(Lt-Admiral Johan de Liefde,
c1619-73) |
・ライガースベルゲン号 |
Reigersbergen |
72 |
|
・シーラント号 |
Schieland |
60 |
|
・エーンドラハト号 |
Eendracht |
76 |
弟ヤンスゾーン少将(Lt-Admiral Janszoon van
Nes,1631-c80) |
・リッダーシャップヴァンホランド号 |
Ridderschap van Holland |
66 |
夜間艦長ヤンスゾーン少将(Schout-bij-Nacht
Jan Janszoon,1626-93) |
・ドルドレヒト号 |
Dordrecht |
50 |
|
・デルフト号 |
Delft |
62 |
|
・ユトレヒト号 |
Utrecht |
36 |
フリゲート艦 |
・スキーダム号 |
Schiedam |
20 |
” |
・ハーダーウェイク号 |
Harderwijk |
24 |
” |
・ファーム号 |
Faam |
12 |
アドバイスヨット |
・ロッテルダム号 |
Rotterdam |
5 |
” |
・ホリンヘム号 |
Gorinchem |
4 |
火船 |
・ヴレーデ号 |
Vrede |
2 |
” |
・スウォル号 |
Swol |
? |
” |
・イーンホールン号 |
Eenhoorn |
? |
” |
ノーオーダークワーティエ海軍本部艦隊(Admiralty
of Noorderkwartier Squadron) |
・アルクマール号 |
Alkmaar |
62 |
|
・ワーペン ヴァン ホランド号 |
Wapen van Holland |
44 |
|
・ジュピター号 |
Jupiter |
40 |
|
・ヘルダーランド号 |
Gelderland |
56 |
|
・ジョズア号 |
Jozua |
54 |
|
・ジャスティナ・ヴァン・ナッソー号 |
Justina van Nassau |
64 |
|
・ウェストフリースラント号 |
Westfriesland |
78 |
|
・ワペン ヴァン ナッソー号 |
Wapen van Nassau |
62 |
|
・カレブ号 |
Caleb |
48 |
|
・ヌールダークウォーティエ号 |
Noorderkwartier |
60 |
|
・パシフィカティー号 |
Pacificatie |
76 |
シュラム中将(Vice-Admiral Volckert Schram,1620-73) |
・ドリー・ヘルデン・デイビッド号 |
Drie Helden Davids |
50 |
|
・ワーペンヴァンメーデンブリック号 |
Wapen van Medemblick |
46 |
|
・ワーペンヴァンエンクハイゼン号 |
Wapen van Enkhuizen |
72 |
|
・ワペン・ヴァン・ホーン号 |
Wapen van Hoorn |
62 |
|
・ヘレナ・レオノーラ号 |
Helena Leonora |
? |
(Fireship) |
ゼーランド海軍本部艦隊(Admiralty of Zeeland Squadron) |
・ワルヘレン号 |
Walcheren |
70 |
(Lt-Admiral Adriaen Banckert, 1615-1684) |
・カンプヴェーレ号 |
Kampveere |
50 |
|
・ジーリクジー号 |
Zierikzee |
60 |
(Vice-Admiral Cornelis Evertsen de Jonge,
1628-1679) |
・ズワネンブルグ号 |
Zwanenburg |
44 |
G(Cornellis Evertsen de Jongste. 1642-1706) |
・ミデルバーグ号 |
Middelburg |
50 |
|
・オランジェ号 |
Oranje |
70 |
|
・フリシンゲン号 |
Vlissingen |
50 |
|
・フィッシャーハーダー号 |
Visscher Harder |
26 |
フリゲート艦 |
・デルフト号 |
Delft |
34 |
” |
・テル・ゴース号 |
Ter Goes |
34 |
” |
・ブルインヴィッシュ号 |
Bruinvisch |
6 |
アドバイスヨット |
・ジーホンド号 |
Zeehond |
? |
” |
・ミデルバーグ号 |
Middelburgh |
|
火船 |
・プリンシェ号 |
Prinsje |
|
” |
・フープ号 |
Hoop |
|
” |
フリースランド海軍本部艦隊(Admiralty of
Friesland Squadron) |
・エルフ・ステーデン号 |
Elf Steden |
54 |
|
・プリンスヘンドリックカシミール号 |
Prins Hendrik Casimir |
70 |
|
・ウェスターゴ号 |
Westergo |
56 |
|
・フローニンゲン号 |
Groningen |
70 |
スター中将(Vice Admiral Enno Doedes Star,1631-1708) |
・フレデウォルド号 |
Vredewold |
60 |
|
・オースターグ号 |
Oosterg |
62 |
|
・ウィンドホーン号 |
Windhond |
34 |
フリゲート艦 |
・?号 |
? |
? |
アドバイスヨット |
など。 |
|
|
|
英仏連合艦隊(England & France Fleet、ヨーク=オールバニ公爵:Duke of York & Albany)
白色艦隊(White Squadron) |
(French) |
門 |
|
・テリブル号 |
Terrible |
70 |
デュケイン少将(Rear Admiral Abraham Duquesne,c1610-88) |
・イラストル号 |
Illustre |
70 |
|
・コンカラント号 |
Conquerant |
70 |
|
・アドミラブル号 |
Admirable |
68 |
|
・テレメール号 |
Temeraire |
50 |
|
・プリンス号 |
Prince |
50 |
|
・ブルボン号 |
Bourbon |
50 |
|
・ヴァイラント号 |
Vaillant |
50 |
|
・アルシオン号 |
Alcion |
46 |
|
・ハサルドゥ号 |
Hasardeux |
38 |
|
・セイント・フィリップ号 |
Saint Phillippe |
78 |
ジャン2世デストレ伯(Jean, Comte d'Estrees,
1624-1707) |
・フードロイヤント号 |
Foudroyant |
70 |
|
・グランド号 |
Grand |
70 |
|
・トナン号 |
Tonnant |
58 |
|
・ブラーブ号 |
Brave |
54 |
|
・アクイロン号 |
Aquilon |
50 |
|
・ダック号 |
Duc |
50 |
|
・オリフラム号 |
Oriflamme |
50 |
|
・エクセレント号 |
Excellent |
50 |
|
・エオレ号 |
Eole |
38 |
|
・アロガント号 |
Arrogant |
38 |
|
・スペルブ号 |
Superbe |
70 |
艦長戦死 |
・インヴィンシブル号 |
Invincible |
70 |
|
・サン・パレイル号 |
Sans-Pareil |
66 |
|
・フォート号 |
Fort |
60 |
|
・サージ号 |
Sage |
50 |
|
・ウールー号 |
Heureux |
50 |
|
・ルビス号 |
Rubis |
46 |
|
・ギャラン号 |
Galant |
46 |
|
・ハーディ号 |
Hardi |
38 |
|
赤色艦隊(Red Squadron) |
(English) |
|
・ロンドン号 |
London |
96 |
スプラージ中将(Vice Admiral Edward Spragge,1620-73) |
・オールド・ジェームズ号 |
Old James |
70 |
|
・レゾリューション号 |
Resolution |
70 |
|
・ダンケルク号 |
Dunkirk |
60 |
|
・モンク号 |
Monck |
60 |
艦長戦死 |
・モンマス号 |
Monmouth |
70 |
|
・ロイヤル・キャサリン号 |
Royal Katherine |
86 |
|
・ドレッドノート号 |
Dreadnought |
62 |
|
・アドベンチャー号 |
Adventure |
44 |
|
・ダートマス号 |
Dartmouth |
32 |
|
・サプライ号 |
Supply |
6 |
|
・プリンス号 |
Prince |
100 |
大将ヨーク・アルバニー公、艦長戦死 |
・セント・マイケル号 |
St. Michael |
96 |
|
・ヴィクトリー号 |
Victory |
82 |
|
・ケンブリッジ号 |
Cambridge |
70 |
艦長戦死 |
・ヨーク号 |
York |
64 |
ホームズ艦長戦死 |
・フェアファックス号 |
Fairfax |
60 |
|
・ヤーマス号 |
Yarmouth |
54 |
|
・ポートランド号 |
Portland |
50 |
|
・ダイアモンド号 |
Diamond |
50 |
|
・フェニックス号 |
Phoenix |
40 |
|
・ロバート号 |
Robert |
26 |
|
・チャールズ号 |
Charles |
96 |
少将ハーマン卿(Rear Admiral Sir John Harman,c1625-73) |
・レインボー号 |
Rainbow |
64 |
|
・リベンジ号 |
Revenge |
62 |
|
・グリニッジ号 |
Greenwich |
60 |
|
・アン号 |
Anne |
58 |
|
・アドバイス号 |
Advice |
50 |
|
・ドーバー号 |
Dover |
48 |
|
・フォレスター号 |
Forester |
40 |
|
青色艦隊(Blue Squadron) |
(English) |
|
|
・セント・アンドリュー号 |
St. Andrew |
96 |
ケンプソーン少将(Rear Admiral John Kempthorne,c1620-79) |
・フレンチ・ルビー号 |
French Ruby |
80 |
|
・セント・ジョージ号 |
St. George |
70 |
艦長戦死 |
・ウォースパイト号 |
Warspite |
70 |
|
・グロスター号 |
Gloucester |
62 |
|
・ボナベンチャー号 |
Bonaventure |
48 |
|
・アンテロープ号 |
Antelope |
48 |
|
・サクセス号 |
Success |
32 |
|
・ロイヤル・ジェームズ号 |
Royal James |
100 |
サンドウィッチ伯爵46才戦死 |
・ヘンリー号 |
Henry |
82 |
艦長戦死 |
・エドガー号 |
Edgar |
72 |
|
・ルパート号 |
Rupert |
66 |
|
・モンタギュー号 |
Montagu |
62 |
|
・レオパード号 |
Leopard |
54 |
|
・クラウン号 |
Crown |
48 |
|
・ファルコン号 |
Falcon |
40 |
|
・アリス・フランシス号 |
Alice & Francis |
26 |
艦長戦死 |
・ロイヤル・ソブリン号 |
Royal Sovereign |
100 |
中将ジョーダン卿(Vice Admiral Sir Joseph
Jordan,c1603-85) |
・トライアンフ号 |
Triumph |
74 |
艦長戦死 |
・ユニコーン号 |
Unicorn |
68 |
|
・メアリー号 |
Mary |
62 |
|
・プリマス号 |
Plymouth |
60 |
|
・プリンセス号 |
Princesse |
54 |
|
・ルビー号 |
Ruby |
48 |
|
・メアリー・ローズ号 |
Mary Rose |
48 |
|
・タイガー号 |
Tyger |
44 |
|
・など。 |
|
|
|
※クック船長を援助した第4代サンドウィッチ伯爵(John Montagu,
4th Earl of Sandwich, 1718-1792)の先祖の英提督初代サンドウィッチ伯爵(Edward
Montagu, 1st Earl of Sandwich, KG, 1625-1672)戦死。
|
(6)マスリパトナムの海戦
(Battle of Masulipatnam, 1673/9/1)蘭の勝利
戦場:印度アーンドラ・プラデーシュ州クリシュナ地区コロマンデル海岸マスリパトナム沖
(Coromandel Coast, Masulipatnam, Krishna District, Andhra Pradesh State, India)
コロマンデル海岸はインド南東部の海岸。クリシュナ河(Krishna river 1,300m)の河口からカリメール岬(Cape Calimale)に至る海岸、全長約720km。港湾都市チェンナイ(Chennai)近郊の |
インドの地図
自由インド 1964 発行 |
マイラポール(Mylapole)のポルトガル交易拠点名から日本ではこの地方をサントメ(桟留:Sao Tome)と呼称。
マスリパトナムの戦いは、仏蘭戦争(Franco Dutch
War, 1672-1678)中にインドのマチリパトナム近郊で行われたオランダ東インド会社
(VOC:Dutch East India Co) とイギリス東インド会社
(EIC:English East India Co.) の間の戦い。サントメの包囲(Siege
of Sao Tome, 1672/夏-1674/8/下旬)中にオランダ船13隻が、イギリス船10隻と衝突し、オランダの勝利に終わりました。
さて仏蘭戦争勃発前の1671年にフランスは、翌年オランダ共和国へ宣戦布告がなされるので、敵対行為が始まったとの知らせが届いた時に強力な艦隊をアジアに派遣して攻撃態勢を整えるのが好機と判断して、デ・ラ・ヘイ提督(Admiral
de la Haye)指揮下の強力な艦隊をフランス東インド会社(French
East India Co.)の管理下に置きました。フランスのヘイ提督は強化と防御のためにアジアに確固たる足場を求めて、1672/3月にセイロン東海岸の重要な戦略湾のトリンコマリーを占領。1672/7月にオランダ領サントメ島を占領。サントメ島は、以前はポルトガルの町だったので、ポルトガルは町が返還されることを望んでいた。インドのマドラスに近いこの町をフランスが制圧したことは、インドで最も重要な英東インド会社入植地のすぐ目の前に強力な商業ライバルを置いたため、同盟国の英国は激怒しました。 |
セイロン島
右O印:トリンコマリー
スリランカ 1981 発行 |
さらにフランスは都市を征服することで、都市の主権者であるゴルコンダのスルタン(Golconda
Sultan)のアブル・ハサン・クトゥブ・シャー(Abul
Hasan Qutb Shah, 在位1672-1686)の敵意をかいました。ゴルコンダは軍隊を挙兵し、1672/夏から町の包囲(Siege
of Trincomalee, 1672/夏-1674/8/下旬)を開始しました。この最初の包囲は実際にはフランスによって破られるも、1673/6月までに蘭東インド会社はトリンコマリーに残されたフランス守備隊を破って東南アジアでの地位を確保し、クトゥブ・シャヒと同盟を結び、町は再び包囲されました。ゴルコンダ軍が上陸して、海側は蘭東インド会社のライクロフ・ファン・ゴエンス(Rijcklof
van Goens, 1619-1682)指揮下の艦隊が封鎖して包囲。オランダのインド総督ライクロフ・フォルケルツ・ファン・ゴエンス(Rijcklof
Volckertsz van Goens, 1619-1682/11/14)はオランダ東インド会社の艦隊13隻をサントメ島北のコロマンデル沿岸の重要拠点マスリパトナムに派遣して防備を固めていました。
<マスリパトナム沖の海戦、艦隊戦闘序列>
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
(Order of Battle at the Battle of Masulipatnam's Fleet)
蘭英艦隊 |
主 力 |
損害 |
・オランダ艦隊 |
戦列艦13隻 |
|
・イギリス艦隊 |
戦列艦10隻 |
捕獲3隻 |
そこへイギリス東インド会社のイギリス艦隊10隻がコロマンデル海岸に現れ、1673/9/1に海戦が勃発。オランダ艦隊の激しい攻撃で、イギリス艦隊の砲40門艦、砲36門艦、砲34門艦を捕獲。残りは追い払ってインドから完全に去り、オランダの勝利になりました。なお、サントメの包囲は1674/8月下旬まで続き、フランス守備隊はは食料と火薬の不足で、オランダのファン・ゴエンス総督に降伏しました。
参考HP:〜
・マスリパトナムの地図(Masulipatnam, 1759)
・ポルトガル領サントメ付近の地図(ゴアなどポルトガル領インドの地図)
(7)ロナス・ヴォーの海戦
(Battle of Ronas Voe, 1674/3/14)英勝利
戦場:シェトランド諸島のロナス・ヴォー・フィヨルド
(Ronas Voe Fjord, Shetland, Scotland,
UK)
ロナス・ヴォーの海戦は第3次蘭英戦争(1672-1674)で、英国の北東にてフェロー諸島南東約280kmのシェトランド諸島のロナス・ヴォー・フィヨルドでの海戦。1667年のブレダ条約を更新した第3次蘭英戦争の終結のウェストミンスター条約(1674/2/19)の調印から
23 日後に発生したこの戦いは、第三次蘭英戦争の最後の戦いになりました。 |
オランダ船東インド会社VOC船
セントヘレナ 1978 発行
|
1673/12/16に蘭VOC私掠船ワペン・ヴァン・ロッテルダム号が交易品とオランダ東インド会社の私兵部隊の兵士を満載してテクセルをオランダ領東インド(現インドネシア)へと出帆した直後、大嵐でマストと舵を失い、ロナス・ヴォーに何ヵ月も避難することを余儀なくされました。当時は第三次英蘭戦争のためにオランダはイギリスと戦争状態にあったので、イギリスとの衝突を避けるため
にイギリス海峡を通過するのではなく、船は北に向かって北周りを航行していました。イギリス諸島
(当時、オランダの東インド船で一般的に行われていた「北上」として知られている)
から、再び南に向かうと極端な気象条件のために大嵐に遭遇して難破しました。シェトランド諸島からイギリス当局にオランダ船の存在を知らせると、それに応じて1674/2/11に英海軍本部が艦隊派遣を決定。4隻の艦隊がオランダ船を追討するために派遣されました。1673/3/14に短い戦闘の後、蘭船は拿捕され、積み荷は戦争の戦利品としてイギリスに持ち帰られました。この戦闘で最大300人の船員が死亡し、近くのヘイラー(Harwich、シェトランドで最も高い山ロナスヒル(Ronas
Hill)の真向かいに有)に埋葬されました。オランダ人乗組員が埋葬されたと思われる場所に「オランダ人の墓」と刻まれた近代的な記念碑が建てられています。
<ロナス・ヴォーの海戦、艦隊戦闘序列>
(Battle of Ronas Voe, 1674/3/14)英の勝利
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
(Order of Battle at the Battles of Ronas Voe's Fleet)
蘭英艦隊 |
主 力 |
その他 |
総司令官 |
損害 |
・オランダ |
VOC船1隻 |
--- |
ヤコブ・クローエ船長 |
積荷、兵など |
・イギリス |
戦列艦1隻 |
フリゲート艦2隻 |
ピープス長官 |
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<オランダ>
蘭艦隊 |
主 力 |
その他 |
司令官 |
乗艦 |
損害 |
・オランダ |
VOC船1隻 |
--- |
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拿捕される |
・蘭VOC船私掠船ワペン・ヴァン・ロッテルダム号
(East Indiaman, Wapen van Rotterdam
70gn 1,124tn)
船長ヤコブ・マルテンス・クローエ(Jacob Martens Cloet, 1621-1694)
<イギリス>
英艦隊 |
主 力 |
その他 |
司令官 |
乗艦 |
損害 |
・イギリス |
戦列艦1隻 |
フリゲート艦2隻 |
ピープス長官 |
ロンドン海軍本部 |
総司令官 |
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戦列艦 |
ハーバート艦長 |
ケンブリッジ号 |
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フリゲート |
カーター艦長 |
クラウン号 |
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フリゲート |
ウェットワング艦長 |
ニューキャッスル号 |
VOC船捕獲 |
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小型ケッチ船 |
ハイアット艦長 |
ドガー艦ドーブ号 |
途中で難破 |
総司令官:海軍管理官サミュエル・ピープス海軍本部長官
(Royal Navay Administrator Chief Secretary Samuel Pepys 1633-1703)
・英3等戦列艦ケンブリッジ号(3rd-rate ship-of-the-line, HMS Cambridge 70gn)
艦長アーサー・ハーバート(Admiral Arthur Herbert, 1st Earl of Torrington, c1648-1716)
・英4等フリゲート艦クラウン号(4th-rate ships-of-the-line, HMS Crown 54gn, Frigate)
艦長リチャード・カーター(Captain Richard Carter)
・英4等フリゲート艦ニューキャッスル(HMS
New Castle 44gn, Frigate)VOC船を拿捕捕獲
艦長ジョン・ウェットワング(Captain Sir John Wetwang)
・小型ケッチ船ドガー艦ドーブ号(Dove, Doggar 1.3tn)
艦長エイブラハム・ハイアット(Captain Abraham Hyatt)
1674/3/6英ノーサンバーランド州海岸で難破
※VOC船を拿捕して捕獲された積み荷の商品の多くが、1674/5/24にシティオブロンドンのイーストインディアハウス(East
India House, City of London)で売却されました。なお、オランダ船を拿捕して積み荷をテムズ川へ安全に帰還したウェットワン艦長は£500(2021年£77,000約1,200万円相当)の賞金を授与されました。
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※イギリスの海軍提督 |
(British Admiral) |
生年没年 |
没才 |
@ワーデン卿ロバート・ブレーク総統 |
Sea General Robert Blake, Lord Warden of
the Cinque Ports |
1599/9/27-1657/8/17 |
51 |
Aアルベマール公ジョージ・モンク |
Captain general George Monck, 1st Duke of
Albemarle,KG, PC |
1608/12/6-1670/1/3 |
61 |
Bカンバーランド公ルパート王子 |
Prince Rupert of the Rhine, Duke of Cumberland,
KG,PC, FRS |
1619/12/17-1682/11/29 |
62 |
C大将 ウィリアム・ペン卿(父) |
Admiral Sir William Penn |
1621/4/23-1670/9/16 |
49 |
D中将トーマス・テデマン卿 |
Vice Admiral Sir Thomas Teddeman |
?-1668/5/13、病没 |
? |
E大将 エドワード・スプラージ卿 |
Admiral Sir Edward Spragg, 戦死 |
c1620-1673/8/21 |
c53 |
F大将 ロバート・ホームズ卿 |
Admiral Sir Robert Holmes |
c1622-1692/11/18 |
c70 |
G大将 初代准男爵トーマス・アリン卿 |
Admiral Sir Thomas Allin, 1st Baronet |
1612-1685 |
c73 |
H中将 クリストファー・ミングス卿 |
Vice Admiral Sir Christphr Myngs |
1625-1666 |
c41 |
I大将ヨーク=オールバニ公(ジェームス2世王) |
Admiral Duke of York & Albany (James II of England, 1685-1688) |
1633-1701 |
67 |
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※c=頃 |
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参考HP:〜
・オランダの地図(1672)
・オランダの区分地図(フランスの進撃図、1672)
こちらで
・蘭英戦争(1652-1674)
・第1次蘭英戦争(1652-1654)
・第2次蘭英戦争(1665-1667)
・第3次蘭英戦争(1672-1674)
・第4次蘭英戦争(1780-1784)
をお楽しみください。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成23年2011/1/23、令和5年2023/3/20
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