切手で綴る 太平洋戦争 物語 第2部 <帝国の侵攻> 第9章 敗戦の予兆 最初のターニング・ポイント(ミッドウェイ海戦) 41 <インド洋作戦> 帝国軍、イギリス空母ハーミス撃沈 1942/4/9 |
帝国機動部隊のセイロン島空襲攻撃で、 沈みゆくイギリス空母”ハーミス号” HERMES is sunk off Ceyron タンザニヤ 1992/4/27 発行 |
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インド洋の地図 セイロン 1972/5/2 発行 |
セイロン島の地図 セイロン 197 発行 |
・インド洋作戦について (インド洋襲撃、Indian Ocean raid) (1)セイロン沖海戦(セイロン島機動作戦) (2)トリンコマリー沖海戦 (3)ベンガル湾機動作戦 (4)マダガスカルの戦い 帝国陸軍によるシンガポール陥落で、英国東方艦隊の拠点はジャワに退却。残存艦隊はABDA連合艦隊(アメリカ・ブリティッシュ・ダッチ・オーストラリア)に合流しましたが、スラバヤ沖海戦、バタビヤ沖海戦で主要な艦艇がほとんど壊滅。更にビルマ作戦を進行しつつあった帝国は、ビルマにおける航空撃滅戦を制し、連合国軍は逐次インド基地へと後退。いまや連合国、特に英国にとってインド洋に危機が訪れつつありました。英国としてはセイロン島に有力な艦隊を配備して防衛態勢を固める計画ではありましたが、帝国軍の急進撃の前に防衛基地網の構成が間に合いませんでした。マレー沖海戦で戦死したトム・フィリップ中将の後任として、独戦艦ビスマルク号追撃で名をあげたジェームス・ソマービル大将(1941/5/26空母アークロイヤル号22,000屯座乗)を東洋艦隊の司令長官に任命し、その要請に応じて東洋艦隊を大幅に増加。形の上では大型空母2、軽空母1、戦艦5、巡洋艦7隻を基幹とする大艦隊ではありましたが、大部分は旧式艦である上に練度は不十分で、空母艦載機は著しく不足。ソマービル長官は帝国艦隊のセイロン島攻撃の予想に際し、決戦を避け艦隊保全に努める方針をとりました。 帝国大本営ではセイロン島攻略、独・伊との中東での連携(西亜打通作戦)も検討されましたが、インド洋における連合軍の基地航空戦力などを考慮して中止、セイロン島攻撃を含むインド洋作戦のみ実施することとなりました。インド洋作戦は、南方部隊指揮官近藤信竹中将の指揮下に機動部隊によるセイロン島の攻撃と敵艦隊撃滅を主体とし、マレー機動艦隊による海上交通破壊・ベンガル湾北部の索敵攻撃を実施し、基地航空部隊と潜水部隊の一部が支援するものでした。
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍機動部隊の編成:〜 第一航空艦隊〜セイロン島機動作戦 司令長官:南雲中将 ・第一航空戦隊・空母 赤城 ・第二航空戦隊・空母 飛龍、蒼龍 ・第五航空戦隊・空母 翔鶴、瑞鶴 ・第三戦隊・戦艦 金剛、比叡、榛名、霧島 ・第八戦隊・重巡 利根、筑摩 ・第一水雷戦隊・軽巡 阿武隈 ・第四駆逐隊第二小隊・駆逐艦 萩風、舞風 ・第17駆逐隊・駆逐艦 谷風、浦風、浜風、磯風 ・第18駆逐隊・駆逐艦 陽炎、不知火、霞、霰 ※南雲機動部隊の主力空母 加賀は2/9にパラオで座礁したため参加せず。 ○連合軍(英・壕・蘭)の編制:〜1942/4/9 (セイロン島トリンコマリー沖:モルディブの最南端アッドゥ環礁に在泊艦隊) イギリス東洋艦隊(British Eastern Fleet 1941/12/8-1944) 司令長官:サー・ジェームズ・ソマーヴィル大将(在任1492/3-1944/8) (Admiral of the Fleet Sir James Fownes Somerville GCB, 1882-1949)後に元帥 ・正規空母〜2隻 ・インドミタブル号 (HMS Indomitable 92, 23,000t, 230x29m, 45機. 2,100人, 1941就役, 1955退役) ・フォーミダブル号 (HMS Formidable R67, 1940, 28,661t, 227x29m, 42機. 1,200人, 1947退役) ・軽空母〜1隻 ・ハーミス号 ※1942/4/9沈没 (carrier HMS Hermes, 1924, 10,850t, 182.3x21.3m, 25.0kt, 664人, 20機) (最初から空母で建造された英海軍初、世界でも帝国の鳳翔に次で2番目) ・戦艦〜5隻 ・ウォースパイト号 (HMS Warspite03,1915, 31,315t,195.3m,24kt,1,220人,水偵3,1945/2/1退役) ・レゾリューション号 (HMS Resolution 09, 1916, 29,150t,189x31m,23kt,1,146人,水偵1機,,1948退役) ・ラミリーズ号 (HMS Ramillies 07, 1917, 28,000t, 190.27m, 23kt, 1,146人, 1949退役) ・ロイヤル・サブリン号 (HMS Royal Sovereign05,1916, 29,150t,189.3m,21.5kt,1,009人,1949退役) ・リヴェンジ号 (HMS Revenge 06, 1916, 28,000t, 190m, 23kt, 997人,1948退役) ・重巡洋艦〜2隻 ・コーンウォール号 ※1942/4/5沈没 (HMS Cornwall 56, 1917, 9,750t, 192m, 31.5kt, 700人, 水偵3機) ・ドーセットシャー号 ※1942/4/5沈没 (HMS Dorsetshire 40, 1930, 10,035t, 186m, 31.5kt, 653人, 水偵2機) ・軽巡洋艦〜5隻 ・エンタープライズ号 (HMS Enterprise D52, 1926, 7,700t, 170m, 33kt, 572人, 水偵1機, 1946退役) ・エメラルド号 (HMS Emerald D66, 1926, 7,580t, 170m, 33kt, 572人, 水偵1機, 1948退役) ・ダナエ号 (HMS Danae D44, 1918, 4,276t, 136x14.2m, 29kt, 462人, 1948退役) ・ドラゴン号 (HMS Dragon D46, 1918, 136m, 29kt, 462人, 1943ポーランドへ) ・カレンド号(?) ・仮装巡洋艦〜1隻 ・ヘクター号 ※1942/4/5沈没 (Armed merchant cruiser HMS Hector F45, 11,198t) ・オランダ軍軽巡洋艦〜1隻 ・ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク号 (HNLMS Jacob van Heemskerck 1939, 4,000t,131.95m,32.5kt,420人, 1969退役) ・英駆逐艦〜11隻 ・テネドス号 ※1942/4/5沈没 (HMS Tenedos H04, 920t, 84.12x8.13m, 36kt, 90人, 1919就役) ・アサーストン号 (HMS Athelstane L05, 1939, 1,000t, 27.5 kn, 146人, 1957退役) ・フォックスハウンド号 (HMS Foxhound H69, 1935, 1,405t, 100.3m, 35.5kt, 145人, 1944/2/8退役) ・ホットスパー号 (HMS Hotspur H01, 1936, 1,340t, 98.45m, 36kt, 145人, 1948売却) ・パラディン号(P-class destroyer) (HMS Paladin G69, 1941, 1,690t, 105m, 37kt, 176人, 1961退役) ・パンサー号(P-class destroyer) (HMS Panther G41, 1941, 1,690t, 105m, 37kt, 176人, 1943/10/9エーゲ海のスカ ルパント海峡にて独軍第3急降下爆撃航空団のJu 87急降下爆撃で沈没) ・グリフィン号(G-class destroyer) (HMS Griffin H31, 1,350t, 98.5m, 36kt, 146, 1943カナダへ) ・ノルマン号(N-class destroyer) (HMAS Norman G49, 1941, 1,773t, 108.7m, 36kt, 183人, 1945退役) ・アロー号(A-class destroyer) (HMS Arrow H42, 1930, 1,350t, 98m, 35kt, 138人, 1943損傷) ・デコイ号(D-class destroyer) (HMS Decoy H75, 1933, 1,375t, 100.3m, 36kt, 145人, 1943カナダへ) ・フォーチュン号(F-class destroyer) (HMS Fortune H70, 1935, 1,405t, 100.3m, 35.5kt, 145人, 1943カナダへ) ・オーストラリア駆逐艦〜4隻 ・ヴァンパイア号(HMAS Vampire D11, 2,800t, 30kt, 219+75人)※1942/4/9沈没 ・ネイピア号(英・壕) (HMS/HMAS Napier G97, 1940, 1,773t, 108.7m, 36kt, 183, 1945/10) ・ネスター号 (HMAS Nestor G02, 1941, 1,760t, 108.66m, 36kt, 226人, 1942/6/16トブルク北方地中海にて枢軸国軍空襲で大破後、自沈) ・スカウト号(S-class destroyer) (HMS Scout H51, 1918, 1075t, 84x8.13m, 36kt, 90人, 1946退役) ・オランダ駆逐艦〜1隻 ・イサーク・スウェールズ号 (Hr. Ms. Isaac Sweers, 1941, 1,628t, 37.5kt, 194人, 1942/3東洋艦隊所属、 1942/11/13アルジェ北方の地中海で独潜U-431,769t,56人の雷撃で撃沈) ・コルベット艦 ・ホリホック号 ※1942/4/9沈没 (HMS Hollyhock K64, 940t, 85人,1940就役) ・艦載航空機93機(雷撃機57機、戦闘機36機) ・基地航空機約90機。 ・両軍の損害:〜
・連合軍の被害 ・重巡 コーンウォール号、ドーセットシャー号、沈没※ ・駆逐艦 テネドス号、沈没※ ・仮装巡洋艦ヘクター号、沈没※ ・基地航空機喪失約50機(イギリス軍記録27機以上喪失) ・航空基地〜施設が甚大な被害を受ける ※1942/4/5セイロン島南東約320kmにて九九式艦爆隊急降下爆撃で沈没。 参考HP〜 ・セイロン島の地図(日本語、都市名有)
・両軍の兵力
・両軍の損害
・連合軍の被害(沈没) ・英空母 ハーミーズ号、戦死37 ・壕 ヴァンパイア号 ・英 ホリホック号 ・タンカー2隻 ※セイロン島東岸のバッティカロア沖を航行中、1942/4/9に帝国の九九式艦上爆撃機85機の急降下爆撃・攻撃で沈没。漂流中の生存者590人は病院船ヴィータ号(Hospital ship Vita, 4,691t)に救助されコロンボ港に収容されました。 昭和17年(1942)
参考HP〜 ・トリンコマリーの場所地図(セイロン島の地図)
○帝国軍機動部隊の編成:〜 第一南遣艦隊〜ベンガル湾機動作戦 司令長官 小沢治三郎中将(1886-1966) ・重巡 鳥海・軽巡 由良 ・第四航空戦隊 ・空 母 龍驤 ・駆逐艦 汐風 ・第七戦隊 司令官 栗田健男少将(1889-1977) ・重巡 熊野、鈴谷、三隈、最上 ・第20駆逐隊・駆逐艦 夕霧、朝霧、白雲、天霧 ・第三水雷戦隊 ・軽巡 川内 ・第11駆逐隊・駆逐艦 初雪、白雪、吹雪 ・第19駆逐隊・駆逐艦 磯波 参考HP〜 ・セイロン島の地図(日本語、都市名有) 参考:〜 ・英航空母艦インドミタブル号の装備:〜就役:1941、退役:1951 (HMS Indomitable, 92)イギリス海軍イラストリアス級改良型航空母艦
1942/5/31にマダガスカル島北端のディエゴスワレス港へ甲標的(特殊潜航艇)の攻撃が行なわれ、英戦艦ラミリーズ号が雷撃で大破(再就役1943/5月)、油槽船ブリティッシュ・ロイヤルティ号(6,993トン)に魚雷1本が命中して沈没すると湾内は大混乱に陥り、翌日の昼頃までイギリス軍による爆雷攻撃が繰り返され、防潜網が展張されました。伊20から発進した甲標的は雷撃に成功して大きな戦果を挙げ、後に艇がノシ・アレス島で座礁したため、乗員の秋枝三郎大尉(25才)と竹本正己一曹(29才)は脱出してマダカスカル島のアンタラブイ近くに上陸し、付近を通りかかった漁師の助けを受けて母潜との会合地点に徒歩で向かいました。 6/2に会合地点付近のアンドラナボンドラニナという小集落に到着したものの、地元の店で食料を調達した時に怪しんだ住民からの通報を受けて探索を行っていたイギリス軍部隊に発見されました。両人は降伏勧告を拒否し、15人のイギリス軍部隊を相手に軍刀と拳銃で戦いを挑み2人とも戦死。なお、この戦いでイギリス軍側も1人が死亡し、5人が重軽傷を負いました。戦死日は英側資料では6/2で、その後2人の遺体は現地に手厚く埋葬されました。またこの作戦では岩瀬勝輔少尉(21才)と高田高三兵曹長(25才)も戦死しており、アンツィラナナ港に4人の慰霊碑が建てられています。 帝国軍は戦略的に重要でないマダガスカルのヴィシー政権軍への軍事支援をそれ以上行わず、その後ヴィシー政権軍が連合国軍に敗北し、大戦終結までの間アンツィラナナ港は連合国軍の占領下におかれました。 参考HP〜 ・豪重巡洋艦 オーストラリア号の装備:〜就役:1928/4/24 (HMAS Australia D84、オーストラリア(豪州)海軍のケント級重巡洋艦)
参考HP〜 ・アンツィラナナの場所地図(赤丸) ・アンツィラナナの地図(Google Map) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/25 |
42 <サンゴ海々戦> 1942/5/8 翔鳳 沈没 ・ 翔鶴 中破 レキシントン沈没 ・ ヨークタウン大破 |
サンゴ海々戦の場所地図 |
オーストラリア号 |
炎上するレキシントン号 |
1942 珊瑚海々戦50年記念 1992 ノーフォーク 1992 発行 |
USA発行の「サンゴ海海戦勝利」の切手 US Wins Battle of the Coral Sea May 1942 第2次世界大戦勝利50周年記念シリーズ USA 1992 発行 |
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米:空母レキシントン号 マーシャル諸島 1992 発行 |
ヨークタウン号に帝国機の爆弾が命中 大爆発・大破 USA 1992 発行 |
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アメリカ空母”レキシントン”沈没 | 帝国海軍・ゼロ戦の攻撃 |
アメリカ・ドーントレス魚雷攻撃機 | 燃える帝国空母 翔鳳 沈没 |
Battle of the Coral Sea 1942 第2次世界大戦50周年記念シリーズ マーシャル諸島 1992 発行 |
アメリカ海軍フレッチャ−部隊の航空母艦”ヨークタウン号”20,000トンは、5/4ツラギ攻撃後、5/6珊瑚海にて大破。その後、真珠湾で修理して、南太平洋海戦に参戦、またもや中破するも、真珠湾で修理して、ミッドウェー海戦に参戦しました。サンゴ海々戦では、米国海軍航空母艦のレキシントン(33,000トン)が、帝国海軍航空母艦の翔鳳からの空襲で、5/7大爆発して、やがて自沈・沈没しました。帝国海軍航空母艦の翔鳳は、米艦載機の攻撃で、5/7沈没。翔鶴(3万屯84機34節)は、5/8中破するも、内地へ帰り着き修理しました。 |
・サンゴ海々戦について: 帝国軍は昭和17年1月23日にラバウルを占領。大本営はさらにニューギニア島東部のラエ、サラモア、ソロモン諸島のツラギ、ニューギニア島南東部のポートモレスビーの攻略(MO作戦)を指示しました。オーストラリアを基地とする反抗を未然に防止するためでした。3月8日にはラエ・サラモアを占領するも、ツラギ、ポートモレスビーの攻略は延期。 このころ連合軍は米豪連絡線とオーストラリアを確保し反攻準備を進めており、ポートモレスビーや豪州北部を基地として帝国軍に空襲反撃を加えていました。 帝国南洋部隊の配属空母は2隻に増加されましたが、インド洋作戦やミッドウエー作戦との関係でポートモレスビー攻略作戦実施が5月上旬に繰上げられ、かつ事前の航空撃滅作戦は実施されないことになりました。そこで南洋部隊は先ずツラギを攻略して水上機基地を推進し、基地航空部隊の援護下に船団を進攻させ空母機動部隊をもって敵空母の出現に備えさせることとしました。 一方、帝国の暗号を解読してポートモレスビーを攻撃することを知った連合軍側は、英・豪の艦艇で増強された空母機動部隊を配置して待ちうけ、また東京初空襲(ドーリットルの東京空襲)から帰投したハルゼーの機動部隊も南太平洋に向っていました(不参加)。 ・珊瑚海々戦、1942(昭和17年)/5/8 (Battle of Coral Sea) 珊瑚海々戦は、珊瑚海で行なわれた帝国海軍とアメリカ・イギリス・オーストラリア連合軍の海戦で、史上初の空母機動部隊同士の海戦です。ニューギニア南岸の連合軍の要地ポートモレスビー攻略をめざす帝国攻略部隊と支援の帝国機動部隊と、これを迎撃する連合軍第17任務部隊(フレッチャー機動部隊)が交戦しました。 昭和17年5月3日、日本軍はツラギに上陸。これを知った米機動部隊はツラギを空襲。それを知った帝国機動部隊は、5月7日に珊瑚海に進出。策敵で空母らしいものを発見、空襲しましたが、それは油槽船で、結局油槽船1隻(ネオショー号)と駆逐艦1隻(シムス号)を撃沈しただけでした。米機動部隊も策敵を行い、軽空母 翔鳳を発見して撃沈しました。翌日早朝、再び両軍は策敵を開始、ほぼ同時に空母を発見。攻撃機を飛ばし合い、1942年5月8日に史上初の空母対空母の海戦が行なわれました。その結果、帝国軍の空母 翔鶴が爆弾3発を被弾し、米軍のレキシトン号が爆弾2発、魚雷2発を受け、ヨークタウン号が爆弾1発を被弾。 5月1日、MO機動部隊がトッラク島基地を出撃 5月3日、帝国南洋部隊がツラギ島を占領 水上機基地の設置を開始 5月4日、米空母機によるツラギ空襲、駆逐艦1、掃海艇1、駆潜艇1が沈没 5月7日、米空襲により給油艦、駆逐艦、軽空母 翔鳳が沈没 帝国空襲で米駆逐艦 シムズ号、油漕艦 ネオショー号が沈没 5月8日、空母 翔鶴が中破(爆弾命中3) レキシントン号沈没(大破のち自沈)、ヨークタウン号大破 空母に与えた損害では帝国軍が優れるも、戦死者数は帝国軍の方が多くポートモレスビー攻略の目的は達成できませんでした(この海戦の結果、帝国軍は海路からのポートモレスビー攻略作戦を断念し、陸路からの攻略に変更されましたが失敗しました。もともと4,000m級の山々が連なるオーエン・スタンレー山脈を越えての進撃には無理が有り、机上の空論だったのです)。艦載機と搭乗員の損耗は大きな負担となりダメージコントロール(造修能力)の差は、こののち発生するミッドウエー作戦にも影響することとなりました。 ・両軍の兵力
▽両軍の編成:〜 ○帝国海軍の編成:〜 ポートモレスビー機動部隊(MO機動部隊) ・第5戦隊 高木武雄少将(1892生-1944/7/6没、サイパン島で自決) ・重巡洋艦 妙高・羽黒 ・第7駆逐隊・駆逐艦 曙・潮 ・第5航空戦隊 原忠一少将 ・空母 翔鶴、艦長 城島高次大佐(1890-1967) ・空母 瑞鶴、艦長 横川市平大佐(1893-1979) ・第27駆逐隊 ・駆逐艦 有明・夕暮・白露・時雨 ・補給部隊 ・給油船 東邦丸 ・第6戦隊第2小隊 ・重巡 衣笠・古鷹 ポートモレスビー攻略部隊 ・第6戦隊 五藤存知少将(1888-1942/10/12サボ島沖海戦で戦死) ・重巡 青葉・衣笠・加古・古鷹 ・軽空母 祥鳳、艦長 伊澤石之介大佐(1893-1947) ・駆逐艦 漣 援護部隊 ・第18戦隊 丸茂邦則少将(1891-1985) ・軽巡 天龍・龍田 ・水偵機隊 神川丸・聖川丸 ・特設砲艦隊 日海丸・京城丸・勝泳丸 ・特設掃海艇2隻 ポートモレスビー攻略輸送部隊 ・第6水雷戦隊 梶岡定道少将(1891-1944/9/12海防艦 平戸が撃沈されて戦死) ・軽巡 夕張 ・駆逐艦 追風・朝凪・睦月・弥生・望月 ・敷設艦 津軽 ・掃海艇 第20号掃海艇 ・輸送船 12隻。 ○連合国海軍の編成:〜 第17任務部隊、アメリカ・オーストラリア連合軍 司令官フランク・J・フレッチャー米少将 (Task Force 17 : Vice Admiral Frank Jack Fletcher) 旗艦 空母ヨークタウン号(USS Yorktown, CV-5) 第2群、司令官トーマス・C・キンケイド米少将 (Task Group 17.2 (Attack Group) : Rear Admiral Thomas C. Kinkaid) ・重巡(Hevy cruisers)ミネアポリス(Minneapolis)、ニューオーリンズ(New Orleans)、 アストリア(USS Astoria, CA-34)、チェスター(Chester)、ポートランド(Portland) ・駆逐艦(Destroyers)フェルプス(Phelps)、デゥーウィ(Dewey)、ファラガット(Farragut)、 エールウィン(Aylwin)、モナガン(Monaghan) 第3群、司令官:ジョン・グレゴリー・クレース英少将 (Task Group 17.3 : Rear Admiral John Gregory Crace) ・重巡 豪オーストラリア号(HMAS Australia)、シカゴ号(Chicago) ・軽巡(Light cruisers) 豪ホバート号(HMAS Hobart) ・駆逐艦パーキンス号(Perkins)、ウォーク号(Walke) 第5群、司令官オーブリー・フィッチ米少将 (Task Group 17.5 (Carrier Air Group) : Rear Admiral Aubrey Fitch) ・空母ヨークタウン号、 F4F22機、SBD36機、TBD12機 ・空母レキシントン号、 F4F22機、SBD38機、TBD13機 ・駆逐艦モリス号(Morris)、アンダーソン号(Anderson)、 ハンマン号(Hammann)、ラッセル号(Russell) 第6群、司令官ジョン・S・フィリップス米少将 (Task Group 17.6 (Fueling Group) : Captain John S. Phillips) ・油槽艦(Oilers)ネオショー号(Neosho)、ティペカノー号(Tippecanoe) ・駆逐艦シムス号(Sims)、ウォーデン号(Worden) 第7群、司令官ジョージ・H・ホーデン大佐 (Task Group 17.9 (Search Group):Commander George H. DeBaun) ・水上機母艦タンジール号(seaplane tender Tangier AV-8, 11,760t、1947退役) ・第71偵察隊〜カタリナ飛行艇6機 (Patrol Squadron 71 (VP-71) : 6 PBY-5 Catalinas) ・第72偵察隊〜カタリナ飛行艇6機 (Patrol Squadron 72 (VP-72) : 6 PBY-5 Catalinas)。 ・両軍の損害
帝国軍損害 ・沈没 ・空母 翔鳳 ・駆逐艦 菊月 ・給油船 東邦丸 ・損傷(中破) ・空母 翔鶴 ・喪失機 93機。 アメリカ軍損害 ・沈没 ・空母 レキシントン号 ・駆逐艦 シムズ号(USS Astoria, CA-34) ・油漕艦ネオショー号(USS Neosho, 空荷7,470:満載24,830トン) ・損傷(中破) ・空母 ヨークタウン号 ・喪失戦闘機:69機。 |
・大日本帝国海軍の航空母艦 祥鳳(しょうほう)の装備:〜進水:1935/6/1 元:剣埼型潜水母艦剣埼(つるぎざき)、同型艦:瑞鳳 竣工:1939/1/15(潜水母艦) 改装:1942/1/26(航空母艦へ改造完成)
参考HP〜 ・珊瑚海々戦の地図(日本語) ・珊瑚海の場所地図 ・ニューギニア島付近の地図(日本語、ラエ、サラモア、ポートモレスビー有) ・ツラギ島の場所地図(日本語) |
43 <アリューシャン空襲> 1942/2/19 占領 1942/6/7、アッツ島 占領 1942/6/8、キスカ島 |
燃えるダッチハーバー・ウナラスカ島 Japan invades Aleutian Islands June 1942 USA 1992 発行 |
・アリュウ−シャン列島攻略 (Aleutian Islands Campaign) 昭和17年2月19日、角田覚治少将(1890-1944/8/2テニアン島没)部隊、小型航空母艦 龍驤(りゅうじょう)・隼鷹(しょうよう)の艦載機が60機で、アッツ島、キスカ島、ウナラスカ島ダッチハーバーを空襲。 昭和17年5月5日、大本営は帝国海軍連合艦隊の山本司令長官に対し、陸軍と協同して、ミッドウェイとアリュウシャン西部要地の攻略を命じました。しかし6月5日のミッドウェイ海戦の敗戦によって、支作戦のアリュウシャン作戦は中止するべきだとの意見もありましたが、陸軍の強い主張により続行されました。 6月7日、舞鶴第3陸戦隊の海軍1250人はキスカ島に上陸しました。 6月8日、北海支隊の陸軍1142人はアッツ島に上陸しました。 島には、原住民のアリュウート人と2人の米宣教師がいただけで、2島とも無血上陸でした。昭和17年11月には北千島より、歩兵2個中隊をアッツ島に増援し、長期占領に備えました。 ・帝国軍の編成:〜 第五艦隊(北方部隊) 司令長官 細萱戊子郎中将 ・本隊 第五艦隊司令長官直率 ・重巡洋艦 那智 ・駆逐艦 雷・電 第四航空戦隊(第二機動部隊) 司令官 角田覚治少将 ・航空母艦 龍驤・隼鷹 第四戦隊第二小隊 ・重巡洋艦 高雄・摩耶 第七駆逐隊 ・駆逐艦 潮・曙・漣 ・第一水雷戦隊(アッツ攻略部隊) 司令官 大森仙太郎少将 ・軽巡洋艦 阿武隈 ・第二一駆逐隊 ・駆逐艦 若葉・初春・初霜 ・アッツ島占領隊 ・輸送船 1隻 ・陸軍北海支隊 支隊長 穂積松年(陸軍)少佐 ・第二一戦隊(キスカ攻略部隊) 司令官 大野竹二大佐 ・軽巡洋艦 木曾、多摩 ・第六駆逐隊 司令 山田勇助中佐 ・駆逐艦 響・暁・帆風 ・キスカ島占領隊 ・輸送船 2隻 ・舞鶴鎮守府第三特別陸戦隊 指揮官 向井一二三(海軍)少佐 第一潜水戦隊 司令官 山崎重暉少将 ・第二潜水隊 ・第四潜水隊 ・第十五潜水隊 第二潜水戦隊 司令官 市岡寿少将 ・第七潜水隊 ・第八潜水隊。 1942/7/5には駆逐艦 霰がガトー級米潜グロウラー号(USS Growler SS-215, 1,526t, 85人, 1944/11/8フィリピン・パラワン島北方カラミアン諸島ブスアンガ島沖で沈没、ギルモア艦長)の雷撃でキスカ島沖で沈没。また、タンバー級潜水艦トライトン号(USS Triton, SS-201, 1,475t, 59人,1943/3/15ショートランドとラバウルへの補給路を哨戒中に沈没、カークパトリック艦長:C.C. Kirkpatrick)の雷撃で駆逐艦 子日がニア諸島のアガッツ島サボック岬沖で沈没。さらに霞と不知火にも魚雷が命中して、2隻とも大破。また同日には第21駆逐隊の初春型駆逐艦 子日も米潜トライトン号が撃沈。 昭和18年2月頃より、米軍の空襲が激しくなってきます。18/2/19・3/27アッツ米艦隊の艦砲射撃。3/27アッツ沖海戦。3/20キスカに米機の激しい空襲などが起こってきました。 参考HP〜 ・アリュウ−シャン列島の地図 ・アリュウ−シャン列島の場所地図 (日本語、アッツ、キスカ、ダッチハーバー有) 参考〜 ・米国の航空母艦 レキシントン号の装備:〜就役:1927/12/14 (USS Lexington, CV-2、アメリカ海軍の航空母艦)
こちらで ・ミッドウェイ海戦 をお楽しみください。 ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/9/24 |