オランダ Netherland

国連 1989 発行
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages)No.3-3
第3次蘭英戦争の海戦
(3)オランダのセントヘレナ侵攻
(Dutch invasion of Saint Helena, 1673/1)
United Kingdom

国連 1983 発行
大航海物語

セント・ヘレナ島の場所を示す地図


サウザンプトン



テネリフ



赤道
アセンション島

セント・ヘレナ島


トリスタン・ダ・ク−ニャ島

アセンションの切手

セント・ヘレナの切手


トリスタン・ダ・ク−ニャの切手
セント・ヘレナ 1991 発行

(3)オランダのセントヘレナ侵攻
(Dutch invasion of Saint Helena, 1673/1月)蘭占領
 戦場:セントヘレナ島
オランダのセントヘレナ侵攻は第3次英蘭戦争(3rd Anglo-Dutch War, 1672/3/27〜1674/2/19)で、オランダ建設のケープタウン港からイギリス領セントヘレナ島へ艦隊を派遣して侵略・占領した戦い。
1645年頃 オランダがセントヘレナ島に入植地を建設 セントヘレナ島の場所地図

セントヘレナ 1992 発行
1651 オランダが島の入植地を放棄
1659/5/5 英東インド会社の遠征隊が島にセントジョン砦を建設、入植
1672 英第4代セントヘレナ総督ビール大尉着任
1672/12/25 オランダ東インド会社の船が島に来島
1673/1 オランダ東インド会社が250人で島に上陸、占領
ビール総督はブラジルへ逃れる
<蘭セントヘレナ侵攻の海戦、艦隊戦闘序列>
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Dutch invasion's Fleet, 1673/1)
蘭英艦隊 主 力 その他 総司令官
・オランダ 輸送船4隻 船員150兵180 ジェイコブ・デ・ジェンス
・イギリス 脱出船隊 守備兵・奴隷 ビール総督
オランダ人は以前に島に定住しているも、ケープタウンにある植民地へ移住して島を放棄しました。その後、ケープタウンは劣った停泊地であることが証明されたため、第三次英蘭戦争を利用して、1672年遅くオランダ海軍遠征隊ジェイコブ・デ・ジェンス(Jacob de Gens)がケープを出帆。1672/12/25に南大西洋の絶海の孤島のセントヘレナ島へ侵攻して、島に上陸。1673/1月にオランダ人はジェームズタウン(Jamestown)の西にあるレモン バレー(Lemon Valley)に上陸。険しい峡谷を上ろうとするも、イギリス入植者に高台から岩を投げつけられて追い返されました。オランダ人は船に乗り直し、さらに西に上陸し、防御していたイギリス入植者を圧倒して高地に到達。高台を攻 ブラジルの地図

USA 1963 発行
撃してイギリス入植者と英守備隊を圧倒。ジェームズタウンへ進軍して、イギリス東インド会社(EIC)から島を奪って占領しました。セントヘレナ島の英守備隊からの抵抗はほとんどありませんでした。英東インド会社総督アンソニー・ビール船長(Captain Anthony Beale,1630-在任1672-73-1687没57才)は多くの兵士と奴隷と一緒にブラジルへ逃亡しました。

(3-2)イギリスのセントヘレナ再占領
(British Recapture of Saint Helena、1673/5/4-5)英勝利
 戦場:セントヘレナ島
<英セントヘレナ再占領の海戦、艦隊戦闘序列>
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Recapture of Saint Helena's Fleet)
セントヘレナ島

セントヘレナ 1953 発行
蘭英艦隊 主 力 総司令官
・オランダ 輸送船数隻 ジェイコブ・デ・ジェンス
・イギリス スループ艦(Sloop) ビール総督
フリゲート艦 アシスタンス号(frigate HMS Assistance) マンデン艦長
1673 ブラジルに逃れたビール総督は傭船スループ艦で島喪失の知らせのため兵員と共に出帆
スループ艦は英アシスタンス号と合流、マンデン艦長が島の奪還を決定
1673/5/4 アシスタンス号副艦長ケイガン中尉の部隊が上陸
アシスタンス号マンデン艦長が砲撃
1673/5/5 オランダ人が降伏
ケイガン中尉が第5代総督に就任(在任1673-1674)
1674 入植者の反乱で総督ケイガン中尉が捕えられる
英東インド会社バス船長(Capt.William Basse)が総督を救出。

スループ艦(Sloop)総司令官ビール総督
フリゲート艦アシスタンス号(frigate HMS Assistance 40gun)
  マンデン艦長(1671/1/7-1674/11/7)
・リチャード・マンデン大尉(Capt Sir Richard Munden,1640-80,後に(Commodore)准将)
・リチャード・ケイガン中尉(Lieutenant Richard Keigwin, 1673-1674)アシスタンス号の副艦長

ビール総督はブラジルで船足の速いスループ艦を雇って島が失われたことをイギリスの船に警告するために、多くの兵士と奴隷を船に乗せて出帆しました。スループ艦はセントヘレナの守備隊を強化するために派遣されたイギリス海軍フリゲート艦アシスタンス号艦長リチャード・マンデン大尉とイギリス東インド会社の遠征隊艦隊に出会いました。英艦隊を率いたマンデン艦長は直接の命令を受けることなく島を奪還することを決定しました。
マンデン大尉は島の東のフィッシャーズ・バレー(Fisher's Valley)へと航海。そこは小川がダイアナズ・ピーク(Diana's Peak)からプロスペラス湾(Prosperous Bay)へ流れ込んでいました。小川は海岸近くで高さ46mの垂直な岩壁から滝となって落ちていまた。ビール総督の奴隷のブラック・オリバー(Black Oliver)は、この断崖絶壁を登るルートを知っており、5/4にアシスタンス号の副長ケイガン中尉が率いるマンデン艦長の部下と共に、暗くなってからそこに上陸しました。ケイガン中尉の部下の1人トム(Tom)が、残りの部隊を引っ張るのに使用されたロープを持って最初に登りました。次の男の「しっかりして、トム!」(Hold fast, Tom !)の叫んだのが、この場所の現名ホールド・ファスト・トム(Hold Fast Tom)になりました。オランダ人が防御していれば、この場所は難攻不落だったでしょうが、オランダ人にはその防御のために割ける人員がいませんでした。ケイガン副長の部隊はセントジョン砦(Fort St. John)の内部を見下ろす高地に到着できて砦を無防備にしました。ケイガン副長の部隊が崖を攀じ乗っている間に、マンデン艦長はセントジョン砦に向かって航海しながら砲撃しました。5/5午後6時、ケイガン副長隊が砦に到着する前にオランダ軍は降伏しました。マンデン艦長はオランダ船が数日中に到着する予定であることを知って、戦争の策略としてシュガーローフヒル(Sugar Loaf Hill)のオランダ国旗を掲げたままにして、港に到着した蘭護送船団のほとんどを捕獲しました。
その後
イギリス東インド会社 (English East India Company:EIC).はセントヘレナ島の守備隊を強化するために正規軍を派遣し、その年の後半には島を守るために入植者で民兵隊を組織しました。1673年のオランダのセントヘレナ侵攻は、この島が外国勢力に占領された最後になりました。マンデン艦長はイングランドに戻ると、セントヘレナ島での武勲でナイトの爵位(Sir)を授与されました。ケイガン副長は、1674年に第5代総督リチャード・ケイガンとして島に留まりました。マンデン艦長の遠征艦隊に参加した兵士の多くは、セントヘレナ島に土地を与えられ、そこに定住しました。
爵位ナイトの授与式

英バージン諸島1980発行

参考HP:〜
セントヘレナ島の地図
セントヘレナ島の区分地図

こちらで
蘭英戦争(1652-1674)
第1次蘭英戦争(1652-1654)
第2次蘭英戦争(1665-1667)
第3次蘭英戦争(1672-1674)
 ・スホーネヴェルトの海戦(1673/6/7)
第4次蘭英戦争(1780-1784)
サフレン提督
コーヒー (嗜好品)
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コーヒー (嗜好飲料)
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をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       令和5年, 2023/3/23

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