オランダ編 | Netherland 国連 1989 発行 |
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages)No.1-5
第1次 蘭英戦争 (5)ポートランド島沖の海戦 Battle of Portland, 1653/2/28-3/2 英艦隊勝利するも蘭艦隊は輸送船団の護衛に成功 |
United Kingdom 国連 1983 発行 |
イギリス編 | 大航海物語 |
NEDERLAND オランダ総司令官トロンプ提督 オランダ 1943 発行 |
JERSEY 英仏海峡の地図 ジャージー 1970 発行 |
イギリス総司令官 ブレーク提督 イギリス 1982 発行 |
REPUBLICA DE GUINEA ECUATORIAL 海戦の図 (ポルトベロの戦い:The Capture of Porto Bello, 1739) |
ポルトベロの戦いはパナマのポルトベロ入植地を占領するため、イギリス海軍とスペインの守備隊との間の1739年の戦いで、オーストリア継承戦争の最中に起こり、ジェンキンスの耳の戦争の初期に勃発(conquistadores de los mares 海の征服者) |
赤道ギニア 1975/9/5 発行 17-18世紀の戦列艦の海戦(Grandes Veleros Siglo XVII-XVIII) |
・当時の軍艦:〜:16世紀の中頃、ヨーロッパの軍艦はほとんどがガレオン船になりました。この完成度の高い帆船軍艦は、300年間にわたってその基本構造を変えることはほとんどありませんでした。武器である大砲は両舷に並べられていたので、戦闘は1列縦隊に並んだ艦隊同士がすれちがったり、平行に並んだ時に行われました。砲撃で敵艦に損害を与えてから近づいて接舷し、斬り込み隊を送り込んで敵艦上で血みどろの白兵戦を展開しました。 |
・ポートランド島沖の海戦 (The naval Battle of Portland, 1653/2/28-1653/3/2) 別名:三日海戦(Three Day's Battle)英勝利 戦場:イギリス海峡のポートランド島沖 (Off Isle of Portland(English Channel), Dorset Cunty, South West England Region, UK) ポートランド島沖の海戦は、1652/7/10にイギリスが宣戦布告した第一次蘭英戦争の約7.5ヵ月後に発生。イギリス海峡を通過するオランダの商船団を護衛するマールテン・トロンプ提督艦隊が、それを阻止しょうとするイギリス(Commonwealth of England)のブレイク提督艦隊に攻撃されて勃発しました。この戦いはイギリス海峡の覇権を決定することはできず、英が勝利するも、双方が勝利を主張しました。イギリス海峡の最終的な支配はガッバードの海戦(Battle of the Gabbard, 1653/6/2&3)で英が勝利し、イギリス軍はスヘフェニンゲンの海戦(Battle of Scheveningen, 1653/7/31)までオランダの海岸を封鎖しました。マールテン・トランプ提督は銃撃戦で戦死しました。 <ポートランド島沖の海戦>〜 第1次 蘭 英 戦 争 〜(First Anglo-Dutch War 1652 - 1654) ・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet) (Order of Battle at the Battle of Portland's Fleet)
・ブレイク提督の旗艦トライアンフ号(Blake's flagship, HMS Triumph 60gn) ※蘭の損害:戦列艦30隻沈没、輸送船70〜80隻沈没説有。 両軍の配置 ・オランダ艦隊は3隊に分けられ、開戦時にはほぼ東方向に進んでいました。オランダ艦隊総司令官トロンプ提督は中央隊を自ら率い、左翼隊はデ・ロイテル提督、右翼隊はエバツェン提督が指揮しており、中央の後方にはアジアの産物を満載して帰ってきた250隻の商船隊が置かれました。 ・イギリス艦隊も3隊に分かれて、オランダ艦隊の行く手を阻むため南西方向に進みました。イギリス艦隊総司令官ブレーク提督は右翼隊(赤隊)をラウソン、ホーエット両提督と共に率いて、中央隊(青隊)をペン提督とレイン提督に任せ、左翼隊(白隊)はモンク提督に指揮をとらせました。 ・オランダ艦隊編成:〜(Ducth Fleet)
イギリス艦隊編成:〜(English Fleet)
(Admiral (General at Sea) Robert Blake, 1598-1657、Lord Warden of the Cinque Ports, 1656-1657)
・海戦の戦闘経過
28日の戦闘:〜:オランダ艦隊は、イギリス艦隊に前方をさえぎられると急いで商船隊を風上に避難させ、トロンプ率いる中央隊が左舷後方からの風を満帆に受けてイギリス艦隊の先頭のブレーク艦隊に攻撃をかけました。続いてデ・ロイテルが指揮するオランダ艦隊左翼隊が、ブレークのイギリス艦隊右翼隊の側面を襲いました。しかし、この時ブレークの右翼隊を救援するため、イギリス艦隊の中央隊が駆けつけ、ウィリアム・ペン率いるイギリス艦隊中央隊は、トロンプのオランダ艦隊中央隊の右側面に襲いかかりました。イギリスの左翼隊モンク艦隊は、エバツエン指揮のオランダ艦隊右翼隊に攻撃されたので、中央隊、右翼隊と共に戦うことが出来ませんでした。戦闘は午前8時から午後2時頃まで続きましたが、商船隊が心配なオランダ艦隊トロンプ総司令官は、午後4時頃に艦隊を引き上げることにしました。イギリス艦隊は、この日の戦いを優位に終らせましたが、貴重な艦長の多くを失いました。艦隊司令官のブレークも腹部に重傷を負いました。対するオランダ艦隊の損害も大きく、司令官トロンプは乗員の3分の2を失い、デ・ロイテルの旗艦は帆柱が折れて危うく敵に捕獲されるところでした。 29日の戦闘:〜:2日目の戦闘は、商船隊を護衛して海峡を東に向かうオランダ艦隊をイギリス艦隊が追跡する形で始まります。オランダ艦隊は商船隊を守るために専ら守勢に立ちますが、昼頃にはイギリス艦隊に追いつかれてしまい、ワイト島付近で3時間の激戦が繰り広げられました。しかし、この日の戦いも双方に多くの死傷者を出しただけで勝負はつかず、さらに翌日に持ち越されました。 30日の戦闘:〜:オランダ軍は、弾薬の残り少なくなった艦船を本国へ帰したため、わずか35隻の軍艦で商船隊を護衛しながら戦わなければなりませんでした。一方、イギリス艦隊の司令官ブレークは負傷のため指揮することが出来なくなって後方へ退きます。絶対的に不利なオランダ艦隊は、ペン率いるイギリス艦隊の追跡を振り切るため、総司令官のトロンプが、デ・ロイテルと共に後衛の指揮をとることになりました。朝から始まった激戦の末、オランダ艦隊の2人の優秀な指揮官はイギリス艦隊を撃退することに見事、成功します。その後のオランダ艦隊は、フランスのカレー沿岸で暗くなるまで仮泊したのち、夜の闇に隠れて引き潮に乗り、海峡を突破していったのでした。 両軍の損害:〜:この海戦でオランダ艦隊は、商船70〜80隻を失いますが、残りの商船はほとんどを護送することに成功します。一方の軍艦は約30隻が沈められてしまいました。 これに対してイギリス艦隊の損害は非常に少なく、ほんの数隻の軍艦を失っただけで、この海戦はイギリス軍の勝利となりました。 この戦いはイギリス、オランダ両軍に貴重な戦訓を与えました。それは、海戦においては確固たる戦闘隊形をつくらなければ勝利できないということでした。イギリス海軍は縦隊が最良の戦闘隊形であると確信しましたが、オランダ海軍は縦隊の各艦に独断行動をも許す柔軟な戦闘が有効であると考えました。また、この海戦では当初から戦闘用に造られた軍艦と海戦を専門とする海軍士官の価値が高く評価され、専門海軍士官はこの時にはじめて設けられます。これまでは操船担当の士官と戦闘担当の士官とが別々におり、戦闘担当士官には斬り込み隊の指揮をするために陸軍軍人が当てられていました。
従軍戦歴:〜 ・英西戦争(Anglo-Spanish War, 1625-1630) ・カディス遠征(Cadiz expedition, 1625)西勝利 ・英仏戦争(Anglo-French War, 1627-1629) サン・マルタン・ド・レ包囲戦(St Martin-de-Re, 1627)仏勝利 ・80年戦争(Eighty Years' War, 1621-48)オランダの反乱 ・マーストリヒト包囲戦(Maastricht, 1632/6/9-8/22)蘭勝利 ・第4回ブレダ包囲戦(Breda, 1637/7/21-10/11)蘭勝利 ・英国内戦(Wars of the Three Kingdoms, 1639-53) ・ニューバーンの戦い(Newburn, 1640/8/28)英敗北、スコットランド勝利 ・ニューロスの戦い(New Ross, 1643/3/18)王党派勝利 ・ナントウィッチの戦い(Nantwich, 1644/1/25)議会派勝利 ・ダンバーの戦い(Dunbar, 1650/9/3)英勝利 ・ダンディー包囲戦(Dundee, 1650/8/23-9/1)英勝利 ・第1次英蘭戦争(First Anglo-Dutch War) ・ポートランド海戦(Portland) ・ガッパード海戦(The Gabbard) ・スフェフェニンゲン海戦(Scheveningen) ・グレンケアの反乱(Glencairn's rising, 1653-1654)英勝利 ・第2次英蘭戦争(Second Anglo-Dutch War) ・四日海戦(Four Days' Battle, 1666/6/1-6/4)蘭勝利 ・セントジェームスデイの戦い(St. James's Day Battle, 1666/7/25)英勝利 ・など。 参考HP:〜 ・ポートランド島の場所地図 ・ポートランド島の場所地図(英国南部) ・オランダの地図(1672) ・オランダの区分地図(フランスの進撃図、1672) こちらで ・蘭英戦争(1652-1674) ・第1次蘭英戦争(1652-1654) (1)ドーバーの海戦(1652/5/19) (2)プリマスの戦い(1652/8/16) (3)ケンティッシュノックの海戦(1652/9/28) (4)ダンジネスの海戦(1652/11/30) (5)ポートランド沖の海戦(1653/2/18) (6)レグホーンの海戦(1653/3/4) (7)ガッバードの海戦(1653/6/2) (8)スヘフェニンゲンの海戦(1653/7/31) ・第2次蘭英戦争(1665-1667) ・第3次蘭英戦争(1672-1674) ・第4次蘭英戦争(1780-1784)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和5年2023/3/23 |