オランダ編 | Netherland 国連 1989 発行 |
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages)No.3-8
第3次 蘭英戦争 第二次ジェームズ川沖の海戦 1673/7/12 2nd Battle of Off James River |
United Kingdom 国連 1983 発行 |
イギリス編 | 大航海物語 |
NEDERLAND エヴェツェン・ザ・ヤンゲスト提督 オランダ 1943 発行 |
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CAYMAN ISLANDS 海戦の図 1805 トラファルガーの海戦 200年記念 2005 ケイマン 2005 発行 |
第二次ジェームズ川沖の海戦 (Second Battle of Off James River, 1673/7/12-13)オランダの勝利 別名:リンヘブン湾の海戦(Battle of Lynnhaven Bay) 戦場:バージニア州を流れチェサピーク湾(Chesapeake Bay)へ注ぐジェームズ川沖 (Off James River(657km)Lynnhaven Bay、Virginia、USA) 第二次蘭英戦争(1665-1667)中の1667年にオランダのクラインセン提督(Abraham Crijnssen, 1669/2/1没)は第一次ジェームズ川の戦い(1st Battle of Off James River. 1667/6/5-9) を戦い、バージニア植民地とメリーランド州からタバコを積んだイギリス商船団(Virginia & Maryland tobacco fleets)を捕獲しました。タバコは北米のイギリス植民地の重要な輸出品でした。航海法(1651-1849)でオランダは1651年以来正式にこの貿易から除外されており、オランダはそのことで海軍へ戦争中にできるだけ多くの産物を捕獲するか、少なくとも可能な限り破壊するよう命じていました。数年後の第三次蘭英戦争(1672-1674)中に紛争が再開すると、オランダ海軍は再びイギリスのタバコ貿易を妨害しました。1673年にオランダは西半球でイギリスとフランスの通商船舶を襲撃するためジーラント海軍(Admiralty of Zeeland)はエバツェン・ヤンゲスト艦長の艦隊を、アムステルダム海軍(Amsterdam)はジェイコブ・ビンケス艦長の艦隊を別々に派遣しました。これらの艦隊はカリブ海で合流しました。そして最初にサバ島とシント・ユースタティウス島をイギリスから奪還した後、先の第一次ジェームズ川の戦いでクラインセン提督が行ったように、大西洋岸のイギリス植民地の海岸を襲撃することを決定しました。ところが、クラインセン提督の襲撃でバージニア植民地のバークレー総督(governor William Berkeley, 1605-1677/7/9)はイギリスに援軍を要請していました。1673年の春にイギリスのフリゲート艦2隻、バーナビー号(frigate HMS Barnaby, 50gn)ガーディナー艦長(Cpt. Thomas Gardiner, ?)とオーガスティン号(frigate HMS Augustine, 50gn)コッテレル艦長(Cpt. Edward Cotterell, ?)が到着して、1673/7月初旬にイギリスに向けて出発するバージニアとメリーランドの連合タバコ船団を護衛しました。 ・第二次ジェームズ川沖の海戦 (2nd Battle of Off James River, 1673/7/12-13)オランダの勝利 オランダ艦隊約20隻は、1673/7/11にチェサピーク湾(Chesapeake Bay. Maryland & Virginia, USA)に入り、リンヘブン湾(Lynnhaven Bay, Virginia)入り江入り口のリンヘブン・ローズ(Lynnhaven Roads)に停泊。オランダ艦隊はバージニア州南東部海域ハンプトン・ローズ(Hampton Roads, Virginia)にあるバージニアタバコ艦隊のマストを望見することができました。 英国側は最初に防衛姿勢を取ることを決めるも、1673/7/12の朝突然にメリーランド州タバコ船団8隻が現れ、何の疑いもなくオランダ艦隊に向かって真っ直ぐ航行したため、オランダ艦隊の注意をそらしてメリーランド州タバコ船団がオランダの手に落ちるのを避ける必要がありました。こうして英国側が発砲してバージニア州を流れチェサピーク湾へ注ぐジェームズ川(James River、657km、Virginia、USA)沖にて、第二次ジェームズ川沖の海戦が勃発しました。この海戦に勝利したオランダは、1664年まではニューネーデルラントのオランダ植民地であったニューアムステルダム植民地のマンハッタン(Manhattan)の先端にあるジェームズ砦(Fort James:ニューアムステルダム改名の現ニューヨーク)の防御が弱いことを知りました。そしてオランダ艦隊がジェームズ砦に奇襲をかけて、海兵隊をマンハッタンに上陸させました。その結果オランダは1673/7/30にニューアムステルダムを奪回しました。 <第二次ジェームズ川沖の海戦>〜 第3次 蘭 英 戦 争〜1673/7/12-13:オランダ勝利 ・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet) (Order of Battle at the 2nd Battle of Off James River's Fleet)
・蘭ジェイコブ・ビンケス艦長 ・英トーマス・ガーディナー艦長 ・英コッテレル艦長 ▼オランダ艦隊の編成:〜 (Dutch Fleet) ・ヤンゲスト艦長の旗艦スウェネンバラ号 (旧英セント・パトリック号:HMS Saint Patrick, 50gn) ・座礁したイギリス船4隻を拿捕 ▼イギリス艦隊の編成:〜 (British Fleet) ・バーナビー号(frigate HMS Barnaby, 50gn)ガーディナー艦長 ・オーガスティン号(frigate HMS Augustine, 50gn)コッテレル艦長 ・英フリゲート艦2隻支援のため強制就役された商船 ・オーガスティン号(HMS Augustine) ・バーナビー号(HMS Barnaby) ・グローブ船長(Cpt. Grove)武装商船(armed merchantman)、座礁 ・4隻が座礁 ・5隻目は逃走 ・残りのイギリス船3隻がジェームズ川に向かって逃走 ・メリーランド州の船1隻はバージニア岬を越えて逃走 ・バージニア州タバコ船団のほとんどはジェームズ川を遡ってジェームズタウンへ逃走 ナンセモンド砦(Fort Nansemond)で保護される。 参考HP:〜 ・チェサピーク湾付近の地図(ジェームズ川(James)有)
(Order of Battle at the 1st Battle at Tobago's Fleet)
・仏エストレ伯ジャン・デストレ提督 (Jean d'Estrees, Count of Estrees, 1624-1707):グロリュー号(64gn) <オランダ艦隊の編成>:〜(Dutch Fleet)ビンケス提督
(Order of Battle at the 1st Battle at Tobago's Fleet)
<フランス艦隊の編成>:〜(French Fleet)エストレ伯ジャン・デストレ提督
フランス領アンティル総督(governors general of the French Antilles、在任1677/5/13-1677/11/8) ・フランスの蘭ステレスカンス砦への攻撃 仏ブレナック総督は陸戦部隊950人を率いてステレスカンス砦を包囲。迫撃砲と大砲は要塞を見下ろす丘の頂上まで約6.4 kmを3日がかりで引きずって設置して砲兵列をしきました。フランス軍が発射した3発目の砲弾が火薬庫に命中し、爆発で砦は破壊されました。ビンケス提督と士官16人など250人が戦死しました。 参考HP:〜 ・トバゴ島の地図 ・トバゴ島付近の地図(Google Map) ・トリニダード・トバゴ諸島付近の地図 なお、トバゴ島の海戦でのビンケス提督という人物像は、ダニエル・デフォーが書いたロビンソン・クルーソーの基礎となったという説も有ります。
・蘭英戦争(1652-1674) ・第1次蘭英戦争(1652-1654) ・第2次蘭英戦争(1665-1667) ・第3次蘭英戦争(1672-1674) ・第4次蘭英戦争(1780-1784)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和6年 2024/1/26 |