Portugal 国連 1989 発行 |
PORTUGAL (V) 切手で綴る ポルトガル人の大航海 (Discovery Voyage) ポルトガル人の大航海 インド洋支配 遠征艦隊・インド攻略・副王・東洋遠征 |
大航海物語 ポルトガル編★ |
Estad da India |
|||
アルメイダ |
アルブケルケ |
ザビエル |
カモンイス |
|
ポルトガル・インド遠征艦隊・航海地図 ポルトガル・リスボン アフリカ・喜望峰 インド・カリカット ポルトガル領モザンビーク 1969/8/29 発行 |
インド洋の地図 SULTANATE of OMAN オマーン 1981/11/23 発行 |
ポルトガル人の東回りインド洋支配と香料貿易。 ローマ法王が世界を二つに分けたような条約のトルデシリャス条約(1494年)には、他のヨーロッパ諸国が納得せず、後にオランダとイギリスがカトリックから離れる遠因となったともいわれています。又、カトリックの布教が約束されていたため、多くの宣教師が海外へと航海しました。その中には聖ザビエルもいました。15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰回りインド航路の発見以降は、それまでイスラム商人の手を経てイタリア諸都市経由で行われていた香料貿易がインドとの直接貿易を可能としました。ポルトガル王マヌエル一世はそれをより強固にするため、 インドの統治にアルメイダ提督を初代のインド副王に、そしてアルプケルケ将軍を次の副王(初代総督)として派遣しました。副王の制度は20世紀(1961)にゴア(Goa)がインドに返還されるまで続きました。 |
ポルトガル 1497〜1506 第1〜9次・インド遠征艦隊 |
ヴァスコ・ダ・ガマの第1次遠征艦隊 |
ポルトガルからインドへの航海地図 |
ポルトガル 1969/12/30 発行
|
ポルトガル人の”いでたち” | ||||
甲冑姿 カーボヴェルデ 1938 発行 |
乗馬姿 ポ領インド 1950 発行 |
ポルトガル人の図 日本 1993 発行 |
||
1560 |
1578 |
1640 |
1690 |
1720 |
モザンビーク1967/1/12 | ギニア 1966/1/8 発行 | チモール 1967/2/12 | ギニア 1966/1/8 発行 |
・ポルトガルのインド遠征艦隊:〜 第1次、 4隻(170人)、司令官 ヴァスコ・ダ・ガマ船長:1497/8〜1499/9、3隻が帰港 第2次、13隻(1500人)、司令官 カブラル船長:1500/3/08-1501/6/23、4隻が帰港 第3次、 5隻(350人)、司令官 ノーヴァ船長:1501/3/5-1502/9/11、4隻が帰港 第4次、20隻(1800人)、司令官 ヴァスコ・ダ・ガマ船長:1503/2/10〜1503/9、10隻が帰港 第5次、10隻(?)、司令官 アフブケルケ将軍:1503/4/6〜1504/7下旬、3隻が帰港 第6次、13隻(1200人)、司令官 アルベリガリア船長:1503/4/22〜1505/7/22、12隻が帰港 第7次、22隻(1000人+兵1500)、司令官 アルメイダ提督:1505/3/25〜1506/5/23、9隻が帰港 支援、16隻、司令官 トリスタン・ダ・クーニャ船長:1506/4/6〜1507 第8次、 5隻、司令官 アフブケルケ将軍:1506/4/6〜1515/5/20、3隻が帰港 第9次、16隻、司令官 インド副王(総督)アルプケルケ将軍(インド再遠征)
|
古地図で綴る ポルトガルのインド攻略 1635、ペドロ・バレットの古地図 |
ポルトガルの主要拠点(インド植民地)
ESTADO da INDIA |
||
@ディウ |
Aダマン |
Bバサイン |
Fコーチン |
Cゴア |
Mボンベイ |
Gコロンボ |
ポルトガル領インド 1955/3/24 発行 | ポルトガル領インド 1956/3/24 発行 |
・ポルトガル領インドの14都市 ポルトガルはインドを最初に植民地化した西洋国でしたが、インド内陸部を支配する能力、動機とも備えておらず、交易の拠点となる商館を維持する政策をとりました。最盛期にはインド西岸、南岸を中心に14都市を支配しました。 No.(ポルトガル領の期間)都市名:〜 01(1535〜1961)、ディウ(Diu) 02(1558〜1961)、ダマン(Daman) 03(1533〜1739)、バサイン(Bassain) 04(1510〜1961)、ゴア(Goa)※インドの軍事侵攻で1961/12/19併合 05(1501〜1663)、カナノール(Cannanoure) 06(1498〜1663)、カリカット(Calicut、現コージコード:Kozhikode) 07(1500〜1663)、コーチン(Cochin) 08(1505〜1656)、コロンボ(Colombo):セイロン島 09(1507〜1656)、ゴール(Galle):セイロン島 10(1507〜1656)、マタラ(Matala):セイロン島 11(1522〜1639)、トリンコマリ(Trincomale):セイロン島 12(1507〜1658)、ナガパタン(Nagapatan) 13(1537〜1658)、フーグリー(Hughli):ガンジス河中流 14(1534〜1661)、ボンベイ(Bombay、現ムンバイ:Mumbai) 15(1523〜1749)、マイラプール(Mylapore) ※青色はインド独立までポルトガルが領有した所。 |
ポルトガルの インド副王(総督)列伝 |
副王 | ガマ |
アルメイダ |
アルブケルケ |
カストロ |
クーニャ |
ブラガンザ |
アタイデ |
ノローニャ |
ポルトガル領インド 1956/3/24 発行 | ||||||||
副王 紋章 |
ガマ |
アルメイダ |
アルブケルケ |
カストロ |
クーニャ |
アタイデ |
アルベリガリア |
|
ポルトガル領インド 1958/4/3 発行
|
・インド副王(総督)列伝:〜(在任期間)(身分):(没場所、P=帰国)
参考HP〜 ・ポルトガルの発見場所の地図(1415-1543) こちらで
上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。10/8/8、11/7/11追記、令和 R.2/12/15(2020) |